「可愛い奴じゃん、素直でさ」
「それはまぁ、そうなんだけどさ……」
昼休み、いつものベンチで俺は溜息交じりに弁当の唐揚げをつついた。
――あれから、早一ヶ月が経っていた。
明津は美術部の活動日にはちゃんと毎回来ているし、俺の軽い指導の元、真面目に石膏像のデッサンから始めている。
俺も正直、奴のことは見直してきている。
初対面がアレだったから警戒していたが、思ったよりずっとちゃんとした奴のようだ。
「あれから告られたりは?」
俺は首を横に振る。
「そうなんだ?」
そうなのだ。
あれから特に告られてはいない。告られては。
「ただ、会う度どっかしら絶対褒めてくる」
「なんそれ」
「『この色めっちゃ好きです。どうやって作ったんですかー?』とか。『今日髪型決まってますねー』とか。『めっちゃいい香りするんですけど先輩シャンプー何使ってますかー?』とか……」
「やっぱグイグイ来てんじゃん」
そうして笑われた。
はぁ、ともう一度溜息をつく。
「あれがなかったら、普通の可愛い後輩なんだけどな……」
「お、でも可愛いは認めてんだ?」
「顔が可愛いのは最初から認めてるだろ」
だけど、言動が可愛くない。
グイグイと、というより、なんだかじわじわと攻められている気がしてどうも落ち着かないのだ。
「今また改めて告られたら?」
「答えは変わらねーよ。俺はあいつと付き合う気なんかない」
「そっかー」
と、夏生が飲み切ったりんごジュースのペットボトルの蓋を閉め言った。
「でもさ、初めてじゃね?」
「え?」
「お前が兄貴関係なしにモテるのって」
「ぐっ」
痛いところを突かれた。
……それは、確かにそうなのだ。
「ちょっと勿体なくね?」
「勿体ないとかそういう問題じゃねーし」
「じゃあさ、もしあいつが女の子だったら?」
「え?」
「女の子だったら付き合ってた?」
「……」
言われて俺はちょっと想像してみる。
あいつが女の子だったら……。
(あー……)
「今『ありかも』って思っただろ」
「!?」
ニヤ~っとした顔で両手で指差され、俺は慌てる。
「お、思ってねーし! てか、お前他人事だと思って面白がってるだろ!」
「違ぇーよ。俺は友達の幸せを純粋に願ってるんだって」
「いーや、その顔は絶対面白がってる」
「だってよ、なっかなかこんな面白いことないだろ」
「お前なーっ!」
俺が思わず立ち上がると、夏生はごめんごめんと手を合わせながら言った。
「でもさ、お前の幸せを願ってるってのはガチだから」
「どうだか」
ベンチに座り直した俺に、夏生は珍しくガチのトーンで続けた。
「だってよ、俺がお前の立場だったらさ、兄貴へのプレゼントを受け取ったりなんて絶対出来ねーもん。器がデカいっていうかさ。凄ぇなっていつもリスペクトしてんのよ、これでも」
その言葉に少し驚いてから、俺は目を逸らす。
「……そんなんじゃねーよ」
俺の呟きは小さすぎて、夏生には聞こえなかったようだった。
俺は凄くなんてない。
リスペクトなんてされる謂れもない。
俺だって本当は断りたいし、ふざけんなと文句を言いたい。
でも出来ない。俺はそれほど強い人間ではない。
断ったらきっとこの人は悲しむだろう、文句を言ったらこの人は怒るだろう、そう考えてしまう。
兄貴のことで悲しんで欲しくはないし、何より、俺自身が人から負の感情を向けられたくないだけだ。
人から、良く思われたいだけだ。
兄貴のように選ばれた出来た人間ではないから、せめて、人から「ありがとう」と感謝されることで自分を保っている、ちっぽけな弱い人間なのだ。
だから。
――美園先輩、好きです!
あのときあいつに告られて、正直めちゃくちゃ嬉しかった。
夏生の言う通りだ。
兄貴関係なく、俺自身を好きだと言ってもらえたのは初めてで。
兄貴関係なく、こんなにも褒められるのだって初めてのことで。
そんなあいつに少しずつ惹かれていっているのも、事実だった。
あいつはこれまでの奴らとは違う。
あいつは兄貴ではなく、「俺」を見てくれているのだと。
――そう、思っていた。
それは、ある蒸し暑い夜のこと。
俺は近所のコンビニであいつを、明津を見かけた。
飲み物を買うために夜コンビニに来たはいいが、店の前にイカついバイクが何台も止まっていて、数人のヤバそうな連中がたむろしていて、うわ、と思わず足が止まった。
金髪の奴、赤毛の奴、スキンヘッドの奴、顔にピアスを大量につけてる奴もいて、別のコンビニに行こうか迷っていると覚えのある笑い声が聞こえてきた。
(明津?)
その中に普通過ぎて逆に浮いているあいつの姿を見つけて、一瞬、あのヤバイ奴らに絡まれてるのかと思った。
しかし、明津の奴はあの中に完全に馴染んでいて、一緒に楽しそうに笑い合っていた。
「しっかし、お前も良くやるよなー」
「あぁ?」
「いい子ちゃんのフリ、疲れねぇ?」
「フリってなんだよ。オレは元々いい子ちゃんだっつーの」
そしてまたゲラゲラと笑いが起きる。
(オレ?)
いつも俺と話すときあいつは「僕」と言っているのに。
やっぱり似ているだけの別人かと思いかけた、そのとき。
「でもさ。そのセンパイ、あの美園凛空の弟なんでしょ?」
あいつのすぐ隣にいる金髪女の言葉を聞いて、俺は大きく目を見開いた。
「ああ」
明津が頷く。
「じゃあ、やっぱイケメンなんだ?」
「兄弟だからって弟もイケメンとは限らなくね?」
「でもいいなぁ、美園凛空の弟くん、あたしも会ってみた~い」
「私も私もー!」
「で、どんな奴なんだよ楓。そのアイドルの弟くんはよ」
「……」
「……」
そいつらの声がどんどん遠ざかっていく。
気付いたら、俺はその場から逃げるように駆けだしていた。
あいつが、あんな奴らと連んでいることもショックだったが、違う。
俺がショックだったのは。
(……なんだよ。やっぱりあいつも、俺が「美園凛空の弟」だから、近づいてきたのかよ)
兄貴を知らないふりまでして。
そんな嘘まで吐いて。
ちょっとでも気を許しそうになっていた自分が。
俺自身が好かれているのだと勘違いして喜んでいた自分が。
とてつもなく恥ずかしく思えた。



