「六丁目のお化け屋敷って、姉ちゃん知ってる?」
「んあ?」

 一家団欒、夕食時。唐突に弟の逢知(あいち)が告げてきた言葉に、西嶋逢花(にしじまあいか)は眉をひそめた。
 西嶋家は両親と姉の逢花、弟の逢知の四人家族である。三つ年下、小学三年生の逢知はいわゆる“悪ガキの盛り”であり、学校でもしょっちゅう悪戯を繰り返して両親や先生に叱られてばっかりいる少年だった。やるな、と言われる事ほどやりたくなるんだよね!といけしゃあしゃあと抜かすような弟である。今度は何をたくらんでるんだ、と姉が訝しむのも無理からぬことではあるだろう。

「その様子だと、やっぱ知らねえんだな」

 今の彼は、どんな小さなことでもいいから姉にマウントを取りたい気分らしい。にやにやと笑いながら、自慢げに話始めた。

「六丁目にな、なんかツタまみれの超怖いお化け屋敷があるんだってさ!列矢(れつや)が写真持ってきたんだけど、リアル・ホーンテッドマンションつーの?」
「ああ、ああいう空気なわけね」
「そうそうそうそう。ただでさえ六丁目近辺ってさあ、人が住んでない建物が妙に多いだろ?で、みんなも特に用事もないし近づかないじゃん?俺も知らなかったんだけどさあ、すげー肝試しに最適っぽいんだよね」
「お前、不法侵入って言葉知ってる?無断で人んち入ったら犯罪なんだけど」
「ぶー!小学生はタイホなんかされないんですぅ!」

 こいつ、なんでそんな事ばっかり知ってるんだ、と逢花は腐りたくなる。国語のテストで百点満点中五十点も取れないなんてザラなくせに。

「あんま危ないところに行くんじゃないわよ」

 彼がその“お化け屋敷”とやらに冒険しに行こうとしていることを悟ったのだろう、母がタルタルソースの器を手に持って苦言を呈した。
 ちなみに今日の晩御飯は逢花と逢知が大好きなエビフライだ。タルタルソースをかけて食べるのが絶品なのである。逢花が玉葱が苦手なので、ソースはマヨネーズと卵を混ぜただけのシンプルなものであったが。

「不法侵入もそうだけど、廃屋っていうのは入るだけで危ないの。誰も手入れしてないのよ?崩れて来たらどうするの。床が抜けたら?天井が落ちてきたら?そういう時になってから『助けてー』なんて言っても遅いのよ?」
「そんな馬鹿やんねーもんー」
「馬鹿しかやってない奴が何言ってんだ」

 逢花は呆れてツッコミを入れる。ついこの間、ジャングルジムのてっぺんに登って戦隊ヒーローのポーズを実演し、うっかり滑り落ちて大怪我しかけた奴の言葉とは思えない。あの高さから落ちて擦り傷だけで済んだのは殆ど奇跡だろう。悪運が強いのか、こいつが一際頑丈なのかは定かでないが。

「大体、そのお化け屋敷とやら廃屋なのか?誰か住んでんじゃないの?」

 逢花の言葉に、多分違う、とあっさり逢知は否定してきた。

「列矢が言うに、窓の中でなんか人影っぽいのがごそごそ動いてるのが見えたって。あと、トラックみたいなのが車庫に入っていくのも見たってさ」
「なんだよ、人住んでんならお化け屋敷じゃないじゃん」
「姉ちゃん夢がないなー!そこで、『恐ろしい殺人鬼が住んでる館かも!』とか『悪の組織のアジトかも!』とか、『人喰いの人狼が住んでるかも!』みたいな発想にならんの?つまんないなあ」
「それは夢っていうんか?」

 住人の人達も可哀想に、と思いながら味噌汁をすすった。トラックということは、リフォームや引っ越しの作業中なのではなかろうか。それがちょっと雰囲気ある屋敷だったというだけで、すっかりオバケ扱いである。いっそ侵入して怒られてしまえばこいつも懲りるだろうか、と思う。トラックで業者っぽいのが入っているなら、かえって崩壊しかけの無人の廃屋よりはマシな環境だろう。
 オカルトや怪談が嫌いなわけではない。それでも逢花はもう十二歳だし、逢知と比べれば十分リアルがわかっている自覚があった。そんな悪の秘密結社だの人狼だのが、こんな身近な場所にいるはずがない。そんなものは、どこかのアニメやライトノベルの中にだけいる産物だ。

「人が住んでる屋敷に勝手に入っちゃ駄目なのは確かだけど、肝試しとかが好きな気持ちはわかるなあ」

 ここで、いらんことを言うのが父である。逢花と母は思わず揃ってジト目になった。父が子供の頃は、逢知にも負けないやんちゃボウズだったのは有名な話である。なんせ祖父母の家に行くたび、その武勇伝()を散々訊かされる羽目になるからだ。何故墓場に肝試しに行って、管理者のおじさんから一晩逃げ回った話で自慢げになるのかはさっぱりわからなかったが。

「てっきり今の子はそういうのやらないんだと思ってた。うんうん、子供のうちはたくさん経験して学ぶのがいいと思うぞ。父さんみたいに立派な大人になれよ!」
「立派な大人?」
「立派な大人とは」
「……そこの女性陣、たまにはもうちょっと父さんを立ててくれてもいいと思うんだ。時々絶対零度ばりに冷たくない?」
「この話の流れで冷やかにならない理由がないと思うんですけど?」

 この父にして、この子あり。ああ、でも自分も半分その血が流れているわけですが。はああ、と盛大にため息をつく逢花である。これだから男どもは!

「父ちゃんはわかってんな!」

 そんな冷ややかな空気もよそに、にこにこ笑う悪ガキ二号。

「今度、列矢たちと探検しに行こうってなってる!家の人に見つからないで、庭まで入って戻ってこれたら10点!中まで入れた奴は20点!さらに中の写真撮って来れた奴は30点なんだ!」
「お前、今の話聞いてた?」
「聞いてた!廃屋より安全だし、俺は小学生だから不法侵入でタイホされない!住んでる人に見つからないようにちゃんと逃げるから安心してくれ!」
「どのへんに安心できる要素があるってんだよ」

 なんと都合のいいお耳ですこと。段々と、止める努力をするのが馬鹿らしくなってくる。これは本当に、一度住人に見つかってゲンコツでも貰った方がいい薬になるのではあるまいか。

「……中の写真見つけても、Xにアップしたりするなよ?いくらなんでもそれはプライバシー的にアウトだからね?」
「それくらいわかってるってば!」

 精々、逢花に言えるのはそれだけだった。もう勝手にしてくれ、と匙を投げる。けして仲の悪い姉弟ではなかったが、最近は逢知の暴走っぷりに手を焼くことが相当増えてきていた。彼一人ならともかく、彼の友人達も暴走魔人が揃っているから余計始末に負えないのである。
 自分も男の子だったら、こんな風に肝試しやら冒険やらで盛り上がる事があったのだろうか、と少しだけ思った。勝気で男勝り、女らしくないと散々言われる逢花だがそれでも男になりたいと思ったことはないのである。精々教室でこっくりさんや怪談をやって、友達とわいわい騒ぐくらいが関の山だ。

――ま、友達が多いってのは、いいことだと思うけどさ。

 明日の学校帰りにでも行くかなー、とか言い出す彼。逢花はただひたすら、頭痛を覚えるしかないのだった。



 ***




 その翌日の木曜日は、バスケットボールクラブの日である。私立の受験も予定していない逢花は、六年生でも自由に使える時間が多い。中学に入ったらバスケットボール部で本格的に頑張りたい気持ちもあって、今はこの小さなクラブ活動に邁進する日々だった。活動は毎日あるわけではないが、周囲のレベルが高いので十分楽しかったりする。長身の逢花は、センターを任されることが多かった。ゴール下でリバウンドを狙い、攻守にわたり要として活躍するポジションである。

「せやっ!」

 恵まれたバネを生かしてジャンプ。小学生向けの小さなゴールでダンクシュートを決めるくらい、逢花にとては朝飯前のことだった。リングにかかる指、揺れるネットの感触、ボールがすり抜けていく快感。この一瞬がたまらないんだよな、と一人高揚感に浸る。白チームに点が追加された瞬間、笛が鳴った。試合終了だ。

「逢花ちゃんほんと強いー」

 友人の一人が、ドリンクを飲みながら言う。

「ブザービーターもしっかり決めてくるとかー。ほんと、将来プロ選手になれるんじゃない?」
「そんな甘くないって。中学からはもっと本格的にがんばろーって思ってるけど」
「えー?わりとマジで言ってんのに。こんだけ長い時間走り回ってんのに大して疲れてないし、ジャンプ力やばいし、中学入ってからも即戦力は間違いないでしょー」
「褒め過ぎ褒め過ぎ」

 ドリンクを飲みながら、ベンチのバッグの中に置いてあった携帯電話を探る。試合中はマナーモードにしてあるのだ。日が長い時期とはいえ、六時を過ぎればだいぶ空は綺麗なオレンジ色に染まっている。今日はこれで終わりだし、あとは着替えて家に帰るだけ。このあと帰るよ、くらいの連絡は家に入れておくべきだろう。

「ん?」

 しかし、スマホを手に取った逢花は、そのランプがちかちかと光っていることに気づくのである。見れば、通知が来ている。母からのLANEであるようだった。何か買い物でもしてきて、だろうか。そう思って中身を開いた逢花は、目を見開くことになるのである。



『逢知がまだ帰ってきてないんだけど、知らない?そろそろ塾の時間なんだけど』



 成績が残念な弟は、今年から塾通いを強制されている。そういえば木曜日だっけ、と思ったところで逢花は昨日の晩彼が言っていた言葉を思い出した。お化け屋敷に行くだとか、なんとか。確かに学校が終わってすぐちょっとだけ寄り道をして帰るのであれば、塾の時間にも十分間に合うだろうなと思ってスルーしていたが。

――さてはあいつ、最初から塾サボる気だったな?

 どうせ、そのお化け屋敷とやらでまだ遊んでるのだろう。逢花は呆れ果て、返事を返す。

『今クラブ終わるとこ。帰りに六丁目行って、馬鹿拾って帰るよ』

 メッセージを送信したところで気づいた。そういえば、自分はその“お化け屋敷”の正確な場所を知らないということに。六丁目の外れの方らしい、とは聴いたことがあるが。

「あのさあ、ニコちゃん」
「ん?」
「うちの馬鹿弟が、塾サボって肝試しに行っちゃったみたいなんだよね。六丁目のお化け屋敷、って心当たりない?拾って帰りたいんだけど、場所わかんなくってさ」

 逢花が告げると、ニコは他の友人達と顔を見合わせた。女子だし、六年生だし、知らないのかな。そう思っていると。

「結構有名な話だけど、逢花ちゃん知らなかったんだ」
「あれ、そうなの?」

 意外や意外、返ってきたのは真逆の答えである。

「六丁目の、“岸田”って書いてある家じゃないかなあ。ツタまみれの洋館みたいなのがあるんだよね。一昨年くらいからもう男子の間じゃ有名だったみたいだよ。最近はトラックが出入りしているし人の姿もあるし、誰か引っ越してきそうな空気であいつら残念がってたけど。……場所は、琴彫川(ことぼりかわ)沿いで、橋のすぐ近く。傍まで行けば、大体場所はわかるんじゃないかな」
「あ、そうなんだ。助かる、ありがと」

 六年生になっても、男子は男子か。もうすぐ中学生なんだしもうちょっと大人になれよ、とは心の中だけで。ニコたちにそんなことを言ってもどうしようもない。

――琴彫橋の近くか。なら、スマホの地図見ていけばわかるかな。そんな屋敷があったなんて知らなかったや。

 とにかく、サボり魔とその仲間をさっさととっ捕まえて来なければなるまい。その時逢花が考えていたのは、そんな単純なことだけだった。
 まさかこの決断が、恐ろしい結果を招くことになるなど――夢にも思わずに。