「お前、この後カラオケ来る?」
「行く行く!」
「お前は?」
「これ書いてから行くよ」
「そんなん川村にやらせて早く行こうぜ」
「そうだな。じゃ川村、よろしく」
「芝崎は誘ったら来るかな?」
「あいつは真面目だから来ねえだろ」
「まあな、芝崎だからな」
雨の日は昔から好きだった。なぜなら、今日みたいに部活が中止になるからだ。本来予定されていたランク戦は中止になり、代わりに顧問の指示で、「勉強会」になった。雨の日だけに開催される、直近であった試合のまとめを原稿用紙にまとめて提出するイベントだ。ここ青沢高校の男子テニス部は、緩いことで有名だった。部活はサボり放題。顧問も何も言ってこない。ごくたまに切れることはあるが、こちらが罪悪感を感じない変なポイントで切れるので誰も気にしていない。
みんなその作文も川村さんにやらせて帰ってしまい、今日は2年の俺と1年の尾上と3年の川村さんの3人だけが残っていた。いつもは俺と川村さんの二人だけだが、なぜか今日は尾上がいた。こいつ、頭はそんな悪くなかったはずなのに。
作文は昔から苦手だ。短い言葉ならいくらでも浮かんでくるけど、それを膨らませろと言われると急に嫌になってしまう。最後まで残っていると顧問は見逃してくれるので、勉強会の教室を出るのは俺がいつも最後だった。
「芝崎先輩、どうすか。できましたか?」
「ちょ、まっ」
後ろに座っていた尾上が、背後から手を伸ばして俺の作文用紙を取り上げた。当然書きかけで、あまりにも他の部員を待つのが退屈なので用紙の端っこに落書きをしてしまっていた。
「なーんだ。白紙じゃないですか。あれ、なんか書いてある」
「いいから返せ」
「『玄関のあなたの前で袖口を濡らす男はやっぱりやだよね』って」
あろうことか尾上は、それを声に出して読み上げた。
「返せっ」
「何これ、もしかして短歌っすか?」
教室の隅っこから川村さんが鼻で笑う声が聞こえた。
「うるさい」
面倒くさくなったのと恥ずかしいのとで、俺は帰る準備をした。顧問には明日朝一で言い訳をしておけばいい。
「『げんかんのお~』」
尾上が口をとがらせておどけたように復唱する。
「やめろよ」
「いいじゃないっすか」
あまりにも恥ずかしかったので、カバンのジッパーも閉めずリュックも手に持ってその場を去ろうとした。すると、尾上は頬杖をつきながら、こう言って笑った。
「かわいい」
その瞬間、俺は少しドキッとしてしまった。何かの間違いだと自分に言い聞かせた。今のは驚きとは何か違う気持ちのような気もしたが、怖くて振り払った。
「う、うるさい!」
顔にぐっと血液が集まってくる感じがする。恥ずかしくて周りの世界が白くぼやけた。荷物を全部急いで両手に抱え、俺は教室を飛び出した。
「あっ、先輩!」
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっ!
こんなに恥をかいたのは久しぶりだった。でもその恥ずかしさがどこか気持ちよかったのは、俺が高校生だからだろうか。若さのせいにするのは傲慢だろうか。。そんなことを考えながら無限に浮かんでくる「ヘンタイ」と言う単語を必死でかき消して帰った。
その日の夜は、頭がぼうっとして眠れなかった。恥ずかしいことを誰かに知られたのは初めてだったから、ずーっとその恐怖にさいなまれた。誰かに喋るんじゃないだろうか。尾上か、川村さんか。落書きの類いはよくする。一人で遊ぶのが昔から好きだったからだ。誰かと共有するのは好きじゃない。恥ずかしいのは、嫌いだ。これから永久に部活の奴らからいじられる絵が強迫的に浮かんできて、苦しかった。
翌日、午前中の授業は、ほぼうたた寝で過ごした。昨日あれだけ眠りが浅ければ当然のことだろう。よくない。
「芝崎、誰か来てるぞ」
クラスの奴が入り口で誰かと喋っている。
「誰?」
「テニス部の子」
「昼休み位ぐっすり寝かせてくれよ……」
突っ伏していた体をいやいや起こして教室の入り口へ進んだ。だが、そこにいた小さいあいつの笑顔を見て、またあの時みたいに血が集まってきた。
「よっす」
尾上だった。
「行く行く!」
「お前は?」
「これ書いてから行くよ」
「そんなん川村にやらせて早く行こうぜ」
「そうだな。じゃ川村、よろしく」
「芝崎は誘ったら来るかな?」
「あいつは真面目だから来ねえだろ」
「まあな、芝崎だからな」
雨の日は昔から好きだった。なぜなら、今日みたいに部活が中止になるからだ。本来予定されていたランク戦は中止になり、代わりに顧問の指示で、「勉強会」になった。雨の日だけに開催される、直近であった試合のまとめを原稿用紙にまとめて提出するイベントだ。ここ青沢高校の男子テニス部は、緩いことで有名だった。部活はサボり放題。顧問も何も言ってこない。ごくたまに切れることはあるが、こちらが罪悪感を感じない変なポイントで切れるので誰も気にしていない。
みんなその作文も川村さんにやらせて帰ってしまい、今日は2年の俺と1年の尾上と3年の川村さんの3人だけが残っていた。いつもは俺と川村さんの二人だけだが、なぜか今日は尾上がいた。こいつ、頭はそんな悪くなかったはずなのに。
作文は昔から苦手だ。短い言葉ならいくらでも浮かんでくるけど、それを膨らませろと言われると急に嫌になってしまう。最後まで残っていると顧問は見逃してくれるので、勉強会の教室を出るのは俺がいつも最後だった。
「芝崎先輩、どうすか。できましたか?」
「ちょ、まっ」
後ろに座っていた尾上が、背後から手を伸ばして俺の作文用紙を取り上げた。当然書きかけで、あまりにも他の部員を待つのが退屈なので用紙の端っこに落書きをしてしまっていた。
「なーんだ。白紙じゃないですか。あれ、なんか書いてある」
「いいから返せ」
「『玄関のあなたの前で袖口を濡らす男はやっぱりやだよね』って」
あろうことか尾上は、それを声に出して読み上げた。
「返せっ」
「何これ、もしかして短歌っすか?」
教室の隅っこから川村さんが鼻で笑う声が聞こえた。
「うるさい」
面倒くさくなったのと恥ずかしいのとで、俺は帰る準備をした。顧問には明日朝一で言い訳をしておけばいい。
「『げんかんのお~』」
尾上が口をとがらせておどけたように復唱する。
「やめろよ」
「いいじゃないっすか」
あまりにも恥ずかしかったので、カバンのジッパーも閉めずリュックも手に持ってその場を去ろうとした。すると、尾上は頬杖をつきながら、こう言って笑った。
「かわいい」
その瞬間、俺は少しドキッとしてしまった。何かの間違いだと自分に言い聞かせた。今のは驚きとは何か違う気持ちのような気もしたが、怖くて振り払った。
「う、うるさい!」
顔にぐっと血液が集まってくる感じがする。恥ずかしくて周りの世界が白くぼやけた。荷物を全部急いで両手に抱え、俺は教室を飛び出した。
「あっ、先輩!」
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいっ!
こんなに恥をかいたのは久しぶりだった。でもその恥ずかしさがどこか気持ちよかったのは、俺が高校生だからだろうか。若さのせいにするのは傲慢だろうか。。そんなことを考えながら無限に浮かんでくる「ヘンタイ」と言う単語を必死でかき消して帰った。
その日の夜は、頭がぼうっとして眠れなかった。恥ずかしいことを誰かに知られたのは初めてだったから、ずーっとその恐怖にさいなまれた。誰かに喋るんじゃないだろうか。尾上か、川村さんか。落書きの類いはよくする。一人で遊ぶのが昔から好きだったからだ。誰かと共有するのは好きじゃない。恥ずかしいのは、嫌いだ。これから永久に部活の奴らからいじられる絵が強迫的に浮かんできて、苦しかった。
翌日、午前中の授業は、ほぼうたた寝で過ごした。昨日あれだけ眠りが浅ければ当然のことだろう。よくない。
「芝崎、誰か来てるぞ」
クラスの奴が入り口で誰かと喋っている。
「誰?」
「テニス部の子」
「昼休み位ぐっすり寝かせてくれよ……」
突っ伏していた体をいやいや起こして教室の入り口へ進んだ。だが、そこにいた小さいあいつの笑顔を見て、またあの時みたいに血が集まってきた。
「よっす」
尾上だった。
