君に伝えたい三つのこと

 夢を見ていた。悪夢だった。
 この時期、必ずといってもいいほど見る、悪夢だ。

 中学一年の夏休み。僕の母が死んだ。
 事故死だった。
 事故は、内容にすれば単純なものだった。
 受け持っていた院内学級生の一人と口論になり、その子が道路へ飛び出したことによるもので、その子を庇う形で母はトラックに轢かれて死んでしまった。
 鈍い音と悲鳴、そして一面に広がる赤色。
 僕は今でも鮮明に憶えている。

 けれど、これは真実とは少し異なる。

 あの時、忘れ物を届けに行った。
 母さんを見つけて声を掛けた。そのタイミングが悪かったのだ。

 僕があの時、母さんに声を掛けなければ、
 きっとあの事故は防げたのだ。
 僕があの時、母さんに声を掛けなければ、
 きっと母さんは死なずに済んだのだ。

 葬式場に親戚が集まっている。
 僕は父さんの隣でただ立っていることしかできなかった。
 空っぽだった。

 どこかでひそひそ話が聞こえてくる。

 ――「可哀想に」
 ――「まだ中学に上がったばかりの子供がいるのに死んでしまうなんて」
 ――「他人の子供を庇って死ぬなんて」
 ――「仕事柄の影響もあったのでしょう? さすが偽善者ね」

 母さんの、陰口だった。

 どうしてそんなこと言うんだ。
 母さんは立派だった。
 母さんは子供を守ったんだ。
 それのどこがいけないんだ。
 それのどこが偽善なんだ。
 僕は、母さんが誇らしいよ。

 誇らしいと、思いたいよ。

 僕はその場にいられなくなった。
 気持ち悪くて、気持ち悪くて、立っていられなくなった。

 僕は不登校になった。
 ひとの言葉が信じられなくなった。
 外に出ることが怖くなった。
 友達に声を掛けてしまったら、彼らを(・・・)死なせてしまう(・・・・・・・)かもしれない(・・・・・・)という恐怖が僕の脳から離れない。
 怖い。怖い。
 怖くてたまらない日々が続いた。
 だから僕は父さんにお願いして、通っていた中学を辞めた。
 辞めて違う中学へ入り直した。
 そこからは、まるで別人のようだったと、自分でも思う。
 勉強に没頭した。
 何もかも忘れるために、勉強だけに没頭した。
 友達なんていらない。
 必要ない。
 勉強だけが僕の救いになるくらいに、勉強に没頭した。

 いつしか、僕がしていることが母さんと同じことだと気が付いた。
 誰かのために勉強をしている。この場合の誰か、は僕自身だったが、それでも母さんとの唯一の繋がりを見つけたような気がした。
 その瞬間、心が軽くなった、ような気がした。

 そうして高校に進学する。
 友達を作る気はない。これだけは変わらない。
 一年生の頃は無事に終わったと言っても過言ではない。
 二年生になって、少しずつ変わっていった。

 天川くんに出会って、僕の計画は狂い始めた。

 あの時、天川くんは言った。
 もう六年も前の話だというのに。
 母親が実母でないひとだと聞いて、彼は、

『それでも大切な思い出じゃんか』

 と、母さんのことを気にしてくれた。

 天川くんは、母さんのことを、大切に思ってくれていた。
 母さんのことを、忘れないでいてくれた。
 母さんとの繋がりを、思い出と言ってくれた。

 それだけで、僕の心は揺らいだ。揺らいでしまった。

 思えばこの時から僕は、彼に恋をしてしまっていたのかもしれない。

 次に悪夢から覚めた時、近くに天川くんがいてくれたらいいな。
 僕は君が微笑んで、「おはよう」と言ってくれればそれでいいんだ。
 そうしてくれれば僕は、また頑張れる気がするから。

 だから夢よ、早く覚めてくれ。

「おはよう」と彼に、伝えたいんだ。

 雨の音が遠くで聞こえる。
 もうすぐ意識が浮上する、そんな合図(・・)だった。