姫ポジ男子だって恋したい

「集合ー!」
 部長の声に藍色の(はかま)姿の部員がずらりと並ぶ。よろしくお願いしますの大音声が第二体育館を揺るがした。体育館が放課後の色を帯びる。
「今日から後期が始まる。体育祭や大会などの予定を確認するように」
 赤ジャージ姿のマネージャーが部長にプリントを一枚渡す。
 こっちは袴、あっちはジャージ。そっちの着替え、楽すぎでしょ。
「剣道部では体育祭で部活対抗リレーに参加する。面はつけないが、胴や(たれ)はつけて走るから結構きついぞ。一年生、思ったより走れないから覚悟しろ」
 部長が笑ったように付け加えたので、オレも周りもははと笑う。
 笑ったのに。ひとり笑わない一年生がいる。袴の中ぽつんとジャージでメモを取っている深谷だ。
 お前、部活の最中だけその恵まれた体格を分けてくれよ。
 部長より身長の高い深谷を見てため息を呑み込む。
 四月、意気揚々(ようよう)と剣道部に入部したら、一足遅れて入ってきたのが深谷だった。そして一年生の自己紹介になると、深谷は淡々と言った。
「中学は剣道部でした。でも、足を捻挫(ねんざ)してくせになって」
 一息つく。
「医者に止められているので、マネージャー志望です」
 ドクターストップ。言葉だけで胃がキリキリして頭が真っ白になるやつ。そのときのオレは心底深谷に同情した。
 深谷は黙々と地味な仕事をこなした。部員を観察して記録をつけ、救急セットを持ち歩くのは当たり前。剣道は小道具が多いから、それらを運んだり管理もする。相手校の分析だって欠かせない。
 男子同士だって映えるイケメンは眩しく見える。深谷に注目しているのはオレだけではなかった。部活終わりの挨拶を終えると、汗を掻いた皆が更衣室へ行く。そこでノートにペンを走らせていた深谷の肩にぽんと手がのった。
「怪我ばっかりはしょうがないよな」
 ひとりの先輩がそう言って手ぬぐいで汗を拭いた。
「お前が入ってたらレギュラー枠がひとつ減ったかもしれないし、こっちとしてはラッキーだけど」
 ……は? ラッキー? 先輩、さらっと聞き捨てならないワードを言ったな?
 深谷より小さな先輩がそう言って更衣室に消えた瞬間、頭の中でケトルが沸騰した。
「深谷!」
 ジャージの腕を引っ張って言った。
「気にするなって言っても難しいけど気にしちゃダメだ。またやるやり方はないかな? なんか工夫はできないかな」
 ほら、姫のオレはクラスメイトに優しい。そんな思いも込めて見上げたが、深谷はこちらを見て眉間に少ししわを寄せた。
「誰の」
 深谷の声が低く痺れた。
「誰のせいだと」
 え、なに? 問い返す間もなく深谷は腕を振り払い、部長のところへすたすたと歩いていってしまった。
 怒らせちゃったか。触れないほうがよかったかも。お節介根性を出したことに胃が重くなる。ズーンとした痛みを抱えて制服に着替え、その日は帰宅した。
 その翌日からだ。隣の席の深谷から氷のような視線が送られてくるようになったのは。部活中は水をくれたり、消耗品の予備をあらかじめ用意してくれたり、サポートはしてくれる。だが、あくまでもマネージャーとして必要なことだけ。
 モップがけを隣でやっても会話を打ち切られるし、話しかけようとまとわりついたら「存在がうるさい」とズバッと斬られた。
 この野郎。内心、オレは広い背中に透明なこぶしを打ち込んだ。
 神様、存在がうるさいはひどくない? オレを生んで育ててくれた両親に土下座しろ。
 今日はコーチがいないので、みんなで五十メートル走のタイムを確認した。
「深谷、足速いじゃん」
「マネージャーがリレー選手でもいいだろ。部員だし」
 部長がジャージ姿の深谷に聞いた。
「走れる? 足は大丈夫か?」
 深谷はこくんと頷いた。
「先輩方と一緒に走りたいです。走るのは大丈夫です」
 部長が「よし、決まり」とまとめ、深谷がメモに控える。
「今日はあとで学校の外を走るぞ。前半は素振りから。あ、そうだ」
 突然、部長が深谷に前に出るよう促した。
「週三で来てくださっていたコーチだが、家のご都合で週一に変わった。顧問の先生は剣道未経験だ。これまでも俺たち二年生が指導に入っていたが、後期からは深谷にもお願いする」
 ぺこりと頭を下げた深谷に、みんなが「よろしく」と拍手をする。
 え、クール王子が指導? だいぶコミュニケーション能力に欠けるけどできるの?
 みんながすぐに竹刀(しない)を持って自分の位置へ立つ。オレも慌てて竹刀を手にしたが、横を天然パーマの一年が通り過ぎる。
「姫は足速くないんだ。すばしっこそうなのにねえ」
笹原(ささはら)、うっさい。僕のタイムは平均くらいありますぅ」
「俺と深谷は選手になれたけど、やっぱり足の長さの違いかな」
 こいつ、口元のほくろは色っぽいのに、口から出るのは毒ばっかり。
 隣のクラスの一年生、笹原。あんまりしゃべらない深谷も笹原にはぼそぼそとしゃべりかける。氷の王子と皮肉屋が気が合うの、多分剣道部一の謎。同じ中学の部活仲間らしいけど、氷と毒を吐き合う会話って楽しいか?
「身長の高さと足の長さが比例するとは限らないし!」
「一七六センチの俺と一八四センチの深谷より足が長い自信ある? えっと、一六〇センチ……あるのかな」
――パァン! 脳内にあの日の音がフラッシュバックする。急いでそれを振り払って笹原を睨む。
「超ムカつく!」
 笹原はははっと明るく笑い、「冗談!」とこちらの背中をぱんっと叩いた。素振りの位置へ行ってしまう。
 悪いやつじゃないんだけど、一言余計。いや、二言は余計。ついでに三言目も余計!
 深谷はマネージャーのノートを小脇に抱え、一年生のほうへやって来た。ノートを見ながら、オレを含め数人を呼ぶ。そしてじろりとねめつけた。
「他はいい。お前たちはまず素振り百回」
 カチン。氷の言葉がオレの体を固まらせる。そんな初歩的なことに部活の時間を割いていたら、対戦相手がいるのに技術を(みが)けない。
「え、でも」
 オレが口を開いたら、深谷の鋭い眼差しがぎろりとオレを貫いた。シュッ。ものすごい勢いで残機が一機消える。
「桃瀬、口答えしたからお前は百五十回」
 ええええ。オレは仰天した。だが他は先輩やコーチに言われるより親近感があるのか、「分かった」と明るく答えて竹刀を構えた。ダンッダンッ。みんながリズムよく踏み込む足音をよそに、ぽかんとして深谷を見上げる。ジャージ姿の深谷がノートを丸め、腕を組む。
「桃瀬、聞こえなかったか。素振り、百五十回。ずっと思ってたが、お前は素振りを()めすぎ。初心に返って丁寧にやれ」
 深谷の鋭い目。冷たさではなく熱を持った目に、オレは勘違いしていたことに気づいた。
 こいつ、部活じゃスパルタ王子……!
 慌てて竹刀を構え、指示されたとおり竹刀を振る。
 マジかよ。これがずっと続くわけ? 神様、いや、コーチ、なんで学校に来てくれないんですか? オレ、こいつ嫌です。
 だけど、こんなところで負けてられない。深谷の目を意識して、丁寧に一回一回竹刀を振り下ろす。
 忘れもしない中学二年生の大会。向かい合った相手はオレより二十センチは高かった。
 両手を広げたら長さは身長と同じって聞く。だから、両手で竹刀を掴んだら腕の長さの差は約十センチ。
 その十センチがオレの竹刀を空振りさせた。
 ダンッ。体育館の床を踏む音を鳴らしたとき、パァンという音が頭の上で弾けた。
「勝負あり!」
 わあっと観客席が沸く声がすうっと遠くなった。振り下ろした竹刀が届かない。オレの竹刀はこの先きっと誰にも届かない。面の中の狭い世界が水に揺れた。
 涙が止まらなくて、市立体育館を出るときも泣いていた。家に帰ったら弟が「おかえり」と言った。小学六年生の弟は、オレの身長を抜いていた。
 ――泣かないためにオレは姫になった。姫は敗北を覆す手段だ。
「僕も身長が高かったらなあ」
 部活仲間に上目遣いで言えば、「顔がかわいいから大丈夫」と笑ってもらえるし、竹刀や胴を運んでいるだけで「頑張ってるな」と褒めてもらえる。
 剣道は好きだ。面金(めんがね)の内側から見える世界にただひとりの相手と向き合う。自分の息の音が聞こえ、竹刀を握る指先が研ぎ澄まされ、床を踏む足の裏は摩擦を感じ取る。かわいいも通じない、声が高いのも通じない。姫であることは武器にならない。桃瀬景直として床を踏み込む。
 いつか――いつになるか分からないけど、誰かにオレの竹刀が届いていい音を鳴らすと信じている。
「そろそろ外周行くぞー!」
 部長の声にはっと現実に引き戻される。
 全員でジャージに着替えると、夕方の道を走る。九月上旬の道はコンクリートの照り返しが強い。走っているとどんどん暑さが増して体力が奪われる。今日は疲れた。最後尾で学校に戻ると、体育館裏の水道場で全員ががぶがぶと水を飲む。
 上を向いた蛇口からじゃぶじゃぶと水が溢れると、太陽が水飛沫(しぶき)を光らせる。視界の端で深谷が濡れた口元を手の甲で拭った。
 水飲むだけで絵になるってなに? 少年漫画かよ。いや、少女漫画かも。知らんけど。
「桃瀬」
 水を飲んでいると深谷が近づいてきた。なんだ、走り込みでなにか注意されるのか。
 身構えたオレと違い、深谷の長い指がオレをさす。
「今日、いつもと違う姿勢で素振りしてるから疲れてる。帰ったらよく休め」
 ええ、労いも命令形? こいつ、上から目線かよ? ムカつく! ……けど。
 見上げる深谷の顔は笑っていない。それなのに、どこか生き生きとした空気が漂っている。――深谷、剣道が好きなんだ。
「……分かった……」
 オレが頷くと、深谷は無言で顎を引き、淡々とした様子で笹原のほうへ行く。部活終わりの後ろ姿は教室でのクール王子が戻ってきている。
 深谷は普段無口なのに、剣道のこととなるとスイッチが入る。多分、深谷の本気の姿が出るのは教室よりも体育館なのだ。
 なんだか一気に脱力した。階段ダッシュより体力を使った気分。HPの消耗が激しすぎる。今日はゆっくりお風呂に浸かろう。