しんしんと雪が降る。世界の音さえ雪に覆われたみたいに、屋上だけ時間が進む。薄いガラスを細かく砕いたような繊細な音に耳を傾けると、深谷の吐く息が聞こえた。
急に耳が熱くなる。残機もガガッと減る。どくどく心臓が鳴って、右側だけ顔が熱い。保科の言葉が蘇って、こめかみが脈打つ。
心臓、勝手に走り出すな。まだスタート切ってないだろ。
屋上なら本音を話せる。そう思ったのに二人で雪を見るだけで精一杯。
だが、深谷のほうから口火を切った。
「俺も王子って言われる態度やめようかな」
「やめれば? 性格悪いやつにしか見えない」
「踏み込まれたくねえんだよ」
「うちのクラス、深谷のちょうどいい距離を分かってると思うけど」
「……それは、そう。最近、みんな優しい」
深谷がぽつりと言う。
「多分、姫のいるクラスだから」
「なんで?」
「なんでかな」
質問返し、やめろ。そう言う前に深谷がこちらを見た。
ちょうど目線の高さが同じになる屋上。深谷のイケメンに磨きがかかる。いや、好きだからそう見えるのかもしれない。胸がどきどきして、寒い風も頬の熱に勝てない。
「桃瀬はなんでここに来ようとした?」
「なんでって……雪を見ようってメッセージに書いたじゃん」
「俺は桃瀬が来るから来た」
ギュイン。一瞬で残機が三つ減った。なに、その不意打ち。意味が分かんない。
「……どういう意味」
「……桃瀬と、話したくて。ちゃんと。また、うまく言えないかも。だけど」
コートのポケットから出てきた大きな手がオレのコートの袖を掴んだ。くいっ。引っ張られた方向へ目が行って、長い睫毛の黒い目と目が合う。ピコンピコン。残機の警報音。
「桃瀬は、多分、聞いてくれる」
ふっと口の端からのぼる息が揺らいで、溶ける。
「……甘えんぼ」
「多分、そう。笹原に言われた。桃瀬に甘えるのもいい加減にしろって。だからずっと言葉を考えてた」
「……確かに、深谷の言うこと、たまに分かんない。左右の話はホント分かんない」
自分から行くのも桃ちゃんらしいと思う。保科の言葉が胸に広がって、思い切って言った。
「でも、深谷と話してると楽しい」
中二からオレの心にずっといた深谷。そしてオレの勝ちを手助けしてくれた深谷。姫でなくなりかけたとき支えてくれた深谷。
深谷がいなかったら、オレは今なにをしてたかな。深谷、お前がいるからオレは今すごく楽しい。深谷、オレ、お前の特別になりたい。
深谷が口を開けたまま動きを止めた。雪がはらはらと深谷のコートにつく。深谷のコートは紺色だから、白い雪が映えて深谷の名前を象徴しているみたいだ。
ぽかんと開いた深谷の口がふっと笑った。照れたようにはにかむと白い歯が見える。
「……俺も、桃瀬と話してると楽しい」
白い雪の中の深谷がきらきらしてる。イケメンがもっとイケメンに見えるのは……恋ですね。だって今胸がぎゅうって縮んで、寒さに負けないくらい体が熱い。天気、空気読め。ロマンチックすぎる……のは空気を読んだのか?
コートの袖を放した深谷が考えるように言う。
「桃瀬は夢を与えられる、って言った……最初に夢をもらったのは俺」
「竹刀を握って次こそ勝てますように?」
「……違う。桃瀬の隣に立てますように」
息を呑むと、深谷が「右側に」と付け加えた。
「その右へのこだわり、なに?」
「出席番号順」
「あっ、教室で座るときの並び!?」
深谷がフェンス越しの風景に目をやって息を吐く。
「四月、桃瀬が遅刻してきたときから、横顔を眺めてた。俺のことなんか覚えてなくて、元気な横顔だった。俺と違って、前に進む。そういう子だって、分かった」
深谷がまた言葉を探す。
「俺と違うから、眩しかった。どう接すればいいか、分からない。そうなると、短い言葉で言うしかなくなる。どうせ、長く喋れないし。でも、桃瀬は言った。言いたいこと言うのを待つって。中二のときの話をしたら、嫌われると思った。なのに、竹刀を持ってって言う。竹刀を持つことの重さを思い出した。ひとりきりになれる空間、相手が自分に向き合う空気、俺が好きだった剣道」
横顔の深谷の白い息が震える。でも、きっと寒さじゃない。だって深谷の頬が赤い。耳たぶまで赤い。
「桃瀬の隣にいると、いろんなことを思い出す。しゃべるのが楽しいとか、笑うのがおもしろいとか、電話が嬉しいとか。もういいやって諦めてたことを、やろうぜって言われてる気分。多分、俺の気持ちは間違ってないと思う。うまく言えないから、短く言うけど」
深谷がこちらをゆっくりと見た。そしてまっすぐに言う。
「桃瀬が好きだ。隣にいて一緒にいろんなことをしたい」
直球。間違いのないストレート。剣道なら間違いなく一本取られてる。
びゅっ。強い風に粉雪が舞う。前髪を耳にかけてもすぐにそよいでいく。
寒いのに、なんで目が熱いんだろう。胸の残機、もう数がよく分からない。減ってるんだか、増えてるんだか、ただ深谷の言葉に震えている。
こんなときに中身がイケメンか。語彙が壊滅的なくせに、肝心なところだけははっきり言う。先に言われたオレはどうしたらいいわけ。
違う、分かってる。相手が真剣なら自分も真剣に。だから、オレがすることはなにか、オレは分かっている。
「……深谷、オれっ?」
ずるっ。深谷のほうへ身を乗り出そうとしたら、片足が縁からそちらへ落ちかけた。思わずといったように深谷ががしっとオレを抱き止める。コート越しにしっかりした体を感じてそのまま固まった。耳の隣が熱い。いつもなら遠い深谷の頭が横にある。コートの深谷の腕の中が、本当に、あったかい。
「え、えっと、あの、深谷サン、放してください……」
すると深谷の腕がぎゅううっと締めつけてきた。心臓がぴょんと跳ねる。
このイケメンめ、言葉と行動でオレを掻き乱す作戦か。感情よ、ステイ。答えを出すにはまだ早い。
いや、違う。桃瀬は桃瀬でいい。桃瀬は夢を与えられる。そう言ってオレに自信をくれたのは深谷だ。中二の過去を超す夢をくれたのも深谷だ。相手は知らなかったけど、あの試合の日から深谷はずっとオレの隣にいた。だから、オレだって隣にいたい。
「桃瀬、返事は?」
「へ、へんじ?」
「こういうことは返事は必須」
「え、えっと」
多分、正解は、こう。オレはそっと手を伸ばし、深谷の背中のコートをぎゅっと掴んだ。ぴくっと揺れたネイビーのコートに思い切り顔を押しつける。コート越しに感じる深谷の大きい体がオレを包み込む。
のだが。
「深谷サン、片足宙ぶらりんは、割と、つらいです……」
すると、ずるずると深谷が前に屈み込み、足が床についた。縁の上にあった足を揃えると、向き合って抱きしめ合う格好になる。雪がひらひらと光って、ゆっくりゆっくり落ちていく。
なにこれ、胸の中で花火上がってる? ドンドンうるさい。
先にぷっと噴き出したのは深谷のほうだった。
「ちっさ」
「うっさい。無駄に身長ありすぎ」
もう顔の前は深谷の胸あたり。ネイビーのコートの毛羽立ちが頬にちくちく当たる。
「で? 返事は?」
「えっ、もうしたのに?」
「桃瀬、いつものおしゃべりはどうした。返事ってのは言葉でするんだよ」
あああああもう! 今日の残機、全部使い切る! だって、姫ポジ男子だって恋したい。自分の王子は自分で選ぶんだ。
「オレも深谷が好きだ!!」
オレの大声に「そっか」と小さく呟いた深谷がまたぎゅっと抱きしめてきた。白い息だけが屋上に揺れる。温かさに目を瞑る。
雪の音が耳元で鳴る。さらさらと、すべてを覆い尽くす雪。
たとえば、立ち入り禁止の屋上で抱き合った事実を秘密にできるような、そんな雪だ。でも、心の奥で桃が芽吹き始める。
ガチャ。
急にドアノブを回す金属音がして、顔を見合わせてぱっと離れた。キィと開いた扉から教師が顔を覗かせ、こちらを見て「こら!」と言う。
「立ち入り禁止だぞ! 早く帰りなさい。凍えるぞ」
「は、はい、すみません!」
その先生が屋上にある小さな小屋に入っていくのを見てちょっとだけ感謝した。いつも鍵を閉め忘れてくれてありがとう、先生。
「寒い」
深谷の声でオレもようやく寒さを思い出した。鞄を掴んで校舎の中に飛び込み、コートの雪を払う。
先にふっと笑いだしたのは深谷で、オレの口にも笑いが移った。明るくははっと笑う深谷の顔は以前も見た同い年の少年の笑顔で、澄ました王子とは全然違う。深谷が鞄を肩にかけ、閉めた扉を振り返った。
「鍵閉め忘れてくれて感謝しかないな」
「オレも思った。でも、帰ろう」
「ラーメン行かねえ?」
「行く!」
決めると先に深谷が階段をたんたんと下り出した。軽いステップにどんどん気持ちが明るくなる。残機、どんどん増えていく。オレが一段飛ばしで下りると、深谷が振り返って手を伸ばしてきた。交差する視線がオレの気持ちを押す。
姫と結ばれるのは王子。だから王子の手を取る。
温かい手。ダンッ。四段上から飛んで踊り場に下りると、「うわっ」と引っ張られた深谷が慌てて下りてきた。次第に足が速くなる。
「桃瀬危ねえな!」
「うっさい! ラーメンがオレを呼んでんの!」
「味噌ラーメン?」
「今日はとんこつ!」
するとオレの隣を下りだした深谷がふふんとこちらを見た。
「自転車の後ろに乗せてやろうか」
「二人乗りは法律違反」
「二人乗りは青春の鉄板なのに」
「王子が法律違反するな」
「姫は黙って王子の後ろに乗れよ」
「命令形で言うな!」
「文法の話はしてねえよ」
雪の季節の次は桃の季節。恋する気持ちは春の予感しかしない。
「深谷」
オレはぐっと深谷の腕を下へ引っ張った。前に下りた深谷の耳が口元に来る。
「大好き!」
王子が顔を赤くさせて白い歯を見せる。オレも多分赤い。残機、もう数えられない。メーター、振り切ってる。胸が温かい。好きって言葉、深谷限定のホッカイロかよ。
階段の踊り場に二人の影が隣り合って伸びる。こんなふうに深谷の隣を歩いていく。雪が止む桃の季節まで、その先もずっと。
【了】
急に耳が熱くなる。残機もガガッと減る。どくどく心臓が鳴って、右側だけ顔が熱い。保科の言葉が蘇って、こめかみが脈打つ。
心臓、勝手に走り出すな。まだスタート切ってないだろ。
屋上なら本音を話せる。そう思ったのに二人で雪を見るだけで精一杯。
だが、深谷のほうから口火を切った。
「俺も王子って言われる態度やめようかな」
「やめれば? 性格悪いやつにしか見えない」
「踏み込まれたくねえんだよ」
「うちのクラス、深谷のちょうどいい距離を分かってると思うけど」
「……それは、そう。最近、みんな優しい」
深谷がぽつりと言う。
「多分、姫のいるクラスだから」
「なんで?」
「なんでかな」
質問返し、やめろ。そう言う前に深谷がこちらを見た。
ちょうど目線の高さが同じになる屋上。深谷のイケメンに磨きがかかる。いや、好きだからそう見えるのかもしれない。胸がどきどきして、寒い風も頬の熱に勝てない。
「桃瀬はなんでここに来ようとした?」
「なんでって……雪を見ようってメッセージに書いたじゃん」
「俺は桃瀬が来るから来た」
ギュイン。一瞬で残機が三つ減った。なに、その不意打ち。意味が分かんない。
「……どういう意味」
「……桃瀬と、話したくて。ちゃんと。また、うまく言えないかも。だけど」
コートのポケットから出てきた大きな手がオレのコートの袖を掴んだ。くいっ。引っ張られた方向へ目が行って、長い睫毛の黒い目と目が合う。ピコンピコン。残機の警報音。
「桃瀬は、多分、聞いてくれる」
ふっと口の端からのぼる息が揺らいで、溶ける。
「……甘えんぼ」
「多分、そう。笹原に言われた。桃瀬に甘えるのもいい加減にしろって。だからずっと言葉を考えてた」
「……確かに、深谷の言うこと、たまに分かんない。左右の話はホント分かんない」
自分から行くのも桃ちゃんらしいと思う。保科の言葉が胸に広がって、思い切って言った。
「でも、深谷と話してると楽しい」
中二からオレの心にずっといた深谷。そしてオレの勝ちを手助けしてくれた深谷。姫でなくなりかけたとき支えてくれた深谷。
深谷がいなかったら、オレは今なにをしてたかな。深谷、お前がいるからオレは今すごく楽しい。深谷、オレ、お前の特別になりたい。
深谷が口を開けたまま動きを止めた。雪がはらはらと深谷のコートにつく。深谷のコートは紺色だから、白い雪が映えて深谷の名前を象徴しているみたいだ。
ぽかんと開いた深谷の口がふっと笑った。照れたようにはにかむと白い歯が見える。
「……俺も、桃瀬と話してると楽しい」
白い雪の中の深谷がきらきらしてる。イケメンがもっとイケメンに見えるのは……恋ですね。だって今胸がぎゅうって縮んで、寒さに負けないくらい体が熱い。天気、空気読め。ロマンチックすぎる……のは空気を読んだのか?
コートの袖を放した深谷が考えるように言う。
「桃瀬は夢を与えられる、って言った……最初に夢をもらったのは俺」
「竹刀を握って次こそ勝てますように?」
「……違う。桃瀬の隣に立てますように」
息を呑むと、深谷が「右側に」と付け加えた。
「その右へのこだわり、なに?」
「出席番号順」
「あっ、教室で座るときの並び!?」
深谷がフェンス越しの風景に目をやって息を吐く。
「四月、桃瀬が遅刻してきたときから、横顔を眺めてた。俺のことなんか覚えてなくて、元気な横顔だった。俺と違って、前に進む。そういう子だって、分かった」
深谷がまた言葉を探す。
「俺と違うから、眩しかった。どう接すればいいか、分からない。そうなると、短い言葉で言うしかなくなる。どうせ、長く喋れないし。でも、桃瀬は言った。言いたいこと言うのを待つって。中二のときの話をしたら、嫌われると思った。なのに、竹刀を持ってって言う。竹刀を持つことの重さを思い出した。ひとりきりになれる空間、相手が自分に向き合う空気、俺が好きだった剣道」
横顔の深谷の白い息が震える。でも、きっと寒さじゃない。だって深谷の頬が赤い。耳たぶまで赤い。
「桃瀬の隣にいると、いろんなことを思い出す。しゃべるのが楽しいとか、笑うのがおもしろいとか、電話が嬉しいとか。もういいやって諦めてたことを、やろうぜって言われてる気分。多分、俺の気持ちは間違ってないと思う。うまく言えないから、短く言うけど」
深谷がこちらをゆっくりと見た。そしてまっすぐに言う。
「桃瀬が好きだ。隣にいて一緒にいろんなことをしたい」
直球。間違いのないストレート。剣道なら間違いなく一本取られてる。
びゅっ。強い風に粉雪が舞う。前髪を耳にかけてもすぐにそよいでいく。
寒いのに、なんで目が熱いんだろう。胸の残機、もう数がよく分からない。減ってるんだか、増えてるんだか、ただ深谷の言葉に震えている。
こんなときに中身がイケメンか。語彙が壊滅的なくせに、肝心なところだけははっきり言う。先に言われたオレはどうしたらいいわけ。
違う、分かってる。相手が真剣なら自分も真剣に。だから、オレがすることはなにか、オレは分かっている。
「……深谷、オれっ?」
ずるっ。深谷のほうへ身を乗り出そうとしたら、片足が縁からそちらへ落ちかけた。思わずといったように深谷ががしっとオレを抱き止める。コート越しにしっかりした体を感じてそのまま固まった。耳の隣が熱い。いつもなら遠い深谷の頭が横にある。コートの深谷の腕の中が、本当に、あったかい。
「え、えっと、あの、深谷サン、放してください……」
すると深谷の腕がぎゅううっと締めつけてきた。心臓がぴょんと跳ねる。
このイケメンめ、言葉と行動でオレを掻き乱す作戦か。感情よ、ステイ。答えを出すにはまだ早い。
いや、違う。桃瀬は桃瀬でいい。桃瀬は夢を与えられる。そう言ってオレに自信をくれたのは深谷だ。中二の過去を超す夢をくれたのも深谷だ。相手は知らなかったけど、あの試合の日から深谷はずっとオレの隣にいた。だから、オレだって隣にいたい。
「桃瀬、返事は?」
「へ、へんじ?」
「こういうことは返事は必須」
「え、えっと」
多分、正解は、こう。オレはそっと手を伸ばし、深谷の背中のコートをぎゅっと掴んだ。ぴくっと揺れたネイビーのコートに思い切り顔を押しつける。コート越しに感じる深谷の大きい体がオレを包み込む。
のだが。
「深谷サン、片足宙ぶらりんは、割と、つらいです……」
すると、ずるずると深谷が前に屈み込み、足が床についた。縁の上にあった足を揃えると、向き合って抱きしめ合う格好になる。雪がひらひらと光って、ゆっくりゆっくり落ちていく。
なにこれ、胸の中で花火上がってる? ドンドンうるさい。
先にぷっと噴き出したのは深谷のほうだった。
「ちっさ」
「うっさい。無駄に身長ありすぎ」
もう顔の前は深谷の胸あたり。ネイビーのコートの毛羽立ちが頬にちくちく当たる。
「で? 返事は?」
「えっ、もうしたのに?」
「桃瀬、いつものおしゃべりはどうした。返事ってのは言葉でするんだよ」
あああああもう! 今日の残機、全部使い切る! だって、姫ポジ男子だって恋したい。自分の王子は自分で選ぶんだ。
「オレも深谷が好きだ!!」
オレの大声に「そっか」と小さく呟いた深谷がまたぎゅっと抱きしめてきた。白い息だけが屋上に揺れる。温かさに目を瞑る。
雪の音が耳元で鳴る。さらさらと、すべてを覆い尽くす雪。
たとえば、立ち入り禁止の屋上で抱き合った事実を秘密にできるような、そんな雪だ。でも、心の奥で桃が芽吹き始める。
ガチャ。
急にドアノブを回す金属音がして、顔を見合わせてぱっと離れた。キィと開いた扉から教師が顔を覗かせ、こちらを見て「こら!」と言う。
「立ち入り禁止だぞ! 早く帰りなさい。凍えるぞ」
「は、はい、すみません!」
その先生が屋上にある小さな小屋に入っていくのを見てちょっとだけ感謝した。いつも鍵を閉め忘れてくれてありがとう、先生。
「寒い」
深谷の声でオレもようやく寒さを思い出した。鞄を掴んで校舎の中に飛び込み、コートの雪を払う。
先にふっと笑いだしたのは深谷で、オレの口にも笑いが移った。明るくははっと笑う深谷の顔は以前も見た同い年の少年の笑顔で、澄ました王子とは全然違う。深谷が鞄を肩にかけ、閉めた扉を振り返った。
「鍵閉め忘れてくれて感謝しかないな」
「オレも思った。でも、帰ろう」
「ラーメン行かねえ?」
「行く!」
決めると先に深谷が階段をたんたんと下り出した。軽いステップにどんどん気持ちが明るくなる。残機、どんどん増えていく。オレが一段飛ばしで下りると、深谷が振り返って手を伸ばしてきた。交差する視線がオレの気持ちを押す。
姫と結ばれるのは王子。だから王子の手を取る。
温かい手。ダンッ。四段上から飛んで踊り場に下りると、「うわっ」と引っ張られた深谷が慌てて下りてきた。次第に足が速くなる。
「桃瀬危ねえな!」
「うっさい! ラーメンがオレを呼んでんの!」
「味噌ラーメン?」
「今日はとんこつ!」
するとオレの隣を下りだした深谷がふふんとこちらを見た。
「自転車の後ろに乗せてやろうか」
「二人乗りは法律違反」
「二人乗りは青春の鉄板なのに」
「王子が法律違反するな」
「姫は黙って王子の後ろに乗れよ」
「命令形で言うな!」
「文法の話はしてねえよ」
雪の季節の次は桃の季節。恋する気持ちは春の予感しかしない。
「深谷」
オレはぐっと深谷の腕を下へ引っ張った。前に下りた深谷の耳が口元に来る。
「大好き!」
王子が顔を赤くさせて白い歯を見せる。オレも多分赤い。残機、もう数えられない。メーター、振り切ってる。胸が温かい。好きって言葉、深谷限定のホッカイロかよ。
階段の踊り場に二人の影が隣り合って伸びる。こんなふうに深谷の隣を歩いていく。雪が止む桃の季節まで、その先もずっと。
【了】

