猫店長は相変わらず変身ができない日々だ。
紋別はいつも以上に優しい目を向けてくれて、斜里は泣きそうな顔で心春を見てくる。けれど二人とも、返事を急かしたりはしなかった。心春の気持ちを第一優先に考えてくれているようだ。
それだけで、心春にとってはもう、お付き合いするには十分すぎる動機だ。
そもそも心春はいままで、お付き合いをしたことがない。
告白をしてくれるだけでも、そりゃあもう人生一大事だ。しかも二件、立て続けだ。
どっちにすべきか、という問題はあるけれど、どっちとつき合ってもきっと幸せになれそうだ。
──猫店長に出会う前ならば。
「枝幸さーん、この物品、科研費で購入はちょっとどうかなあ。予算を使い切りたいのはわかりますが、この予算、今年度でおしまいのやつですよね。もう二月中旬ですよ。あとひと月で研究成果を出せる物品なの? そもそもちゃんと年度内に納品されるの?」
うわ、と心春は我に返る。部局の事務にいるんだった。そうだった。スチールラックやコンテナはチェックされやすいから研究経費で買うようにっていわれていたっけ。
「す、すみません。研究経費の間違いでした。いますぐ書類を作り直して──」
「本当に間違いなんですか? そりゃ研究経費で処理するのが妥当なんですけど、予算研究に関係ない物品を適当に余りそうな予算のところで購入しちゃおうってことなんじゃ? ウチがうっかり見逃せばラッキーとか」
「そんなこと」
「実情はくみますが、監査が入ってとがめられるのはこっちもなんですよ。ちゃんと該当予算を使ってくれないと困ります。こっちだって研究しやすいように研究者みなさんの環境を整えているわけで。それに──」
まあまあまあ、とほかの会計の人が割って入ってくれる。以後気をつけます、と深々と頭をさげて居室へ戻る。
はああ、と盛大なため息をついて外を見る。相変わらずの雪だ。すっかり日は暮れているのに、積雪と降雪で外はほんのりと明るいほどだった。何気なくネットで気象情報を見ると、これからさらに悪天候になるという。そしてほどなく終業時間だ。
「……しょうがないな。今日はもう、さっさと帰ろうかな。猫店長も心配だし」
そう思って、終業直後に職場を出たのであるが──。
えええ? と心春は胸で叫んで立ち尽くす。
強風が顔や頭に叩きつける。背中にもみるみる雪が積もっていく。あまりの強風にフードからはみ出た自分の髪が頬や鼻に叩きつけて痛いのなんの。息をするのも苦しいほどだ。
こんな暴風雪になるなんて聞いてないんですけどっ。
大学で待機していたほうがよかったかも、と思ったけれどいまさらだ。そういえば、SNSでウチの大学構内で遭難したって人がいて、なんのネタ? って笑ったけれど、笑ってごめんなさい、いままさにわたしが遭難しそうです。これはまさしく、ホワイトアウト。
──わたしって、どうしていつもこんななのかな。
いつも「なんとかなるでしょ」って根拠なく思って突っ走って。どうにもならなくなって、こんなふうに慌てふためく。就活のときもそうだった。
紋別さんのこともそう。早くお返事しなくちゃって思うのに逃げちゃって。斜里さんだって。……そのうち二人からわたしに愛想をつかしてくれればって期待している。でもでも、いざ二人がわたしに興味を失ったら、きっとわたし、ガッカリするんだ。
うわ、わたしって、めんどくさい女だなあ。
自分で決めなくちゃ駄目だ。それはわかっている。誰も決めてくれないし、誰かが決めたのなんてわたしは気に入らない。
なのに、自分で決めるのが、怖い。
だって……もし駄目だったら? 自分で決めて、間違っていたら? ひどい目にあったら? だったら決めないほうがよかった?
ああもう、わたしはどんな子どもよ。
情けないなあ、と心春はうずくまる。その心春の頭に次から次へと雪が降り積もった。
目を閉じると浮かぶのは猫店長の姿だ。
ふわふわの毛に、うっとりするほど透きとおった瞳。日の光を受けて光る口元のヒゲ。しっとり濡れたピンク色の鼻に、唯一無二のぬくもりと柔らかさを併せ持つ肉球。それから、あのちょっとかすれた落ち着く声。思うほどに会いたくなる。
猫店長、大丈夫かなあ。いまなにをしているかなあ。変身できなくてつらいかなあ。どこか痛いところはないかなあ。
猫店長が猫だとか猫又だとか、人間じゃないとか、そんなのどうでもいい。わたしの中で、いまは紋別さんや斜里さんより、猫店長のほうがずっとずっと大切だ。
ただただいまは──猫店長に会いたいなあ。
紋別はいつも以上に優しい目を向けてくれて、斜里は泣きそうな顔で心春を見てくる。けれど二人とも、返事を急かしたりはしなかった。心春の気持ちを第一優先に考えてくれているようだ。
それだけで、心春にとってはもう、お付き合いするには十分すぎる動機だ。
そもそも心春はいままで、お付き合いをしたことがない。
告白をしてくれるだけでも、そりゃあもう人生一大事だ。しかも二件、立て続けだ。
どっちにすべきか、という問題はあるけれど、どっちとつき合ってもきっと幸せになれそうだ。
──猫店長に出会う前ならば。
「枝幸さーん、この物品、科研費で購入はちょっとどうかなあ。予算を使い切りたいのはわかりますが、この予算、今年度でおしまいのやつですよね。もう二月中旬ですよ。あとひと月で研究成果を出せる物品なの? そもそもちゃんと年度内に納品されるの?」
うわ、と心春は我に返る。部局の事務にいるんだった。そうだった。スチールラックやコンテナはチェックされやすいから研究経費で買うようにっていわれていたっけ。
「す、すみません。研究経費の間違いでした。いますぐ書類を作り直して──」
「本当に間違いなんですか? そりゃ研究経費で処理するのが妥当なんですけど、予算研究に関係ない物品を適当に余りそうな予算のところで購入しちゃおうってことなんじゃ? ウチがうっかり見逃せばラッキーとか」
「そんなこと」
「実情はくみますが、監査が入ってとがめられるのはこっちもなんですよ。ちゃんと該当予算を使ってくれないと困ります。こっちだって研究しやすいように研究者みなさんの環境を整えているわけで。それに──」
まあまあまあ、とほかの会計の人が割って入ってくれる。以後気をつけます、と深々と頭をさげて居室へ戻る。
はああ、と盛大なため息をついて外を見る。相変わらずの雪だ。すっかり日は暮れているのに、積雪と降雪で外はほんのりと明るいほどだった。何気なくネットで気象情報を見ると、これからさらに悪天候になるという。そしてほどなく終業時間だ。
「……しょうがないな。今日はもう、さっさと帰ろうかな。猫店長も心配だし」
そう思って、終業直後に職場を出たのであるが──。
えええ? と心春は胸で叫んで立ち尽くす。
強風が顔や頭に叩きつける。背中にもみるみる雪が積もっていく。あまりの強風にフードからはみ出た自分の髪が頬や鼻に叩きつけて痛いのなんの。息をするのも苦しいほどだ。
こんな暴風雪になるなんて聞いてないんですけどっ。
大学で待機していたほうがよかったかも、と思ったけれどいまさらだ。そういえば、SNSでウチの大学構内で遭難したって人がいて、なんのネタ? って笑ったけれど、笑ってごめんなさい、いままさにわたしが遭難しそうです。これはまさしく、ホワイトアウト。
──わたしって、どうしていつもこんななのかな。
いつも「なんとかなるでしょ」って根拠なく思って突っ走って。どうにもならなくなって、こんなふうに慌てふためく。就活のときもそうだった。
紋別さんのこともそう。早くお返事しなくちゃって思うのに逃げちゃって。斜里さんだって。……そのうち二人からわたしに愛想をつかしてくれればって期待している。でもでも、いざ二人がわたしに興味を失ったら、きっとわたし、ガッカリするんだ。
うわ、わたしって、めんどくさい女だなあ。
自分で決めなくちゃ駄目だ。それはわかっている。誰も決めてくれないし、誰かが決めたのなんてわたしは気に入らない。
なのに、自分で決めるのが、怖い。
だって……もし駄目だったら? 自分で決めて、間違っていたら? ひどい目にあったら? だったら決めないほうがよかった?
ああもう、わたしはどんな子どもよ。
情けないなあ、と心春はうずくまる。その心春の頭に次から次へと雪が降り積もった。
目を閉じると浮かぶのは猫店長の姿だ。
ふわふわの毛に、うっとりするほど透きとおった瞳。日の光を受けて光る口元のヒゲ。しっとり濡れたピンク色の鼻に、唯一無二のぬくもりと柔らかさを併せ持つ肉球。それから、あのちょっとかすれた落ち着く声。思うほどに会いたくなる。
猫店長、大丈夫かなあ。いまなにをしているかなあ。変身できなくてつらいかなあ。どこか痛いところはないかなあ。
猫店長が猫だとか猫又だとか、人間じゃないとか、そんなのどうでもいい。わたしの中で、いまは紋別さんや斜里さんより、猫店長のほうがずっとずっと大切だ。
ただただいまは──猫店長に会いたいなあ。

