ゆるあまな先輩が俺だけに本気なのは反則です

 時刻は十七時半。夏の空はまだ明るい。夏祭りが行われている才條商店街は、たくさんの人でごった返している。
 その入口のそばで、俺はそわそわと辺りを見渡しながら橙士先輩を待っていた。
「琉生」
 声のする方を振り向くと、先輩がこちらに向かって駆けてくるところだった。
「遅くなってごめん」
「お疲れ様です。無事に合格できました?」
「うん。情けない本当に」
 約束の夏祭り当日。本来は先輩と寮から直接一緒に来ることになっていたのだが、三日前に先輩からとてつもなく暗い顔をして「補習が決まりました」と打ち明けられた。まるでこの世の終わりみたいな顔をする先輩に心配の方が勝ったのを覚えている。
 そんなわけで昼間は校舎に缶詰めになっている先輩とは、現地集合することになっていた。
「間に合ったんだから大丈夫ですよ。俺も昼間はゆっくり過ごせたんで平気です」
「せっかく琉生と一日一緒にいられるチャンスだったのに。後半イライラしてきてずっと教師睨んでたら俺だけ問題数増やされたんだよね」
「なにやってるんですか相変わらず……」
 この人はすぐに教師に喧嘩を売るくせをなんとかした方がいい。そんな風に思いながら先輩を見上げると、穏やかな眼差しが俺の方に向けられていた。
 俺が待っているからと、急いで来てくれたのだろう。先輩の髪は僅かに乱れている。
「花火まで時間結構あるんで、とりあえず屋台まわりましょうか」
「うん。甘いもの食いたい」
「橙士先輩は頭使ってきたから、糖分取らなきゃですもんね」
 花火が打ち上がるのが十九時からだから、だいぶ時間に余裕がある。人の流れに沿って歩き出そうとしたそのとき、右手が温かいものに包まれた。先輩の手だ。
「……先輩、ここではさすがにまずくないですか」
「なんで?」
「だって学校じゃないし」
 なんか人の目が気になる。そう続ければ、先輩はクスクスと笑った。
「琉生って変わってるね。普通は知り合いに見られる方が嫌なもんじゃない?」
「ええ……学校ではほら、橙士先輩がちょっと変な人ってことは周知の事実だから、実際誰にもつっこまれたことないし」
「ちょっと変な人ってなに」
 先輩はむっとした顔をすると、繋がれた手をぐいっと自分のもとに引き寄せた。そのせいでよろめいて、先輩と距離が縮まる。
「残念。そういう生意気なこと言う子の手は、離してあげられません」
 握っていた手を一度離される。かと思いきや、すぐに指を絡めて再び握り直してきた。
 ……これって、いわゆる恋人繋ぎっていうやつじゃないか。
 学校外で、しかもこんな繋ぎ方をされるなんて羞恥で顔から火を噴きそうになる。先輩はそんな俺を面白がっているのか、顔を覗き込んではにまにまと頬を緩ませている。
(橙士先輩って、意外と意地悪なところあるよな……)
 結局俺たちは手を繋いだまま、橙士先輩のリクエストしたチョコバナナの屋台を求めて人混みの中を進み始めた。
 俺の心配は杞憂だったようで、普通に歩いていても肩がぶつかってしまうほど通路に人が溢れ返っているせいで、誰も俺たちが手を繋いでいることなんて気にも留めていないみたいだった。
「先輩ぜったい紫選ぶと思ってました」
 しばらく歩いて見つけたチョコバナナ。通路から外れた俺たちは、それぞれが選んだチョコバナナを頬張っていた。
 王道のミルクチョコレートを選んだ俺とは違って、ゲテモノ好きな先輩が選んだのは紫とオレンジのミックスだ。あんな色のチョコバナナは初めて見かけた。
「えー、琉生が俺のこと理解してくれてる。結婚しよ?」
「無理です。いきなり交際すっ飛ばさないでください」
「じゃあ付き合うならいいの?」
 てっきりいつもの冗談かと思って横を見れば、予想を裏切って真面目な顔をする橙士先輩の姿があった。
 ……いや、橙士先輩はいつも真顔で冗談を言うものだから、正直これもどっちなのかわからない。
 だけど告白を受けているという前提を考慮すれば、きっとこれは本気なやつだ。
「思うんですけど、なんで付き合いたいんですか?」
「好きだから」
「……っ、別に付き合わなくてもよくないですか。付き合わないでもこんな風に二人で出かけたり、一緒に過ごしたり、それで十分じゃないですか?」
 むしろ付き合ってうまくいかなかったときの方が、関係が崩れたりするリスクもあるし困るんじゃないんだろうか。
 このまま先輩と後輩、そしてルームメイトという安定した関係を続けていった方がいいに違いないのに。
 黙って俺の言葉を聞いてくれていた橙士先輩は、表情を変えないのでなにを考えているのかわからない。
「……琉生ってさあ」
「えっ、もしかして橙士!?」
 先輩がなにかを言いかけたそのとき。すぐそばから女の人の声が聞こえて、俺と先輩は同時に顔を向けた。
 視線の先には、ショートパンツを履いた金髪の女性がいた。その後ろには派手な見た目をした二人の男性が控えている。
「やば、ちょー久しぶり! 中学の卒業式以来じゃない?」
「おまえ全然顔出さねえじゃん! メッセも返ってこないしさあ。心配してたのよ」
「うるさ……ちょっと静かにして」
 どうやら橙士先輩の知り合いらしい。三人は先輩のもとに駆け寄ってくると、あっという間に取り囲んでしまった。
 口々に言葉を掛けられて、なにかを返している橙士先輩。その様子を輪の外でぽかんとしたまま眺めていた俺は、気付かれないように後退りをして距離をとった。
 そりゃそうだ。先輩には俺と違ってお友達がたくさんいる。そんなことは最初からわかりきっていたことなのに、どうにも今は疎外感が強かった。
 話しが終わるまでじっとしていると、不意に金髪の女性の目がぎょろっと俺の方を向いた。
「え、お友達と二人で来てるの? 一緒にまわろうよ!」
「まわんない。はやく散って」
「はあ!? 二年ぶりに会えたのに冷たすぎる!」
 きゃんきゃんと喚く女性のことを、冷めたような表情で一蹴する橙士先輩。
 その様子に無意識にほっとしていると、女性は何故か俺の方にやってきた。
「ねえ、こいつ酷いと思わない? いいじゃんね、ちょっとぐらい」
 目の前に立った女性が、口を尖らせながら俺と目を合わせる。その目力と、不自然に揺れる瞳の動きに呆気にとられていた俺は、少ししてからそのアイコンタクトの意味を理解した。
(……あ、これってもしかして、空気を読めっていうサイン?)
 わかってしまったからには、スルーすることはできない。俺は未熟な脳みそをフル回転しながら、無理やり笑顔を作ってみせた。
「……よかったら一緒にどうですか? せっかくだし、大勢の方が楽しいと思うんで」
 声を掛ければ、女性は満足そうに口元に弧を描いた。その表情を見て俺は、自分の選択が正解だったことを悟った。
「えーーだよね! ほらお友達もこう言ってるんだからいいじゃんか」
 嬉しそうな声をあげた女性は再び橙士先輩の方に近付くと、その腕に自分の腕を絡めて、ねだるように顔を寄せた。あまりの近さに驚いて、なぜか俺の方が肩を強張らせてしまう。
 するとみるみるうちに温度を失った先輩の目が、俺を捉えた。
「……じゃあいいよ、好きにすれば」
 そう言い捨てた先輩は、ふいっと俺から視線を外す。先輩に素っ気ない態度をとられたことなんて、今までに一度だってなかった。
 先輩は動揺する俺に背を向けると、女性に腕を絡められたまま歩き出してしまう。
(これでよかった……はずなのに)
 ちゃんと空気を読んだ。先輩のお友達も嬉しそうにしていた。 
 それなのに、先輩が俺に向けてきた冷ややかな瞳が脳裏に焼きついて、離れてくれなかった。


「橙士、これ取って〜」
「無理」
「なんでよぉ。じゃあこっちは?」
 目の前で繰り広げられるやり取りに、口を挟むことすらできない。
 あれから俺と橙士先輩は、先輩のお友達とずっと一緒に行動していた。肝心の先輩はというと、相変わらずマユさんという金髪の女性に独り占めされている。橙士先輩がマユさんにお願いされて渋々射的をする後ろで、俺は男の先輩二人に挟まれて他愛もない話をするばかりだった。
 知り合いの知り合いなんて全く話が盛り上がらないのではと危惧していたが、さすがは陽の人たちだ。俺が気まずいと感じる前に話題を振ってくれるので、こんな俺でもなんとか会話を続けられてはいる。
「琉生くんが橙士のこと誘ったの~?」
「あ、はい。そうです」
「すげえね。あいつ前から地元の奴らで祭りいこって誘っても、絶対来なかったもん」
「基本あいつ人混み苦手やんね。いるの見つけたときビビったわ」
 言いながら男の先輩たちが感心したよう頷いている。その横で俺は、なんとも言えない気持ちに襲われていた。
 橙士先輩、こういう祭り苦手だったのか。まあそれは俺も同じだけど……。
 でも俺が誘ったとき、橙士先輩は心底嬉しそうな様子だった。もしかして相手が俺だから、誘いに乗ってくれたのかな。
 だとしたら今のこの現状を先輩はどう思ってるんだろう。さっきの表情だって引っ掛かったままだし。
「よし、そろそろ俺らは行くか」
 依然として射的を続ける二人に背を向けて、男の先輩たちが来た道へと引き戻し始める。俺は二人の後を追いながら、慌てて声を掛けた。
「二人についていかないんですか?」
「マユが橙士のこと狙ってんの。だから俺らははぐれたふりして、しばらく時間潰すことになってんのよ」
 ニヤニヤと楽しそうな表情で返されて、頭の中が真っ白になった。
 狙ってるって、そういうことだよな。つまりあの女性は橙士先輩のことが好きで、二人きりになった今は絶好のチャンスってわけで──。
(……なんだろこれ、すごく不快だ)
 モヤモヤとしたものが胸を渦巻く。結局俺はそれからしばらくして、男の先輩たちと別れてしまった。

 人混みを避けるように歩いてきたら、いつのまにか小さな神社に辿り着いていた。鳥居をくぐって、見慣れない境内をとぼとぼと歩く。やがて目についた木製の腰掛けに腰を下ろした。
 気分が滅入っているせいか、自然と視線が下がってしまう。
(こんなことなら、あんなこと言わなきゃよかった)
 お友達と一緒に行ってもいいなんて、良い後輩ぶってそんなことさえ言わなければ、今頃橙士先輩と楽しく過ごせていたのだろうか。
 後悔したって仕方がない。それでもずっとこの日を楽しみにしてきたから、やっぱり結構もの寂しい。
 そうだ。俺だって本当は橙士先輩と二人でまわりたかった。橙士先輩もそう思ってくれていたのかな。
(先輩、マユさんと付き合うのかな。そうしたらもう俺に好きとか付き合ってとか言わなくなるよな)
 すごく綺麗な人だった。まさしく橙士先輩の隣にいるのに相応しいといえるだろう。並んだ二人はまさしく美男美女で、すれ違う人たちが振り返ってまで二人の姿を見つめていた。
 あんな女性に迫られたら、きっと先輩だって──。
「…………え?」
 俯いていた俺は、目の前に影が落ちたことに気が付いた。視界に入る見覚えのあるスニーカー。砂利を踏み締める音が響いて、俺の前で立ち止まる。
 驚きと、ほんの少しの期待をもって顔を上げた。目の前に飛び込んできたのは、別れたはずの橙士先輩の姿だった。
「先輩、なんで。マユさんといるはずじゃ」
 発した声は掠れていた。橙士先輩は息を切らしていて、額にはうっすらと汗が滲んでいる。体育の授業ですら流して走っていると言っていた先輩の、こんなに必死な姿は初めて見た。
「浮かれてたの、俺だけ?」
 いつになく真剣な目に、大きく心臓が揺さぶられた。降ってきた言葉はいつものゆったりとした口調よりも、どことなく粗暴なものだった。
「琉生に誘われたとき、ほんとに嬉しかった。俺でいいのって聞いたとき、俺がいいって言ってくれて、寝れなくなるぐらい嬉しかった」
 続けられる言葉は、俺の胸を締め付けるのに十分だった。いつもは飄々とした先輩の表情が、はっきりと曇っている。張り詰めた雰囲気からは、滲み出る怒りを隠し切れていない。
「怒ってますか、って聞きたそうな顔してる」
「……っ」
 俺の表情を汲んだらしい先輩に言い当てられて、どきっと鼓動が跳ねた。
「怒ってるよ。でもそれは琉生にじゃなくて、俺自身に」
 橙士先輩はそう言うと、俺と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。近付いた距離に動揺して、身じろいでしまう。
「琉生に一ミリも俺の気持ちが伝わってなかったんだなって。全然足りなかったんだなってわからされて、自分にイラついてしょうがない」
 俺の目をまっすぐに見上げてくる先輩。その目はどろどろとした感情が煮詰まっているみたいに濁っている。
 ……違う。そんなことはない。ちゃんとわかっていた。橙士先輩が俺の誘いに心から喜んでくれていたこと。
 いつも俺に愛情を向けてくれて、大事にしてくれていることだって、どれだけまさかと否定しようとしたってできないぐらい、ちゃんと伝わっている。
「……俺だって、先輩と二人でまわるの楽しみにしてました」
 何を言えばこのまとまりのない気持ちが伝わるのかわからない。それでもすれ違ったまま終わるなんて嫌だった。
「心にもないことを言ったって、ずっと後悔してました。橙士先輩を独り占めされて、すごく嫌だった」
 さっきまで俺の手を握っていたはずなのに、俺の手の届かないところで誰かに腕を絡められている先輩の姿を、どうしても視界に入れたくなかった。
 悔しいとは少し違う。悲しいとも違う。この気持ちに名前をつけるなら、なんだろう。
「……たぶん、ヤキモチ?」
 思い浮かんだことをそのまま口にすると、すとんと心に当てはまった。ぐちゃぐちゃだった自分の感情に、はっきりと色が付いたような感覚。
「先輩は俺が誘ったのに、なんで俺のところに来てくれないんだって、自分がしくじったくせにそんなこと考えちゃってました。意味わかんないですよね」
 あはは、と自嘲しながらそう言うと、腰を浮かせた先輩にぐいっと腕を引かれた。突然のことに息をつく間もなく、身体がふわっと前に引っ張られる。
 気付いたときには、俺は橙士先輩の腕の中にいた。
「……俺もすぐに追い払えばよかった」
 すぐそばから先輩の声が聞こえる。その声はさっきよりも柔らかかった。
「隣にいるのが琉生じゃなきゃ、ここにきた意味がない」
 細身に見えてしっかりした腕に抱かれて、電流が走ったみたいに思考がショートする。重なった身体から、どっちのものかわからない激しい心音が聞こえてきた。
「ごめんね。琉生が慣れない愛想笑いなんかして勝手にOKするから、拗ねてヤケクソになってた」
「……それは、俺が悪かったです」
「琉生は琉生で俺のことどうでもいいみたいに後ろで男たちと談笑してるし」
「いやいや誤解です。陽の人たちが盛り上げ上手だっただけで……俺は先輩のことで頭いっぱいだったし」
 必死に誤解を解こうと言葉を発すれば、橙士先輩は「陽の人たち?」と不思議そうに声を漏らしている。
 抱き締められていることが照れ臭くなってきて、先輩の腕の中からいそいそと抜け出した俺は、ずっと引っ掛かっていたことを口にした。
「ところで先輩、マユさんとはどうなったんですか」
「マユ? なにが?」
 先輩は訝しげに眉根を寄せる。
「えっと……なんか二人きりで、いい感じになったのかなって」
「はあ?」
 不機嫌そうな声と共に、眉間のしわがますます濃くなる。
 ……あ、多分ミスった。また怒らせたかも。
 笑顔を作ったまま固まる俺の顔に、ずいっと先輩の整った顔が近付けられる。
「いい感じになんかなるわけないだろ。ハメられたことに気付いてからすぐに撒いてきた」
「そ、そうですか」
 よかった、と言いかけた自分に驚いた。どうやら俺は無意識のうちに、二人がうまくいかないでほしいと願っていたらしい。
「っていうか、そもそも……」
 橙士先輩はやっぱり不機嫌そうな様子で、不満げに俺の目を覗き込む。
「俺が好きなのは琉生なんだから、他の人間とかこれっぽっちも興味ない」
 まるで俺の反応を確かめるように、飴色の瞳がじっと俺を観察している。なるべく平静を装おうとしていたのに、不意打ちの言葉になす術もなく、じわじわと顔に熱が集まるのがわかる。
 ……こんなこと言われて、冷静でいろっていう方が難しい。
 おそらく赤くなっているであろう俺の顔を見て、先輩はようやく満足したのか、ふっと相好を崩した。
「琉生さっきさ、俺になんで付き合いたいのかって聞いてきたよね」
「……聞きました」
 付き合わなくたって、こんな風に出かけたりそばにいるだけで十分なんじゃないか。そんな意見を先輩に投げかけたら、先輩は納得いかないといったような顔をしていた。
「好きだから誰にも渡したくないんだよ。俺だけの琉生だっていう約束がほしい」
「約束、ですか」
「うん。それに──」
 何かを言いかけた橙士先輩が、なぜか口を閉ざす。俺の肩に片手を置いた先輩は、ゆっくりと俺の方に顔を近づけてきた。
 ふわりとシャンプーの匂いが香る。俺と同じものを使っているはずなのに、先輩自身の匂いと混ざると途端に色気のある香りに感じるものだから、かっと胸が熱くなった。
「……っ」
 全てがスローモーションのように感じた。薄く目を開いた先輩の顔が、俺のもとに寄せられて、あと少しで唇同士が触れそうになって──。
 その寸前で、ぴたりと先輩が動きを止める。呆気にとられて固まっていた俺はどうしたらいいかわからなくて、縋るように先輩を見た。
「せんぱい……?」
 細められた瞳からはいつもの気怠げな雰囲気は一切感じられない。獲物を狩る前の狼のようなギラギラとした目に、思わず身震いしそうになる。
「俺は琉生と、こういうことがしたい」
「へ?」
「……やっぱり。絶対わかってなかっただろ」
 先輩が喋るたびに吐息が重なって、唇が触れそうな距離に心臓がうるさく喚いている。目を白黒させながら唇をぎゅっと引き結んでいる俺に気付いて、先輩はクスクスと笑った。
「デートしたりそばにいるだけが付き合うことじゃないんだよ。彼氏になるってことは、恥ずかしいこともたくさんするんだから」
「ハズカシイコト……」
「うん。こんなこととか」
 そう言うなり、先輩は俺の頬にちゅ、と音を立てて吸い付いた。
「……っ!?」
「これは序の口ね。付き合ったら全然こんなもんじゃ済まないけど」
 はくはくと口を開閉するだけになってしまった俺は、もうこれ以上、先輩が言っていることの意味を理解することはできそうになかった。
「ちゃんとその辺も意識したうえで、俺とのこともう一回考えて?」
 「ね?」と念押しするみたいに目を覗き込まれて、こくこくと壊れた人形のように頷くことしかできない。
 しばらくすると花火が打ち上がり始めたので、腰掛けに座り直した俺たちは、二人並んで夜空を彩る夏の花を眺めた。
 頬に触れた柔らかい唇の感触が鮮明に残って、花火にちっとも集中できなかったなんてことは、言うまでもない。