「思い出した。『明津楓』!」
明津が悪そうな連中と一緒にいたと話すと、夏生は興奮したように言った。
「去年だか一昨年だか、この辺の不良グループのトップに君臨したって奴。そいつが中学生だっていうんでちょっと話題になったんだ」
「それが、明津……?」
明津が、不良のトップ?
信じられないが、確かにあの場にいた連中はそんな雰囲気だった。
「気をつけろよ、桜空」
「え?」
真面目な顔で夏生が俺の両腕を掴んできた。
「あいつ、お前に近づいて何か企んでるのかもしれねーし」
「……そうだな。うん、気を付ける」
言われなくても、もうあいつと関わる気はなかった。
―ーでも、その数日後のことだ。
「美園先輩、好きです! 僕とお付き合いしてください!」
「前にも聞いたな、それ」
なぜか俺は明津からまた体育館裏に呼び出され、もう一度同じように告られていた。
「改めてです。この一ヶ月、美園先輩と直接お話して、やっぱり僕の気持ちは変わりませんでした。それに、もっともっと先輩のことが知りたくなりました。なので改めて、僕とお付き合いしてください!」
そうしてあの時のようにガバッと頭を下げられた。
「……」
俺はそんな奴を酷く冷めた目で見下ろしていた。
「俺と付き合ったって、兄貴には会えねーよ」
「え?」
あの時のように、きょとんとした顔で明津が俺を見上げた。
「俺の反応見て楽しかったか? いい話のネタになっただろ。もうそれでいいじゃねーか」
「先輩? 何を言ってるんですか……?」
可愛らしく首を傾げた明津を見て、少しイラッとして俺は小さく息を吐いてから目を伏せる。
「だから、もう俺に関わってくんなよな」
そう言い残し、俺は明津に背を向け歩き出した。
……もうこれ以上、こいつの顔を見ていたくなかった。
「――ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
慌てた声の後、ガシっと驚くほど強い力で腕を掴まれた。
「離せよ」
振り払おうとするが、その手は離れなかった。
ギリギリと痛いほどの力で握られて俺は顔をしかめる。
そんな俺を間近で見上げ、明津が真剣な目をして言う。
「先輩、さっきから何の話をしてるんですか?」
「……」
その目から視線を逸らし、俺は答える。
「……この間、見ちまったんだよ」
「え?」
「お前が、なんか悪そうな連中といるとこ」
さすがの明津も驚いたようで息を呑んだ。
「お前、最初うちの兄貴のこと知らないふうだったけど、あれ、嘘だったんだな」
「そ、それは……」
動揺した声を聞いて、俺はふっと鼻で笑う。
「わかっただろ。もう全部バレてっから。残念だったな」
「……」
「もう俺に取り入ったって無駄だから。だからもう離せ」
それでも奴の手は離れない。
いい加減痛みを通り越して腕が痺れてきていた。
「おい、聞いてるか? 離せって」
「嫌です」
「は?」
「離したくありません」
「お前な……」
「確かに、嘘は吐きました。すみません。お兄さんのことは知ってました。でも、それは美園先輩の気を惹きたかったからで」
「ハッ、どうせあの連中に話したかったんだろ? おもしれー先輩がいるとか言ってよ」
「違います!」
「もういいって、てかもうどうでもいいし。とにかく俺といたってお前にはなんのメリットもねーから」
「だから、違うって言ってんだろ!」
急にデカイ声で怒鳴られて流石にぎょっとする。
奴の目つきが変わっていた。
さっきまでの可愛らしい後輩ではない。おそらくは素の『明津楓』が、そこにいた。
「オレはただあんたを、美園桜空を落としたかっただけだ」
「……は?」
俺を、落とす……?
「オレも、同じだから」
「え?」
「オレもあんたと同じで、ずっと兄貴たちと比べられて生きてきたから」
それを聞いて、俺は瞠目する。
(明津が、俺と同じ……?)
明津は漸く俺から手を離した。
「オレの家は医者の家系で、オレは三男で、兄貴たち二人ともすげぇ出来が良くて、いつもいつも比べられてた」
うちは兄一人だけど、明津は二人?
悔しそうな、いや、苦しそうな顔で明津は続ける。
「『お兄ちゃんたちは出来たのに、なんでお前は出来ないんだ』。何度も何度も言われてきた」
「明津……」
「それで、俺はグレた。グレてやった」
俺はそんなにはっきりと比べられたことはない。
ただ、俺が勝手に比べられていると思い込んで、卑屈になっていただけで。
でも、もしそんなことを直接言われていたら、俺だってどうなっていたかわからない。
と、そこで明津の顔がふっと優しくなった。
「でもオレはあんたの、美園桜空の絵に救われた」
「え?」
……俺の絵に?
「中三になって進路を決めなきゃなんなくなって、テキトーに入ったここの学園祭であんたの絵を見たら、急に涙が止まらなくなった。これを描いた奴に今すぐに会いたいと思った。話したいと思った。受付に聞いたら、これを描いたのはあの美園凛空の弟だって言われて、妙に納得した。こいつはオレと同じ闇を抱えてるんだって。だからこんなにも刺さるんだってわかった」
驚きの連続で、何も言えなくなっている俺の顔をまっすぐに見上げ、明津は言った。
「こんな絵が描けるなんてスゲェって、あんた自身スゲェ才能を持ってるんだって直接伝えたかった。でも、今のオレが言ったって信じてもらえないと思ったから……だからオレ、それからめちゃくちゃ勉強頑張ってこの高校を受験した。合格出来たら絶対あんたに告ろうと思って」
ドキリと不覚にも胸が鳴る。
「だからオレが先輩に、美園桜空に惚れてるのはガチです。さっきも言いましたが、この一ヶ月先輩と話して、その優しさに直接触れて、更に惚れ込みました。この気持ちは嘘じゃありません」
その鋭い視線を受けて、じわじわと顔が熱くなっていくのを感じた。
(じゃあ、明津は本当に俺のことが……)
――そのときだった。
「うわっ」
急にネクタイを強く引かれたかと思うと、唇に柔らかい感触を覚えた。
(――!?)
ちゅっという短い音を立ててそれが離れ、俺は奴からキスをされたのだとわかった。
「オレの本気、伝わりました?」
「なっ、なな、何すんだよ!?」
俺は叫びながら勢いよく後退り奴から距離をとった。
「オレの気持ち、ちゃんと伝わってるかなと思って」
「だ、だからって、き、キスなんて」
口元を拭いながら真っ赤になって俺は言う。
何を隠そう、自慢じゃないが今のが俺のファーストキスである。
まさか、年下の男に奪われるなんて思ってもいなかった。
と、そんな俺に一歩近付いて明津は言った。
「伝わるまで何度だってしますよ。なんならオレ、先輩を抱きたいと思ってるんで」
「だっ……!?」
一歩一歩こちらに近づいてくる後輩の前に俺はバッと両手を突き出した。
「ちゃんと伝わった! 伝わったから!」
「そうですか? なら良かったです」
明津はそこでぴたりと足を止め、にっこりと笑った。
それにホッとしたのも束の間、奴はそのままとびきりの笑顔で言った。
「オレ、諦める気ないんで。絶対に先輩のこと落としてみせます」
「!?」
「だから、覚悟してくださいね。桜空センパイ」
その笑顔は可愛いらしいのに、言ってることは全然可愛くなくて。
(やっぱ、ヤベェ奴じゃねーか!)
俺は心の中で涙目になって叫んでいた。
――これは、人気アイドルを兄に持つ俺が、アイドル並みに可愛い後輩から嫌って程わからされる話の、ほんの序章である。



