デッドエンド・シンフォニー

 駒村礼子の話が、もっと荒唐無稽で信じるに値しない内容であれば良かった。
 しかし残念ながら、彼女自身の信頼は皆無でも――内容そのものは、一理あると言わざるを得ないものであったのである。そう。きっと心の隅で、逢花も同じ違和感を感じていたから。

――そうだ。……私は、たまたまあのお化け屋敷に言って……それで、拉致されて、ゲームに参加させられた人間だ。



『まったく、仕方ないガキどもだな。……こいつもゲームに“加える”しかねえか』



 予定されていなかったことであるのは、自分を拉致した男の呟きから見ても間違いはあるまい。
 そして、“ガキども”というのが逢知と列矢であることもほぼ確定していいだろう。ひょっとしたら他にもあの屋敷に不法侵入して巻き込まれた人間がいたかもしれないが、少なくともそれが葉流でないことはほぼ確実と言っていい。何故なら彼は、逢花がこのゲームに巻き込まれた流れを聴いても時に何も言わなかった。もし同じ屋敷に来て拉致されたというのなら、少なからず反応があったはずである。
 逢知と列矢は二人組だったから、そのままコンビでゲームに参加できた。
 では逢花は?何故、突然予定外で参加した逢花に、パートナーがいた?
 葉流は一体、どこから連れて来られた?

「海原葉流に、友人が二人いるのは本当だけど。その二人は、このゲームに参加してないのよ。そもそも友人二人が参加している可能性があるなら、あの子もその二人が広場にいたかどうか探そうとしていたと思わない?」

 礼子の言う通りだ。
 現在生存している参加者たちが全て集められたと思しき広場で。彼は逢花と逢知たちの再会を喜んではいたものの、自分の仲間を探そうとする気配が一切なかった。どうして気づかなかったのだろう。同じくゲームに参加していたのであれば、仲間たちがあの場所にいるかどうかを確認したいと思うのが筋。なんせ、生きているか死んでいるかもわからない状況だったのだから。
 それをしなかったのは、つまり。最初から彼が、あのゲームに友人達がいないことを知っていたからに他ならない。

「今回のゲームのコンセプトは“タッグ戦”。罠もシステムも何もかもそれ用にセッティングしてあるんだもの、今更崩せないわ。なら、うちの戦士の一人を急遽パートナーに宛がうっていうのは自然な流れじゃなくて?すぐ傍で戦うことで、いいデータが取れる可能性もあるしね。あの子の訓練にもなるでしょ」

 女はにやにや笑いながら言う。

「まあ、招かれざる客である貴女なんかすぐ死んでも良かったから、ブレスレットも一番コストの低くて役に立たないものをつけてもらったし、貴女に姫の部屋に入って貰ったんだけどね?……後々のことを考えたら、なかなかいい選択をしてくれたんじゃないかしら。だってそうでしょ、命を賭けて自分を守ってくれたイケメンに、心酔しない女の子なんていない。貴女が現に、そうやってあの子に惚れ込んだようにね」
「う、嘘だ……」
「あら、私の話、何かおかしいところある?……あの子はこちら側の人間。だから、このゲームの仕組みや、用意されているゲームに関しても大よそ知っていた。ゲームの答えや明確な攻略法まで知らされてたわけじゃないけど……そう考えると辻褄があうことが多いと思わない?このゲームを生き残らせ、かつ組織に忠実な人間を作り上げる。ならば、恩を売るのが一番。あの子は最初から、貴女をアランサの兵士にするために動いていた、それだけなのよ」

 足元が、ガラガラと崩れていくような錯覚を覚える。あの葉流の言動が、行動が、全て演技だったとでも言うのか?彼が最初から、逢花自身を思ってのことではなく――逢花に恩を売って、アランサの僕にするために行動していたと?

――嘘だ。

 この人と一緒なら、大丈夫。きっと生き残れるはずと、そう信じた自分を思い出した。
 彼に頭を撫でられたり、褒められたり、少し嗤いかけられるだけで――舞い上がるほど嬉しかった己を。
 そして。
 心のどこかで夢想していたのは共にこの場所を脱出して、日の当たる場所を歩く未来。わかっている、自分が一人で踊っているだけだったということは。彼のためではなく、彼に恋した自分のために動いているだけだということは。
 それでも幸せだと思えた。
 この地獄のような場所でも、それだけあれば生きていけると思ったのに。

――嘘だ、そんなの、そんなの嘘だ。

 ああ、情けない。
 嘘だと思うのに、信じたいと願うのに、その明確な根拠も出せないまま。凍りついたように動けなくなっている、自分だけがここに。

「人の心がないんか」

 列矢が、憎悪以外の何物でもない声を上げた。

「こんなゲームに無理やり連れてきて、どうにか生き残ってきた相手にするのがその仕打ちか。何が悪魔を倒すや。何が正義や。ふざけんのも大概にせえよ!」
「あら、小学生の割に難しい言葉知ってるのね。そもそも貴方達が巻き込まれたのは、人の家に勝手に入ったからじゃないの。自業自得でしょ」
「そこを否定はせぇへんけど、ただ廃屋だと思ってる家に入っただけで命まで賭けさせられるのは割にあわなすぎや。大体、俺と逢知はともかく、逢花さんは俺らを探しに来てくれただけや、罪なんかあらへん。悪いのは全部あんたらやないか!」
「そう思いたいならご自由に。……で、どうするの?」

 礼子は余裕綽々で両手を広げる。

「決まっとるやないか。……ぶっ殺す!」

 煽られていることくらい、列矢にだってわかったはずだ。それでも人は、心を踏みにじられて平静を保てる生き物ではない。怒りを抑えられるのは、抑えるべき理由があるから。それがなくなった時、爆発する。子供でも大人でも、男でも女でもそれは関係なく。

「はああああああああああ!」

 列矢が選んだ武器は鞭だった。派手に振りかぶり、女を打ち据えるべく向かっていく。本来なら、そんなもので殴られれば大怪我必死だ。小学生の少年が、無闇矢鱈と人に向けていい代物ではない。
 それを分かっていて、選んだのはきっと。既に堪えようのない怒りが、彼の中で渦巻いていたからこそ。

「死ねやクズがああああ!」
「馬鹿ね!」

 向かってくる少年に対して、礼子は避ける気配もなく片腕を突き出す。

「私が隠れもせず、堂々と出てきた理由はなんだと思ってるの?戦う方が性に合ってるからよ。そう……私、こう見えてとっても強いの。付け焼刃のあんた達なんかより、ずっとね!……発動、“硬化”!」

 彼女の腕を、強かに鞭が打ち据え、そのまま巻きついた。しかし肉が裂けた様子もなければ、礼子が痛みを感じている様子もない。鞭が巻きついた腕は、服ごと灰色に染まり、硬化していた。どうやら、自分の体一部を鋼のように硬くして防御する能力らしい。
 だが、防御されることも一応は列矢の計算の内だったようで。

「いくら硬くなっても、これは関係あらへんやろ!発動、“電撃”2!」

 鞭を伝って、電気が礼子の方へ走る。それで痺れさせて動きを止め、フルボッコにしようという魂胆だったのだろう。だが。
 次の瞬間――宙に舞っていたのは、列矢の方だった。電撃をものともせず、礼子が鞭を自分の方へと強引に引っ張ったのだ。

「ぎゃっ!」

 吹っ飛ばされて、細い少年の体が天井に、落下して床にと叩きつけられることになる。なんて力だ、と逢花は愕然とさせられた。今のは能力ではなく、礼子の素の腕力だろう。あの女、見た目に寄らず相当腕力に秀でているらしい。前線に自ら出て来るだけのことはあるということか。

「予想通り……メモリをちょっとしか使わなかったわね」

 己の腕に巻きついた鞭を剥しながら、女は言う。

「貴女たちにそのブレスレットの能力を与えたの、誰だと思ってるの?……全部の能力の特性やデータを、幹部の私が把握していないはずがないじゃない。電撃の能力を持たせた参加者は今まで数名いたけど、みんな使い方が同じなのよ。ケチケチと1メモリや2メモリずつ使うから、ちっともダメージを与えられない。10メモリ全部使えば、バケモノだって一撃で黒焦げにできるってのにね」

 あー痛かった!と女は転がった列矢の頭を踏みつけながら言う。

「多少痛みはあるけど、覚悟していれば2メモリの電撃くらい、耐えられないものじゃないのよ。来るとわかっていればいくらでも対処の仕様はある。まあ、いきなり私に特攻してきたその度胸だけは褒めてあげるわ。うまく生き残れたら、いい戦士になれるかもね」

 その視線が、逢花の方に向く。

「で。そこのお嬢さんは何もして来ないわけ?可愛い弟分がやられてるのに、そこでぼけーっとしてるだけなのかしら?」
「あ、あぁ……」
「もう、つまらないわね。貴女のデータも急遽集めたけど……相当運動神経はいいって話じゃない。バスケの腕前は小学生レベルじゃないんですって?期待してたのよ、少しは退屈凌ぎをさせてくれるって。能力がなくても多少戦えるでしょ、貴女なら。あんまりガッカリさせないでよ。ああ……」

 ちらり、と彼女は己の背後を振り返る。恐らく、葉流と逢知がいるであろう方向を。

「それとも、愛しい葉流クンが助けに来てくれるって、まだ期待してるわけ?来るわけないじゃない。貴女に生かす価値や利用価値がないとわかったら、助ける意味なんかないんだもの。あの子はどこまでもリアリストよ。ずっとそうやって生き残ってきた、覚悟と度胸と判断力の塊。だから貴女の相棒にしたの。こんな有様の貴女に、まだ温情をかけてくれるって?そんなはずないじゃないの」

 そうだ、と逢花は膝から崩れ落ちた。戦いをぼんやり見ている場合じゃない。それは冷静でもなんでもなく、現実逃避しようとしているだけだ。逃げて、他人事のように思い込もうとしているだけなのだ。本当は、自分もさっさと動いて列矢を助けるべきだった。自分の方が年上なのだから、彼を守るべき立場なのだから。それなのに。それなのに、自分は一体何をしているのだろう。
 背中に背負ったリュックが揺れる。武器は入れてきた。戦うやり方も考えていた。それでも実際に動けなければ、何の意味もないではないか。

――立って、立って、立ち上がれよ私!このままじゃ、列矢君が殺されるかもしれないのに!

 葉流は本当に裏切っていたのか。そこで、いつまでも足踏みしている場合じゃない。ショックを受けて立ち止まっているのが一番馬鹿げている。
 裏切っていたなら、そう割り切って怒りを力に変え、目の前の敵に立ち向かうべきで。
 そうではないと信じるなら、世迷言を抜かすこの女を倒して葉流の元へ向かうべきだ。そう、どっちかに切り替えなければいけないのに、何故自分はここで座り込んでいる?
 動け、動け、動け。このまま葉流を疑いきることも信じきることもできず、凍り付いているなんて、それでは本当に何のために此処にいるのかすら――!

「まだ葉流クンを信じたいの?」

 嘲るような女の声が降ってくる。

「何度でも言ってあげるわ。海原葉流はアランサの使徒の戦士の一人。急遽参加したゲストである貴女を観察するため、相棒として宛がわれただけ。貴女を助けたのはデータを取るため、恩を売るため、利用価値を図るため。貴女を傷つけようが苦しめようが、本当はちっとも……」
「嘘だ」

 その声は。闇を切り裂くように、鋭く廊下に響き渡った。
 逢花ははっとして顔を上げる。薄暗い廊下の奥から、速足で現れた二つの影。逢花は目を見開いた。何故、逢知も葉流も、二人揃って血まみれなのだろう。

「嘘だ。姉ちゃん、そいつなんかの言葉に騙されんな」

 静かに、怒りを滲ませた声で口を開いたのは逢知だった。

「途中から話聞こえてたぞ。あんたの声でけーんだよ。余計なこと姉ちゃんに吹き込みまくってるみたいだけどな。あんたの言うことが全部本当なら……なんでそれを、“アランサの使徒の幹部”であるあんたがわざわざ姉ちゃんに教えるんだよ」
「!」
「あんたは姉ちゃんと葉流さんを仲違いさせたいだけだ。他の参加者に余計なこと吹き込んで、同士討ちさせようとしたみたいにさ!」

 彼等の間に、一体何があったのか。逢知の眼は、別れる少し前とはうってかわって強い決意に満ちている。

「姉ちゃん、騙されちゃだめだ。俺、葉流さんの能力見て……確信した。“あんなこと”、ただ俺達を利用したいだけの人間ができるはずない。葉流さんは姉ちゃんだけじゃなくて、俺のことも命がけで助けてくれた。俺は、葉流さんを信じる!!」
「あ、逢知……」
「姉ちゃんは、どうなんだよ。信じるのか、信じないのか!」
「――っ!」

 逢知の言葉に一本筋は通っていた。そうだ、本当に葉流がただのスパイなら、それを礼子が自分達に教える意味がわからない。何故、そんな簡単なことにも思い至らなかったのか。

「逢花さん」

 そして、頬に飛んだ血を拭いながら。葉流が真剣なまなざしで、逢花を見てきたのだった。

「全てお話する用意はあります。……もしまだ僕を信じてくれるなら……一緒に戦ってくれませんか。勝つために」

 今まで逢花が信じてきたのと、全く同じ瞳で。