ちょっともやもやした気持ちのまま蛍光オレンジのゼッケンをもらう。七番。ラッキーセブン。神様、これはシュートが入る予感かよ?
すぐに気分がよくなるオレもだいぶチョロい。ピピーッ。笛が鳴って、バシッと味方の手がセンターサークルでボールをタッチした。
「行け行け回せ!」
「ボール寄こせ!」
バンバンと床をドリブルする音とバッシュの音が体育館中を駆け抜ける。オレもボールを追って手をあげて合図した。
だが、ボールが回ってこない。ボールを持つクラスメイトと目が合うのに、なぜか別の子にボールが行く。
「桃ちゃん! あんま前出るなって!」
「桃ちゃんは応援係!」
「うっさーい! 僕だってできるし!」
見学席のクラスメイトからの声に言い返す。
「桃ちゃん、後ろ下がって」
「桃ちゃんはそっち!」
仲間からも指示が来て、バスケの熱よりかわいいの扱いが加速する。
バスケ、中学のときは得意だったのに。顔がカッと熱くなったが、とにかくボールを目線の先に捉える。
結局、パスは来ないし、ようやくボールを持てたと思ったらシュートをカットされた。ボールを触っていられた時間はほんの僅かだった。
ゼッケンを次の試合の子に渡し、シャツの裾を引っ張って顎の汗を拭う。
悔しい。入る隙がないって感じ。できるって示すチャンスもなかった。今はかわいいの使い方を間違えていた。こういうときは男子扱いしてほしい。
ため息を呑み込んで壁際に座ろうとする。するとゼッケンをつけている子から「桃ちゃーん」と声がかかった。
「点数板をやってくんない?」
するとその周りの子が笑う。
「桃ちゃんがやるって部活のかわいいマネージャーがやるって感じで華がある」
……華より戦力になりたかったんだけど。
でも、そんなことは言わない。にっこり笑って「もちろん!」と点数板の横に立つ。
この顔で笑っていれば人生は楽。の、はずだったんだけど。新学期初日の仕事はうまく回らない。ダムダムと弾むボールで心をドリブルされたみたいだ。床が揺れるようにぐらぐらする。
クラスメイトの間を回るボールを追いかけ、ひたすら数字をめくる。
でも、これだって大事な役目だし。オレ、人の役に立つのが好きだし。だったら、ただ見学しているよりこれをやってるほうがいいよな?
気持ちを切り替え、口元に笑みを乗せて声を出す。
「ナイスシュート!」
ミーンミンミン。後ろの壁の向こう側にいる蝉もまだまだ元気いっぱいだ。夏はちょっと落ちた気分も無理やりにでもあげてくる。
体力が余っている男子たちの体育の時間は小さな戦場だ。足音が乱れ、大声が飛び交い、ボールの弾む音が熱い。
体育祭も楽しみだな。そんな思いでコート内を見つめる。するとコート向かいの壁に立つ深谷と目が合った。それが合図とばかりに深谷がこちらへ来る。
「おい」
声をかけられてびくっとする。同じチームの深谷はもう汗も引いていて、ジャージなのにイケメンオーラが目立つ。そのイケメンがこちらを見下ろして言う。
「お前、ちょこまか走ってるだけだったけど、やる気あんのか」
「ちが……っ! さっきは、パスが、回ってこなかっただけで」
できないって馬鹿にされた。
体がカッと熱くなったが、深谷は「そう」とコート内を見回した。そしてちらりと点数板のセット数を確認する。そしてこちらの顔を見た。
「次、桃瀬にパス出すから。前出ろよ」
「え?」
「パスが回ってこなかったんだろ。回すから」
深谷はそう一言言って去っていく。「え、うん」なんてオレの返事は誰にも届いてなくて、ボールとバッシュの音でかき消える。
深谷、ホントに考えが読めない。でも……邪魔扱いされないの、嬉しい。
再び選手を交代し、コートを駆け回る。ダムダムキュッキュッ。ボールとバッシュの音の中、深谷の位置を目で追いかける。
「桃瀬!」
深谷がボールを取った途端、目が合ってボールが飛んできた。バシッ。手に収まるボール。え、本当にくれた。嬉しさと興奮に一気に体が熱くなる。
深谷から回ってきたパスはドリブルしてから味方に繋げた。ざらつきのあるボールが手のひらに馴染む。みんなが触ったボールは汗が滲んでいて、全員でやっている感覚に気分が高揚した。こういうみんなでなにかをやるのが好きだ。
ピピーッ。響く笛の音で最後のゲームが終わる。体育館の壁にかかる大きな時計。白盤に黒のシンプルな目盛りを見れば授業終了五分前だ。
「六班、カゴを倉庫に戻して」
「はーい」
みんなが床に転がったボールもカゴへ戻していく。
「桃瀬」
鋭い声にはっと振り返ると、目の前に茶色のボールが迫ってきた。バシッ。手のひらがじんと痺れて手にボールが収まる。
「それ、片づけといて」
ノールックでボールを寄こした深谷が、壁際に置いてある水のペットボトルを手にしてごくごくと飲む。
その動く喉仏を見ていると、「桃ちゃん大丈夫?」と保科に耳打ちされた。はっとして微笑んでバスケットボールをカゴに入れる。
「めっちゃ平気。僕、中学のときはバスケは得意だったし。今日はシュートを外したけどさ」
そう言ってカゴにボールを入れると保科も笑顔になった。
「なあんだ。桃ちゃん、得意なんだ? 前期、水泳はできてなかったじゃん」
「水泳は経験が全て。スイミングやってた人には勝てないよ。でも球技は得意!」
「早く言えよ。もっとボール回したのに」
「次の授業から回してよ。シュートは背が高い人に阻まれるかもしれないけどさ」
「桃ちゃんは身長もかわいいからなあ」
みんなでカゴを倉庫に戻しながらわいわい笑い合う。
倉庫内はさっきまで使っていた点数板の他にもマットや卓球台、バレーボールのネットやポールなどが雑然と置かれていた。剣道部の使う体育館は別にあるので、少し新鮮だ。
でも、カゴの金属を押す手がまだじんじんと痺れて熱を持っている。冷房でも引かないそれが少し嬉しかった。
深谷は唯一オレを姫扱いしない男。深谷の前でだけは姫がうまくいかない。それなのに、今日はなんだか顔がにやける。
教室に戻ると、既に制汗剤のにおいが充満していた。ミントのにおいがするエメラルド色の制汗スプレーが残り少なくなっている。
帰りにドラッグストアに寄ろうかな。
そう思いながら、後ろの深谷を視界の端に入れる。とっくに着替え終わっている深谷は、バッグに教科書やノートをしまって帰り支度をしていた。
シャツのボタンを留めて前を見る。日直のひとりが黒板を消しており、もうひとりがプリントを配ろうとしていた。カゴを出すときに代わってくれた男子だ。
「僕が配るよ」
駆け寄ってプリントの束を取る。
「ほら、さっき代わってくれたし」
するとクラスメイトたちが小さく拍手して空気が軽くなった。
「桃ちゃん、優しい」
「うちのクラスの姫は中身が男前」
「いやいや、普通に順番!」
顔の前で手をひらひらと振って笑い、プリントの名前を見てひとりずつに渡していく。深谷に「はい!」と渡すと、受け取ろうとした深谷と指先が触れた。じんという痺れを思い出す。
深谷は無言で軽く頷き、瞬きをしてプリントを読み始めた。自分のプリントを自席に置き、クラスメイトの机の間をちょこまかと回る。
深谷だけが普通の男子として扱ってくる。その感覚が今日はオレの心臓の残機を増やそうとしてくる。窓の外で青空に広がる綿雲が校舎を見下ろしている。
今日は残機の数え方が難しい。明日補充して満タンにしておこう。
すぐに気分がよくなるオレもだいぶチョロい。ピピーッ。笛が鳴って、バシッと味方の手がセンターサークルでボールをタッチした。
「行け行け回せ!」
「ボール寄こせ!」
バンバンと床をドリブルする音とバッシュの音が体育館中を駆け抜ける。オレもボールを追って手をあげて合図した。
だが、ボールが回ってこない。ボールを持つクラスメイトと目が合うのに、なぜか別の子にボールが行く。
「桃ちゃん! あんま前出るなって!」
「桃ちゃんは応援係!」
「うっさーい! 僕だってできるし!」
見学席のクラスメイトからの声に言い返す。
「桃ちゃん、後ろ下がって」
「桃ちゃんはそっち!」
仲間からも指示が来て、バスケの熱よりかわいいの扱いが加速する。
バスケ、中学のときは得意だったのに。顔がカッと熱くなったが、とにかくボールを目線の先に捉える。
結局、パスは来ないし、ようやくボールを持てたと思ったらシュートをカットされた。ボールを触っていられた時間はほんの僅かだった。
ゼッケンを次の試合の子に渡し、シャツの裾を引っ張って顎の汗を拭う。
悔しい。入る隙がないって感じ。できるって示すチャンスもなかった。今はかわいいの使い方を間違えていた。こういうときは男子扱いしてほしい。
ため息を呑み込んで壁際に座ろうとする。するとゼッケンをつけている子から「桃ちゃーん」と声がかかった。
「点数板をやってくんない?」
するとその周りの子が笑う。
「桃ちゃんがやるって部活のかわいいマネージャーがやるって感じで華がある」
……華より戦力になりたかったんだけど。
でも、そんなことは言わない。にっこり笑って「もちろん!」と点数板の横に立つ。
この顔で笑っていれば人生は楽。の、はずだったんだけど。新学期初日の仕事はうまく回らない。ダムダムと弾むボールで心をドリブルされたみたいだ。床が揺れるようにぐらぐらする。
クラスメイトの間を回るボールを追いかけ、ひたすら数字をめくる。
でも、これだって大事な役目だし。オレ、人の役に立つのが好きだし。だったら、ただ見学しているよりこれをやってるほうがいいよな?
気持ちを切り替え、口元に笑みを乗せて声を出す。
「ナイスシュート!」
ミーンミンミン。後ろの壁の向こう側にいる蝉もまだまだ元気いっぱいだ。夏はちょっと落ちた気分も無理やりにでもあげてくる。
体力が余っている男子たちの体育の時間は小さな戦場だ。足音が乱れ、大声が飛び交い、ボールの弾む音が熱い。
体育祭も楽しみだな。そんな思いでコート内を見つめる。するとコート向かいの壁に立つ深谷と目が合った。それが合図とばかりに深谷がこちらへ来る。
「おい」
声をかけられてびくっとする。同じチームの深谷はもう汗も引いていて、ジャージなのにイケメンオーラが目立つ。そのイケメンがこちらを見下ろして言う。
「お前、ちょこまか走ってるだけだったけど、やる気あんのか」
「ちが……っ! さっきは、パスが、回ってこなかっただけで」
できないって馬鹿にされた。
体がカッと熱くなったが、深谷は「そう」とコート内を見回した。そしてちらりと点数板のセット数を確認する。そしてこちらの顔を見た。
「次、桃瀬にパス出すから。前出ろよ」
「え?」
「パスが回ってこなかったんだろ。回すから」
深谷はそう一言言って去っていく。「え、うん」なんてオレの返事は誰にも届いてなくて、ボールとバッシュの音でかき消える。
深谷、ホントに考えが読めない。でも……邪魔扱いされないの、嬉しい。
再び選手を交代し、コートを駆け回る。ダムダムキュッキュッ。ボールとバッシュの音の中、深谷の位置を目で追いかける。
「桃瀬!」
深谷がボールを取った途端、目が合ってボールが飛んできた。バシッ。手に収まるボール。え、本当にくれた。嬉しさと興奮に一気に体が熱くなる。
深谷から回ってきたパスはドリブルしてから味方に繋げた。ざらつきのあるボールが手のひらに馴染む。みんなが触ったボールは汗が滲んでいて、全員でやっている感覚に気分が高揚した。こういうみんなでなにかをやるのが好きだ。
ピピーッ。響く笛の音で最後のゲームが終わる。体育館の壁にかかる大きな時計。白盤に黒のシンプルな目盛りを見れば授業終了五分前だ。
「六班、カゴを倉庫に戻して」
「はーい」
みんなが床に転がったボールもカゴへ戻していく。
「桃瀬」
鋭い声にはっと振り返ると、目の前に茶色のボールが迫ってきた。バシッ。手のひらがじんと痺れて手にボールが収まる。
「それ、片づけといて」
ノールックでボールを寄こした深谷が、壁際に置いてある水のペットボトルを手にしてごくごくと飲む。
その動く喉仏を見ていると、「桃ちゃん大丈夫?」と保科に耳打ちされた。はっとして微笑んでバスケットボールをカゴに入れる。
「めっちゃ平気。僕、中学のときはバスケは得意だったし。今日はシュートを外したけどさ」
そう言ってカゴにボールを入れると保科も笑顔になった。
「なあんだ。桃ちゃん、得意なんだ? 前期、水泳はできてなかったじゃん」
「水泳は経験が全て。スイミングやってた人には勝てないよ。でも球技は得意!」
「早く言えよ。もっとボール回したのに」
「次の授業から回してよ。シュートは背が高い人に阻まれるかもしれないけどさ」
「桃ちゃんは身長もかわいいからなあ」
みんなでカゴを倉庫に戻しながらわいわい笑い合う。
倉庫内はさっきまで使っていた点数板の他にもマットや卓球台、バレーボールのネットやポールなどが雑然と置かれていた。剣道部の使う体育館は別にあるので、少し新鮮だ。
でも、カゴの金属を押す手がまだじんじんと痺れて熱を持っている。冷房でも引かないそれが少し嬉しかった。
深谷は唯一オレを姫扱いしない男。深谷の前でだけは姫がうまくいかない。それなのに、今日はなんだか顔がにやける。
教室に戻ると、既に制汗剤のにおいが充満していた。ミントのにおいがするエメラルド色の制汗スプレーが残り少なくなっている。
帰りにドラッグストアに寄ろうかな。
そう思いながら、後ろの深谷を視界の端に入れる。とっくに着替え終わっている深谷は、バッグに教科書やノートをしまって帰り支度をしていた。
シャツのボタンを留めて前を見る。日直のひとりが黒板を消しており、もうひとりがプリントを配ろうとしていた。カゴを出すときに代わってくれた男子だ。
「僕が配るよ」
駆け寄ってプリントの束を取る。
「ほら、さっき代わってくれたし」
するとクラスメイトたちが小さく拍手して空気が軽くなった。
「桃ちゃん、優しい」
「うちのクラスの姫は中身が男前」
「いやいや、普通に順番!」
顔の前で手をひらひらと振って笑い、プリントの名前を見てひとりずつに渡していく。深谷に「はい!」と渡すと、受け取ろうとした深谷と指先が触れた。じんという痺れを思い出す。
深谷は無言で軽く頷き、瞬きをしてプリントを読み始めた。自分のプリントを自席に置き、クラスメイトの机の間をちょこまかと回る。
深谷だけが普通の男子として扱ってくる。その感覚が今日はオレの心臓の残機を増やそうとしてくる。窓の外で青空に広がる綿雲が校舎を見下ろしている。
今日は残機の数え方が難しい。明日補充して満タンにしておこう。

