〇中継拠点・雫の部屋・朝
朝日が差し込む部屋。雫、ベッドの上で膝を抱えている。
眠れないまま朝を迎えた顔。
雫モノローグ『透さんの腕に浮かんでいた、黒い紋様』
雫モノローグ『あれは、鬼人の……』
コンコン、とノックの音。
小雪「雫様、おはようございます。朝食のお時間でございます」
雫「い、今行きます!」

〇中継拠点・食堂・朝
大きなテーブル。柊が座って朝食を取っている。
小雪に連れられて、雫が入ってくる。
柊「おはようございます、雫さん」
雫「おはようございます……」
雫、きょろきょろと周りを見る。透の姿がない。
雫「あの……透さんは……?」
柊「大尉なら朝から執務室ですよ。珍しいですね、朝食を抜くなんて」
雫、席に着くが、食事が喉を通らない様子。
柊「体調でも悪いんですかね、大尉」
雫、不安そうに俯く。
大福が雫の足元にやってきて、ニャーンと鳴く。

〇中継拠点・中庭・朝
雫、庭の縁側に座って大福を撫でている。考え込んでいる様子。
小雪がお茶を持ってくる。
小雪「雫様、顔色が優れませんが。お身体に何か不調でも?」
雫「全然大丈夫です! ただ……」
小雪、雫の隣に座る。
小雪「大尉殿のこと、ですか?」
雫「……わかりますか?」
小雪「ええ、なんとなくですが」※柔らかく微笑む
雫「小雪さんは、透さんのこと、どのくらい知っているんですか?」
小雪「私は半年前からお仕えしているだけですので、詳しいことは……」
小雪「ただ、時々お辛そうにされていることは、皆気づいております」
雫「そうなんですか……」
小雪「源蔵さんや柊さんは、もっと昔からのことをご存知だと思いますよ」
足音がして、立花が現れる。
立花「雫様、大尉殿がお呼びです」
雫、胸がドキンと鳴る。

〇中継拠点・透の部屋・朝
雫、扉の前で深呼吸してからノックする。
透「入れ」
透は窓際に立っている。振り返らない。
沈黙。
透「……昨夜は、すまなかった。見苦しいところを見せた」
雫「そんなっ! 謝らないでください。それより……」
雫「お体は大丈夫なんですか?」
透、ゆっくりと振り返る。覚悟を決めたような目。
透「……雫に、話さなければならないことがある」
透、羽織を脱ぎ、着物の上半身をはだける。
雫「っ……!」
透の背中から腕にかけて、黒い紋様が蔦のように広がっている。心臓のあたりを中心に、紋様が脈打つように蠢いている。
雫「これは……」
透「鬼毒だ。3年前、鬼将軍を討った時に感染した」
雫「鬼毒……昨日の鬼人と……」
透「ああ。あと半年もすれば、俺は人でなくなる」

〇回想・3年前の戦場
激しい戦闘。透が巨大な鬼化した将軍と対峙している。
透の刀が鬼将軍の胸を貫く。その瞬間、ガブリと敵が透の腕に噛み付く。
透モノローグ『勝利と引き換えに、俺は呪われた』

〇中継拠点・透の部屋・現在
透、自分の両手を見て自嘲気味な笑顔。
透「もっとも、鬼毒に感染したからこそ戦闘力だけは増した。皮肉な話だが」
透「このことを知っているのは、軍でも一部の者だけだ」
ショックを受けた表情の雫。
雫「私にくださった、手袋にかけた術なら……!」
透「あれは俺の鬼毒を研究する中で生まれた副産物だ」
透「医術も呪術も全て試したさ。だが、あの柊でさえ、進行を遅らせるのが精一杯だと」
雫、透の背中の紋様を見つめる。
透、着物を直す。雫を真っ直ぐに見る。
透「昨日、馬車の中で話した一族のこと、覚えているか」
雫「はい……千年前にいた、特殊な力を持つ人たち……」
透「生まれながらに猛毒を宿し、触れたものを腐らせ、毒を操ることさえできた異能の民だ」
 イメージカット:和装の人々が毒の力を操っている幻想的なシルエット。
透「彼らは"毒喰い"と呼ばれていた。だがその力は恐れられ、やがて迫害されて歴史から消えた」
 イメージカット:炎に包まれる里。悲劇的な滅びの光景。
透「その最大の特徴は、美しい紫の瞳」
雫、ハッとして目を見開く。
透「雫の村の近くには、かつてその里があった。雫……お前は毒喰いの末裔だ」
雫「私が……」
透「そして鬼毒は——毒喰いの力を元に作られたものだ」
雫「……!」
透「毒を以て毒を制す。雫の毒なら、鬼毒を浄化できるかもしれない」
雫、自分の両手を見つめる。
雫モノローグ『化け物だと思っていた私の力で。誰かを救えるかもしれない』
透「森で初めて雫に触れた時、痛みが消えた。それで確信した」
透「雫は俺にとって。唯一の“可能性”だ」
雫、信じられないという表情で。
雫「私が……透さんを助けられるかもしれないと?」
頷き、雫から目を逸らす。
透「……正直に話す」
沈黙。
透「俺が雫を連れ出したのは、毒喰いの力が必要だったからだ。打算がなかったとは言わない」
透「すまなかった」
雫「……」
透「怒っているか」
雫「……いいえ」
透「なぜだ。俺は雫を利用した」
雫「……でも、透さんは。私を、あの場所から救ってくれました」
一つひとつ思い出しながら、優しく笑う雫。
雫「私に、手袋をくれました」
雫「化け物と呼ばれた私に、温もりを教えてくれました」
雫モノローグ『私を人として扱ってくれた。初めて、誰かに必要とされた』
雫モノローグ『それだけで、十分だった』
雫「だから、いいんです。私が透さんの役に立てるなら、これ以上の喜びはありません」
透、驚いた顔をする。
透モノローグ『利用されたと知っても、怒るどころか笑っている』
透モノローグ『他人を赦せるのは、強さの証だ』
透モノローグ『俺にはない強さを、雫は持っている』
透「敵わないな」
雫に頭を下げる。
透「本当にすまなかった。その言葉……感謝する」
透、顔を上げ、窓の外を見る。表情が曇る。
透「だが、もし浄化できなければ——俺は自分で命を絶つ」
雫「……!」
透「人を傷つける化け物になるくらいなら、その前に死ぬ。それが俺の覚悟だ」
雫、立ち上がる。
雫「そんなこと……させません!」
涙を流しながら、透の手を握る。
雫「私の毒は、人を傷つけるだけだと思っていました」
雫「でも、透さんを救えるなら……私の毒には意味がある」
雫モノローグ『ずっと、この力を呪っていた』
雫モノローグ『でももし、私の毒が誰かの助けになるのなら』
雫「だから、勝手に死ぬなんて言わないでください!!」
透「だが、もし浄化できなかったら——」
雫「それでもです」
雫、透の目を真っ直ぐに見つめる。
雫「もし、それでも止められなかったら」
雫「透さんが化け物になるその時は。私がこの手で貴方を殺します」
透、目を見開く。
雫「だから、一人で抱え込まないで。最後まで一緒にいさせてください!」
沈黙。
透モノローグ『一人で死ぬつもりだった。化け物になる前に』
目の前には、涙を流しながらも真剣に透を見上げる雫の顔。
透モノローグ『なのにこの女は、俺の最期を共に背負うと言っている』
透、ふっと笑う。
透「……お前は、本当に変わった女だな」
雫「そうでしょうか?」
透「ああ。俺を殺すと言いながら、泣いている」
雫「だって……透さんに死んでほしくないから」
透、雫の涙を指で拭う。
透「……柊が言っていた。浄化には、より深い接触が効果的だと」
雫「え……?」
透「試してもいいか」
透、雫の顔を両手で包み、そっと唇を重ねる。
雫「——っ」
雫の体が淡く光る。透の背中の黒い紋様が薄くなっていく。
長い一瞬。やがて、透がゆっくりと離れる。
二人とも顔が赤い。
雫「っ……」※顔を真っ赤にして俯く
透「……嫌だったか」
雫「……嫌じゃ、ないです」
透「紋様が薄くなった。やはり毒喰いの力は効くようだ」
気まずい沈黙。
透「……昼食の時間だ。行くぞ」
雫「は、はいっ」
雫、扉に向かう。
透「雫」
雫「はい?」※振り返る
透「……ありがとう」
雫「え……」
透「雫のおかげで、初めて思えた。生きたい、と」
雫、目を見開く。
透「雫と一緒に、生きたい」
雫、涙が溢れそうになる。
雫「……私も、です」
透、ふっと笑う。
透「行くぞ。腹が減った」
雫「……はいっ!」
雫モノローグ『この人を守る。何があっても』
雫モノローグ『それが今の私の、生きる理由』

〇中継拠点・食堂・昼
食堂に皆が集まっている。源蔵、柊、小雪、立花。
透と雫が入ってくる。二人とも妙によそよそしい。
柊「おや、お二人揃ってどうぞ。……ん?」
小雪「雫様、林檎みたいに赤いですよ? 熱でもあるんですか?」
雫「だ、大丈夫です……!」
源蔵、何も言わずにニコニコとお茶を出す。※その顔は全てを察している
食事が始まる。
大福がとことこ歩いてきて、透の足元で止まる。
透「……?」
大福、透の足にすりすりと頭をこすりつける。
柊「え」
柊「大福が大尉に懐いてる……? そんなこと今まで一度も……」
大福、ニャアと鳴いて透を見上げる。
柊、大福に近づいて耳を傾ける。大福がもう一度ニャーンと鳴く。
柊「……ああ、なるほど」※ニヤニヤ
透「何だ」
柊「大尉から雫さんの匂いがするそうです」
透「っ! ごほっ、ごほっ」※咳き込む
雫「っっっ……!」※真っ赤になる
小雪「匂い……?」
柊「大福は雫さんが大好きですからね。雫さんの匂いがする人には懐くみたいで」
柊、わざとらしくニヤニヤ。
柊「よっっぽど近くにいらしたんでしょうね、お二人」
透「……柊、少し黙れ」
源蔵「皆様、食事が冷めますぞ」
雫、顔を真っ赤にしたまま俯いている。
雫(穴があったら入りたい……)
大福、満足そうに透の足元で丸くなる。

〇中継拠点・玄関前・午後
馬車の準備が整っている。
源蔵「大尉殿、準備が整いました」
透「ああ」
雫、頭を下げる。
雫「みなさん、ありがとうございました」
柊「いえいえ。僕たちもここでの仕事が終わったら本邸に戻りますから、またすぐ会えますよ」
小雪「帝都でもお傍におりますから、安心してくださいね」
大福がニャアと鳴いて、雫の足元にすりよる。
雫「大福とも、また会えるんだね」※しゃがんで撫でる
大福、名残惜しそうに雫を見上げる。
透、大福に手を伸ばす。大福、一瞬見て——今度は逃げずに鼻先をつける。
柊「おや。雫さんの匂い効果は絶大ですね」
透「……行くぞ」※ぶっきらぼうに
雫「ふふ」

〇街道・馬車の中・午後
揺れる馬車。向かい合って座る透と雫。
雫、窓の外を眺めながら、そっと透の手に触れる。
透、何も言わずに握り返す。
雫モノローグ『この手を、離したくない』
雫モノローグ『今度は私が、この人を守りたい』
透「……雫」
雫「はい」
透「さっきの話だが。雫に殺されるなら、悪くない」
雫「透さん……」
透「だが、できればそうならないようにしたい」
透、雫の手を取り、手の甲にそっと唇を落とす。
透「お前が俺の最期を背負うと言うのなら」
透「誓おう。この命が続く限り、お前のすべてと共に生きると」
雫、目が潤む。
雫「ありがとう……ございます」
雫、窓の外を見る。
遠くに、大きな街並みが見えてくる。
雫「あれは……」
立ち並ぶ洋館、カフェの看板。楽しそうに笑い声を上げる、洋服を着た女性たち。
雫モノローグ『知らない場所、知らない人たち』
雫、目を輝かせる。
雫モノローグ『でも不思議と怖くはない』
透「ようこそ、帝都へ」
雫モノローグ『透さんが、隣にいるから』

〇街道・後方・同時刻
別の馬車が、透たちの馬車を遠くから追っている。
椿と椿の母が乗っている。
椿「見つけた……」
椿の母「焦るんじゃないよ。まずは軍に話を通さないと」
椿「わかってる」
椿、冷たく笑う。
椿「待ってなさい、雫……もうすぐ迎えに行くから」