もちろん、この『岬』という絵そのものについて金銭的な価値を求める者もいただろう。だがこれがこうして廊下に残っているということは、価値がないとみなしているに相違ない。彼らはムンクの『叫び』のような、誰の目にも触れる機会がある作品にこそ値段がついているのだと思い込んでいる。とうの昔に死んだ、ほとんど無名に等しい画家の絵など、毎日着る洋服のようにお洒落以上の意味を持たないのだろう。
当たりをつけ、そうしてそっと額縁に手をかけた。絵は想像よりずっと重く、床に下ろすのに時間を要してしまった。額は表面をガラスによって保護されていたから、不躾なのは承知で床に寝かせ、背面を観察することにした。
付箋が、またしてもそこには貼り付けられている。先刻見たのと変わらない付箋で、やはり短くメッセージが記されている。
『車庫と家とを繋ぐ場所 そこに私の秘密がある』
心臓は大きく鳴り始めていた。この家には、やはりあったのだ。祖母の隠した財産があるのだ。
それを私はただ、見てみたいと思った。嘘ではなく本心から、知的好奇心とやらが働いて、私は一人、暗い田舎の道に出た。
靴を履いて玄関を抜け、車庫と家との間の狭い空間に懐中電灯の光を向けて見る。二つの建物の間には、特に何も設けられていない。間はほんの三〇センチほどの隙間が空いているだけで、地面は芝生だ。敷地自体は周囲を塀が囲っているため思いがけず田んぼに落ちるようなことはないだろうが、果たしてこんな場所に秘密とやらが隠れているのだろうか。
前方には、私をどこかへ誘おうとするような一本の細い道が形成されている。左は現在私の住処となっている木造家屋で、右側は比較的頑丈に作られたコンクリートの車庫。足元には短く雑草が生えているのみ。
とりあえず歩いてみた。
足元をしっかり照らしながら、何か落ちているかもしれないと注意深く歩いた。
この一本道の先にあるのは、小さな庭である。祖母はそこにもやはり椅子とテーブルとを配し、読書のための空間を作っていた。園芸にこだわろうという気は一切なく、庭自体も子供が遊ぶにも狭いようなかなり小さな空間になっている。
庭で遊んでいけない、あそこはおばあちゃんが本を読む場所だからねと、母に言われているのも構わず私は遊んだものだ。私が遊んでいるのを母は口だけで注意した。そこへ当の祖母が現れると、母はそれこそ悪戯のバレた時のような顔で慌てて謝るのだが、祖母は決して私を叱ったりしなかった。私へはただ、怪我のないように気をつけなさいと言い、母には教育の仕方がなっていないだとか、バットでも振り回して怪我をしたらどうするのかとか、厳しく小言のようなことをぶつけていた。大抵そのお叱りは、私のいない別の部屋で行われていたが、祖母のきつい声はよく壁を通り抜け、聞き耳を立てたりしていない私にまでよく届いたものだ。
当たりをつけ、そうしてそっと額縁に手をかけた。絵は想像よりずっと重く、床に下ろすのに時間を要してしまった。額は表面をガラスによって保護されていたから、不躾なのは承知で床に寝かせ、背面を観察することにした。
付箋が、またしてもそこには貼り付けられている。先刻見たのと変わらない付箋で、やはり短くメッセージが記されている。
『車庫と家とを繋ぐ場所 そこに私の秘密がある』
心臓は大きく鳴り始めていた。この家には、やはりあったのだ。祖母の隠した財産があるのだ。
それを私はただ、見てみたいと思った。嘘ではなく本心から、知的好奇心とやらが働いて、私は一人、暗い田舎の道に出た。
靴を履いて玄関を抜け、車庫と家との間の狭い空間に懐中電灯の光を向けて見る。二つの建物の間には、特に何も設けられていない。間はほんの三〇センチほどの隙間が空いているだけで、地面は芝生だ。敷地自体は周囲を塀が囲っているため思いがけず田んぼに落ちるようなことはないだろうが、果たしてこんな場所に秘密とやらが隠れているのだろうか。
前方には、私をどこかへ誘おうとするような一本の細い道が形成されている。左は現在私の住処となっている木造家屋で、右側は比較的頑丈に作られたコンクリートの車庫。足元には短く雑草が生えているのみ。
とりあえず歩いてみた。
足元をしっかり照らしながら、何か落ちているかもしれないと注意深く歩いた。
この一本道の先にあるのは、小さな庭である。祖母はそこにもやはり椅子とテーブルとを配し、読書のための空間を作っていた。園芸にこだわろうという気は一切なく、庭自体も子供が遊ぶにも狭いようなかなり小さな空間になっている。
庭で遊んでいけない、あそこはおばあちゃんが本を読む場所だからねと、母に言われているのも構わず私は遊んだものだ。私が遊んでいるのを母は口だけで注意した。そこへ当の祖母が現れると、母はそれこそ悪戯のバレた時のような顔で慌てて謝るのだが、祖母は決して私を叱ったりしなかった。私へはただ、怪我のないように気をつけなさいと言い、母には教育の仕方がなっていないだとか、バットでも振り回して怪我をしたらどうするのかとか、厳しく小言のようなことをぶつけていた。大抵そのお叱りは、私のいない別の部屋で行われていたが、祖母のきつい声はよく壁を通り抜け、聞き耳を立てたりしていない私にまでよく届いたものだ。
