泣いていたのは、きみの影。


「……あの、上野くん」

 慌てて顔を上げると、志乃原と目が合った。

「絵。見せてもらってもいい?」
「え、あ。今日は全然描けてないんだ」
「それ。スケッチブック」
「別にいいけど……」

 言われた通りスケッチブックを渡すと、志乃原の小さな手でページがめくられていく。
 紙の擦れる音だけが、静かな教室に響いた。
 俺はなんとなく気恥ずかしさもあって視線を泳がすことしかできない。
 志乃原は長いまつ毛を揺らしながら、俺が先日描いた空のデッサンを眺めていた。

「これ、昨日の空?」
「うん。昼休みに屋上から見たやつ。スマホ出せないから、記憶上の空だけど」
「……きれい」

 掠れた声に、思わず志乃原を見る。
 彼女の表情はとても柔らかかった。
 つい、というか、反射的に足元を見る。
 ──泣いてる。
 どうしてそう思ったのかはわからない。でも、影は泣いていた。

「志乃原……」
「ん?」

 本人はなにも気づいていないようだ。
 というか、俺の見間違いというか思い込みの可能性が圧倒的に高い。
 いや、でも、これは。
 呼びかけたものの俺は何も答えることができず、沈黙が降りた。
 志乃原が気にする様子はない。

「……上野くんって、すごいね」

 すると、今度は志乃原が口を開いた。

「え、なにが?」
「上野くんには、こういうふうに見えるんだなあって」
「……それがすごいの?」
「うん。なんだか違う景色を見てるみたい。絵を描く人はみんなそうなのかな。それとも、上野くんだからかな」
「んー、まあ……目というか脳というか……」
「あははっ、そういう体の構造的な話じゃなくて」
「いやごめん、わかってるんだけど」
「はー、上野くんって面白い人だったんだ……」

 俺こそ、こんなふうに笑う志乃原は初めて見た。
 だけどなんだろう。
 小さな違和感を覚えて、志乃原の足元に視線を移す。
 そのまま俺は、問いかけた。

「……ねえ。志乃原……」
「ん?」
「……なんかあったの?」
「え? ううん。なにも。大丈夫」

 志乃原はやわらかく否定する。
 だけど、俺は確信した。
 ウソだ。
 だって今、影は大きく首を横に振っていた。