リンネはすうっと息を吸い込み、勇気を出して叫んだ。
「――わたしを弟子にしてくださいっ!!!!」
「――今それどころじゃないというのが見てわからないか!?」
一世一代の思いを伝えたリンネに、男は怒りもあらわに叫び返す。
それも当然、彼は今、ナイトバードという巨大な鳥獣に鞍をつけようとして猛烈に反抗を食らっている真っ最中だった。長く強靭な足には、砂を蹴って進むための大きく鋭い鉤爪がついており、ひと蹴り食らえば命にかかわる。
なんとしても蹴りを食らわないようにしながら、男は懸命にナイトバードの背に鞍をとりつけようとするが、分厚い翼で何度も頬を打たれまくっている。
都市の周りを囲む砂漠を短時間で進むには、ナイトバードの足がなくては話にならない。
「クエエエエーッ!! クエェェーーーーッッ!!!」
街の郊外で繋がれていた一頭のナイトバードに男が目をつけたはいいものの、その鳥の気性は最悪だった。甲高い悲鳴をあげ、暴れまくり、男を翼で殴りまくる。
リンネはその光景を目の当たりにしながらも、大きな瞳を潤ませ、「ひっ、くっ」と涙で声を詰まらせた。幼いエルフの少女の頭の中は、さきほど見せられた魔法の光景でいっぱいだった。物心つかないうちに森から追放され、百年間も隠れ回るだけの凡庸な人生の中で、それは初めて打ちあがった大花火だった。
リンネは今まで生きてきた中で、自分がここまで本気の思いを抱いたという経験もなかった。
彼に弟子にとってもらう以外の今後の人生なんて、想像もつかない。また野山にこそこそ住みつづける人生になんて、もう戻りたくない。
どうやったら自分の本気がわかってもらえるのか、リンネは幼い頭で必死に考え、涙ながらに訴えた。
「一生のお願い~~!! さっきの魔法みたいなのわたしも使えるようになりたいっ! ねえ、弟子にしてよっ!! お願いお願いお願い!! 弟子にして弟子にして弟子にして!!」
手足をバタバタさせ、その場で地団太を踏みながらリンネは何度も訴えた。
その必死の訴えに、男はいかにも不機嫌そうに舌打ちをする。彼の腕の中でナイトバードが暴れるたび、バサバサと軽い羽毛が舞い上がり、男の黒いローブを毛だらけにした。
「お前、このどさくさに紛れてYESと言わせようとしてるんじゃないだろうな……!? 今はそんな話をしている場合じゃない! 早くこの鳥をおとなしくさせて街から少しでも離れるんだ!!」
都市警備の主要な戦力である魔導士軍団を退けても、いつ次の追撃が来るかわからない。
男としては一刻も早くこの街を後にし、さらに捜索の困難な夜のうちに隠れ家へと辿り着きたいというところだが、このナイトバードの攻略は一筋縄でいかなさそうだ。
げしっ。鳥の足に強打され、「ぐふッ……!」と男は鞍を落として崩れ落ちる。
爪に引き裂かれるのは避けたが、腰の入った一撃が彼の腹部に襲いかかった。
鞍を取り落とし、しばらく声も立てずに悶絶する。
「ああっ、師匠っ! 大丈夫ですか!?」
「誰が師匠だ! 勝手に話を進めるな……!」
男は蹴られた腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
駆け寄ったリンネは肩を貸そうとしたが、男はそれを断って、自力でようやく二足歩行に戻ると、荒く息をつき、未だに自分を威嚇してくる巨大鳥を睨んだ。
「クソッ……わかった。弟子になりたいと言うなら、まずその話を聞き入れてやってもいい。その前に、あのバカ鳥に言うことを聞かせるのを手伝え」
「えっ、そんなことでいいの?」
「え……?」
苦しげに呻くように男が提案すると、リンネは悲愴だった表情を一気に笑顔に変える。
急にぱっと明るくなった少女の変わり身ぶりにやや呆気にとられる男。
そして、リンネがナイトバードの正面に立つと、そのあまりに無防備な近づき方に「おい、気安く近づくと蹴られるぞ……!」と思わず警戒を呼びかけた。
「よ~しよ~し、びっくりしたね~、怖かったね~、もう大丈夫だよ~」
「クエッ♡ クエッ♡」
驚くべきことに、ナイトバードは少女の前に頭を垂れた。
リンネは長い嘴の付け根を撫で、頭を撫で、長い首筋を撫でた。
その愛撫に狂暴だったナイトバードはすっかり骨抜きにされ、小鳥のような歌声を奏でながらリンネの顔をふわふわの羽毛で包んだ。
「うははっ、くすぐったいよ~!」
「クエ~ッ♡」
「…………。」
「ほら、もう大丈夫だよ! わたしが鞍をつけるから、待っててねっ」
リンネはそう言って落ちていた鞍を抱えると、ナイトバードの背中に回って取り付けようとし始めた。少女の仕草を見て鳥は大きく屈み込み、積極的に手伝おうとすらしていたが、リンネの人間でいえば十才の少女の背丈では、大の大人が騎乗できるサイズのナイトバードの背中になかなか届かない。
男はため息をつき、健闘しているリンネのわきの下に自分の腕を差し入れると、自分の腰の高さまで彼女の身体を持ち上げてやった。
大きな背中に鞍が取り付けられる。そして、落ちないように手綱で固定。
男は鳥の機嫌を損ねないよう、エルフの少女を先に鞍に乗せた。
リンネがナイトバードを宥めている隙に、自身も騎乗する。
「さあっ、しゅっぱーつ!」
「クエ~~!!」
少女の合図にナイトバードは意気軒高と声を上げると、砂地を蹴って疾駆する。
あくまで手綱はリンネが操っている体だが、背中から男がリンネの手を握って制御していた。
都市の郊外を少し離れれば、あっという間に文明のない砂漠が四方に広がって、そこに唯一空から覗く満月が白い砂を照らしている。
夜の砂漠の神秘的な光景が流れていくのを、リンネはかがやく瞳で見つめていた。
「すっごぉ………!」
少し前まで自分が奴隷の扱いを受けていたなんて、信じられない。
世界は今、リンネの目の前ですべてひらかれて、ページをスクロールしていく書物のように、自分の介入を待ち望んでいるとさえ思えた。
それはまったく、今までと世界の様相が変わって見えた。
男は目をかがやかせるリンネの横顔をしばらく黙って見つめていた。
「……まだ名乗ってなかったな」
「えっ?」
「お前は名前も知らない相手に弟子入りしようとしてたのか?」
リンネの驚く声に、男がさも呆れたように言う。
「じゃあ、なんて名前なの?」
切り出しておきながら、男は一瞬ためらうように間を作った。
だが、リンネがその反応を不思議に思い、質問を返そうか迷っているあいだに、彼は息をひとつつき、観念したように、
「クロトだ」
あるいは、覚悟を据えたかのように、言った。
「わたしはリンネ」
「……知ってる。真名はなんと言う」
「真名? エルフの言葉の?」
「そうだ。言いたくなければいいが……」
「リィン=ネーデ・アルカ・ディアーテ」
それを聞いた瞬間、クロトは目を見開いた。
彼女がなんの躊躇もなく開示した真名は、古代から伝わるエルフの言葉だ。
「〝楽園の嬰児〟か……」
生来の住処である世界樹の森を追放される運命にあった子につける名前にしては、やや酷薄なネーミングだと彼は思った。
だが、過酷な運命を背負わされているとは思えない幼い笑顔で、リンネは笑う。
「エルフの名前って、言いにくいよねーっ。だからわたしは自分のことリンネって呼んでるし、そう呼ばれるほうが好きなんだっ!」
「…………そうだろうな」
クロトはゆっくりと頷き、リンネの手をとって手綱を繰った。
どこまでも続くかのような砂漠に、疾駆する巨大鳥の爪が轍となって続いたが、それは吹き上げた夜風が砂を舞い上げ、彼らの足跡をまっさらに消してゆく。
空に浮かぶ満月だけが、男と少女の行く先を見つめていた。
「――わたしを弟子にしてくださいっ!!!!」
「――今それどころじゃないというのが見てわからないか!?」
一世一代の思いを伝えたリンネに、男は怒りもあらわに叫び返す。
それも当然、彼は今、ナイトバードという巨大な鳥獣に鞍をつけようとして猛烈に反抗を食らっている真っ最中だった。長く強靭な足には、砂を蹴って進むための大きく鋭い鉤爪がついており、ひと蹴り食らえば命にかかわる。
なんとしても蹴りを食らわないようにしながら、男は懸命にナイトバードの背に鞍をとりつけようとするが、分厚い翼で何度も頬を打たれまくっている。
都市の周りを囲む砂漠を短時間で進むには、ナイトバードの足がなくては話にならない。
「クエエエエーッ!! クエェェーーーーッッ!!!」
街の郊外で繋がれていた一頭のナイトバードに男が目をつけたはいいものの、その鳥の気性は最悪だった。甲高い悲鳴をあげ、暴れまくり、男を翼で殴りまくる。
リンネはその光景を目の当たりにしながらも、大きな瞳を潤ませ、「ひっ、くっ」と涙で声を詰まらせた。幼いエルフの少女の頭の中は、さきほど見せられた魔法の光景でいっぱいだった。物心つかないうちに森から追放され、百年間も隠れ回るだけの凡庸な人生の中で、それは初めて打ちあがった大花火だった。
リンネは今まで生きてきた中で、自分がここまで本気の思いを抱いたという経験もなかった。
彼に弟子にとってもらう以外の今後の人生なんて、想像もつかない。また野山にこそこそ住みつづける人生になんて、もう戻りたくない。
どうやったら自分の本気がわかってもらえるのか、リンネは幼い頭で必死に考え、涙ながらに訴えた。
「一生のお願い~~!! さっきの魔法みたいなのわたしも使えるようになりたいっ! ねえ、弟子にしてよっ!! お願いお願いお願い!! 弟子にして弟子にして弟子にして!!」
手足をバタバタさせ、その場で地団太を踏みながらリンネは何度も訴えた。
その必死の訴えに、男はいかにも不機嫌そうに舌打ちをする。彼の腕の中でナイトバードが暴れるたび、バサバサと軽い羽毛が舞い上がり、男の黒いローブを毛だらけにした。
「お前、このどさくさに紛れてYESと言わせようとしてるんじゃないだろうな……!? 今はそんな話をしている場合じゃない! 早くこの鳥をおとなしくさせて街から少しでも離れるんだ!!」
都市警備の主要な戦力である魔導士軍団を退けても、いつ次の追撃が来るかわからない。
男としては一刻も早くこの街を後にし、さらに捜索の困難な夜のうちに隠れ家へと辿り着きたいというところだが、このナイトバードの攻略は一筋縄でいかなさそうだ。
げしっ。鳥の足に強打され、「ぐふッ……!」と男は鞍を落として崩れ落ちる。
爪に引き裂かれるのは避けたが、腰の入った一撃が彼の腹部に襲いかかった。
鞍を取り落とし、しばらく声も立てずに悶絶する。
「ああっ、師匠っ! 大丈夫ですか!?」
「誰が師匠だ! 勝手に話を進めるな……!」
男は蹴られた腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
駆け寄ったリンネは肩を貸そうとしたが、男はそれを断って、自力でようやく二足歩行に戻ると、荒く息をつき、未だに自分を威嚇してくる巨大鳥を睨んだ。
「クソッ……わかった。弟子になりたいと言うなら、まずその話を聞き入れてやってもいい。その前に、あのバカ鳥に言うことを聞かせるのを手伝え」
「えっ、そんなことでいいの?」
「え……?」
苦しげに呻くように男が提案すると、リンネは悲愴だった表情を一気に笑顔に変える。
急にぱっと明るくなった少女の変わり身ぶりにやや呆気にとられる男。
そして、リンネがナイトバードの正面に立つと、そのあまりに無防備な近づき方に「おい、気安く近づくと蹴られるぞ……!」と思わず警戒を呼びかけた。
「よ~しよ~し、びっくりしたね~、怖かったね~、もう大丈夫だよ~」
「クエッ♡ クエッ♡」
驚くべきことに、ナイトバードは少女の前に頭を垂れた。
リンネは長い嘴の付け根を撫で、頭を撫で、長い首筋を撫でた。
その愛撫に狂暴だったナイトバードはすっかり骨抜きにされ、小鳥のような歌声を奏でながらリンネの顔をふわふわの羽毛で包んだ。
「うははっ、くすぐったいよ~!」
「クエ~ッ♡」
「…………。」
「ほら、もう大丈夫だよ! わたしが鞍をつけるから、待っててねっ」
リンネはそう言って落ちていた鞍を抱えると、ナイトバードの背中に回って取り付けようとし始めた。少女の仕草を見て鳥は大きく屈み込み、積極的に手伝おうとすらしていたが、リンネの人間でいえば十才の少女の背丈では、大の大人が騎乗できるサイズのナイトバードの背中になかなか届かない。
男はため息をつき、健闘しているリンネのわきの下に自分の腕を差し入れると、自分の腰の高さまで彼女の身体を持ち上げてやった。
大きな背中に鞍が取り付けられる。そして、落ちないように手綱で固定。
男は鳥の機嫌を損ねないよう、エルフの少女を先に鞍に乗せた。
リンネがナイトバードを宥めている隙に、自身も騎乗する。
「さあっ、しゅっぱーつ!」
「クエ~~!!」
少女の合図にナイトバードは意気軒高と声を上げると、砂地を蹴って疾駆する。
あくまで手綱はリンネが操っている体だが、背中から男がリンネの手を握って制御していた。
都市の郊外を少し離れれば、あっという間に文明のない砂漠が四方に広がって、そこに唯一空から覗く満月が白い砂を照らしている。
夜の砂漠の神秘的な光景が流れていくのを、リンネはかがやく瞳で見つめていた。
「すっごぉ………!」
少し前まで自分が奴隷の扱いを受けていたなんて、信じられない。
世界は今、リンネの目の前ですべてひらかれて、ページをスクロールしていく書物のように、自分の介入を待ち望んでいるとさえ思えた。
それはまったく、今までと世界の様相が変わって見えた。
男は目をかがやかせるリンネの横顔をしばらく黙って見つめていた。
「……まだ名乗ってなかったな」
「えっ?」
「お前は名前も知らない相手に弟子入りしようとしてたのか?」
リンネの驚く声に、男がさも呆れたように言う。
「じゃあ、なんて名前なの?」
切り出しておきながら、男は一瞬ためらうように間を作った。
だが、リンネがその反応を不思議に思い、質問を返そうか迷っているあいだに、彼は息をひとつつき、観念したように、
「クロトだ」
あるいは、覚悟を据えたかのように、言った。
「わたしはリンネ」
「……知ってる。真名はなんと言う」
「真名? エルフの言葉の?」
「そうだ。言いたくなければいいが……」
「リィン=ネーデ・アルカ・ディアーテ」
それを聞いた瞬間、クロトは目を見開いた。
彼女がなんの躊躇もなく開示した真名は、古代から伝わるエルフの言葉だ。
「〝楽園の嬰児〟か……」
生来の住処である世界樹の森を追放される運命にあった子につける名前にしては、やや酷薄なネーミングだと彼は思った。
だが、過酷な運命を背負わされているとは思えない幼い笑顔で、リンネは笑う。
「エルフの名前って、言いにくいよねーっ。だからわたしは自分のことリンネって呼んでるし、そう呼ばれるほうが好きなんだっ!」
「…………そうだろうな」
クロトはゆっくりと頷き、リンネの手をとって手綱を繰った。
どこまでも続くかのような砂漠に、疾駆する巨大鳥の爪が轍となって続いたが、それは吹き上げた夜風が砂を舞い上げ、彼らの足跡をまっさらに消してゆく。
空に浮かぶ満月だけが、男と少女の行く先を見つめていた。
