泣いていたのは、きみの影。


 その顔は誰が見ても穏やかで、とてもやさしい。
 だけど、影が。
 影が、ほんの少しだけ震えていた。
 俺は今見たものたちが目の疲れからきたものじゃないかと、鉛筆から手を離して眉間をつまむ。
 志乃原と言葉を交わすのは初めてでもない。
 でも、会話という会話はほとんどしたことがない。
 美術室に来るからというのもあって顔見知りなのは間違いなくて、それもあって廊下で時々軽く会釈をしあうだけ。
 女子とは別行動だけど、去年も今年も合同体育で一緒にやることは多いから、見かけることも多い。
 だけど本当に、それだけだった。
 男女問わず、志乃原の評判は聞いたことがある。
 ただただ「優しい」。でも「固定の仲良しはいない」。
 俺から見ても同じだった。ハブられてるわけじゃないけど、誰とも深く関わらない。そんな感じ。
 薄い膜がはられていて、その内側にひとりでいるような人だと思っている。
 ……ちなみに俺は、小学生くらいのときからそういうタイプをなぜが放っておけない性分な自覚があった。
 理由なんてない。ただ気になってしまうだけだ。
 スケッチブックを閉じて、転がっていた鉛筆を筆箱に戻しながら俺は志乃原を見る。

「……今日は、何しに来たの?」

 ちょっと踏み込みすぎた気がしたけど、口から出たものはしまえない。
 でも、志乃原はこんな不躾(ぶしつけ)な質問にも優しく笑い、両手を胸の前でそっと組んだ。

「……ちょっと、ね。……うるさいなって、思って」
「あ……そういう日、あるよね」
「……上野くんにも?」
「まあ、たまにあるかな」

 それ以上の会話は続かない。
 美術室の窓から差し込む光は、だんだんと青さを強めていく。俺の席からは、薄紫が下から伸びてくるのは見えない。
 夕方から夜にさしかかっていくこの時間が、俺は一番好きだった。
 志乃原は外を眺めることなくその光を背に受けて、どこかあさっての方向を見ている。
 光に包まれて、志乃原の輪郭が淡く溶けていく。足元の影も伸びていく。
 俺はその影を目で追ってしまった。
 さっき見たのは現実だったはずだ。
 志乃原より先に俯いた、影。