サイレンのようなものは鳴り始めているが、悲しいかな残り時間のタイマーのようなものはない。相変わらず不親切設計らしい。
 このテのゲームは、全員に話を聞かなければ基本成り立たないはずなので、会話数が規定を超過したというわけではなさそうだ。純粋に、時間の問題。逢花は慌てて緑のドアの前に立つ。

――ドアの向こう側の人が正直者か嘘吐きか、それも判断できるような質問をしていきたいところ……。

 最終的に一択まで絞れなかった時のことを考えて、少しでも情報が残りそうな問いをしよう。逢花はそう考えて、緑のドアをノックする。

「緑のドアのあなた。あなたの隣の部屋に出口はありますか?」

 ドアは赤、青、黄、緑、白、黒の順で並んでいる。隣の部屋、とはつまり黄色と白の二つの部屋を意味する。そして、既出の質問から出口のドアは緑、白、黒のどれかであることはわかっているため、必然的にここで問いかけているのは“白のドアにあるかどうか”になる。

『イエス』

 AIが、無機質な声で返事を返した。緑のドアが正直者ならば、白のドアの向こうに出口があるということになるだろう。
 さくさく行かなければ。逢花はさっとメモを取ると、白のドアの前に立つ。

「白いドアは出口ですか?」

 ノックをして、非常にシンプルな質問をした。葉流のおかげでわかってきた。このゲームの六つのドアのうち、五つのドアの住人は嘘つき。意見が完全に一致するとしたらそれは、嘘吐き同士でしかありえない。正直者と嘘吐きでは、すり抜けられる道がない限り意見は必ず矛盾するはずなのだから。
 そう、だからゲームマスターも、“同じ質問を二度しないように”という縛りを課したのだろう。同じ質問を二度して、全く同じ答えが返ってきたのなら。その二つのドアはどちらも確実に“嘘吐き”であるということがわかってしまうから。

『イエス』

 白いドアの向こうから、ロボットがそう答えた。緑のドアの住人の意見と、白のドアの住人の意見がぴたりと一致。ということは。

――緑と白の、この二つも嘘吐き!黒のドアの人が、消去法で正直者ってことに……!

 そして、嘘吐き二人が口を揃えて“白いドアが出口”と証言したということは、白いドアが偽ということもはっきりする。時間制限の都合で能力は使えないが、黒いドアで正しい質問をすれば完全に絞り込むことができるだろう。
 問うべき質問は二つに一つ。黒いドアと緑のドア、どちらが出口であるのかを問えばいい。

「逢花さん、急いでください」
「!!」

 葉流が、珍しく少し焦ったような声を出す。はっとして振り向けば、自分達が入って来たドアがある壁に異変が。
 赤黒い染みが、じわじわとその壁の隅から染み出して来ているのである。何かの燃料か、あるいはあれも“罪喰い”とやらの生物の一部なのか。まるで腐ったような臭いが立ち込め始める。なんにせよ、タイムリミットが来たらろくなことにならないのは確かであるらしい。

――最後のドアへ……!

 逢花は黒いドアの前に立つ。これが、最後の質問だ。

「黒いドアは、出口に繋がっていますか?」

 ノックをして、質問。今までの推理が正しければ、このドアの住人は本当のことを言ってくれるはず。数秒の間が、やけに長く感じられた。
 やがて。

「ノー」

 自分の黒いドアは、出口ではない――その返事に、逢花は“葉流さん!”と声をかける。

「黒いドアじゃないってことは……消去法で、出口は緑のドアです!急ぎましょう!」
「わかりました」

 少し離れたところに立っていた葉流は、逢花の肩をぽん、と叩いて言う。

「よく頑張りましたね、逢花さん」
「!」

 とてもシンプルな褒め言葉。それなのに、叩かれた肩が熱いような気がするのは何故だろう。
 そんな状況ではないのに、胸の奥から湧き立つようなこの感覚。自分自身でも驚くほど、喜んでいる己がいる。

――やった……葉流さんに、褒めて貰えた……!

 彼の役に立てたことが、こんなにも嬉しい。この試練がまだ最後ではないだろう。ならばこれから先も、彼の助けになれる場面が来るだろうか。そう思うと、ちょっとくらい怖い思いをしてもなんとかなるような気がしてしまう。
 我ながら、単純だ。まだ彼とは、逢ったばかりだというのに――完全に、好きになり始めている自分がいる。

「僕が先に入りますね」

 背後からの壁の染みは、じわじわと両隣の壁まで侵食して広がりつつある。それから逃げるようにして、葉流が緑のドアを押し開けた。
 その途端、ぽんぽんぽん!と中から何かが飛び出してきて葉流の体に当たった。正しい出口の場所に、致命的なトラップは置かないだろうという推測だったはず。まさか自分は間違えたのか、と一瞬血の気が引く逢花。しかし。

「大丈夫、ただのゴムボールです」

 葉流が足元に散らばったそれを、そっと爪先で蹴った。それらはどこにでもあるような、カラフルなゴムボールだった。サイズは野球ボールくらい。子供が原っぱで、父親とキャッチボールするのに使いそうな代物である。実際、当たった葉流も特に怪我なくぴんぴんしているようだ。

「よ、良かった」
「問題ありません、行きましょう」
「は、はい!」

 ドアを開いた向こうは、トイレくらいの広さの非常に小さな真っ白な壁の小部屋である。右の棚の上に、置物くらいのサイズの銀色ロボットが乗っている。猿のマスコットのような姿のそれは、こんな状況でなければ愛らしいと感じたことだろう。大きな二つの赤い目をぴこぽこと光らせつつ、こちらに首を向けている。
 ドアをせっかく開けたのだし、念のためこのロボットに質問してもいいのでは。実際に“質問回数が六回まで”と確定していたわけではないし――と逢花は思ったが、その考えを口にするよりも先に、葉流が奥の茶色いドアを開けてしまっていた。

「あ、ま、待って!」

 彼の背中を負って、逢花もロボットをスルーして茶色のドアへと体をすべり込ませる。二人がその向こうの廊下に出てドアを閉めた途端、背中の方から甲高い警告音のような音が聞こえてきたのだった。



『ピイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ――!』



 それはまるで、病院のアラームを思わせるような不吉な音。次の瞬間、ざああああああああ、と何か水流のようなものが流れ込むような音が響き渡った。あの赤黒いものは、やはり水だったのだろうか。あのままタイムリミットが来ていたら、自分達は水責めされて殺されてしまっていたかもしれないということ?もしくは、あれはただの水ではなく毒だったかもしれない。もし酸性の水だったりしたら、なんてことになったら本当にぞっとしてしまう。
 なんにせよ、どうやら自分が思っていた以上に時間がなかったということらしい。ほっとした途端力が抜けてしまい、逢花はその場にへたりこんでしまっていた。

「た、助かった……」
「危なかったですね」

 葉流は自分達が来たドアを睨むと、ぼそりと呟く。

「タイムリミットがあるなら、もっとわかりやすく示してくれてもいいでしょうに。あれじゃ、答えが分かったのに間に合わなくて死ぬ人間が出るじゃないですか。相変わらず、人の命をなんだと思ってるんでしょう」

 全く仰る通りで、と逢花は頷くことしかできない。難易度は最初の試練と比べれば低かったかもしれないが、それでもやはり一歩間違えれば死ぬ試練であったのは間違いないようだ。もし選択を間違えていたら。時間切れになっていたら。どんなふうに命を奪われることになったのかと思うと今更ながら震えが来てしまう。

「少し休みますか。次の試練はまた、ドアの向こうみたいですし」

 しゃがみこんだまま動けなくなった逢花を見かねてか、葉流が隣に座る。彼が指さした先には、まっすぐに伸びた短い廊下の奥が見えた。再び、黒いドアに“NEXT FLOOR”の文字が掲げられている。あと一体、いくつ試練があるのだろう。葉流の役に立てるのは嬉しいが、できれば先が長くないと嬉しいと思ってしまう。
 こんなこと、何度も何度も繰り返していては心臓がもたないというものだ。

「ご、ごめんなさい。ちょっと、力、抜けちゃって」
「当たり前です。僕だってちょっと焦りましたもん」
「葉流さんも焦ること、あるんだ?」
「そりゃありますよ、僕だって人間です」
「そっかあ……」

 とりとめのない言葉を交わしていると、葉流が安心させるように頭を撫でてくれた。

「本当に、ありがとうございます。逢花さんのおかげで助かりましたよ」

 多分。彼は逢花より早く、答えがわかっていたことだろう。緑のドアと言った時に驚いた様子もなかったし、トラップがあるかもしれないドアを開けるのに躊躇った様子もなかったから。
 それでも逢花に謎を解かせた理由はなんとなくわかっている。逢花に、自信をつけさせるためだ。同時に、己一人でも考えさせる力を身に着けさせたかったのだろう。――まるで学校の先生みたいだ、と思ってしまう。たった二つ違い、彼も中学生だというのに。

「私は、大したことしてないよ。……ていうか、なんか葉流さん先生みたい」

 思わず感想を漏らすと、葉流はそれはちょっと心外です、と目を丸くしてきた。

「せめて“お兄さんみたい”くらいにしてください。先生って呼ばれるほど年行ってないですし、大人でもないですよ?」
「だって大人っぽいんだもん。あーあ、私の周りにも葉流さんみたいな大人っぽい男子いたらなー。弟筆頭に、ワルガキばっかりなんだもん」
「小学生の男の子はワルガキでなんぼじゃないですかね。僕だって結構ヤンチャでしたよ?」
「えー、見えないー」

 悪戯を繰り返す小さな葉流を想像して、噴出してしまった。駄目だ、ギャップが酷すぎる。いや、誰だって昔は小さな頃があったのだから、幼稚園や小学生の頃にクソガキやガキ大将であってもなんらおかしくないのかもしれないが。

――お兄さんみたい、か。

 彼が言った言葉に。ほんの少し、胸が痛んだ。先に“先生みたい”なんて称したのは自分の方だというのに。

――……そうだよなあ。葉流さんみたいなカッコイイ中学生にとっては私なんか……そういう対象になるわけないよね。

 きっと彼との付き合いも、このゲームが終わるまでなのだ。ならば、さっさとこの淡い感情など忘れるか、見なかったことにしてしまった方が自分のためなのだろう。
 残念ながらそうは思っていても、簡単に実行できるほど――人の心は自由なものではないのだけれど。