君に伝えたい三つのこと

 8月16日――蝉の鳴く、暑い日だった。
 その日僕は学校の帰りに母さんに届け物をしようと、母さんの職場まで自転車で走った。
 アスファルトからの熱気に嫌気が差す。
 けれど母さんのためだ。僕は我慢をして、職場まで急いだ。
 職場である病院の、道路がすぐ横に接している公園でなにやら揉めている声が聞こえた。母さんと、母さんの生徒だろうか、女の子が揉めていた。

『――もういい! 美里先生なんて大嫌い!』
『こら、さおりちゃん!』

 さおりちゃんと呼ばれた女の子は、気持ちに身を任せて公園を飛び出した。
 僕は反対側の歩道にいた。
 母さんが、さおりちゃんの後を追う。
 僕は母さんに声を掛ける。

 母さんが僕の声に振り返った時、
 母さんは、大きなブレーキ音と共に、消えた。

 そこで、ふ、と目が覚める。
 目の前はいつも見ている自分の部屋の天井で。
 寝汗の酷さ、そして乱れた呼吸。
 それらで、夢見が悪かったのだと理解した。

(……久し振りに見たな……あの夢)

 僕は寝汗を拭いながら、リビングへと向かった。


 リビングには美魚がいた。彼女の横にはお母さんが座っている。
 父さんはいない。
 時刻を見れば、すでにお昼の12時を回っていた。

「え……」
「あら、おはよう海音くん。といってももうお昼だけれど」
「かいくんおそよう(・・・・)!」
「お、おそよう。……あ、おはようございます、お母さん」
「お腹は空いてるかしら? お昼に作ったパスタがあるのだけれど……」

 食べる? とお母さんが言う。
 僕は「はい」と返事をして、美魚の正面に座る。
 正直、あまりお腹は空いていないけれど、食べれなくはない。

「父さんは?」
「お部屋でお仕事してる」
「そっか」

 今日が平日でなく、夏休みで良かったと心底思う。
 普段の僕なら、ここまでの寝坊はしないから。

 ただ、毎年この時期になると僕は、酷く生きることに億劫(おっくう)になる。

 お昼のパスタを食べ終え、食器を台所へと下げる。
 お母さんが洗い物をしていたので渡す。

「……あの、お母さん」
「なにかしら?」

 僕はここで、この間決めた、天川くんとの誕生日会のことを話した。

「えと、今度の16日、天川くん……友達を家に呼びたいんだけど、いいですか?」

 僕の言葉を聞いたお母さんは、目を丸くした。
 洗い物の途中なので、水がシンクに落ちる音が妙に響いている。

「……あの、お母さん?」
「いいわよ、全然、招いて」

 むしろ招きなさい、と言わんばかりの勢いで僕の手を掴む。
 ガチャンッ、と食器の擦れる音が響いた。食器がプラスチック製であったことが幸いだった。シンクの中は無事だ。

「私たちがいない分、楽しんでね」

 お母さんは微笑みながらそう言った。
 そう。
 今度の16日、僕以外の家族は全員、家を空ける。
 僕だけが、この家で留守番をするのだ。

 母さんが死んだ、六年前から。

 僕は、この場所から足を進めることを、放棄している。