「それじゃあ、始め!」
委員長が手をパンと打って、全員が「おー!」とこぶしを天井に突き上げた。水色のクラスTシャツのみんなが動く。
「コーヒーと紅茶、いつスーパーに取りに行く?」
「机の並べ方、どうするんだっけ。テーブルクロスはどこやった?」
わいわいと明るい声が飛び交う。飾り付け担当のオレは保科たちと黒板を眺めた。
「これ、きれいに消さないと」
オレの言葉に保科が「バケツに水を入れてくるよ」と言う。世の中には信じられない美的センスの持ち主がいて、黒板アートを描くなどと言いだすから驚く。絵の描けないオレはその間フラワーペーパーで花を折る。
きれいな雑巾を絞り、昨日の板書が薄らと残る黒板の前に立つ。そのてっぺんを見上げた。
「……保科、嫌な予感がする」
「男子校の黒板って位置が高いよな。椅子を使ったら」
クソ、なんか負けた気がする。
自分の椅子を持ってきて、教壇の右端に置く。乗っかると簡単に届いた。チョークの粉のにおいにみんなの熱気が混じる。
これでよしと上から雑巾で拭いていく――が、今度は下が拭きにくい。椅子の上でしゃがんで、上から下へ丁寧に拭いていく。逆側から拭く保科が「大丈夫か?」と言った。
「桃ちゃん、椅子がガタガタ言ってるぞ」
「そんなこと言われても。椅子の上で立ったりしゃがんだりしたらそうなるし」
ガタッ。
一瞬変な方向へ体重がかかった。椅子がぐらっと揺れ、うわと声に出そうになる。
「馬鹿ッ」
よろけそうになった椅子とオレの体をがしっと掴んだのは深谷だった。王子、颯爽と登場。……オレ、助けられるとか恥ずかしすぎ。
「ありがと」
だが、椅子に縮こまるオレを冷たい目が奪った雑巾を手に見下ろしてくる。
「向き不向きを考えろ」
「失礼!」
笹原が口にした深谷の身長を思い出してむっとする。
なんだっけ、一八四センチ? お前、どんだけ牛乳飲んで寝たんだよ。質のよい睡眠が大事っていうもんな。すやすやよく寝てたのか?
「向き不向きじゃない。気合いと根性なの!」
言い返すと、「怪我したらどうする」とぼそりと言われる。
深谷はそのまま黙って黒板を拭き始めた。保科と深谷の雑巾がちょうど真ん中でぶつかる。
「深谷、サンキュー」
保科の言葉に深谷は無言で小さく頷き、別の作業へ移る。手持ち無沙汰のオレは椅子の上で口をとがらせた。
「僕の仕事を奪われた」
保科が頭を掻いて深谷の背中を眺める。
「でも、最近深谷もいい感じじゃん。あんまりしゃべらないけど、みんなとやるって空気があるし」
保科、部活中の深谷を見てみろ。驚くぞ。饒舌すぎるから。
雑巾を戻すと、二人で向き合ってせっせと花を折る。
昼休みを過ぎる頃には教室も賑やかになった。テーブルクロスと椅子の背もたれに同じ布を使い、喫茶店という雰囲気が出る。黒板アートも進み、チェキが撮れるよう準備は万端だ。
チェキのかけ声ってなんだ? ハイ、チーズ? ポーズの種類……あとで検索して確認しないと。こっちから積極的にポーズを提案すべきだよな。
それを考え出すと、胸がちょっともやっとした。姫には事前準備がある。多分、みんな知らないけど。
「桃ちゃーん」
黒板アートを描いているクラスメイトが声をかけてきた。
「前に立ってくれない? 姫と撮りたい人は多いだろうし、絵の高さを確認したい」
手をあげて「オッケー」と教壇の上に立つ。そこへ「深谷」とその生徒が言った。
「お前も立って。でかいやつが立つとどう見えるのか知りたい」
ぎょっとしたが、深谷は黙って隣へ来た。空いたその距離二十センチ。遠くも近くもない隙間にふわっと花の香りがした。
あ、洗剤? シャンプーかな。いいにおい。でも、隣に立つと部活と同じ熱波が押し寄せてくる。
……なんか、さっきガタガタ言ってた椅子よりもっとガタガタしてるぞ、オレの心。落ち着け、ステイ。
クラスメイトたちはこちらを見て笑いだした。
「身長差! 顔一個分違う!」
「これぞ王子と姫!」
「二人、ポーズとって! チェキを撮る練習をしたい」
内心慌てた。そんなの、深谷の機嫌を損ねるだけだ。
「でも、僕たち衣装を着てないし」
言い訳すると、横から「おい」と低い声が落ちてきた。そろっと見上げると睫毛の長い目とぱちりと合う。
「ポーズってなんだ」
「え? ピースとかじゃないの?」
「ピースは思いつく。他は? 当日はなにを勧めりゃいい」
「えーと、ハートとか、腕組みとか?」
すると深谷は眉間を若干寄せた。
「さっと言えなきゃ客が滞る。列ができたらめんどくさい」
あーはいはい、勉強不足ね、ごめんなさい! 姫が大変ってお前には分かんないよな!
だが、深谷はジャージのポケットからスマホを取り出した。紫と青の中間にあるブルーのスマホ。スッスッと長い指が画面を操作する姿は様になっていた。水を飲むだけで絵になる男はスマホでも絵になる。
「こういうやつ?」
深谷が画面を見せてきた。調べてくれたらしい。「ポーズ一覧」というページをスクロールする。「うさ耳」「頭ぽん」「指ハート」など図入りで載っている。
あ、かわいい。メイド服でこのポーズしたら、オレ、結構かわいいかも。
「これをスクショして、当日『どれがいいですか』って聞くのがいいのかな」
真面目に返すと、深谷も少し首を傾げるように「かもな」と画面を見た。
「でも今はピースでいいよね? 練習だし」
オレはそう言ってチェキを構えるクラスメイトに「撮って!」と笑顔でピースした。撮った生徒が出てきた写真を見て「あ、いいじゃん」と言う。内心ほっとすると、「おい」とまた低い声が落ちてきた。
「これでいいの、お前」
「えっ?」
「俺は女子と撮れって言われたら嫌だけど。――これでいいの」
深谷の目が鋭くて、こちらの心を確認してくるようで――胸がぐっと詰まった。
なんでいちいちそんなこと言うんだよ。姫はみんなが楽しめるならたとえ嫌でもやるんだよ。覚悟ないだろって舐められてるみたいでムカつく。こいつ、やっぱり嫌い。
「嫌じゃない。知らない人と話すの、嫌いじゃないし」
若干突き放すように言う。すると深谷はじっとこちらの目を覗き込んできた。
「……そう言いたいなら、いいけど」
深谷はそう言い、「終了」と写真を確認している生徒に言って自分の作業へ戻っていく。
誰も聞いてこないようなことを聞いてくる深谷の言葉はムカムカする。心の残機、おかしなリズムで点滅中。
委員長が手をパンと打って、全員が「おー!」とこぶしを天井に突き上げた。水色のクラスTシャツのみんなが動く。
「コーヒーと紅茶、いつスーパーに取りに行く?」
「机の並べ方、どうするんだっけ。テーブルクロスはどこやった?」
わいわいと明るい声が飛び交う。飾り付け担当のオレは保科たちと黒板を眺めた。
「これ、きれいに消さないと」
オレの言葉に保科が「バケツに水を入れてくるよ」と言う。世の中には信じられない美的センスの持ち主がいて、黒板アートを描くなどと言いだすから驚く。絵の描けないオレはその間フラワーペーパーで花を折る。
きれいな雑巾を絞り、昨日の板書が薄らと残る黒板の前に立つ。そのてっぺんを見上げた。
「……保科、嫌な予感がする」
「男子校の黒板って位置が高いよな。椅子を使ったら」
クソ、なんか負けた気がする。
自分の椅子を持ってきて、教壇の右端に置く。乗っかると簡単に届いた。チョークの粉のにおいにみんなの熱気が混じる。
これでよしと上から雑巾で拭いていく――が、今度は下が拭きにくい。椅子の上でしゃがんで、上から下へ丁寧に拭いていく。逆側から拭く保科が「大丈夫か?」と言った。
「桃ちゃん、椅子がガタガタ言ってるぞ」
「そんなこと言われても。椅子の上で立ったりしゃがんだりしたらそうなるし」
ガタッ。
一瞬変な方向へ体重がかかった。椅子がぐらっと揺れ、うわと声に出そうになる。
「馬鹿ッ」
よろけそうになった椅子とオレの体をがしっと掴んだのは深谷だった。王子、颯爽と登場。……オレ、助けられるとか恥ずかしすぎ。
「ありがと」
だが、椅子に縮こまるオレを冷たい目が奪った雑巾を手に見下ろしてくる。
「向き不向きを考えろ」
「失礼!」
笹原が口にした深谷の身長を思い出してむっとする。
なんだっけ、一八四センチ? お前、どんだけ牛乳飲んで寝たんだよ。質のよい睡眠が大事っていうもんな。すやすやよく寝てたのか?
「向き不向きじゃない。気合いと根性なの!」
言い返すと、「怪我したらどうする」とぼそりと言われる。
深谷はそのまま黙って黒板を拭き始めた。保科と深谷の雑巾がちょうど真ん中でぶつかる。
「深谷、サンキュー」
保科の言葉に深谷は無言で小さく頷き、別の作業へ移る。手持ち無沙汰のオレは椅子の上で口をとがらせた。
「僕の仕事を奪われた」
保科が頭を掻いて深谷の背中を眺める。
「でも、最近深谷もいい感じじゃん。あんまりしゃべらないけど、みんなとやるって空気があるし」
保科、部活中の深谷を見てみろ。驚くぞ。饒舌すぎるから。
雑巾を戻すと、二人で向き合ってせっせと花を折る。
昼休みを過ぎる頃には教室も賑やかになった。テーブルクロスと椅子の背もたれに同じ布を使い、喫茶店という雰囲気が出る。黒板アートも進み、チェキが撮れるよう準備は万端だ。
チェキのかけ声ってなんだ? ハイ、チーズ? ポーズの種類……あとで検索して確認しないと。こっちから積極的にポーズを提案すべきだよな。
それを考え出すと、胸がちょっともやっとした。姫には事前準備がある。多分、みんな知らないけど。
「桃ちゃーん」
黒板アートを描いているクラスメイトが声をかけてきた。
「前に立ってくれない? 姫と撮りたい人は多いだろうし、絵の高さを確認したい」
手をあげて「オッケー」と教壇の上に立つ。そこへ「深谷」とその生徒が言った。
「お前も立って。でかいやつが立つとどう見えるのか知りたい」
ぎょっとしたが、深谷は黙って隣へ来た。空いたその距離二十センチ。遠くも近くもない隙間にふわっと花の香りがした。
あ、洗剤? シャンプーかな。いいにおい。でも、隣に立つと部活と同じ熱波が押し寄せてくる。
……なんか、さっきガタガタ言ってた椅子よりもっとガタガタしてるぞ、オレの心。落ち着け、ステイ。
クラスメイトたちはこちらを見て笑いだした。
「身長差! 顔一個分違う!」
「これぞ王子と姫!」
「二人、ポーズとって! チェキを撮る練習をしたい」
内心慌てた。そんなの、深谷の機嫌を損ねるだけだ。
「でも、僕たち衣装を着てないし」
言い訳すると、横から「おい」と低い声が落ちてきた。そろっと見上げると睫毛の長い目とぱちりと合う。
「ポーズってなんだ」
「え? ピースとかじゃないの?」
「ピースは思いつく。他は? 当日はなにを勧めりゃいい」
「えーと、ハートとか、腕組みとか?」
すると深谷は眉間を若干寄せた。
「さっと言えなきゃ客が滞る。列ができたらめんどくさい」
あーはいはい、勉強不足ね、ごめんなさい! 姫が大変ってお前には分かんないよな!
だが、深谷はジャージのポケットからスマホを取り出した。紫と青の中間にあるブルーのスマホ。スッスッと長い指が画面を操作する姿は様になっていた。水を飲むだけで絵になる男はスマホでも絵になる。
「こういうやつ?」
深谷が画面を見せてきた。調べてくれたらしい。「ポーズ一覧」というページをスクロールする。「うさ耳」「頭ぽん」「指ハート」など図入りで載っている。
あ、かわいい。メイド服でこのポーズしたら、オレ、結構かわいいかも。
「これをスクショして、当日『どれがいいですか』って聞くのがいいのかな」
真面目に返すと、深谷も少し首を傾げるように「かもな」と画面を見た。
「でも今はピースでいいよね? 練習だし」
オレはそう言ってチェキを構えるクラスメイトに「撮って!」と笑顔でピースした。撮った生徒が出てきた写真を見て「あ、いいじゃん」と言う。内心ほっとすると、「おい」とまた低い声が落ちてきた。
「これでいいの、お前」
「えっ?」
「俺は女子と撮れって言われたら嫌だけど。――これでいいの」
深谷の目が鋭くて、こちらの心を確認してくるようで――胸がぐっと詰まった。
なんでいちいちそんなこと言うんだよ。姫はみんなが楽しめるならたとえ嫌でもやるんだよ。覚悟ないだろって舐められてるみたいでムカつく。こいつ、やっぱり嫌い。
「嫌じゃない。知らない人と話すの、嫌いじゃないし」
若干突き放すように言う。すると深谷はじっとこちらの目を覗き込んできた。
「……そう言いたいなら、いいけど」
深谷はそう言い、「終了」と写真を確認している生徒に言って自分の作業へ戻っていく。
誰も聞いてこないようなことを聞いてくる深谷の言葉はムカムカする。心の残機、おかしなリズムで点滅中。

