猫又──妖怪の一種だ。
 飼い猫が長生きをして不思議な力を身につけたり、二本脚で踊ったり、人間の言葉をしゃべったりするといわれて、化け猫とは違って、精霊や神のようにあつかわれることが多い妖怪だ。

 ほら、と猫店長は起きあがり、しっぽを見せてくれた。

「あ」

 心春は目を見張る。
 気にしたことがなかったけれど、猫店長のしっぽが二つに分かれていた。

「ええっ……ぜんぜん気づかなかった。じ、じゃあ、猫店長は──妖怪なの?」
「人を襲ったりはしないから安心して」
「え、あ、う、うん」
「それに昔はどうだったか知らないけどね、いまは『猫又』になるにはちゃんとした修行を受けなくちゃいけないんだよ。業界のライセンスも必要なんだ。国家資格みたいなもんだね」
「なにそれ、かっこいい」
「どっちかというと、人を護るのが仕事かな。怨霊の『化け猫』を封じたりするのが僕らの仕事さ」
「めちゃくちゃかっこいい。猫店長すごい」

 まあね、と猫店長は照れる。それから遠いものを見る眼差しになる。

「……かつての僕はね、人間の時間単位でいうと四十年前くらいかなあ。猫の僕は死んじゃったんだよね」

 心春はハッと身体を起こす。
 心春がどいて身体が自由になった猫店長は大きく伸びをする。ブルリと身体を震わせて身体の向きを変えると、心春へ顔を向けて再び丸くなった。

「そのときの飼い主がねえ、そりゃあもう……泣きじゃくっちゃってさ」

 飼い主の名前は日向(ひなた)。穏やかでお人好しで、笑顔の素敵な女性だったという。
 ハグされると名前どおり日向の香りがして、気持ちがすうっと落ち着いて、いつまでもこうしていたいな、って思うくらいだったそうだ。けれど──。

「……どうしたって寿命があるんだよ。僕は僕なりに頑張ってみたんだけど。内臓は鍛えられないって、本当だねえ」

 猫店長はしんみりと続ける。

 猫店長と日向さんの出会いは吹雪の日。
 地域のボス野良猫だった猫店長はうっかりドカ雪の中を巡回して、すっかり雪に行く手を阻まれてしまっていた。

 ──僕もここまでか。でもまあ、悪くない猫人生だったな。ここらで野垂れ死ぬのも悪くないか──。

 自分に降り積もる雪を見ながらそう思っていたところを、通りかかった日向が助けてくれたという。
 日向は実に手厚い看護をしてくれた。弱っていた猫店長は暖かい部屋でみるみる回復していった。だがそのまま飼い猫になり下がるのはボス野良猫のプライドが許さなかった。なんども日向の腕や顔をひっかいた。なんどもふくらはぎに噛みついた。それでも日向は怒らなかった。
 ある日、猫店長の噛み傷がもとで日向は高熱を出してしまった。熱にうなされる日向は実に苦しそうだった。そんな状態なのに猫店長へごはんを用意し、『一緒に遊べなくてごめんねえ』と謝るのだ。
 いつだって、なにをしていても、自分ではなく猫店長が第一優先。
 そんな日向を見て、──僕はガキか──、と猫店長は白旗をあげた。誰かとずっと一緒にいて、誰よりも嬉しかったのは僕だろうに、と。
 以来、片時も離れない仲になった。

 まっすぐすぎて人の仕事まで引き受けてボロボロになる日向のそばにいつもいた。
 日向が泣いていたらその涙がなくなるまで舌で舐めとった。
 日向が笑ってくれるのが猫店長の最大の喜びになった。

 けれど──と猫店長は我が身を思う。
 自分は猫だ。人間ではない。いくら日向が伴侶を持たず、一緒にいてくれるといっても、いつまでも一緒にはいられない。おそらく、いや、どうみたって自分のほうが早く逝く。だったら──。

 一分でも一秒でも日向のそばにいたい。せめて最後のときを迎えても悔いがないように全力で愛する──。

 そう決意して日々をすごしていた。
 それでもやはり迎えた『最後』は、互いに受け入れがたいものだった。

 つかの間の意識の空白ののち、幽体となって猫店長がみたのは、泣きじゃくる日向だった。
 日向は毎日毎日、猫店長の写真を胸に泣いてばかりいた。仕事にはいけず、ご飯も食べられず、寝ることもできなかった。
 伴侶もなく、親族とは疎遠にしていた日向さんを支えてくれる人はいなかった。職場の人は「たかが猫くらいで」と日向を責め立てた。

「どんどん痩せていくんだ。怖いくらいだよ。これはまずいって思ったんだ」

 猫店長にできること、その選択肢は三つあった。
 ひとつは幽霊としてこのままそばにいる。
 もうひとつは『生まれ変わる』。
 三つ目の方法は、『猫又になる』だ。

 ひとつ目はすでに実行しているけれど、日向が気づいてくれないので、日向を励ますことはできない。
 二つ目の『生まれ変わる』はいつになるかわからない。最短でも日向と同じ時代を生きられたらラッキーだ。
 だったら、ということで、猫店長は三つ目の道を選んだ。

「そりゃあもう僕は頑張ったよ。寝る間もなく修行に励んだよ。なりふり構わない僕を仲間はなんども『いい加減にしとけよ』って笑ったよ。『そんなに必死になったってよ。相手は人間だろう? お前のことなんてもうコロッと忘れているさ』って意地悪をいうやつもいた」

 それでも僕は頑張ったんだ、と猫店長は誇らしげに続けた。

「修行期間もそいつらの半分で修了してみせたんだ。しかもそいつらの数倍のスキルを身につけた。変身したり、料理したり、しゃべったりね。すごいでしょ」

 それで意気揚々と、ここへ戻ってきたんだ。
 だけど──、と猫店長は声を落とす。