ー最果ての『泉門(いずみもん)』ー

 本番当日。

 舞台の袖から見れば、観客席がほぼ埋まっていることがわかった。開始時間が近づくことを認識する度に、胸や腹の奥がざわざわと騒ぐ。

「シミュレーションは、十分すぎるほど行った。
 それでも緊張はする。
 リハーサルの通りに、いや、それ以上にリラックスして楽しもう。」
「「おー!!!」」

 開演の笛が鳴る。

〈スゥー…!ジャラジャラジャラジャラ…〉

 最初の演目は、ネプトゥヌスの空中ブランコ。
屋内施設を活かし、日中でも暗闇を演出している。
 ミカの姿は見えなくとも、静けさに広がる息づかいの音やブランコのチェーンの音で、演目が始まったことが分かる。

 高台を登り、踏み切る。
 途端に、少しの不安が押し寄せる。

 しかし、少しで済むのは、不安を極力消すために何度も何度も練習したからだ。

 作った青痣は、スポットライトの強い光の前では消える。
 余裕が無くとも、堂々と、魅せる。 

 ブランコに腰掛け、定位置に付いたことを確認する。
 
 続けて、ネプトゥヌスは、水のように清涼感のある声で口遊む。会場を木霊し、声が行き届いていることを確信する。

 命綱のみに心の支えを預けて、その靭やかな指を伸ばす。
 1点、また別の1点を。
 指さす度に、1色、2色とライトの数が増えていく。

〈ガコン…。ズズズズズズ…〉

 2色目のライトが出現したタイミングでユピテルが得物を携え、登場する。
 二つ目の演目は、剣舞。

 得意の剣舞を開始すると、観客は歓声を上げる。
ユピテルの剣舞は名物とされていた。

 相棒の大剣フェレトリウスは、活動当初からユピテルが愛用する小道具である。
 フェレトリウスには仕掛けがある。

 肩を伸ばし、大地を踏みしめれば、会場掌握する威圧感がジリジリと響く。
 優に1メートルを超えるその大剣は、不思議なほどに彼の姿形に馴染み、空気を裂く。

 踏み出す足で刻む音は、稲妻のように、鮮烈な印象を残したあとに続けて聞こえてくる。

「――ッ!!アァァーーー!!!」

 いつの間にか足元に残された透明の箱が、照明に照らされる。
 次の瞬間、大剣から発した鈍い音が、地鳴らしを引き起こした。

 透明だった箱は、帯電し、光の残像を迸らせては、切っ先の方からバキバキと砕かれていく。

 砕かれても構わず、振り払う切っ先に乗っていた破片が、宙を舞い、キラキラと降り注ぐ。

 まさしく、圧巻の剣舞だった。

 花形の演目が繋ぐ次の演目へ、期待が臨界点に到達する。
ネプトゥヌスは歌い続けている。

 そして、3色目のライトが点灯する。
 しかし、その明かりの下には誰もいない。

 一筋の優しげな光が、ざわめく観客の元へ、一人の少女の目の前へと差し込む。

〈シュルシュル…ルル…〉

 目を見張る光景だった。
 背中まで届く髪は、結い上げられたポニーテールへ。

 ボウタイブラウスから、リボンが解かれて双六角錐型のアクセサリーが八つ連なったネックレスを見せる。

 ファスナーによって開かれた服は、二枚の布と化してスタッフの手に渡される。

 少女然とした姿は、成熟した女性の姿へ。
 そして、少女が手を伸ばす先には、最初の演目で活用していた空中ブランコがあった。

 少女は足を地面から離し、上空へ吊り上げられる。

 足元を掠める風が吹き上げ、忽ちスポットライトに照らされる。

 ディスは、先程までいた席の方向へと、お辞儀をする。

「わぁぁァァァ!!!!」
「マナーーーー!!!?」

 意表を突かれた観客が発した驚きに包まれる会場を気に留めず、いつの間にか掴んでいた輪に自らの体を固定し、エアリアルフープを開始する。

〈キキッッググッ――…〉

 陽光のような眩い輝きの中で、観客は凝視する。
 ネプトゥヌスの歌に合わせて、優雅に舞い始める。

 筋肉質な足を持ち上げ、フープを支える金具に引っ掛けては、上体を腕のみで支えて逆立ちをした。

 観客の一人がつぶやいた気がした。
「うそだろ…?
 揺れているフープで逆立ちするだけでもすげぇのに。
命綱も無いとか…。
 どうして、躊躇なく動けるんだよ!」

 むしろ、マナが腰に命綱を付けていたら、絡まってしまうだろうと思わせる。
 縦横も天地も構わない、そのアクロバットな動きは、自由と危険が隣り合わせにある命綱の無い状態だからこそ可能だった。

 ディスを乗せたフープは、会場の中央に移動し、対角線上のレールを渡ってきたもう一つのフープと衝突するかのように思われた。
 しかし、フープ同士は、上部に取り付けられた特殊な形状の金具によって、簡易的なパズルを形成して噛み合った。

 対角線上から来たフープは、ディスを乗せたフープよりも一回り大きかった。

 ディスは、大きなフーブを踵に引っ掛けて勢いよく回す。
その中央ではディスが、フィギュアスケートのビールマンスピンのように、片足を頭の後ろで持ち上げた姿勢を維持している。

 洗練されたポージングの美しさに見惚れた観客は、うっとりと浸る間もなく、次の瞬間に目が覚めた。

 フープの合間をすり抜けた身体が、落下する。

「キャァァァーーーー!!」