デッドエンド・シンフォニー

 ドアを開けた瞬間、瞳を刺したのは眩しい光だった。その直前まで抱いていたもやもやした気持ちを吹き飛ばすほどの。

「うっ」

 逢花は思わず顔を覆う。さっきの廊下の薄暗さから一転、再び明るい部屋に出たらしい。今度は天井も床もほぼほぼ綺麗に真っ白だ。妙な赤黒いシミがあるなんてこともない――でうっかり安堵してしまう自分もどうかと思うが。
 違いはそう、正面の壁には大きなモニターの画面のようなものがあること。
 そして広い空間には、何十人もの人々で犇めき合っているということだった。

「ひ、人がいっぱい……」
「多分、彼等もこのゲームに無理やり参加させられた人たちなのでしょうね」

 年配者もいるが、殆どが若い人たちである。高校生くらいの男女が多いだろうか。皆一様に疲れ切り、不安そうな顔を隠せていなかった。

「しにたくない」
「ひっ」

 唐突に聞こえてきた声に、逢花はぎょっとしてそちらを見る。目の前を、死んだような眼をした若い男性が横切っていった。その頬はこけ、シャツの袖や裾が不自然に破れ、あちこち血が滲んでいる。彼はどろりと握った眼で虚空を見つめ、ただひたすら同じ言葉を繰り返しているようだった。

「しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない、しにたくない……」

 ぶつぶつ、ぶつぶつ。ぼやきながら、部屋の中を人々の間をすり抜けながら行ったり来たり、うろうろし続けているようだった。まるで夢遊病者のような有様に、思わずぞっとさせられる。此処にいるということは、彼もなんらかの試練をクリアしてきたということだ。同じFエリアなのかもしれないし、他のエリアで全く違う試練を受けたのかもしれない。
 いずれにせよ。正気を失うほどに酷い経験をして生き延びてきた、というのはほぼ間違いなさそうである。

――みんな、ボロボロだ。

 よく見ると、他にも明らかにぐったりとして気力を失っている者、負傷している者が散見された。壁際に座り込んだままじっとしている人間もいるし、一緒にいる知り合いかパートナーに手当を受けているらしき者もいる。血が滲むハンカチを巻いた足を押さえて、痛い痛いと泣いている中学生くらいの少女。それを必死で慰めている、友人らしき二人の少女。その傍で倒れ込んでいる青年は頭に包帯のようなものを巻いて、ぐったりと横たわっている。
 自分達も、それくらいの怪我は負っていてもおかしくなかったのだと痛感させられる。ここまでほぼ無傷で来たのが奇跡のようなものだと。

「……姉ちゃん?」
「!」

 ふと、聴きなれた声がした。逢花が振り向けば、人ごみをかき分けてこちらに向かってくる少年の姿が。

「あ」

 自分とそっくりの赤茶の髪が揺れる。見間違えるはずがない。

「逢知っ!」

 思わず駆け寄って、抱きしめていた。此処に拉致されたかどうかも定かでなく、そしてその場合生きているかどうかさえわからなかった弟。必ず助けようとは思っていたけれど、その確証も方法も何も見つかっていなかった相手。それが、今。

「良かった……!この馬鹿弟、無事だったかよ、この野郎!」
「ね、ねえちゃ……なんで」
「あんたを探しに来たんだよ、この馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!ほんと、心配したんだからなっ!」

 普段なら「恥ずかしいからやめろよ!」と怒るはずの逢知が随分大人しい。逢花も逢花で、羞恥心なんてものは完全にふっとんでいた。

「怪我ない?怖い思いしてない?」

 その両肩を掴んで、思わず体を確認する。あっちこっち泥で汚れているし、膝や肘をすりむいてはいるものの無事であるようだった。逢花が尋ねると、緊張の糸が解けたのか、逢知の目にみるみる涙がたまっていく。

「け、怪我ない、けど!」
「ど?」
「……うああああん、怖かったよ、うああああ!」

 どうやら、強がる元気もなかったらしい。逢花の胸に縋りついて、少年は泣きじゃくり始める。

「ごめんなさい、勝手なことして、ごめんなさいい……!」
「もう、分かればいいよ分かれば!あんたが無事だっただけで御の字だから!」
「うわああああん!」

 そっと彼の後ろを見れば、同じく泣きそうな顔で立っている少年がもう一人。ちょこん、と小さくしっぽのように後ろ髪を結んだ彼は、何度も顔を合わせたことがある相手だった。逢知の友人である、東條列矢(とうじょうれつや)だ。

「列矢君、ごめんね。うちの馬鹿弟が迷惑かけたね。君も無事で良かったよ」
「……べ、別に。迷惑なんか、かかってへんし」

 彼の伯父か誰かが関西人で、彼もその影響を受けてか“エセ関西弁”で喋る癖がついている。やや赤い目をごしごしとこすって、逢知よりはまだ意地を張る気力があったらしい少年は言った。

「むしろ……すんませんでした。俺が、逢知君、お化け屋敷に誘ってもうたから……」

 どうやら、彼もだいぶ責任を感じていたらしい。おいで、と少年を手招きすると、逢花は列矢の頭もわしゃわしゃと撫でた。

「気にしなくていいよ、こんなことになるなんて誰も想像できなかったてば。それに、誘ったのは君でも、それに乗っかったのは馬鹿弟だろ。そういう意味じゃ自業自得だから、責任感じる必要ないって。今はほんと、二人とも生きていてくれただけで十分だ」
「……おおきに」
「本当に良かったです」

 その様子を見ていた葉流が、ほっとしたように息を吐くのが見えた。心の底から胸を撫で下ろした、といった顔である。

「逢知君。逢花さん、ずっとあなたのことを心配してたんですよ。自分も大変だったのに、あなたを助けることばっかり考えてらっしゃいました。……良いお姉さんを持って幸せですね。本当に良かったです」

 どうやら、本気で彼も弟たちのことを心配してくれていたらしい。ごめんなさい、と小さな声で謝る逢知。普段は意地っ張りで悪いことばっかりやるガキ大将も、今日ばかりは素直にならざるをえないようだ。少し落ち着いてきた背を撫でながら、逢花は言う。
 再会を喜びたいが、恐らくいつまでもそうしている時間はなさそうである。

「多分、また次の試練があるだろうから、このへんで……ね。……あんた達もあのお化け屋敷みたいなところに行って、誰かに拉致されて……気づいたらこの建物の中にいたってことで合ってる?」

 逢花の問いに、逢知はこくりと頷いた。

「あってる。目を覚ましたら、二人で灰色の物置みたいな部屋にいて……その部屋の中から、一定時間内で鍵を見つけ出せってゲームをさせられたんだ。部屋にどんどん水が入ってきて、すごく怖かった。本当に溺れ死ぬかと思った……」
「あ、私達とは違うゲームだったんだ。それが第一の試練ってやつ?」
「たぶん。……で、その部屋から逃げたら、今度は謎解きみたいなのがあって……正しいボタンを押さないと脱出できないみたいな部屋に入れられた。正直俺も列矢も全然わかんなくて、偶然押したボタンが正解だったから良かったけど」
「あぶなっ……悪運強いやつめ」

 やっぱり、この二人に謎解き系はできなかったか。予想通りと言えば予想通りだが、なんにせよ助かったのなら良かったと思う。
 まだ親友同士のコンビだったからどうにかなった、というべきか。お互いがいるともなれば、無理だろうと無茶だろうと多少意地も張るし、相手のために頑張ろうと思うこともできるのが人間である。

――私達と同じ試練じゃなくて、まだ良かったのかも。

 少なくとも、第一の試練の危険度は彼等の方がマシであったように思える。友情に罅が入る類でもなく、本当にここまで二人で協力できる試練だったのがまだ良かったのかもしれない。

「幸運だろうとなんだろうと、生き残った者勝ちですからね」

 葉流も頷く。

「あ、僕は海原葉流と言います。このゲームで初めて逢花さんと会った参加者の一人です。パートナーを組んでます、よろしく」
「あ、よろしく」

 彼と列矢が握手をするのを見ていた逢知が、ぼそりと言った。

「姉ちゃん……ラッキーじゃん。パートナーの人、イケメンだし、めっちゃ頼りになりそう。そりゃ姉ちゃんでも生き残れるわけだね」
「おまっ……ちょっと復活したらコレか!このこの!」
「いたたたたたたっ」

 どうやら、減らず口を叩くだけの元気は回復しつつあるらしい。逢知のこめかみをぐりぐりと抉りながら言う逢花。辛い状況だからこそ、多少の冗談というものは必要なのかもしれない。冗談を言い合うことで、「自分はまだ冗談を言う気力がある、だから大丈夫」と思い込むことができるというのは、現実の軍隊でもあるのだと聞いたことがある。
 そう、いつも通りの自分を、多少無理にでも思い出すことはきっと必要なのだ。他でもない、過酷な環境で自分達が生き残っていくためには。
 多少じゃれあいを交えつつ聴いたところによれば、やはり葉流が予想していた通り、パートナーはそれぞれ“戦闘型”と“探索型”で組まされていたということらしい。他のエリアの試練参加者もきっと同じだったのだろう(なんせ、能力を決めてブレスレットを嵌めるのはアランサの使徒側が行っているのだから)。
 逢知の能力は、“殺意”。物騒な名前だが、こちらが索敵型の能力である。己に対して強い殺意を抱く相手の存在を、発動中は察知し続けることができる能力だそうだ。

「実は、第二の試練もこの能力があったから運ゲーできたようなもんなんだよね。天井に、バケモノか何かが入ったカゴがあるのはなんとなくわかってたし……そのカゴと連動してるボタンもなんとなくわかったから、それで多少正解がしぼれたというか」
「なるほどね」

 殺意を抱く相手がいる方向をなんとなく察知できるので、逃げる系のゲームには向いていそうである。使用回数制限もない。ただし、作動中はずっと片手でボタンを押さえていなければいけないことと、解除した時に使用していた長さの分だけ心身に一気に疲労が押し寄せてくるという問題はあるらしい。つまり、できれば長時間作動しっぱなしにするのは避けた方がいい能力ということである。
 もう一つ、列矢の能力は“電撃”。触った場所に電気を流して攻撃する技である。この能力は少々特殊なものらしく、説明が長くて読むのが大変だった、と彼は語った。簡単に言ってしまうと、使用回数制限は十回なのだが――これは使い方によってはもっと減ってしまうこともあり得るのだという。

「十回っていうんは、スタンガンくらいの電流で十回分ってことらしいで。つまり、もっと強い電流を使おうと思ったら回数制限が減る。“電撃”のあとに仕様メモリ数を宣言することで、その強さを調節できるっちゅーことらしいわ。ちょっとした雷くらいの威力出したいと思ったら、それこそメモリ5くらいは宣言せんとあかんかもなあ。あと、敵に直接触れんとあかんっちゅーのが大変かもしれん」

 ただし、電気なので武器やモノごしに伝道させることはできそうとのこと。何か電気が伝わるような武器がほしい、と列矢はぼやいていた。
 そうだ、そろそろ戦闘向きの試練が来てもおかしくないところである。何か、武器のようなものが調達できれば心強いばかりであるのだけれど。

『あかつきのーなのもとにー、つーどいしせーんーしー!かがくのちからを、けっしゅうしー!ちからをあわせて、あくまにいっどっむ!』

 そのあたりまで話したところで、再びあの無駄に楽天的な音楽が聞こえてきた。四人に一気に緊張が走る。今まで通りなら、この曲はアナウンスが入る合図であるはずなのだから。

『はーい参加者の皆さん、お元気ぃ?』

 しかし、今回はいつもと趣が異なっていた。アナウンスではなく――目の前の大きなモニターに、声とともに映像が映し出されたからである。
 にこにこと手を振っていたのは、三十路前後に見える、やや化粧の濃い女だ。

『お待たせしましたあ!今から私、アランサの使徒の幹部である駒村礼子が……皆さんに第三の試練の説明をしちゃいます!喜んで頂戴、この試練が今回の最後のゲームになるわ』

 最後。その言葉に、参加者たちが大きくざわついたのが聞こえた。

『最後の試練は“捕縛と殺戮のゲーム”よお!』