信頼と勇気のゲーム。耳障りのいいことを言っているが、嫌な予感しかしない。
――私と、葉流さんが会話ができる状態だったのは……偶然じゃなかったってことなんだろうけど。
話したかんじ、彼は頼りになりそうだし、まともな人間であるように思える。ただ、まだ壁越しで顔を見ているわけでもないし、本当にプロフィールで嘘をついていないとも限らない。少し話しただけで「信頼しろ」というのは少々無茶がすぎるのではないか。いや、これが他の人達にも同時進行で課せられているゲームなら、それこそもっと相性の合わないペアもいるかもしれないのだ。
いや。逆に、犬猿の仲の“知り合い同士”で組まされた方が最悪かもしれない。こんな、人と人とも思わないようなテロリスト連中が、“わざと”そういう組み合わせでゲームをさせないとは到底言いきれないのだから。
――何を、させる気なの?
逢花の背筋を、冷たい汗が伝う。次の瞬間、ガコン!と何かが外れるような大きな音が響いた。ごごごご、と低い地響きのようなものが部屋を震わせる。まるで、大掛かりな装置が作動したかのような。
『二つの部屋は、セットになっておりマス。皆様は、RPGのゲームなどはプレイされたことがありますでしょうカ?囚われの姫を、勇者が助けに行くシチュエーションは昔からの王道でございマス。姫は勇者を信じて、魔王の城で恐怖を耐え忍ぶことが要求サレ、勇者は過酷な試練を乗り越えて夢を助け出す勇気と努力が求められマス。……まさに、その精神こそ、我ら“アランサの使徒”が求める戦士の素質と言えまショウ』
故に、とアナウンスは続ける。
『皆様にも、姫と勇者を演じて頂きたいのデス。片方は、恐怖に耐え忍ぶ姫の部屋。もう片方は、その姫を助けるための勇気が求められる勇者の部屋となっているのデス。勇者の部屋には、青いボタンが壁に備え付けられていると思いマス。確認してくだサイ』
地響きは相変わらず続いているが、さほど大きな振動ではない。立ち上がって壁をよく観察する逢花だったが、自分の部屋にボタンらしきものは見つからなかった。ということは、こっちが“姫の部屋”なのだろうか。恐怖に耐え忍ぶとはどういうことなのだろう。
「青いボタン、ありましたよ逢花さん!こっちが勇者の部屋のようですね」
壁の向こうから、葉流の声が聞こえてくる。どうやら、彼が勇者の部屋で間違いないようだ。
『これから、姫の部屋ではある仕掛けが作動しマス。一定時間が過ぎると、姫の命を奪う仕掛けデス』
「……は?」
『助ける方法はただ一つ。勇者の部屋の者が、ボタンを押すことデス。そうすれば仕掛けは止まり、さらに部屋のドアが開き、姫の部屋の人間は脱出することができマス。ただし、青いボタンを押すと勇者の部屋にはモンスターが出現しマス。勇者はモンスターを倒すまで、部屋から脱出することができまセン。ちなみに勇者は、姫の仕掛けが完了して部屋の人間が死ぬと、自動でドアが開いて脱出することができマス。その場合、モンスターは出現しまセン』
それって、と逢花は青ざめる。
つまり、勇者の部屋の住人は、姫の部屋の住人を見捨てて自分だけ脱出することもできるということではないか。
いや、逆も可能ではある。勇者の部屋の住人がボタンを押して、姫の部屋の住人が脱出する。そのまま姫の部屋の住人は、勇者がモンスターを倒すのをサポートすることもなく、そのまま彼を見捨てて逃げることもできるわけだ。
二人ともが生き残る方法は、ただ一つ。
勇者の部屋の人間が青いボタンを押し、かつモンスターを倒して部屋から逃げのびることだけ。
――そ、そんなの……!
よっぽど信頼関係が築かれていなければ、できっこないではないか。モンスターというのが何なのかはわからないが、この流れでどうして簡単に倒せる雑魚が出てくるなんて思えるだろう。
『どのようなモンスターなのかは、今から短いムービーをお見せしますので、ご参考になさってくだサイ』
どうやら、事前に資料は見せてくれるつもりらしい。ぱっと、部屋の壁にプロジェクターのように映像が映し出された。やや不鮮明だが、どうやらどこかのビルの映像のようだ。紺色のブレザー姿の数名の少女達が、一心不乱に逃げている。高校生くらい、だろうか。残念ながら、逢花にとっては中学生も高校生も“年上の大人っぽい”人達という認識であまり代わりがない。こんな荒い映像で、それを見分けることは困難だった。
『ああっ!』
少女の一人が、足をもつれさせて転倒した。その瞬間、その背中にぬうっと大きな手が伸びるのが見える。
そう、手。
だが人間の手ではありえない色をしていた。灰色で、まるで人形か何かのよう。サイズも規格外だ。少女の胴体を、片手で掴みあげられるほどなのだから。
『いやあああ!離して、離してえ!』
『み、ミカちゃん!』
『やだ、やだやだやだ、死にたくない、死にたくない!』
呆然とする仲間の少女達の前で、彼女はばたばたと暴れている。カメラの位置が悪いのか、画面には巨大な手と暴れる少女の姿しか殆ど映り込んでいなかった。手の持ち主は、少女の肩のあたりと太ももの辺りを掴むと、恐ろしいことにぐいぐいと左右に引っ張り始める。
『いだいっ!いだいいいい!ちぎれちゃう、ちぎれちゃううう!やめて、お願い、やめてよおおお!』
彼女は激痛に泣き叫び、必死で自分の体を掴む腕を引きはがそうとするが叶わない。仲間たちも何もできず、見守ることしかできないようだった。そして。
ぶちり、ともごきり、ともつかぬ嫌な音が。
『ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
逢花は思わず目を瞑ってしまったので、その刹那を見ることはなかった。ただ、ずん、という低い物音とともに目を空ければ、血まみれの怪物が“少女だったもの”の破片を踏みつけながらカメラの前を通過していくところであったのである。
今度ははっきりと、その姿が見えた。黒々とした、光のないぎょろんとした眼。灰色の巨体を持つ、全裸の巨人。頭はつるりと頭髪がなく、性器らしきものも存在しないようだった。明らかに人間ではない、別のナニカ。怪力で少女を引きちぎって殺した怪物は、カメラの前を通る時はっきりとこちらを見たのである。
にいい、と。巨大な口を三日月型にして、そいつは嗤っているように見えた。その口の中から、ギザギザの鮫のような歯を覗かせながら。
――ま、まさか、これが。
これが、モンスター。
思わず、逢花はその場に尻もちをついていた。まさかこんなものに、この狭い部屋で、たった一人で勝てというのか。そんなの、無茶に決まっている。いくら、ブレスレットの特殊能力が与えられているからといって、そんな。
『これが、我らが主から与えられし知の結晶、“罪喰い”。人の悪意に魅かれ、悪意を喰らうモンスターデス』
残酷な映像はいつの間にか終わっていた。アナウンスは何事もないかのように話を続ける。
『今回勇者の部屋に出現するのは、一体のみでございマス。……お待たせしました、ゲームを開始しまショウ。皆様の健闘を祈りマス』
壁の向こうから、声は聞こえない。葉流も同じ映像を見せられているはずだった。きっと絶句しているのだろう――逢花と同じように。
今のが特撮のような、作られた映像とは到底思えなかった。人がバケモノによって、紙切れを引きちぎるように殺された。そんなものと戦えと言われて、足がすくまない人間がいるだろうか。
もし自分だったら、と逢花は思う。自分だったらきっと、ボタンを押す勇気なんか出ない。あんなものに勝てる自信なんて、ない。でも。
――ボタンを押さなければ、姫の部屋の人間が、死ぬ。
そしてこの場合。勇気を試されるのは逢花ではなく、葉流。
葉流がボタンを押してくれなければ、逢花は。
「ひっ」
それは、重低音と共に動き出した。部屋の中の左右のコンクリートの壁が、同時に動き始めたのである。そう――ゆっくりと、しかし確実に中央に向かって。
――ま、まさか。姫の部屋の住人が死ぬ仕掛けの正体って……!
このまま壁が動き続けたら、何が起きるかなど明らかだった。逢花は壁に押し潰されてしまう。そして、逃げ場はない。なんせ檻の鍵はしまっているのだから。
「い、嫌!嫌あ!」
何で、こんなところで死ななければいけないのか。逢花は目の前が真っ暗になった。葉流の証言が本当なら彼もまだ中学生の子供である。どんな能力を持っているのかまだ聞いていないが、多少強力な異能力があったとてあんな怪物に一人で立ち向かえるとは到底思えない。彼が、ボタンを押してくれると無邪気に信じられるほど、逢花は幼くはなかった。
『残り、3メートルデス』
じりじりと迫ってくる、壁。アナウンスは無情にも、残りの“距離”を伝えてくる。
なんとか、自力で助かる方法はないのか。檻の鉄格子をぐいぐいと引っ張り、中央の扉を開けようと必死になる逢花。しかし、いくら逢花が同年代の少女達と比べて腕力や体力があっても、鋼鉄を相手にねじ切ったり外すような真似ができるはずもない。試しに体当たりをしてみたが、肩が痛くなっただけで終わった。
本当の本当に、この相手は自分を殺すつもりなのだ。勇者の部屋の人間が、青いボタンを押してくれない限りは!
――やだ、やだやだやだ!こんな、こんな死に方なんかしにたくない!
押し潰されるのは、どれほどの痛みだろう。頭が最初に割れるならあっさり死ねるかもしれないが、きっとそんな簡単な話ではないに違いない。多分胸やお尻のあたりからぐいぐい潰されて、肋骨や骨盤が折れる激痛を味わうことになるのだ。全身の骨が砕かれて、内臓が潰れて、息もできなくなって。そんな地獄の苦しみの中で死んでいかなくちゃいけないほど、自分は悪い事でもしたのだろうか。
ただ、普通に小学生をしていただけなのに。
ただ、弟を探しにお化け屋敷に来ただけだったのに、どうして!
――葉流さんの、声がしない。本当に、本当に私を。
隣の部屋が、さっきから沈黙しているのが不気味で仕方ない。彼は一体何を考えているのだろう。やっぱり自分を見捨てるために、時間を食いつぶしているだけなのだろうか。
『残り、2メートルデス』
確かめる方法は、ある。もし、それを行って本当に彼の冷酷な本性を知ってしまったら、自分は本当に何も信じられないまま死ぬしかなくなってしまうではないか。やるべきか、やらないべきか。でも。
――このまま、じりじりと恐怖の中で、死んでいくなんて……!
手は、勝手にブレスレットへと伸びていた。使い方は、簡単。ただ赤い宝石横のボタンを押して、その能力名を唱えるだけでいいらしい。そっと指でボタンを押しこみ、能力名を表示させる。そして。
「ね……“念話”」
説明通りなら、恐らく壁の向こうの葉流に思念を届けることも、彼の心の声を聴くこともできるはずだ。葉流のことを考えながら単語を唱え、逢花は助けを求めていた。
――お願い葉流さん、助けて、助けてっ……え?
五秒間。たった五秒間だ。しかし己の心の声が届くのと同時に、頭の中に聞こえてきた葉流の声に、逢花は目を見開いていた。
『映像を出してきたあたり、アレとほぼ同じモンスターを出してくるのは間違いない。なら、その弱点は……』
葉流は、考えていた。
モンスターを倒す方法を、ずっと無言で。
それは、つまり。
「……今、何か能力を使いました?」
ようやく、壁の向こうで葉流が発言する。
「すみません、少し思考をまとめるのに時間がかかってしまいました。あの怪物を倒す方法をシミュレートしてたんです」
「そ、それって」
「お待たせしてすみません。怖い思いをさせてしまいましたね。……一つだけ、約束していただいてもいいですか?」
彼は、逢花を助けるために考え込んでいたのだ。本当は。
「できれば、部屋から出たところで待っていて頂けると嬉しいです。……僕も、心細いので」
本当は彼だって、怖くないわけではなかったのに。
『残り、1メートルデス』
「も、勿論!待ってる、絶対待ってるから!」
逢花が叫ぶと、ありがとうございます、とお礼が聞こえた。
次の瞬間。
『残り――』
アナウンスが、中途半端に止まった。もはやすぐそこまで迫っていた壁の動きが、重たい音と共に停止する。
「あ……!」
壁の向こうから、巨大な何かが落下するような地響き。そして、狼とも怪獣ともつかぬような雄叫びが聞こえた。ああ、葉流が。ボタンを押してくれたのだ――初対面の逢花を助ける、そのために。
――葉流さん……っ!
あんな怪物に、たった一人で立ち向かう覚悟を決めてくれたのである。ガキン!と何かが外れるような音がして、檻の扉が外側に向かって開いていった。逢花はすっかり狭くなってしまった壁の隙間をそろそろとと進み、出口の方へと向かう。仕掛けは止まったが、元通り壁を開けてくれるつもりはないらしい。それこそギリギリの幅で止まったら、姫の部屋の住人も挟まって出られないまま終わっていたのではなかろうか。
隣の部屋からは派手に暴れるような音、倒れるような音などが聞こえてくる。一体どんな戦いが繰り広げられているのだろう。
待っている、と約束したのは自分だ。そもそも命の恩人を見捨てる選択などあろうはずもない。
――は、早く!早く、外へ!
廊下に出るまでが、やけに長く感じられた。逢花は、全身から力が抜けるのを感じつつ、灰色の廊下へと這い出す。
見ればなるほど、隣室は少し距離を開けてすぐの場所にあったようだ。彼はどうなったのか。化け物に勝てたのか。足腰に力が入らず、這いずるようにして隣の部屋の前まで行く。そして。
「葉流さん!」
逢花が見たのは。少年を押し倒すようにして、血を噴出しながら倒れていく怪物。そしてその下から這い出してくる少年の姿だった。
紺色の髪に眼鏡。ブレザーらしき制服を纏った少年は、思っていたよりもずっと幼い見目をしている。
「げほっ……ああ、うまくいってよかった」
怪物のものか、本人のものかもつかぬ血にまみれた彼は。廊下で待つ逢花を見て、ほっとしたように息を吐いた。女の子のように繊細で綺麗な顔が、僅かに笑みらしきものを乗せる。
「こんな姿ですみません。あなたが、西嶋逢花さんですね?僕が、海原葉流です」
はじめまして。そう言いながら牢屋から出てきた彼に――逢花は返り血がつくのも構わず縋りついて、泣きだしていたのだった。
――私と、葉流さんが会話ができる状態だったのは……偶然じゃなかったってことなんだろうけど。
話したかんじ、彼は頼りになりそうだし、まともな人間であるように思える。ただ、まだ壁越しで顔を見ているわけでもないし、本当にプロフィールで嘘をついていないとも限らない。少し話しただけで「信頼しろ」というのは少々無茶がすぎるのではないか。いや、これが他の人達にも同時進行で課せられているゲームなら、それこそもっと相性の合わないペアもいるかもしれないのだ。
いや。逆に、犬猿の仲の“知り合い同士”で組まされた方が最悪かもしれない。こんな、人と人とも思わないようなテロリスト連中が、“わざと”そういう組み合わせでゲームをさせないとは到底言いきれないのだから。
――何を、させる気なの?
逢花の背筋を、冷たい汗が伝う。次の瞬間、ガコン!と何かが外れるような大きな音が響いた。ごごごご、と低い地響きのようなものが部屋を震わせる。まるで、大掛かりな装置が作動したかのような。
『二つの部屋は、セットになっておりマス。皆様は、RPGのゲームなどはプレイされたことがありますでしょうカ?囚われの姫を、勇者が助けに行くシチュエーションは昔からの王道でございマス。姫は勇者を信じて、魔王の城で恐怖を耐え忍ぶことが要求サレ、勇者は過酷な試練を乗り越えて夢を助け出す勇気と努力が求められマス。……まさに、その精神こそ、我ら“アランサの使徒”が求める戦士の素質と言えまショウ』
故に、とアナウンスは続ける。
『皆様にも、姫と勇者を演じて頂きたいのデス。片方は、恐怖に耐え忍ぶ姫の部屋。もう片方は、その姫を助けるための勇気が求められる勇者の部屋となっているのデス。勇者の部屋には、青いボタンが壁に備え付けられていると思いマス。確認してくだサイ』
地響きは相変わらず続いているが、さほど大きな振動ではない。立ち上がって壁をよく観察する逢花だったが、自分の部屋にボタンらしきものは見つからなかった。ということは、こっちが“姫の部屋”なのだろうか。恐怖に耐え忍ぶとはどういうことなのだろう。
「青いボタン、ありましたよ逢花さん!こっちが勇者の部屋のようですね」
壁の向こうから、葉流の声が聞こえてくる。どうやら、彼が勇者の部屋で間違いないようだ。
『これから、姫の部屋ではある仕掛けが作動しマス。一定時間が過ぎると、姫の命を奪う仕掛けデス』
「……は?」
『助ける方法はただ一つ。勇者の部屋の者が、ボタンを押すことデス。そうすれば仕掛けは止まり、さらに部屋のドアが開き、姫の部屋の人間は脱出することができマス。ただし、青いボタンを押すと勇者の部屋にはモンスターが出現しマス。勇者はモンスターを倒すまで、部屋から脱出することができまセン。ちなみに勇者は、姫の仕掛けが完了して部屋の人間が死ぬと、自動でドアが開いて脱出することができマス。その場合、モンスターは出現しまセン』
それって、と逢花は青ざめる。
つまり、勇者の部屋の住人は、姫の部屋の住人を見捨てて自分だけ脱出することもできるということではないか。
いや、逆も可能ではある。勇者の部屋の住人がボタンを押して、姫の部屋の住人が脱出する。そのまま姫の部屋の住人は、勇者がモンスターを倒すのをサポートすることもなく、そのまま彼を見捨てて逃げることもできるわけだ。
二人ともが生き残る方法は、ただ一つ。
勇者の部屋の人間が青いボタンを押し、かつモンスターを倒して部屋から逃げのびることだけ。
――そ、そんなの……!
よっぽど信頼関係が築かれていなければ、できっこないではないか。モンスターというのが何なのかはわからないが、この流れでどうして簡単に倒せる雑魚が出てくるなんて思えるだろう。
『どのようなモンスターなのかは、今から短いムービーをお見せしますので、ご参考になさってくだサイ』
どうやら、事前に資料は見せてくれるつもりらしい。ぱっと、部屋の壁にプロジェクターのように映像が映し出された。やや不鮮明だが、どうやらどこかのビルの映像のようだ。紺色のブレザー姿の数名の少女達が、一心不乱に逃げている。高校生くらい、だろうか。残念ながら、逢花にとっては中学生も高校生も“年上の大人っぽい”人達という認識であまり代わりがない。こんな荒い映像で、それを見分けることは困難だった。
『ああっ!』
少女の一人が、足をもつれさせて転倒した。その瞬間、その背中にぬうっと大きな手が伸びるのが見える。
そう、手。
だが人間の手ではありえない色をしていた。灰色で、まるで人形か何かのよう。サイズも規格外だ。少女の胴体を、片手で掴みあげられるほどなのだから。
『いやあああ!離して、離してえ!』
『み、ミカちゃん!』
『やだ、やだやだやだ、死にたくない、死にたくない!』
呆然とする仲間の少女達の前で、彼女はばたばたと暴れている。カメラの位置が悪いのか、画面には巨大な手と暴れる少女の姿しか殆ど映り込んでいなかった。手の持ち主は、少女の肩のあたりと太ももの辺りを掴むと、恐ろしいことにぐいぐいと左右に引っ張り始める。
『いだいっ!いだいいいい!ちぎれちゃう、ちぎれちゃううう!やめて、お願い、やめてよおおお!』
彼女は激痛に泣き叫び、必死で自分の体を掴む腕を引きはがそうとするが叶わない。仲間たちも何もできず、見守ることしかできないようだった。そして。
ぶちり、ともごきり、ともつかぬ嫌な音が。
『ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
逢花は思わず目を瞑ってしまったので、その刹那を見ることはなかった。ただ、ずん、という低い物音とともに目を空ければ、血まみれの怪物が“少女だったもの”の破片を踏みつけながらカメラの前を通過していくところであったのである。
今度ははっきりと、その姿が見えた。黒々とした、光のないぎょろんとした眼。灰色の巨体を持つ、全裸の巨人。頭はつるりと頭髪がなく、性器らしきものも存在しないようだった。明らかに人間ではない、別のナニカ。怪力で少女を引きちぎって殺した怪物は、カメラの前を通る時はっきりとこちらを見たのである。
にいい、と。巨大な口を三日月型にして、そいつは嗤っているように見えた。その口の中から、ギザギザの鮫のような歯を覗かせながら。
――ま、まさか、これが。
これが、モンスター。
思わず、逢花はその場に尻もちをついていた。まさかこんなものに、この狭い部屋で、たった一人で勝てというのか。そんなの、無茶に決まっている。いくら、ブレスレットの特殊能力が与えられているからといって、そんな。
『これが、我らが主から与えられし知の結晶、“罪喰い”。人の悪意に魅かれ、悪意を喰らうモンスターデス』
残酷な映像はいつの間にか終わっていた。アナウンスは何事もないかのように話を続ける。
『今回勇者の部屋に出現するのは、一体のみでございマス。……お待たせしました、ゲームを開始しまショウ。皆様の健闘を祈りマス』
壁の向こうから、声は聞こえない。葉流も同じ映像を見せられているはずだった。きっと絶句しているのだろう――逢花と同じように。
今のが特撮のような、作られた映像とは到底思えなかった。人がバケモノによって、紙切れを引きちぎるように殺された。そんなものと戦えと言われて、足がすくまない人間がいるだろうか。
もし自分だったら、と逢花は思う。自分だったらきっと、ボタンを押す勇気なんか出ない。あんなものに勝てる自信なんて、ない。でも。
――ボタンを押さなければ、姫の部屋の人間が、死ぬ。
そしてこの場合。勇気を試されるのは逢花ではなく、葉流。
葉流がボタンを押してくれなければ、逢花は。
「ひっ」
それは、重低音と共に動き出した。部屋の中の左右のコンクリートの壁が、同時に動き始めたのである。そう――ゆっくりと、しかし確実に中央に向かって。
――ま、まさか。姫の部屋の住人が死ぬ仕掛けの正体って……!
このまま壁が動き続けたら、何が起きるかなど明らかだった。逢花は壁に押し潰されてしまう。そして、逃げ場はない。なんせ檻の鍵はしまっているのだから。
「い、嫌!嫌あ!」
何で、こんなところで死ななければいけないのか。逢花は目の前が真っ暗になった。葉流の証言が本当なら彼もまだ中学生の子供である。どんな能力を持っているのかまだ聞いていないが、多少強力な異能力があったとてあんな怪物に一人で立ち向かえるとは到底思えない。彼が、ボタンを押してくれると無邪気に信じられるほど、逢花は幼くはなかった。
『残り、3メートルデス』
じりじりと迫ってくる、壁。アナウンスは無情にも、残りの“距離”を伝えてくる。
なんとか、自力で助かる方法はないのか。檻の鉄格子をぐいぐいと引っ張り、中央の扉を開けようと必死になる逢花。しかし、いくら逢花が同年代の少女達と比べて腕力や体力があっても、鋼鉄を相手にねじ切ったり外すような真似ができるはずもない。試しに体当たりをしてみたが、肩が痛くなっただけで終わった。
本当の本当に、この相手は自分を殺すつもりなのだ。勇者の部屋の人間が、青いボタンを押してくれない限りは!
――やだ、やだやだやだ!こんな、こんな死に方なんかしにたくない!
押し潰されるのは、どれほどの痛みだろう。頭が最初に割れるならあっさり死ねるかもしれないが、きっとそんな簡単な話ではないに違いない。多分胸やお尻のあたりからぐいぐい潰されて、肋骨や骨盤が折れる激痛を味わうことになるのだ。全身の骨が砕かれて、内臓が潰れて、息もできなくなって。そんな地獄の苦しみの中で死んでいかなくちゃいけないほど、自分は悪い事でもしたのだろうか。
ただ、普通に小学生をしていただけなのに。
ただ、弟を探しにお化け屋敷に来ただけだったのに、どうして!
――葉流さんの、声がしない。本当に、本当に私を。
隣の部屋が、さっきから沈黙しているのが不気味で仕方ない。彼は一体何を考えているのだろう。やっぱり自分を見捨てるために、時間を食いつぶしているだけなのだろうか。
『残り、2メートルデス』
確かめる方法は、ある。もし、それを行って本当に彼の冷酷な本性を知ってしまったら、自分は本当に何も信じられないまま死ぬしかなくなってしまうではないか。やるべきか、やらないべきか。でも。
――このまま、じりじりと恐怖の中で、死んでいくなんて……!
手は、勝手にブレスレットへと伸びていた。使い方は、簡単。ただ赤い宝石横のボタンを押して、その能力名を唱えるだけでいいらしい。そっと指でボタンを押しこみ、能力名を表示させる。そして。
「ね……“念話”」
説明通りなら、恐らく壁の向こうの葉流に思念を届けることも、彼の心の声を聴くこともできるはずだ。葉流のことを考えながら単語を唱え、逢花は助けを求めていた。
――お願い葉流さん、助けて、助けてっ……え?
五秒間。たった五秒間だ。しかし己の心の声が届くのと同時に、頭の中に聞こえてきた葉流の声に、逢花は目を見開いていた。
『映像を出してきたあたり、アレとほぼ同じモンスターを出してくるのは間違いない。なら、その弱点は……』
葉流は、考えていた。
モンスターを倒す方法を、ずっと無言で。
それは、つまり。
「……今、何か能力を使いました?」
ようやく、壁の向こうで葉流が発言する。
「すみません、少し思考をまとめるのに時間がかかってしまいました。あの怪物を倒す方法をシミュレートしてたんです」
「そ、それって」
「お待たせしてすみません。怖い思いをさせてしまいましたね。……一つだけ、約束していただいてもいいですか?」
彼は、逢花を助けるために考え込んでいたのだ。本当は。
「できれば、部屋から出たところで待っていて頂けると嬉しいです。……僕も、心細いので」
本当は彼だって、怖くないわけではなかったのに。
『残り、1メートルデス』
「も、勿論!待ってる、絶対待ってるから!」
逢花が叫ぶと、ありがとうございます、とお礼が聞こえた。
次の瞬間。
『残り――』
アナウンスが、中途半端に止まった。もはやすぐそこまで迫っていた壁の動きが、重たい音と共に停止する。
「あ……!」
壁の向こうから、巨大な何かが落下するような地響き。そして、狼とも怪獣ともつかぬような雄叫びが聞こえた。ああ、葉流が。ボタンを押してくれたのだ――初対面の逢花を助ける、そのために。
――葉流さん……っ!
あんな怪物に、たった一人で立ち向かう覚悟を決めてくれたのである。ガキン!と何かが外れるような音がして、檻の扉が外側に向かって開いていった。逢花はすっかり狭くなってしまった壁の隙間をそろそろとと進み、出口の方へと向かう。仕掛けは止まったが、元通り壁を開けてくれるつもりはないらしい。それこそギリギリの幅で止まったら、姫の部屋の住人も挟まって出られないまま終わっていたのではなかろうか。
隣の部屋からは派手に暴れるような音、倒れるような音などが聞こえてくる。一体どんな戦いが繰り広げられているのだろう。
待っている、と約束したのは自分だ。そもそも命の恩人を見捨てる選択などあろうはずもない。
――は、早く!早く、外へ!
廊下に出るまでが、やけに長く感じられた。逢花は、全身から力が抜けるのを感じつつ、灰色の廊下へと這い出す。
見ればなるほど、隣室は少し距離を開けてすぐの場所にあったようだ。彼はどうなったのか。化け物に勝てたのか。足腰に力が入らず、這いずるようにして隣の部屋の前まで行く。そして。
「葉流さん!」
逢花が見たのは。少年を押し倒すようにして、血を噴出しながら倒れていく怪物。そしてその下から這い出してくる少年の姿だった。
紺色の髪に眼鏡。ブレザーらしき制服を纏った少年は、思っていたよりもずっと幼い見目をしている。
「げほっ……ああ、うまくいってよかった」
怪物のものか、本人のものかもつかぬ血にまみれた彼は。廊下で待つ逢花を見て、ほっとしたように息を吐いた。女の子のように繊細で綺麗な顔が、僅かに笑みらしきものを乗せる。
「こんな姿ですみません。あなたが、西嶋逢花さんですね?僕が、海原葉流です」
はじめまして。そう言いながら牢屋から出てきた彼に――逢花は返り血がつくのも構わず縋りついて、泣きだしていたのだった。



