「なんだそれ。エグっ」
語尾に「www」と付きそうな勢いで笑ったのは友達の夏生だ。
クラスは違うがこの学校で唯一俺が心を許せる友人である。
中学の頃からの友達なので、兄貴関係なく俺と接してくれるし、兄貴が有名になってからの俺の苦労も知っている。
この高校に夏生がいてくれて本当に良かったと思う。
同じ美術部でもあり、昼休みは大抵いつもこいつと過ごすことが多い。
今日も中庭のベンチで弁当を広げ、こうして二人でだべっている。
「ほんと意味わかんねーし」
「でも美術部に入ってくるんだろ」
「そうなんだよ。あー、入部拒否とか出来ねーかなー」
「出来るわけねーだろ」
そうして夏生はまた笑った。
「可愛い子なんだろ?」
「可愛いって言ったって男だからな!」
「名前、なんてったっけ?」
「明津楓。名前も女みたいだけど、どう見ても男だった」
「あきつかえで?」
その名を繰り返してから夏生は「んん?」と眉を寄せ視線を彷徨わせた。
「どうした?」
「なんか、どっかで聞いたような……」
「え?」
夏生は散々頭を傾げた後で言った。
「……や、気のせいだったかも」
「なんだよ」
あいつも実は有名人なのかと思った。
あの顔面なら普通にありえそうである。
(実は有名な配信者とか……?)
「ま、でもお前のファンってことじゃん。ファンは大事にしないとな!」
「絵のな。そりゃ嬉しいけどさ……付き合うとかガチでありえんし」
俺が大きな溜息を吐きながら言うと、そりゃそうだと夏生はまた笑った。
――そして、放課後。
「はじめまして。明津楓と申します。美術部に入部希望です。よろしくお願いします!」
美術部の部室に元気な声を上げて入ってきた奴を見て、俺は咄嗟にキャンバスの裏に身を隠した。
(ほんとに来やがった!)
皆、そんな彼を驚いたように見ている。
そりゃそうだ。美術部にあんな陽キャなかなかいない。そして。
「美園せんぱーい!」
奴は俺のことを目ざとく見つけるとこちらに向かってぶんぶんと手を振ってきた。
皆の視線がこちらに集中して、俺は仕方なく椅子から立ち上がって引き攣った笑みを浮かべる。
すると明津はこちらに駆け寄ってきて、入部届のプリントを俺に渡してきた。
「これ、お願いします!」
「や、俺に渡されても。これ先生に提出するもんだから」
「あれ、そうなんですか? すみません。じゃあ職員室行ってきます!」
「ちょ、ちょっと待て」
「え?」
さっさと部室から出て行こうとした奴の腕を掴み、俺はそのまま廊下に出た。
「お前、本気か?」
「え?」
「ガチで美術部入る気なのかって訊いてんだ」
「ガチですよ。昨日言ったじゃないですか。先輩のことを知るには美術部に入るのが一番だと思うんで」
その淀みないまっすぐな目を見て一瞬言葉を失う。
「……あ、あのなぁ。お前、そもそも絵は好きなのかよ」
「好きですよ。見るのも、描くのも」
「そ、そうか……」
そりゃそうかと昨日の会話を思い出す。
美術部の作品展を見に来るくらいだ。好きは好きなのだろう。
でも、入部希望の動機が全然納得できない。
そんな俺の顔を見て、明津は笑った。
「大丈夫ですよ。美園先輩を困らせるようなことはしないんで。ちゃんとその辺はわきまえてます」
「わきまえてるって……」
「じゃ、これ提出してきちゃいますね」
そうして明津は先ほどのプリントを手に職員室の方へパタパタと駆けていった。
「すっげーグイグイ来るじゃん」
「!?」
いつの間にか隣に夏生がいた。
「でも、確かに可愛い顔してんな。で、どうすんだ?」
「どうするっつったって……入部拒否は出来ないだろ」
「だな。ま、頑張れよ美園センパイ!」
ポンと肩を叩かれて、俺はそのままガクっと肩を落としたのだった。
そして明津の奴は本当に美術部に入ってきた。
部長には「美園くん、知り合いなら色々教えてあげてよ」と明津の世話を体よく押し付けられた。
今は皆、締切近いコンクールに向け自分の制作に集中したいときなのだ。
無論、俺もだったのだが……。
(てか、別に知り合いじゃねーし)
向こうは俺のことを知りたいからと入部してきたわけだけど。
俺の方こそ明津のことは学年と名前くらいしか知らないのだ。
それを果たして「知り合い」というのだろうか。
「これ、今先輩が描いてる作品ですか?」
「え」
いつの間にかキャンバスを覗き込まれていた。
「そうだけど……」
「やっぱ好きだなぁ、美園先輩の絵。色使いがめっちゃ俺好みなんですよね」
「そ、そう」
嬉しいが、皆の前では恥ずかしいからやめて欲しい。
夏生の奴がニヤニヤとこちらを見ているのに気がついて、目でうるせーと文句を言う。
仕方なく、俺はまず入部するにあたり必要な道具などの説明をしていった。
「持ってるものがあれば新たに買う必要はないし」
「ほとんど持ってないんで全部買います」
その答えを聞いて俺は眉を寄せる。
美術部員は中学も美術部という奴が大半だが、明津は違うようだ。なんとなく予想はしていたけれど。
「お前、中学で部活は?」
「帰宅部でした」
「帰宅部……」
俺の中学では部活に入ることは必須だったが、そうではない学校もあるようだ。
「絵の経験はあるんだよな?」
「タブレットでいつも描いてたんで、こういうアナログ? でちゃんと描くのは実は初めてです」
恥ずかしそうに話す明津を見てそういうことかと納得する。
「なんか、すいません……」
「いや、誰にだって初めてはあるし。やる気はあるんだろ?」
「勿論です!」
元気に拳を握り言った奴を見て、こりゃ大変なことになったなと俺は内心で大きな溜息を吐いた。



