「私貴方のこと嫌い」


 俺の幼なじみは笑顔とは裏腹に残酷な言葉を残して離れていった。いつも隣にいて、話してくれて、笑ってくれて。心底腹立たしい。
 いつもより波が情緒を狂わせ、音を鳴らす。
 ならなんで俺に話しかけてきたんだ?嫌いなのならば近づかなければいいのに。俺の前で笑わないでくれたらよかったのに。
 そんな事を口に出してもきっと、今みたいに彼女は背中を向けるだけだろう。
 募る言葉を繋いだ先にあるのは、好きという二文字。彼女に心奪われている自覚はとうにあったくせに、変な自制心で縛られていた。だからこんなにも腹立たしくて、悲しくて、報われなくて。自分がものすごく哀れだ。
 思い返したくもない過去を無理やりと脳に流す。

 彼女と出会ったのは幼稚園生の頃。家が隣になったことで両親が巡り合わせた。
 俺は彼女の両親とかなり話せる仲で、彼女も俺の両親とは良好な関係だったはず。特に親父には心開いていた。
 人か人じゃないか、そんなこと無関係に乱雑。そんな親父と彼女の距離を離すために中学生の頃、よく遊びに連れ出していた。
 体に有り余る傷跡なんて彼女が消してくれた。そのくらい夢中に夢心地だった。
 一緒に風呂に入ったり、だなんて今だったら絶対に考えられないけど。
 でも突然、遊べなくなる日が増えていった。
 心に穴が空く。そんな感覚に溺れた先に待ちわびていたのは親父の死だった。
 泣くことはなかった。母さんも泣いてなかった。ほっとしたのに、周りで飛び交うのは不完全な同情。
 だけどその時嫌な顔一つせず、話を聞いて駆けつけてくれた彼女だけだった。
 その時の彼女は凄く柔らかな笑顔で「そっか、もう大丈夫だよ」今でも鮮明にその声が、繰り返される。

 それでも、好きだったのはおかしかったのだろうか?
 幼いながらに分かっていた。人が死んで笑顔になる事は中々に少ない。

「わかってたよ、愛羅」

 振り向いた彼女の表情は、どこか強ばっていて、それで。

「そうだね。私が貴方の人生めちゃくちゃにしたの」

 思わずその震える小さな、綺麗な手を握りたくなった。

「__私に触らないでっ!」

 俺の手には痺れが走る。

「……汚いの、醜いの!気持ちが悪いの!優くんは私に触れたらダメなの!」

 自分の体を切り裂く勢いで吹き出した彼女の声。その声はとても美しくて、心の奥底からの情に彩られていて。

「触れることを選ぶのは俺だ。愛羅が決めることじゃない」

 潮風に煽られた彼女のワンピースが、彼女の足元で踊り続ける。

「私は……汚いよ。だって人殺しだよ?貴方のお父さんを殺すことを選んだんだよ?私は」

 その目に浮かぶのは温かい笑みではなく、大粒の涙。それがさらりと頬を伝って地面の色を変える。

「その綺麗な手を、心を苦しむほど蝕んだのは俺のせいでもあるのに。それでも、触れる資格はないの?」

 正直、あの時嬉しかった。大丈夫だってことを綺麗事じゃなくて、現実にしてくれたから。

「私は!優くんの事好きなの……ずっと好きなの。こんな醜い人間にこれ以上近づくと優くんを、壊しちゃう」

「そんなのとっくに壊れてる。愛羅と会った時からずっと。それでも傍に居ることを選んでたのは愛羅でもない、俺自身だった」

 再度握った手はさっきよりも、遥かに震えていた。俺はこんな罪のない彼女を汚してしまったんだ。

「……生涯を掛けて幸せにする。愛羅が汚いのなら、汚してしまった俺はもっと汚いんだから」

 地べたにへたり込む彼女の手を離さず、指先に触れるだけキスをする。汚れた手で恋人繋ぎ。伝わってくる温もりが俺の醜さを露わにした。

 きっと、この世界で、この手を繋ぎ続けられるのは俺だけ。彼女だけ。