デッドエンド・シンフォニー

「私、あの子は嫌いなのよね。見た目はすごく好みなんだけど」

 女はスマホをいじりながらそんな言葉を漏らした。言葉とは裏腹に、酷く楽しそうである。少年――伊賀無極(いがむごく)は面白くない。何で今日は自分が監視員で、ゲームに介入することが許されないのだろうか、と。
 目の前の女の名前は、駒村礼子(こまむられいこ)。アランサの使徒の幹部である。無極より、少しばかり立場が上の人間だった。まあ、無極も一般構成員よりは少しばかり地位が高い人間ではあるが(高校生にして、幹部に次ぐ地位というのは破格の待遇であるということくらい、無極自身にもわかっていることである)。
 ゲームの監視・観察を行うためのモニタールーム。現在無極は、この駒村礼子の暇つぶし相手をさせられている真っ最中だった。見た目だけならば、礼子は十分美人の範疇に入るだろう。背が高く、スタイルも良く、スーツがびしっと似合っているいかにもデキるOLスタイルの礼子。思春期の男子ならば、それこそ妄想の対象にすることもあるかもしれないような、理想的な“かっこいい大人のお姉さん”だ。女子にも憧れられるタイプであるかもしれない。
 が。無極は知っている。性格破綻者だという自覚がある無極から見ても、礼子は“異常”な人間だった。主に、欲しいものを手に入れるための欲求と、その手段が。
 彼女にとって愛とは、壊すことと同義である。
 彼女が好みと呼んだ男子がどうなったのかは、今までのゲームで散々見てきたことだった。しかも何が気持ち悪いってこの女、相当なショタコンである。つまり、年下趣味の変態ということだ。美少年を苛めて傷つけて、血まみれにするのが大好きという非常に悪質な趣味を持っているのである。その実、無極自身も“危ない目”に遭わされたことが何度かあったりするのだった。

――まあ、俺の親はアランサに相当な寄付してるし。おおっぴらに手を出したらまずいってことくらい、この女もわかってると思うんだけど。

 己を美少年と思ったことはないのだが、こいつの“美少年”の基準が相当広かったり斜め上だったりするから油断ならないのだ。
 まあ今回のゲームで彼女が注目している彼は、その中でも比較的“王道的な”美少年に含んでいい類だとは思っているけれど。

「好みなのに嫌いって、変じゃないですか」

 話しかけてこられた以上、答えないわけにはいかない。無極は少々うんざりしながら返事をする。

「そもそも彼の参戦を決めたのは、貴女では?」
「まあ、そんなんだけどね。あまりにも正義の味方ヅラするから、ちょっとお仕置きしてあげなくちゃと思って。お子様だから仕方ないとは思うんだけどね。ほら、現実ってやつが見えてないでしょ、中学生なんて。狭い学校の社会でしか生きてないもんだから。社会の厳しさは、大人である私達が責任を持って教えてあげなくちゃいけないなって思うわけよ」
「はあ」

 このゲームに参加させて、命を賭けさせることを『社会の厳しさ』とは。分かっていたが、アランサの使徒にはまともな大人という奴が一人もいない。両親が敬虔なんアランサの信者であり、その二世として育てられた無極の眼から見てもそう思う。いやむしろ、自分が表向き親と組織に従いながらも、実際は全く信仰心が育たなかった異端児だからこそそう思うのかもしれないが。
 アランサの使徒は、アランサ・トーイッスという男が組織した宗教団体が元となっている。ただし、このアランサ・トーイッスという男は実際のところ神の声を聴く神託者という立場であり、神そのものではない。彼に神託を与えている“我らが主”という存在を、実際にこの目で見たことがある人間は極めて少数に限られていた。噂によると、それはそれは美しい魔女の姿をしている、らしい。素晴らしい科学力と魔力を持ち合わせており、あの罪喰いなる化け物もその魔女様に与えられた産物であるそうなのだ。
 悪魔がやってくる。そのために人間の力で、魔法を身に着け対抗できる戦士を育てなければいけない――そのために、いわゆるデスゲームと呼ばれるような非合法な手段を用いることもやむなし。それが、“我らが主”からアランサ・トーイッスが受けた使命であるそうだ。アランサの使徒の多くは彼とその神託者に心酔しているし、襲来するであろう悪魔の存在を全く疑っていない。目の前の女もその一人だと知っている。自分達は悪魔の魔の手から世界を守る為、正義を行使していると信じてやまないのだ。

――悪魔、ねえ。

 そんなものが本当にいるのだろうか、と無極は長らく多くのゲームを見守ってきて思う。幼い頃から、デスゲームの参加者に紛れて、あるいは監視者としてゲームを見てきて感じてきたのだ。実のところ、参加者を一番殺すのは罪喰いではなく、参加者自身なのである。正確には最終的にトドメを刺すのは罪喰いやトラップであっても、それに人間を追い込むのは他でもない別の人間であることが多い。
 ある者は、別の参加者に騙されてトラップのある部屋に投げ込まれて挽肉になり。
 ある者は仲間を見捨てて一人で逃げ。
 ある者は化け物から逃げるために仲間を囮にし。
 ある者は、敵の正体を確かめるために平然と参加者に犠牲を強いる。
 悪魔が本当にいるのか、その証明は非常に困難だ。特に、“悪魔がいない”ことを明らかにするのは並大抵のことではない。世界中を隅々まで探して悪魔が見つからなかったからといって、だから「存在しませんでした」と確定するのは限りなく困難であるからだ。これを、悪魔の証明と言う。故に、無極も目に見える悪魔が本当に存在しないと断言するつもりはない。
 だが。

――本当の悪魔は、人間の心の中にいる。それ以上の真理なんてないと思うんだけどな。

 このゲームでもそう。組織も惨いことをするものだと思ったものだ。今回のFエリアの最初の試練。投げ込まれたコンビの中には、顔見知りだったケースもある。特に、青木(あおき)メグと千田小雪(ちだこゆき)。二人の少女達。彼女達のケースは、組織も最初から結果がわかっていたとしか思えない。小雪に恨みがあったメグは、あっさりと彼女を見捨てた。メグは、学校で小雪に見捨てられて孤立したことを、それこそ殺したいほど恨み続けていたからだ。命を賭けて小雪を助ける理由がメグにはなかった。例え、どれほど小雪に命乞いをされたとしてもだ。
 結果小雪は壁に潰されてミンチになり、メグは一人で第二の試練に向かうことになったと聞いている。モニターで確認したところ、彼女は極めて幸運にも、一人で第二の試練を突破することができたようだった。――まああの様子を見て、それを無事に突破と称していいかは怪しいものがあるけれど。
 人間を一番殺す生き物は、いつだって人間だ。
 その所業を悪魔と呼ばずして、一体何と呼ぶのだろうか。

「今回のゲーム、本当に甘ったれてるとしか思えないのよね」

 はー、と椅子に深く沈み込みながら礼子が言う。

「いつものゲームと違って、複数の試練を組み合わせてクリアさせていく……というのはまあ面白い試みだと思うわよ?でも、試練の難易度が低すぎるわ。もっと殺意高い試練を課さないと、人が死なないじゃないの」
「人を死なせるための試練ではなく、優秀な戦士を選抜するための試練であるはずですよ?悪魔に対抗しうる身体能力や度胸を持ち、ブレスレットを使いこなせる人材を探し出すための……ですよね?」
「勿論それはわかってるわよ、無極。でも、勇気もないし力もない、無能が偶然生き残って貰うようじゃ困ると思わない?多少のアクシデントも機転で乗り越えられるような、ヒロイックな人材が欲しいわけ。だったらもっと殺意マシマシでいかなくちゃ。ちょっと頑張ればみんなで生き残れます!なんてのじゃつまらないのよ」

 つまらないとか刺激的とか、そんな理由で試練の内容を決められても困るんですけど。無極は少々呆れるしかない。何故自分が、彼女のお目付け役に任命されたのかは明らかである。礼子に任せると、せっかく集めた参加者の大半が生き残れないからだ。確かに彼女は三十二歳という若さでその地位に上り詰めた才女であるし、一般構成員にも彼女を慕う人材は少なくないのだが――いかんせん、自分の快楽に忠実すぎる。
 そう。とにかく、参加者を痛めつけることに性的興奮を覚えるのである。特に、自分好みの美少年を、だ。

「第一、第二の試練は貴方の希望を聞いてヌルゲーにしてあげたんだし……最後の第三の試練は、私の望み通りにさせてもらうわよ、無極」

 よいしょ、と彼女はスマホをポケットにしまって立ち上がる。その視線の先には、彼女が“狙う”最高の獲物の姿。モニターの中の彼はいやらしい目を向けられていることも気づかず、パートナーの少女と談笑している。

「ほどほどにしてくださいね。今回は、多くの新システムの実証実験も兼ねていることをお忘れなく」

 やっぱりこうなるよね、と無極はため息をついた。
 駒村礼子。彼女は幹部でありながら、自ら“出陣”するつもりでいるのだ。見ているだけでは飽き足らなくなってきたのだろう。確か、彼女の能力は――。

「それから、今回上から提示された条件……“厳しくても努力次第で全員生き残れるようにする”のをお忘れなく」
「ええ、勿論よ。でも貴方こそ忘れていないでしょうね?」

 女は髪を掻き上げつつ、妖艶に微笑んだ。ああ、自分がもう少し一般的な男子高校生らしい趣向の持ち主なら、あるいは目の前の女の本性を知らなかったら。少しはその仕草にぐらっとすることもあるのだろうか。
 生憎、無極はほぼほぼ性欲といったものに無縁の質である。玩具と定めた存在を苛めることを喜ぶという意味では彼女と同じなので、そのへんは人のことをどうこう言える立場でもないのだけれど。

「“場合によっては全滅する可能性がある試練でも構わない。”我らが主はよくわかってらっしゃるわ。無能は必要ない。お金と手間を散々かけて成果がゼロというのは口惜しいでしょうけれど、それでも能力がない人間を無駄に生かすくらいなら殺してしまった方が、将来的にはローコストでしょ?」

 だから、とてもシンプルなゲームをするのよ、と彼女。

「ねえ、無極。貴方、鬼遊びは好きかしら?」