デッドエンド・シンフォニー

 結論を言えば。
 駒村礼子は、何があっても冷静さを失ってはいけなかった――つまりそういうことである。
 何故なら彼女は、アランサの使徒の幹部。参加者全員に、どんな能力が配布されたのかを熟知していたし、その能力のクセも十分に理解していたはずだった。この“最終試練”に関しても、参加者と比べて大きなアドバンテージがあったことだろう。彼女が今回のゲームにしゃしゃり出てきたのも、参加者と直接戦いたがっていたのも、自分が絶対的に優位の立場で事を運べると確信していたからに他なるまい。
 何が言いたいのかと言えば。彼女は当然のように、葉流の持っている能力に関しても知っていたはずであったのである。分かっていたからこそ、本来葉流相手に致命的なダメージを与えることは避けるべきだった。何故なら、彼の能力は。

「……だから、私に能力を教えたくなかったんだ」

 海原葉流の能力は、“報復”。自分が受けたダメージを、そのまま相手に移し替える能力。
 逢花はそれを知って、全部納得できてしまった。何故、怪物と戦った後、無傷であるはずの葉流が血まみれであったのか。あれは全部、彼自身の血であったのである。彼は怪物に反射することを前提にして、わざと致命傷を受けた。むしろ、彼の能力はそうすることでしか相手に大きな傷を負わせることができないものである。
 つまり、死ぬ覚悟を常に負わなければいけない。その苦痛も、何もかも含めて。一歩間違えれば、ブレスレットの能力を発動させる前に即死だ。少なくとも、腕が動かなかったり喉を潰されてしまっていたりしたら、発動させることができなくなってしまうのだから。
 そう、それを知ったら逢花が負い目を感じるから。彼はギリギリまで、己の能力の正体を伏せていたかったのだろう。

「……俺達、騙された参加者に襲われたんだけどさ」

 再度合流した時、一度はシャワーも浴びて着替えたはずの葉流が、再び血まみれになっていた。つまり、そういうことだろう。

「その時、葉流さん俺のこと、ほんと迷いもせずに庇ったんだよ。で、体中ズタズタにされた。そりゃ、反射能力を使うためにはそうするしかなかったんだろうけどさ。……あんなの、ただ“恩を売りたいだけ”とか、そんなんでできることじゃないよ。だって、本当に死ぬかもしれないんだぜ?俺見捨てて、一人で逃げた方が絶対早かったのに」
「小さな男の子一人見捨てて逃げたら恥さらしもいいとこじゃないですか、却下です」
「ほら見ろこう言う」

 こういう人だよ、と逢知が少々呆れたように言う。彼が、“葉流は絶対裏切ったりしない”と確信を持てたのは、こういうことだったわけだ。そりゃ、命がけで庇われて救われたら、そう信じるのも当然だろう。

「すみません、隠していて」

 葉流の足元では、胸に大穴を空けた礼子がぴくぴくと痙攣している。まだ生きているのが奇跡なほどの傷だった。さすがにこれはもう、“蘇生”の能力者でもない限り助かるのは難しいだろう。

「この女が言ったことは、途中までは正しいです。僕は、アランサの使徒の戦士の一人ということにはなってますから。……ただし、今回とは別のゲームを生き残ったせいで、仲間ともども勝手に“戦士”ということにされておうちに帰して貰えなかったってだけなんですけど」
「それで、ゲスト参加する羽目になっちゃった私のパートナーに?」
「はい。急遽僕だけが呼ばれて、参加することになりました。組織が、貴女が死んでもいいと思っているのは明白だったので、全力で抵抗させてもらいましたよ。なるべく貴女が生き残るように手を尽くしたつもりです。……事前にゲームの情報の多くを知っていたせいで、あらぬ疑心暗鬼を抱かせてしまったようで……本当に申し訳ありません」

 死んでもいいと思っていた。まあ、そんな予感はしていたのだ。逢花は己のブレスレットを見る。結局、戦闘ではこの能力を使うことができなかった。もし葉流の言葉でも彼女が激昂しなかったら、この能力を使って動きを止めることも視野に入れてはいたのだが。
 己の心を読まれ、土足で踏み込まれること。それを嫌わない人間などいるはずがない。こちらの考えもある程度読まれてしまうが、動揺を誘うくらいの効果はあっただろう。
 とはいえ、今回のゲームで総括して、役に立つ能力だったかといえば微妙と言わざるをえない。一番安価で、失われてもいいブレスレットをつけさせられたというのは間違いないようだ。

「僕は、仲間たちを助け、同時に……アランサに一矢報いるために此処にいます。連中の隙を見つけ、必ずそのボスを倒して……このような腐ったゲーム、必ず終わりにしてみせるつもりです。例え、その道のりがどれほど困難だとしても」

 彼はしゃがみこみ、倒れたままの礼子に手を伸ばす。

「信じて頂けますか、逢花さん。逢知君も……列矢君も」

 この状況を見て、葉流の言葉を今更疑う人間はいないだろう。列矢がやや気まずそうに視線を逸らし、“すまんかった”と言った。

「俺、逢花さんに……惑わすようなこと、言ってしもた。葉流さんは、アランサのスパイかもしれんって……最初に疑ったの、俺やねん」
「いいんです。疑われるようなことをしていたのは僕ですから」
「……おおきに。葉流さんも、俺らと同じ立場やったんやな。しかも、このゲーム二回目って。ほんまは俺らよりずっと辛いはずなのに……ほんまに、堪忍な」

 それが言えるだけ、列矢は偉い子だと思う。逢花は黙って、少年の頭をぽんぽんと撫でた。この状況で、それでも誰かのためを思って敵に立ち向かえた少年。彼は十分すぎるほど勇敢だ。責める理由など、あろうはずがない。

「とりあえず、クリアしてしまいましょう。……“捕まえた、ゲーム終了”」

 葉流が礼子の手に触れて言った途端、再びあの能天気なアニメソングのような曲が流れ始めた。どこかにカメラでもあるのか、それともセンサーでも仕掛けてあるのか。

『お知らせいたしマス。ただいま、ゲームをクリアした者が現れまシタ。おめでとうございマス、第三の試練、クリアでございマス。これにて、今回のゲームは全て終了デス。繰り返しマス。これにて、今回のゲームは全て終了デス。皆様、お疲れでございマシタ。案内のスタッフを派遣いたしますので、しばしその場でお待ちくだサイ……』

 その声に、瀕死の礼子が小さく呻き声を上げた。

「あ、ガ……私は、負け、そん、な」

 なんという執念だろう。ひょっとしたら、ギリギリ心臓を避けていたのだろうか。逢花は少し迷った後――自分のブレスレットのボタンに触れていた。
 憎い、憎たらしいアランサの使徒の幹部。それでも彼女が何故このような恐ろしいゲームに嬉々として加担したのか、最後に知りたいと思ったのである。

――教えて。何で、こんなことを?

「発動……“念話”」

 ぽつり、と呟いた途端。流れ込んできたのは、怒涛の思念だった。



『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!戦いたいなんて思わなければ良かった、役に立てなかった、我が主、本当にごめんなさい。ああ、お願いします、私を地獄に落さないで、お願いします、ごめんなさい、ごめんなさい……!こんな現実信じたくない、役に立てない、そんなの……!』



 彼女は、己の死よりも。自分が信じた神に、奉仕できなかったことを悔やんでいた。
 やがてその眼が光を失い――ぐるん、と裏返り。駒村礼子は、死んだ。やりきれない気持ちになり、逢花は思わず唇を噛み締める。
 自分にとっては、この女は悪魔に他ならなかった。でも彼女は、ただただ神を信じて、それが正義と信じすぎてしまって凶行に及んだだけであったのかもしれない。それはけして、自分達の理性に照らし合わせてみれば正しいことではないのだけれど。それがどれほど罪でも、間違いでも――彼女もまた彼女なりに、誰かの役に立ちたかっただけであるのかもしれなかった。

――神様って、なんだろう。

 逢花は、特定の宗教というものを持ったことがない。神様に信心を認められなければ地獄に落されるかもしれない、なんて考えたことさえない。でも。
 カルト教団、と呼ばれる存在が。時々その“神様”の思想に則って、恐ろしいことをすることがあることは知っている。詐欺で人を騙したり、人を殺したり、財産を奪ったり。宗教の全てが悪では断じてないけれど、人が何かを盲目的に信じることが時として恐ろしい結果を生むことは、なんとなく悟っているのだ。
 この組織も、そうなのかもしれなかった。
 悪魔が本当にいるかどうかなんてわからない。でも、その悪魔を信じたことによってたくさんの人が殺されたなら――それはもう、悪魔が降臨したのと同じだけの災厄と言って過言でないのではなかろうか。

「……私達も、すぐに家に帰して貰えなさそうにない、んだよね」

 葉流が、前のゲームからの引き継ぎということは。恐らく自分達にも、同じ結果が待っているということである。でも。

「それでも。……この組織をそのままにしてたら……次に巻き込まれるのは家族かもしれないし、別の友達かもしれない、んだよね」
「逢花さん」
「……私、小学生のガキだけど……だけど」

 ヒーローになれるとは、思わない。でも、今強く思うのは――葉流のように強くなりたいということ。
 葉流を、隣で支えるのに相応しい人間になりたい。
 少なくとも彼はこのゲームで、自分達三人の命を救ってくれたのだから。

「私、出来ることをしたい。……葉流さん、一緒に戦わせて」

 生きていれば、きっと道は開ける。
 生きるために、大切な人と生き残るために。今の自分にもできる、戦いを。
 想いをきちんと伝えるのは、それからだ。




 ***




「うーん、“硬化”の能力、もうちょっと回数制限なんとかならないかなあ。いくら強くても、制限回数三回は厳しすぎでしょー」

 今回のゲームで生き残った四人を迎えに行くべく、伊賀無極は席から立ち上がった。報告書をまとめるのに少々手間取ってしまったが、大体のデータは集まったしこんなものでもいいだろう。
 駒村礼子は気づいていない。彼女が自分自身も参加する、と言い出した時点で――上は彼女をある意味で“切り捨てた”ということに。そもそも、いくら組織に忠誠心があったとて、「可愛い男の子と弄びたい」「戦闘に派手に参加したい」という欲望を抑えきれないような人間は幹部に向いていないのだ。元より彼女は、上もかなり扱いに困っていた人材だった。多額の寄付金と本人の貢献で幹部まで押し上げたはいいものの、すぐに前線に飛び込みたがる指揮官では話にならないのである。
 彼女の“硬化”の能力もテストしたい。本人が死んだらそれはそれで問題ない。
 自身が命を賭けて忠誠を誓った組織にそう見なされたと知ったら――果たして本人はどう思っただろうか。

――まあ、いいけどね。俺には関係ないし。むしろ……ここから先、面白いものが見られそうだし。

 海原葉流が参加した最初のゲームで、無極は葉流に敗れて重傷を負わされた。それだけに、無極は葉流と、その仲間たちに対してはかなり思い入れがあるのだ。
 彼等に関わった者達はみんな、実際の予想よりも優秀なデータをたたき出して生き残ってくれる。葉流をサポートにつけたとはいえ、まさか小学生トリオが三人とも、大きな怪我なく生存してくれようとは。

――彼等も将来有望かもね?……うんうん、楽しいことになりそうだ。

 できれば、もう一度彼等とは敵として出逢いたいものである。無極は沸き立つような気持ちで、モニタールームを後にしたのだった。