不思議な家(re-build)

 繰り返しになるようですが、私はこの考えに強い嫌悪を感じるところなのです。なんですか、人を守るための法律。そんなもので本当に人が守れるわけはないのです。条文や約束事、誓文で人の生き死にが決まるなどと思い込むのは幻想も幻想です。本来人は自然界の中に生きる動物でしかないのです。二足歩行をしようが、言語を獲得しようが、文字や数字を発明しようが、高度なテクノロジーを発展させようが、あくまで動物、動物なら自然の掟に従うのが道理というものです。
 自然界にはルールと呼ばれる、確かにルールと読んで差し支えのない取り決めのようなものがございます。これの効力は絶大という他なく、すべての動植物はこのルールの下で、決してこれを破ること叶わぬまま生存を続けているのです。これを脱し、自分たちは特別にルールを設けて庇護され、その他の動物にはまるで関心がない、殺してもすりつぶしても食べても一切咎めたりはしない、だってそう新たなルールには書かれているのだからなど愚劣も愚劣、言ったもの勝ちの現実逃避をするなど、まるで馬鹿げているではないですか。そのように、思いませんか? 私は強く感じるのです、人は、身勝手。
 であればこそ、人は時として被食者になる恐怖を今に思い出さなくてはならない、このために必要な目下の行動として選び抜いたのが、殺人という行為なのでした。
 私は近所に住んでいる若い夫婦の一人息子を誘拐し、事前に用意していたの監獄に閉じ込めました。この行いには、私の性癖と申しましょうか、ごく個人的な興味もあって行った次第なのです。つまり私は、この子供を実験にかけたいという強い衝動があったのです(この私の興味関心を否定することは、先にも書いた通り本来は叶わないことであります)。
 私は己の正しいと信じる思想ゆえに、そして私自身の衝動に従い、年齢も五つを数えるばかりの子供をいたぶりました。私のこの手記の置かれているガラスケースが載せられている台は、この拷問の際使っていた台でございます。この小さなテーブルの上に私は男児の手足を縛りつけ、身動きの取れない状態にしてから拷問を開始したのです。
 子供の名前はトオルと言いました。漢字では『透』と書きます。両手を背中で縛り、足はそのまま一つにまとめてしまって、こちらを泣きながら見上げる顔に平手を使いました。私はこの手紙を書きながら死への階段を登るのを自覚していますが、あの時の感触だけはどれだけ時が経とうとも、体がどれだけ弱ろうとも消える気配がないのです。
 愉悦、これこそ悦楽と思いました。何度も頬を打ちました。右を五度か六度、それに飽きると左をその倍叩きました。男児の顔はみるみるうちに赤く変色していき、わずかずつではありますが腫れて膨らんできているような気さえしました。一通り殴り叩き終えると、さてここからが本題なのです。