「──……それからこれが小倉トーストのサンドクッキーで、こっちがうちの両親からのういろうです」
「わー。なんかすごい量なんだけど、本当にいいの?」
「ぜひ、橙士先輩のために選んだので」
夏休み最終日。三週間の帰省を終えて、久しぶりに帰ってきた三〇六号室。
ローテーブルの上にお土産のお菓子を載せると、向かい側に座っていた橙士先輩は早速手に取って袋を開けている。
「お口に合えばいいのですが」
「うまい。ありがと」
「よかったです」
心配をする間もなく実食して感想をくれるのでありがたい。ほっと胸を撫で下ろした俺は、自分がやけにそわそわしていることに気付いた。なにかを喋ろうと言葉を探すが、適当な言葉が見つからない。
「…………」
座布団の上に正座をしたまま、視線を泳がせる俺。しんと静まり返った室内には、橙士先輩がお菓子を食べる音だけが響き渡っている。
(き、気まずい……。いっつもなに喋ってたっけ……?)
橙士先輩と離れていた三週間、何度か連絡を取り合っていたが、実際に会うとどうにも接し方がわからない。
実のところ夏休みに入る前からずっとこうだ。だから少し距離を置こうと思って、いつもより長めに帰省していたのだけど。
机にはいつのまにかお菓子の包み紙がたくさん散らばっている。
……この人、夕飯前に一体いくつ食べるつもりなんだろう。
橙士先輩の顔をちらっと覗いた俺は、クッキーを齧るために開かれた薄い唇に目を奪われた。
──俺は琉生と、こういうことがしたい。
先輩に言われた言葉が頭をよぎって、かっと顔が熱くなる。咄嗟に視線を逸らしてしまった。
「そういえば先輩は、……っ」
自分の意識を逸らそうと話題を振ろうとしたそのとき、先輩が俺の肩にちょんと触れた。突然のことにびくっと肩が跳ね上がってしまう。その反応を見た先輩は、驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
今のはまずい。絶対変に思われた。だって不自然にも程がある。
「ごめん。肩に埃がついてたから」
「いや……ありがとうございます」
……ほら、先輩はよかれと思って行動してくれたのに!
夏祭りのときに頬にキスされたのを思い出してしまいました──なんて恥ずかしくて言えるはずもない。
「ちゃんと俺のこと意識してくれてるんだ?」
しかし先輩にはとっくにお見通しだったようだ。顔を上げると先輩は、嬉しそうににまにまと口元を緩ませていた。
「……そりゃ、あんなこと言われたら誰だって」
動揺を隠すために、ついぶっきらぼうな言い回しになってしまう。口を噤む俺の頭に、ぽんと大きな手のひらが置かれた。
「えらいねえ。よしよし、いーこいーこ」
「……」
「あれ。なんにも言ってこないの珍しい」
「っ、リアクションに悩んでただけです」
当たり前に手を振り払う気になんてなれそうになかった。ナデナデと丁寧にこねくり回されて、嬉しいような照れ臭いような、なんともいえない気持ちに包まれる。
やがて俺の頭から先輩の手が離れていく。もう少し撫でてほしかったなんてどうしようもないことを考えてしまった自分に気付いて、煩悩を振り払うように立ち上がった。
「もう先輩。こんなに食べて夕飯食べれるんですか?」
「甘いものは別腹だから」
「そもそもの腹の容量が小さいことを憂いてるんですよ、俺は」
文句を垂れながら、己の煩悩ごと机の上に散らばったゴミをゴミ箱の中に捨てていく。
一方の橙士先輩は、呑気な様子でごろんとラグの上に仰向けに転がった。
「はー、明日から学校か。あっという間だね」
「毎年思いますよね。先輩は夏休みの間なにしてたんですか?」
「んー、バイトするか友達と遊ぶか寝てるか……」
「バイト!? うちの学校バイト禁止ですけど……?」
衝撃の事実に思いがけず声を荒げた。先輩は特に動じる様子もなく、欠伸をしながら眠そうにしている。
「隠してるだけでしてるヤツ結構いるよ。バレなきゃヘーキ」
「みんながやってるからいいってわけじゃないんです。もし見つかって停学にでもなったらどうするんですか」
「……俺の心配してくれてるの?」
「しますよそりゃ。橙士先輩危なっかしいから」
仮に停学どころじゃ済まなくて退学なんてことになったら、橙士先輩がこの部屋からいなくなったら──。
そんなことになったら大変だ。自分でも薄々気付いていたけど、俺は橙士先輩とのルームシェアを結構気に入っている。
「……なに笑ってるんですか」
急に静かになったのでなにかと思えば、先輩は横になったまま、背中を丸めて肩を震わせていた。
「いやー嬉しくて。心配してくれてんだ」
「っ、喜ぶな! ちゃんと俺の話聞いてましたか!?」
「っふは、ごめん。聞いてた聞いてた」
「絶対嘘だ。にやけてるの隠せてないし」
「だって琉生が俺のためにぷんぷん怒ってるの可愛すぎるもん」
「俺のせいにしないでくださいよ」
上体を起こした橙士先輩の目尻には笑いすぎて涙が滲んでいる。
せっかく人が本気で心配しているというのに、からかわれているみたいで気に入らない。
「ごめんね。短期バイトだったし、もうしないから許して」
先輩が困ったように眉を下げて、許しを乞うように俺を見上げる。まるで子どもをあやすみたいな言い方に、ワガママを言っているのは自分みたいな錯覚に陥った。
「……わかってくれればいいです」
だめだ俺。もう本気で先輩を怒ることはできないかもしれない。
なにを言われたって、あんな顔をされてしまったら許してしまう。
(全部橙士先輩の顔がよすぎるのが悪いんだ……)
結局俺が辿り着いたのは、馬鹿馬鹿しくなるようなそんな思考だった。
耳障りな機械音が耳をつく。無視して再び眠りにつこうとしたが鳴りやまないので、渋々瞼を持ち上げた。
寝惚け眼でスヌーズを解除した俺は、うーんと唸り声をあげながらベッドから身体を起こした。
「……そうか、今日から学校か」
夏休みの間は早起きの習慣がなかったせいか、まだ身体が重いし頭がうまく働かない。今の時間を確認しようと改めてスマホを確認すると、すでにそこそこな時間だった。
(やば、もうこんな時間か。橙士先輩起こさなきゃ……あの人起きるの時間かかるし)
のっそりと二段ベッドの下段から降りる。いつものように梯子を上った俺は、そこで初めて違和感に気付いた。
「……橙士先輩?」
いつもはこんもりと山を作っているはずの布団は、丁寧に畳まれている。そこにいるはずの主がいない。
「あ、琉生。おはよ」
困惑していると、下の方から声を掛けられた。勢いよく顔だけ振り向けば、橙士先輩が洗面所から出てきたところだった。
放心状態のまま梯子を下りて、先輩のことをじっと観察する。先輩はすっかり制服に着替えていて、いつもは跳ねている髪だってきちんとセットされていた。
洗面所から出てきたということは全ての支度を終えたところだろう。
……そう、俺よりも早く。
「……えっ、橙士先輩?」
「うん」
「本当に?」
「ドッペルゲンガーとかではありませんので」
ありえないという本音が表情に現れていたのだろう。橙士先輩は苦笑しながらそう言った。
「なんで……自分で起きたんですか」
「うん。琉生が起きてくる三十分前には起きてた」
「さんじゅっ……!?」
俺は眩暈すら覚えた。入学してからしばらく経つが、橙士先輩が俺より早く起きてくることなんて前代未聞だ。
「夏休み中は五時起きとかでバイトしてたから、その感覚が抜けなくて」
「そう、なんですか」
「固まってないで顔洗っておいで」
「はい……」
いつもは俺が掛けるみたいな言葉を先輩に言われてしまって、呆然としたまま洗面所に入る。
(……なんだこのモヤモヤは。先輩を起こす手間が省けたんだから、むしろありがたいことだろ)
胸に引っかかるモヤモヤを洗い流すみたいに、じゃぶじゃぶと顔を洗った。頭を冷やしたかったのにちっともできなかったのは、水がぬるかったせいだろうか。
しかし異変はそれだけでは済まなかった。
「橙士先輩、今日すごく食べますね」
昼休みの食堂は今日も喧騒に満ちている。今日も橙士先輩と昼食を共にしている俺は、先輩の様子を見て思わず声を掛けた。
先輩が注文したのは唐揚げ定食。しかもまさかの白米は大盛りだ。
いつもの三倍ぐらいの量のごはんを、次から次へと口へ運んでいく先輩の姿に、箸を止めてまで凝視してしまう。
「そう? 普通じゃない?」
「前はこんっ……な小さいうどんだけだったじゃないですか」
「ああ、そんなときもあったか」
達観したような眼差しで言う先輩に、俺は絶句した。
(『そんなときもあったか』……? 先輩にとってはあれはもう過去のことなのか?)
俺の中の先輩はまだ『あれ』なのに。目の前にいるのは橙士先輩なのに、まるで別人のようだった。
「ごちそうさまでした。……琉生、お腹空いてないの?」
「あ、いえ……。すいません、すぐ食べます」
あっという間に完食してしまった橙士先輩が、不思議そうに俺の皿に視線を落とす。慌てて箸を動かし始めた俺はその日、初めて白米とみそ汁のお代わりをしなかった。
「──……だからここはこっちの因数分解の公式使って数字を当てはめるんよ」
「つまりx=−2?」
「ご名答。なんや、かなり順調やん」
夕方になると、ガッキーさんが部屋に来て橙士先輩に勉強を教え始めた。聞いてみれば、橙士先輩たっての希望らしい。
いつもこの時間は課題をする俺の隣で『ねむい』とか言って眠りこけて、夜になって『めんどくさ』とかぶつぶつ呟きながら課題をやっつけるのが先輩のルーティンなのに。
(いよいよこれは只事ではなくなってきた……)
隣の机で二人の会話を盗み聞いていた俺は、橙士先輩が問題を解き始めたのを見計らって、とんとんとガッキーさんの肩を叩いた。
「ガッキーさん」
「ん?」
「橙士先輩って頭とか打ったりしてました?」
「急に何を言いよるんや自分は」
声をひそめて問い掛けた俺に、ガッキーさんが苦笑する。
だって明らかに朝から橙士先輩の様子がおかしい。
朝俺が起こす前に起きてくるところも、いつもは疎かにする食事をきちんととろうとするところも、大好きな睡眠よりも課題を優先するところも全部。
「そんな話しは聞いてへんけど……ああ、橙士の様子がおかしいから気になっとるんやろ」
ガッキーさんの問い掛けに、こくこくと激しく頷いてみせる。
彼は俺の方に身体を向けると、「そうやなぁ」と難しい顔をしながら首をひねった。
「俺もようわからんけど……橙士の中で何か思うところがあったんやないの?」
「でもあまりにも急に、人が変わったみたいだから……」
「どっちにしろ夏休み前までのぐーたら橙士がいなくなってよかったやん! これで琉生くんの肩の荷も下りるんやない?」
言いながらぽんと両手を肩に置かれた。
困惑と動揺を隠し切れない俺とは違い、ガッキーさんは橙士先輩の変化をちっとも気にしていないらしい。
確かにそうだ。
以前までの先輩はまるで年上の威厳がなかったし、後輩の俺にベタベタに世話を焼かれてばかりいた。そんな情けない先輩を「仕方ない人だな」と思っていたのは事実だ。
(……だけど別に、無理することはないんじゃないか)
俺だって先輩の世話を焼くことが嫌なわけじゃなかった。だからもし先輩が無理をしているのなら、今まで通りだって全然構わないのに。
「ガッキー。琉生に触んないで」
「おーごめんな。激励しただけやから許してや」
どこから見ていたのか、問題集を解いていたはずの橙士先輩から鋭い声が飛んでくる。ぱっとガッキーさんの手が離れて、彼が困ったように肩を竦めた。
「それって独占欲の裏返しじゃん?」
岡本はスマホを触りながら、俺の方も見ずにつっけんどんな様子で言い放った。
一年寮も二年寮も間取りは同じらしい。狭い部屋の中央にどかんと置かれた二人掛けのソファー。肘掛けに顎を載せたまま偉そうにうつ伏せになる岡本の足元には、西村がソファーを背もたれにして床に胡坐をかいている。
俺はというと彼らから少し離れたところで、自室から持ってきた座布団の上に正座をしていた。
「俺だけが先輩のダメな部分もわかってあげられてたのに……とか思ってない? 世話を焼くことで先輩のことを無意識下で縛り付けようとしてたんだよ。俺がいなきゃなにもできないって言い聞かせて」
「ストップ、岡本。なんか勘違いしてない? 俺いま恋愛相談してるわけじゃないんだけど」
「似たようなもんでしょ。『同部屋の先輩が急に自立し始めて戸惑ってる』なんて話」
「いや、どこがだよ」
なにをどう捉えたら恋愛に結び付けることができるのか。俺が指摘すると、岡本はようやく俺の方に視線を向けた。
「要するに必要とされなくなって落ち込んでるんでしょ。小木曽って意外と寂しがり屋なんだね」
「いや違うし。きしょいこと言うな」
「きしょいこと言い出したのおまえだし」
相変わらずいけ好かない男だ。だけど皮肉にも、彼の言うことはそこそこ的を射ていた。
橙士先輩のことをなにもできないなんて思ったことはないが、俺がいなければと勝手に思い込んでいたのは事実だ。必要とされなくなって落ち込んでいるというのも、自分の気持ちにすんなりと当てはまった。
(先輩のことばっか考えちゃうのが嫌でこいつらの所にきたのに……やっぱりだめだな)
橙士先輩たち二年生は、昨日から二泊三日の修学旅行の真っ只中だ。昨日の朝から先輩の顔を見ていない。部屋に一人ぼっちなのは初めてのことで慣れなくて、静まり返った部屋に耐え切れなくなった俺は、岡本と西村の二人部屋に暇を潰しにきていた。
「どうした小木曽〜難しい顔してんぞ」
俺が溜息を吐くと、ゲーム機に夢中になっていた西村が声を掛けてきた。
「いや先輩なにしてるかなって」
「保護者かよ。つかまた『先輩』? 好きだなぁ本当」
「ちが……いや違くもないけど、変な意味の好きじゃないから!」
「わかってるって。なにムキになってんだよ」
ケタケタと笑われてようやく冷静じゃない自分に気付いて、頭を抱えたくなった。
さっき岡本に変なことを言われたせいだ。あんなのいつもみたいにスルーすればいいのに……。
「気になるんならメッセでも送ればいいじゃーん」
「迷惑だろ。あっちはせっかくの旅行で、同級生と楽しんでるんだし」
「そうかぁ? 案外あっちもおまえのことで頭いっぱいだったりして」
西村はそう言ってニヤニヤしているが、果たして本当にそうだろうか。
俺はスマホを手に取ると、先輩とのトーク画面を開いてみた。今朝も『おはよう』とやり取りを交わしたが、それ以降は何も受信していない。
(……今頃なにしてるんだろ。そろそろホテルに着いた頃かな。先輩ちゃんと風呂入ってるかな……あの人すぐサボろうとするし……)
そこまで考えてハッとする。そうだ、もう今は以前までの先輩とは違うんだった……。
俺が心配する必要もない。そんなのはわかっているのに、やっぱり少し寂しくなるこの気持ちは何だろう。
「──えいっ」
「うわっ!?」
悶々としていると、不意に横からスマホを奪われてしまった。慌てて視線を追いかけると、犯人は西村らしい。
「なにするんだよ!」
「やるじゃんハヤト」
「だろ〜?」
俺のスマホを勝手に触る西村と、楽しそうに背後からその画面を覗き込む岡本。
慌てて立ち上がろうとするが、正座をしていたせいで足が痺れて時間がかかってしまう。
ようやく取り返せた頃には、時すでに遅し。
《先輩いまなにしてる?(きゅるん)》
腹の立つような絵文字と共に、そんなメッセージが先輩に送信された後だった。
「んな、なに送ってんだよ〜〜!? 女子か! こんなん送られてきたら普通にキモいだろ!」
「えー結構ぶりっこしてみたつもりだぜ? なかなか可愛いだろ」
「可愛くないし俺のキャラじゃない!」
とりあえずはやく訂正しなければ。焦ってわたわたと指をもつれさせていると、非情にも先輩から既読がついてしまった。
《ホテルだよ》
そんな五文字と共に、部屋の写真が送られてくる。おそらくベッドの上から撮影されたものだろう。脱衣所から顔を出すガッキーさんが見切れて写っている。
「うわあ即レス……暇かよ」
「橙士先輩の悪口を言うな!」
「なんだよこいつ、俺がいなきゃメッセも送れなかったくせに」
二人に吠えた後に、俺は再び画面に向き直った。
《ガッキーさんと部屋同じなんですね》
《うん。いま風呂待ち中。俺はアイス食べてる》
《何味ですか?》
《トロピカルコーヒーゼリー味》
また絶妙に味が想像できないものを食べてる……。そんな先輩の姿を想像して、思わず笑みがこぼれた。
(なんか変な感じ。離れてるのに会話してるのって)
橙士先輩がどこかで俺とのトーク画面を開いているのだと思うと、それだけで胸がくすぐったくなった。
「なんか……あれだね」
「うんあれだわ」
「なに?」
ヒソヒソと話す声がして顔を向けると、岡本と西村が俺の方を見ながら何かを話していた。
「こういうの中学んときやったよね」
「初々しいなぁ」
「なにが?」
「いやなにも」
何を聞いてもはぐらかされるし意味がわからない。だけど二人の表情はいつもみたいにニヤニヤしているので、よからぬことを考えていることだけは明白だ。
「ねぇこっちの写真も送っときなよ」
「え? なんで?」
「先輩にだけ写真送らせるつもりかよ。失礼じゃね?」
「あー確かに……」
二人に唆された俺は、カメラアプリを起動した。
「どうやって撮ったらいいかな」
「仕方ねえな。俺が撮ってやるよ」
西村はそう言うと、再び俺のスマホを奪っていく。
「え、おまえらも写るの?」
……まさかのインカメ。画面には驚いて目を丸くする俺と、馴れ馴れしく肩に手を回してくる西村が写っている。
「お友達といるってわかった方が先輩も安心するんじゃね?」
「なるほど……」
反対側から岡本が顔を出して、俺の方に顔を近づけてきた。
……なんかやたら近いなこいつら。
そう思ったのも束の間、カシャッとシャッター音がして画面が光る。
「送っといたぜ」
「どうも」
そう言われてスマホが俺の手に返ってきたその瞬間。突然振動し始めた手の中のスマホに、思いがけずビクッと心臓が跳ね上がった。
橙士先輩からの着信だ。どうして急に。心の準備ができないままだったが、俺はごくりと息を呑んで『応答』をタップした。
「……は、はい。もしもし」
『どこにいるの?』
たった二日しか離れていないはずなのに、久しぶりに会話をしたような気がする。機械越しに聞く橙士先輩の声はいつもと違って聞こえて、なぜか少しドキッとした。
「部屋です」
『誰の?』
「クラスメイトの……」
俺が答えるなり、先輩は急に黙り込んでしまった。途端に漂う気まずい空気。
どうしよう、何か話さないと。必死に頭を働かせて、話題を振ろうとしたときだった。
『……消灯までには戻りなよ』
そんな言葉が聞こえたかと思えば、呆気なく通話を切られてしまった。
「どうだった?」
「いや……」
なぜかわくわくしたように身を乗り出してくる二人を横目に、俺は静まり返ったスマホの画面を困惑したまま見つめていた。
……俺の気のせいでなければ、なんか素っ気なくなかったか?
思えば電話越しだから低いと感じていた声だって、よくよく考えるとそれにしたって不機嫌さが滲み出ていたような気がする。
橙士先輩から電話してきたのに。できればもっと喋りたかったなんて、そんな本音が浮かんできたって仕方がないだろう。
「わー。なんかすごい量なんだけど、本当にいいの?」
「ぜひ、橙士先輩のために選んだので」
夏休み最終日。三週間の帰省を終えて、久しぶりに帰ってきた三〇六号室。
ローテーブルの上にお土産のお菓子を載せると、向かい側に座っていた橙士先輩は早速手に取って袋を開けている。
「お口に合えばいいのですが」
「うまい。ありがと」
「よかったです」
心配をする間もなく実食して感想をくれるのでありがたい。ほっと胸を撫で下ろした俺は、自分がやけにそわそわしていることに気付いた。なにかを喋ろうと言葉を探すが、適当な言葉が見つからない。
「…………」
座布団の上に正座をしたまま、視線を泳がせる俺。しんと静まり返った室内には、橙士先輩がお菓子を食べる音だけが響き渡っている。
(き、気まずい……。いっつもなに喋ってたっけ……?)
橙士先輩と離れていた三週間、何度か連絡を取り合っていたが、実際に会うとどうにも接し方がわからない。
実のところ夏休みに入る前からずっとこうだ。だから少し距離を置こうと思って、いつもより長めに帰省していたのだけど。
机にはいつのまにかお菓子の包み紙がたくさん散らばっている。
……この人、夕飯前に一体いくつ食べるつもりなんだろう。
橙士先輩の顔をちらっと覗いた俺は、クッキーを齧るために開かれた薄い唇に目を奪われた。
──俺は琉生と、こういうことがしたい。
先輩に言われた言葉が頭をよぎって、かっと顔が熱くなる。咄嗟に視線を逸らしてしまった。
「そういえば先輩は、……っ」
自分の意識を逸らそうと話題を振ろうとしたそのとき、先輩が俺の肩にちょんと触れた。突然のことにびくっと肩が跳ね上がってしまう。その反応を見た先輩は、驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。
今のはまずい。絶対変に思われた。だって不自然にも程がある。
「ごめん。肩に埃がついてたから」
「いや……ありがとうございます」
……ほら、先輩はよかれと思って行動してくれたのに!
夏祭りのときに頬にキスされたのを思い出してしまいました──なんて恥ずかしくて言えるはずもない。
「ちゃんと俺のこと意識してくれてるんだ?」
しかし先輩にはとっくにお見通しだったようだ。顔を上げると先輩は、嬉しそうににまにまと口元を緩ませていた。
「……そりゃ、あんなこと言われたら誰だって」
動揺を隠すために、ついぶっきらぼうな言い回しになってしまう。口を噤む俺の頭に、ぽんと大きな手のひらが置かれた。
「えらいねえ。よしよし、いーこいーこ」
「……」
「あれ。なんにも言ってこないの珍しい」
「っ、リアクションに悩んでただけです」
当たり前に手を振り払う気になんてなれそうになかった。ナデナデと丁寧にこねくり回されて、嬉しいような照れ臭いような、なんともいえない気持ちに包まれる。
やがて俺の頭から先輩の手が離れていく。もう少し撫でてほしかったなんてどうしようもないことを考えてしまった自分に気付いて、煩悩を振り払うように立ち上がった。
「もう先輩。こんなに食べて夕飯食べれるんですか?」
「甘いものは別腹だから」
「そもそもの腹の容量が小さいことを憂いてるんですよ、俺は」
文句を垂れながら、己の煩悩ごと机の上に散らばったゴミをゴミ箱の中に捨てていく。
一方の橙士先輩は、呑気な様子でごろんとラグの上に仰向けに転がった。
「はー、明日から学校か。あっという間だね」
「毎年思いますよね。先輩は夏休みの間なにしてたんですか?」
「んー、バイトするか友達と遊ぶか寝てるか……」
「バイト!? うちの学校バイト禁止ですけど……?」
衝撃の事実に思いがけず声を荒げた。先輩は特に動じる様子もなく、欠伸をしながら眠そうにしている。
「隠してるだけでしてるヤツ結構いるよ。バレなきゃヘーキ」
「みんながやってるからいいってわけじゃないんです。もし見つかって停学にでもなったらどうするんですか」
「……俺の心配してくれてるの?」
「しますよそりゃ。橙士先輩危なっかしいから」
仮に停学どころじゃ済まなくて退学なんてことになったら、橙士先輩がこの部屋からいなくなったら──。
そんなことになったら大変だ。自分でも薄々気付いていたけど、俺は橙士先輩とのルームシェアを結構気に入っている。
「……なに笑ってるんですか」
急に静かになったのでなにかと思えば、先輩は横になったまま、背中を丸めて肩を震わせていた。
「いやー嬉しくて。心配してくれてんだ」
「っ、喜ぶな! ちゃんと俺の話聞いてましたか!?」
「っふは、ごめん。聞いてた聞いてた」
「絶対嘘だ。にやけてるの隠せてないし」
「だって琉生が俺のためにぷんぷん怒ってるの可愛すぎるもん」
「俺のせいにしないでくださいよ」
上体を起こした橙士先輩の目尻には笑いすぎて涙が滲んでいる。
せっかく人が本気で心配しているというのに、からかわれているみたいで気に入らない。
「ごめんね。短期バイトだったし、もうしないから許して」
先輩が困ったように眉を下げて、許しを乞うように俺を見上げる。まるで子どもをあやすみたいな言い方に、ワガママを言っているのは自分みたいな錯覚に陥った。
「……わかってくれればいいです」
だめだ俺。もう本気で先輩を怒ることはできないかもしれない。
なにを言われたって、あんな顔をされてしまったら許してしまう。
(全部橙士先輩の顔がよすぎるのが悪いんだ……)
結局俺が辿り着いたのは、馬鹿馬鹿しくなるようなそんな思考だった。
耳障りな機械音が耳をつく。無視して再び眠りにつこうとしたが鳴りやまないので、渋々瞼を持ち上げた。
寝惚け眼でスヌーズを解除した俺は、うーんと唸り声をあげながらベッドから身体を起こした。
「……そうか、今日から学校か」
夏休みの間は早起きの習慣がなかったせいか、まだ身体が重いし頭がうまく働かない。今の時間を確認しようと改めてスマホを確認すると、すでにそこそこな時間だった。
(やば、もうこんな時間か。橙士先輩起こさなきゃ……あの人起きるの時間かかるし)
のっそりと二段ベッドの下段から降りる。いつものように梯子を上った俺は、そこで初めて違和感に気付いた。
「……橙士先輩?」
いつもはこんもりと山を作っているはずの布団は、丁寧に畳まれている。そこにいるはずの主がいない。
「あ、琉生。おはよ」
困惑していると、下の方から声を掛けられた。勢いよく顔だけ振り向けば、橙士先輩が洗面所から出てきたところだった。
放心状態のまま梯子を下りて、先輩のことをじっと観察する。先輩はすっかり制服に着替えていて、いつもは跳ねている髪だってきちんとセットされていた。
洗面所から出てきたということは全ての支度を終えたところだろう。
……そう、俺よりも早く。
「……えっ、橙士先輩?」
「うん」
「本当に?」
「ドッペルゲンガーとかではありませんので」
ありえないという本音が表情に現れていたのだろう。橙士先輩は苦笑しながらそう言った。
「なんで……自分で起きたんですか」
「うん。琉生が起きてくる三十分前には起きてた」
「さんじゅっ……!?」
俺は眩暈すら覚えた。入学してからしばらく経つが、橙士先輩が俺より早く起きてくることなんて前代未聞だ。
「夏休み中は五時起きとかでバイトしてたから、その感覚が抜けなくて」
「そう、なんですか」
「固まってないで顔洗っておいで」
「はい……」
いつもは俺が掛けるみたいな言葉を先輩に言われてしまって、呆然としたまま洗面所に入る。
(……なんだこのモヤモヤは。先輩を起こす手間が省けたんだから、むしろありがたいことだろ)
胸に引っかかるモヤモヤを洗い流すみたいに、じゃぶじゃぶと顔を洗った。頭を冷やしたかったのにちっともできなかったのは、水がぬるかったせいだろうか。
しかし異変はそれだけでは済まなかった。
「橙士先輩、今日すごく食べますね」
昼休みの食堂は今日も喧騒に満ちている。今日も橙士先輩と昼食を共にしている俺は、先輩の様子を見て思わず声を掛けた。
先輩が注文したのは唐揚げ定食。しかもまさかの白米は大盛りだ。
いつもの三倍ぐらいの量のごはんを、次から次へと口へ運んでいく先輩の姿に、箸を止めてまで凝視してしまう。
「そう? 普通じゃない?」
「前はこんっ……な小さいうどんだけだったじゃないですか」
「ああ、そんなときもあったか」
達観したような眼差しで言う先輩に、俺は絶句した。
(『そんなときもあったか』……? 先輩にとってはあれはもう過去のことなのか?)
俺の中の先輩はまだ『あれ』なのに。目の前にいるのは橙士先輩なのに、まるで別人のようだった。
「ごちそうさまでした。……琉生、お腹空いてないの?」
「あ、いえ……。すいません、すぐ食べます」
あっという間に完食してしまった橙士先輩が、不思議そうに俺の皿に視線を落とす。慌てて箸を動かし始めた俺はその日、初めて白米とみそ汁のお代わりをしなかった。
「──……だからここはこっちの因数分解の公式使って数字を当てはめるんよ」
「つまりx=−2?」
「ご名答。なんや、かなり順調やん」
夕方になると、ガッキーさんが部屋に来て橙士先輩に勉強を教え始めた。聞いてみれば、橙士先輩たっての希望らしい。
いつもこの時間は課題をする俺の隣で『ねむい』とか言って眠りこけて、夜になって『めんどくさ』とかぶつぶつ呟きながら課題をやっつけるのが先輩のルーティンなのに。
(いよいよこれは只事ではなくなってきた……)
隣の机で二人の会話を盗み聞いていた俺は、橙士先輩が問題を解き始めたのを見計らって、とんとんとガッキーさんの肩を叩いた。
「ガッキーさん」
「ん?」
「橙士先輩って頭とか打ったりしてました?」
「急に何を言いよるんや自分は」
声をひそめて問い掛けた俺に、ガッキーさんが苦笑する。
だって明らかに朝から橙士先輩の様子がおかしい。
朝俺が起こす前に起きてくるところも、いつもは疎かにする食事をきちんととろうとするところも、大好きな睡眠よりも課題を優先するところも全部。
「そんな話しは聞いてへんけど……ああ、橙士の様子がおかしいから気になっとるんやろ」
ガッキーさんの問い掛けに、こくこくと激しく頷いてみせる。
彼は俺の方に身体を向けると、「そうやなぁ」と難しい顔をしながら首をひねった。
「俺もようわからんけど……橙士の中で何か思うところがあったんやないの?」
「でもあまりにも急に、人が変わったみたいだから……」
「どっちにしろ夏休み前までのぐーたら橙士がいなくなってよかったやん! これで琉生くんの肩の荷も下りるんやない?」
言いながらぽんと両手を肩に置かれた。
困惑と動揺を隠し切れない俺とは違い、ガッキーさんは橙士先輩の変化をちっとも気にしていないらしい。
確かにそうだ。
以前までの先輩はまるで年上の威厳がなかったし、後輩の俺にベタベタに世話を焼かれてばかりいた。そんな情けない先輩を「仕方ない人だな」と思っていたのは事実だ。
(……だけど別に、無理することはないんじゃないか)
俺だって先輩の世話を焼くことが嫌なわけじゃなかった。だからもし先輩が無理をしているのなら、今まで通りだって全然構わないのに。
「ガッキー。琉生に触んないで」
「おーごめんな。激励しただけやから許してや」
どこから見ていたのか、問題集を解いていたはずの橙士先輩から鋭い声が飛んでくる。ぱっとガッキーさんの手が離れて、彼が困ったように肩を竦めた。
「それって独占欲の裏返しじゃん?」
岡本はスマホを触りながら、俺の方も見ずにつっけんどんな様子で言い放った。
一年寮も二年寮も間取りは同じらしい。狭い部屋の中央にどかんと置かれた二人掛けのソファー。肘掛けに顎を載せたまま偉そうにうつ伏せになる岡本の足元には、西村がソファーを背もたれにして床に胡坐をかいている。
俺はというと彼らから少し離れたところで、自室から持ってきた座布団の上に正座をしていた。
「俺だけが先輩のダメな部分もわかってあげられてたのに……とか思ってない? 世話を焼くことで先輩のことを無意識下で縛り付けようとしてたんだよ。俺がいなきゃなにもできないって言い聞かせて」
「ストップ、岡本。なんか勘違いしてない? 俺いま恋愛相談してるわけじゃないんだけど」
「似たようなもんでしょ。『同部屋の先輩が急に自立し始めて戸惑ってる』なんて話」
「いや、どこがだよ」
なにをどう捉えたら恋愛に結び付けることができるのか。俺が指摘すると、岡本はようやく俺の方に視線を向けた。
「要するに必要とされなくなって落ち込んでるんでしょ。小木曽って意外と寂しがり屋なんだね」
「いや違うし。きしょいこと言うな」
「きしょいこと言い出したのおまえだし」
相変わらずいけ好かない男だ。だけど皮肉にも、彼の言うことはそこそこ的を射ていた。
橙士先輩のことをなにもできないなんて思ったことはないが、俺がいなければと勝手に思い込んでいたのは事実だ。必要とされなくなって落ち込んでいるというのも、自分の気持ちにすんなりと当てはまった。
(先輩のことばっか考えちゃうのが嫌でこいつらの所にきたのに……やっぱりだめだな)
橙士先輩たち二年生は、昨日から二泊三日の修学旅行の真っ只中だ。昨日の朝から先輩の顔を見ていない。部屋に一人ぼっちなのは初めてのことで慣れなくて、静まり返った部屋に耐え切れなくなった俺は、岡本と西村の二人部屋に暇を潰しにきていた。
「どうした小木曽〜難しい顔してんぞ」
俺が溜息を吐くと、ゲーム機に夢中になっていた西村が声を掛けてきた。
「いや先輩なにしてるかなって」
「保護者かよ。つかまた『先輩』? 好きだなぁ本当」
「ちが……いや違くもないけど、変な意味の好きじゃないから!」
「わかってるって。なにムキになってんだよ」
ケタケタと笑われてようやく冷静じゃない自分に気付いて、頭を抱えたくなった。
さっき岡本に変なことを言われたせいだ。あんなのいつもみたいにスルーすればいいのに……。
「気になるんならメッセでも送ればいいじゃーん」
「迷惑だろ。あっちはせっかくの旅行で、同級生と楽しんでるんだし」
「そうかぁ? 案外あっちもおまえのことで頭いっぱいだったりして」
西村はそう言ってニヤニヤしているが、果たして本当にそうだろうか。
俺はスマホを手に取ると、先輩とのトーク画面を開いてみた。今朝も『おはよう』とやり取りを交わしたが、それ以降は何も受信していない。
(……今頃なにしてるんだろ。そろそろホテルに着いた頃かな。先輩ちゃんと風呂入ってるかな……あの人すぐサボろうとするし……)
そこまで考えてハッとする。そうだ、もう今は以前までの先輩とは違うんだった……。
俺が心配する必要もない。そんなのはわかっているのに、やっぱり少し寂しくなるこの気持ちは何だろう。
「──えいっ」
「うわっ!?」
悶々としていると、不意に横からスマホを奪われてしまった。慌てて視線を追いかけると、犯人は西村らしい。
「なにするんだよ!」
「やるじゃんハヤト」
「だろ〜?」
俺のスマホを勝手に触る西村と、楽しそうに背後からその画面を覗き込む岡本。
慌てて立ち上がろうとするが、正座をしていたせいで足が痺れて時間がかかってしまう。
ようやく取り返せた頃には、時すでに遅し。
《先輩いまなにしてる?(きゅるん)》
腹の立つような絵文字と共に、そんなメッセージが先輩に送信された後だった。
「んな、なに送ってんだよ〜〜!? 女子か! こんなん送られてきたら普通にキモいだろ!」
「えー結構ぶりっこしてみたつもりだぜ? なかなか可愛いだろ」
「可愛くないし俺のキャラじゃない!」
とりあえずはやく訂正しなければ。焦ってわたわたと指をもつれさせていると、非情にも先輩から既読がついてしまった。
《ホテルだよ》
そんな五文字と共に、部屋の写真が送られてくる。おそらくベッドの上から撮影されたものだろう。脱衣所から顔を出すガッキーさんが見切れて写っている。
「うわあ即レス……暇かよ」
「橙士先輩の悪口を言うな!」
「なんだよこいつ、俺がいなきゃメッセも送れなかったくせに」
二人に吠えた後に、俺は再び画面に向き直った。
《ガッキーさんと部屋同じなんですね》
《うん。いま風呂待ち中。俺はアイス食べてる》
《何味ですか?》
《トロピカルコーヒーゼリー味》
また絶妙に味が想像できないものを食べてる……。そんな先輩の姿を想像して、思わず笑みがこぼれた。
(なんか変な感じ。離れてるのに会話してるのって)
橙士先輩がどこかで俺とのトーク画面を開いているのだと思うと、それだけで胸がくすぐったくなった。
「なんか……あれだね」
「うんあれだわ」
「なに?」
ヒソヒソと話す声がして顔を向けると、岡本と西村が俺の方を見ながら何かを話していた。
「こういうの中学んときやったよね」
「初々しいなぁ」
「なにが?」
「いやなにも」
何を聞いてもはぐらかされるし意味がわからない。だけど二人の表情はいつもみたいにニヤニヤしているので、よからぬことを考えていることだけは明白だ。
「ねぇこっちの写真も送っときなよ」
「え? なんで?」
「先輩にだけ写真送らせるつもりかよ。失礼じゃね?」
「あー確かに……」
二人に唆された俺は、カメラアプリを起動した。
「どうやって撮ったらいいかな」
「仕方ねえな。俺が撮ってやるよ」
西村はそう言うと、再び俺のスマホを奪っていく。
「え、おまえらも写るの?」
……まさかのインカメ。画面には驚いて目を丸くする俺と、馴れ馴れしく肩に手を回してくる西村が写っている。
「お友達といるってわかった方が先輩も安心するんじゃね?」
「なるほど……」
反対側から岡本が顔を出して、俺の方に顔を近づけてきた。
……なんかやたら近いなこいつら。
そう思ったのも束の間、カシャッとシャッター音がして画面が光る。
「送っといたぜ」
「どうも」
そう言われてスマホが俺の手に返ってきたその瞬間。突然振動し始めた手の中のスマホに、思いがけずビクッと心臓が跳ね上がった。
橙士先輩からの着信だ。どうして急に。心の準備ができないままだったが、俺はごくりと息を呑んで『応答』をタップした。
「……は、はい。もしもし」
『どこにいるの?』
たった二日しか離れていないはずなのに、久しぶりに会話をしたような気がする。機械越しに聞く橙士先輩の声はいつもと違って聞こえて、なぜか少しドキッとした。
「部屋です」
『誰の?』
「クラスメイトの……」
俺が答えるなり、先輩は急に黙り込んでしまった。途端に漂う気まずい空気。
どうしよう、何か話さないと。必死に頭を働かせて、話題を振ろうとしたときだった。
『……消灯までには戻りなよ』
そんな言葉が聞こえたかと思えば、呆気なく通話を切られてしまった。
「どうだった?」
「いや……」
なぜかわくわくしたように身を乗り出してくる二人を横目に、俺は静まり返ったスマホの画面を困惑したまま見つめていた。
……俺の気のせいでなければ、なんか素っ気なくなかったか?
思えば電話越しだから低いと感じていた声だって、よくよく考えるとそれにしたって不機嫌さが滲み出ていたような気がする。
橙士先輩から電話してきたのに。できればもっと喋りたかったなんて、そんな本音が浮かんできたって仕方がないだろう。

