デッドエンド・シンフォニー

 怪物の眼を逃れることは、存外に難しくなかった。逢知には少々負担をかけてしまったが、彼が能力を発動してくれていれば危険なものを避けることはけして難しくなかったからである。

――こんなゲーム、絶対許しちゃいけない。

 ただ。
 北西に階段まで走る最中に、廊下に散らばる多くの“残骸”を目撃しただけだ。
 怪物はどうやら、参加者を狩りながら地下四階フロアを暴れ回っているということらしい。広場の前を横切る時は、特に吐き気を催すことになった。元は灰色だったはずの床が、完全に赤黒く斑に染まっているのである。中には、元が“ナニ”であったのかも考えたくないような肉片も落ちていた。それらが腕や足、首や腸といった一目で“それ”と分かるものだったら、さすがの逢花も嘔吐していたかもしれない。
 映像で見るのとは、違う。
 地獄は間違いなくそこにある。走る最中にも、怪物が暴れる破壊音や、誰かの悲鳴のようなものはやや遠くからひっきりなしに聞こえていた。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「助けて、誰か、助けて、助けて!」
「サクラ、なんで、なんでええええっ」
「痛い、ああ、痛いよお……」
「あげええええええええええええええええっ」

 数人が、怪物と戦っている。参戦して助ける、という選択が取れない自分は臆病者だと分かっていた。戦闘向きの能力持ちではないから、なんてのはただの言い訳だ。結局、自分が生き残るためには他を犠牲にすることしかできない弱虫だから。目の前で困っている人を助けるため、命を擲つヒーローにはなれないただの人間だから。

――ごめんなさいっ……ごめんなさい、ごめんなさい!

 自分にできることは、ただ一つ。
 早くあの女を見つけ出し、ゲームセットさせること。そうすればきっと、まだ生きている参加者は全員助かる。今はそう、信じることしかできない。

「……急ぎましょう」

 地下三階フロアは、下と比べて静まり返っていた。まだ此処まで上がれていない参加者が多いのかもしれない。

「僕と逢知君は、左側の通路から調べて行きます。部屋は……ドアを開けるだけ開けて、中は覗くだけにした方がいいですね。ドアを開けてすぐに飛びのけば、飛んでくる矢やそれに類する罠を避けることは可能だと思いますので」
「わかったよ」
「本当に危ない罠の部屋に、あの女がいるはずがないです。ただ、どの部屋を調べたかどうかだけはざっと覚えておいてください。三十分過ぎたら、一度全員この階段の前に戻って来ましょう。もし相手のコンビが戻って来なかったら、何かあったとみなして探しに行くということで」
「OK」

 葉流とはそう言葉を交わして、ひとまず別れた。二人と二人、のパーティを分けるのが最善策かはわからないが、あまり悠長にしている時間がないのも確かである。階段は相当狭かったので(大人が一人ずつやっと通れるくらいの幅しかなかったのだ。なるほど、あれでは巨体の怪物が通るのは難しいだろう)恐らく新たに怪物が追加されない限りこのフロアで遭遇する心配はないだろうが。それでも、こうしている間にも地下四階では虐殺が続いているはずである。早く礼子を見つけて、全てを終わらせなければいけない。

「……あのさ」

 葉流と逢知の姿が廊下の向こうに消えたところで、歩き始めながら列矢が言った。普段は逢知に負けず劣らずの悪ガキで、陽気なムードメーカーという印象の少年が――再会してからは、妙に暗い。

「逢花さんに訊きたかったことあるんやけど」
「何?」
「逢花さんって、葉流さんのこと好きなん?」
「ぶっ」

 何を藪から棒に。逢花は思わずその場でずっこけそうになった。まあ実際、散々血を踏んでしまったせいで靴の裏はつるつる滑るのだが。

「な、な、何の話かな!?わ、私は別にそんなんじゃねーし?は、葉流さんみたいに大人っぽい年上のイケメンが、私のことなんか眼中にあるわけないしさっ」

 声を上ずらせながらそう言ってから、これは絶対誤魔化せてないやつ、と内心冷や汗だらだらになった。しかし、いつもなら“やっぱり好きなんやなあ!”と超絶笑顔でからかってきそうな少年は、深刻な顔でこちらを見るばかりである。

「……俺、あの人信用できひん」
「え」

 放たれた予想外の言葉に、逢花は目を丸くする。

「あの人と逢花さんの間に、何があったのかは知らんけど。なんか……あの人、出来すぎてるって気がしてしまうねん。中学生つっても、逢花さんよりたった二つ上なだけやで?普通、こんなところに急に投げ込まれたらパニックになってしまうもんやないの?なんであんな落ち着いてんの?」
「そりゃ、葉流さんがそういう性格だからでしょ?」
「それで全部片づけられるんか?さっき怪物が広場に出てきた時やってそう。なまるで、あの説明の直後に怪物が降ってくること、知っとったみたいやないか。しかもあの人が“逃げよ”って言うたドア、怪物が出てきた場所から遠いドアやってんで。まるで、そこからなら逃げられるってわかっとったみたいや」
「それは、偶然だろ。だって……」
「逃げ込んだ先が、都合よくトラップ部屋やなくて、武器がぎょうさんある部屋だったのもか?」

 よう考えてみいや、と彼は苦い顔で逢花に言う。

「……あんさんは、なんかこの人おかしいと思ったことないの?あの人と一緒にいて、なんかこう都合良く行き過ぎてるんちゃうかって思うことはあらへんかった?」

 そんなことない、と。逢花は言いかけて、口をつぐんだ。そう言われて考えてみれば、妙だと思うことがなかったわけではないからだ。
 そもそも赤の他人のために、命がけで化け物と戦う選択をできるのか?第一の試練に関しての疑問もあるが、それはまあ本人の能力次第で“勝ち目がある”と判断したというのならわからないことではないだろう。逢花と今後組む可能性を見越していたなら、あの試練でパートナーを裏切らずに命を賭けて救出することの意味は大きい。実際、あの一件をきっかけに逢花は彼を信用したのだから。
 問題はそこではない。そういえば自分は、未だに彼の能力を聴いていないのだ。どうしても話したくない理由がある、と濁されたままだった。それが、未だにわからない。何故、運命共同体であるはずの相棒にそれを隠すのか。ひょっとして、逢花に知られると自分にとって不利になる情報あがるのではないか。例えばそう――最終的に逢花を殺すためである、とか。

――ち、違う!葉流さんが、そんなこと……!

 だが、他にも気になる点はある。第二の試練の前だ。彼はT字路で、迷うことなく右へと進路を取った。その時確か、こんなやり取りをしたような記憶がある。



『そっちでいいの?』
『はい。どうせ迷ったって、どっちの道の方に楽な試練があるか、なんてわかりませんから。アランサの使徒とやらが言っていたことが正しいなら、即死トラップを用意するとは思えませんしね』
『さっきの試練も、相当殺意マシマシだったと思うけど?』
『殺意マシマシだったのは否定しませんが、二人で生き残る可能性がある試練だったのは確かだと思いますよ。そもそも、アランサの使徒の目的は、“悪魔に対抗できる戦士を見つける”“ブレスレットの能力テストをする”の二つと思われます。なら本来、二人とも生き残ってくれた方があちらにとっても都合がいいはずなんですよ。だって片方に死なれたら、ブレスレットの試験はできないし、せっかく集めた人材も意味を成さなくなってしまうわけですから』



 葉流の考えは、正論と言えば正論だ。運だけで即死するような試練など用意するはずがない、メリットがないというのは。だが。それでも、第一の試練の殺意の高さは目の当たりにしているのである。わざわざ道を分けているあたり、左右で違う試練かもしれないと思って迷うのが普通のことではないだろうか。
 もっと言えば、あの第二の試練。実際にやっていた時は必死で思い至らなかったが、よくよく考えると随分と逢花にとっては都合の良いものだったように思うのだ。一度しか能力を使えなかったが、一番最初に能力を発動していればあと一回くらいは使う余地があったように思うのだ。逢花の“念話”は、ロボット相手にも有効だったのだから。つまり、逢花に限って言えばあの試練は、その気になればさらに難易度を下げられるものだったのである。能力がなくてもクリアできる仕様になっていたのは事実だけれど。
 彼が、逢花を生かすためにあの道を選んだとしたら。
 予め、知っていたということに他ならない。この先に、どんな試練を待っているのか、ということを。だがもしそうならば、彼は。葉流の正体は――。

「さっきは詳しく語らんかったけど。……俺らの試練も、結構酷いもんやったんやで。クリアできたのが奇跡みたいなもんや」

 列矢はやや青ざめた顔で言う。よほど思い出したくないのだろう。

「ボタンを押すと、ランダムで異常が起きる部屋でな。幸い、“回復”のボタンを押せたから助かったけど……一時、逢知は死ぬところやったんやで」
「え……?」
「変な槍みたいなのに腕貫かれて、大怪我したんや。回復したから助かったけど、ほんまに痛かったし怖かったと思う。でもな。あいつ泣きながらも、ずっと言っとったのはあんたのことばっかりやったんやで。死ぬわけにはいかない、自分が死んだら姉ちゃんは絶対、『お化け屋敷に行くのを止めなかったせいだ』って自分を責めるから、死ぬわけにはいかんって……。あんたは、自分で思ってるより、逢知に想われてるんやで。でもって……俺よりずっと、逢知は強くて凄い奴や」

 彼は意を決したように拳を握りしめ、逢花を見た。

「せやから俺も思うてん。あんたら姉弟、絶対助けたるって。俺は逢知に恩がある。あんたと逢知を、絶対死なせるわけにはいかん。あんな酷い試練を、こんなクソなゲームを始めるような奴らを許すわけにはいかへん」
「葉流さんが、その主催側の人間かもしれないって言いたいの?」
「そう思ったら、“都合よすぎる”行動に全部筋が通るやないか。何か目的があって、スパイしてるだけなんとちゃう?それこそ、あんたを生き残らせて油断させるために仕掛けてるとか!」
「やめてよ!」

 列矢が、本気で自分のことを心配してくれているのはわかる。それでも逢花はこの状況で、それだけは認めるわけにいかなかった。
 だって自分は、何度も葉流の言葉に救われた。葉流の行動で命を助けられた。彼と一緒ならなんとかなると、そう信じていたから此処まで来られたのに。
 いや、それだけじゃない。自分は、もう。



『逢花さんは、本当に弟さんを責めないんですね。こんな状況でも、ちゃんと心配できる』



 もう、自分は。彼から目が離せなくなっている。
 このゲームから早く脱出したいのに、離れる時が来るのを考えられると、胸が締め付けられるような気持ちになるほどに。

「やめてよ……っ」

 考えたくもない。

「そんな酷いこと、言わないでよ……!」

 葉流が、一番最初に出逢った時から――アランサのスパイで、自分を裏切っていたかもしれないなんて。そんなこと、想像したいはずもないではないか。

「逢花さん、ほんまに……」

 列矢が泣きそうな顔で言いかけた、その時だった。

「その答え、私が教えてあげましょうか?」
「!?」

 唐突に、その声は降って来たのである。逢花はぎょっとして、自分達が進もうとしていた廊下の奥を見た。
 こつこつとハイヒールの音を響かせて歩いて来たのは、グレーのスーツを着た妙齢の美女。先ほど、モニタールームで見たばっかりの相手だ。



『恐らく、見つける作業はそう難しいものではないのだと思います。下手したら、隠れることもせず堂々とフロア内を歩いてらっしゃるかもしれません』



 ああ、またしても葉流の言葉は大正解だったと言うべきか。
 逢花は反射的に、年下の少年を庇うように前に出る。

「……何でそっちから出てくるわけ、駒村礼子」

 逢花の言葉に、彼女は心外!と言わんばかりに肩をすくめたのだった。

「何よ、親切で登場してあげたのに!貴女も気になってるんでしょ?海原葉流、の正体」