姫ポジ男子だって恋したい

「なんで」
 そこで言葉に詰まったら、深谷がぎょっとした顔をしてこちらを見た。ぶわっ。涙がぼろっと出てくる。視界が滲んで、こすってもこすっても深谷の顔が海に沈む。
「なんでっ……怒ってんの……なんで、理由言わねえのっ……オレ、なにかした? 謝るから……お守り、ちゃんと外すからっ……」
「あっ……いやっ」
 途端に深谷が慌てふためいた。
 そうだ、こいつ泣かれるとダメなんだった。でも、涙止まんない。オレの涙製造機、スピード速いんだ。好きだと二倍速になる。
「なんでっ……オレ無視すんの……怒るのはいい……理由聞くから。無視は嫌いだ。なんで嫌われたのか分かんない……!」
「ち、ちがっ……」
 しどろもどろの深谷の声が体育館倉庫の埃っぽい部屋で迷子になる。
「無視、したかった、わけじゃなくてッ……逆、でっ……!」
「逆ってなに!?」
 涙を袖で拭いながら声をあげると、また深谷が焦った表情で必死に言葉を探す。
「言葉考えててっ……うまく、言えな」
 胸が痛い。頭が痛い。恋って痛いんだ。残機、もうない。深谷の語彙消失、今日は無理。
「馬鹿! 説明できないなら泣かせるな!」
 泣いて困らせたかったわけじゃない。でも、この痛みを抱えるのはもう限界だ。
 竹刀を床に置いて踵を返す。目に埃が入ったんだ。そう言ってみんなに笑顔を向けよう。
 ぐいっ。いきなり袖を引っ張られた。
「待って……」
 振り返れば深谷の指が震えてオレの袖に縋り付いている。でかい深谷が、チビのオレに。
 顔、少し白い。暖房のない体育館倉庫だから息も白い。それなのに目が少し赤い。そして薄いくちびるが言う。
「理由……先輩が鞄持ったから……持たせたくなくて……持たなくていいのに……お守りがあったから……ムカついて……」
 深谷が首を振る。
「ムカつくの……止まらなくて……桃瀬に当たった……」
 ようやく深谷がしゃべった。でも、言っていることが分からない。
「オレが姫扱いされるのがちょっとって言ったから、かばってくれたってこと?」
 鼻を啜って聞くと、深谷はすごく困った顔をして「……一割くらい、そう」と答えた。続けて首を振る。
「桃瀬が笑ってたから……姫扱いが嬉しそうで……なんでって……」
「でも、笑顔で人と接するのは大事だと思うけど」
「あ、そういうことじゃ」
 深谷の言ってることが相変わらず分からない。でも、逃げずに必死に言葉にしようとしている。無視せずに真剣にオレに言葉を尽くそうとしている。
「姫なのは分かる……みんな楽しくて桃瀬もそれが好き……でも、あのときは、違うっていうか……お守り、あったから」
 お守り。深谷がくれたお守り。桃瀬は夢を与えられる。その言葉があのお守りと一緒にオレの胸にまだ響いて残っている。
「……そのお守りをつけてるのが嫌だったんでしょ?」
「違う」
 いきなり即答が返ってきた。
「え、じゃあつけてていいの?」
「いい。あれは、桃瀬に渡したから」
 こちらも即答だった。なんだ? 分かるようで分かんない。
「あと……先輩が右なのも嫌だった……桃瀬は左を歩くな」
「道路の話? 右側通行ってこと?」
「そうじゃなくて……右はダメなんだよ。先輩は、ダメ」
「車道側は年長者が歩くべき、みたいな話? 危ないぞってこと?」
「……だって、その場所は俺の……」
 深谷が視線をうろうろさせて黙った。言葉を探している。
 あ、そろそろ語彙が尽きるかも。今ここに笹原を呼びたい。笹原、深谷の翻訳機になってくれ。
 すると深谷のほうから笹原の名前を口にした。
「笹原に……怒られた」
「なんで?」
 深谷はそれに答えず、「ごめん」と一言絞り出して目を伏せた。ぎゅっと両手が袴を握り締める。しん。倉庫内が沈黙に落ちる。
 ごめん。深谷の謝罪が胸に響いてまた涙が出た。言ってることはよく分からなかったけど、しゃべれる関係に戻れたのは分かった。オレ、本当にチョロい。もう縮んだ心臓が息を吹き返している。心がゆるゆるとほぐれていく。
 なに、この乱高下。残機がひとつだけ増えた。深谷が好きだから、深谷の言動で残機が動く。――やっぱり、オレ、深谷が好きなんだ。好きだから、つらかったんだ。好きだから、嬉しいんだ。単純だけど、好きな人には弱い。
「――深谷」
 笹原がひょいと倉庫に顔を覗かせた。
「罰としてその竹刀片づけるのお前。桃瀬はこっちに連行」
「おまっ……それお前がサボりたいだけ……!」
 深谷が声をあげたが、手招きされてそっちへ行った。はいはいと背中を押されるまま体育館の外に出る。はあと笹原が呆れたように腕を組んだ。
「桃瀬、よくあれに付き合えるね? あいつ、めんどくさすぎ」
「まあ……でも、嫌われてなくてよかった。深谷、怒ってんのかと思ってた」
「あれは()ねてたんだよ。感情の処理が下手クソな上に不器用さが加わるから、ああいう態度になる。桃瀬は怒っていいんだぞ? 完全にあいつが悪い」
 拗ねてた。ああ、ふてくされてたのか。納得。すとんと心に落ちた。オレ、透明人間になったわけじゃなかったのか。
「笹原、深谷と意思疎通ができるんだ。すっご」
「すごいのは桃瀬だよ。嫌われてなくてよかったとか……お前に非は一ミリもないの。ここはお前がブチ切れるシーンなの」
「あーうん、なんていうか」
 頭を掻き、笹原を見上げた。
「深谷ってさ、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいるんじゃない? あと、末っ子だったり」
「え、いる。お姉さん。二人姉弟の末っ子。ちょっと年が離れてる」
「やっぱな。なんか見たことあるなと思ったら、オレの弟が拗ねたときとそっくり。感情に言葉が追いつかないっていうか、言わなくても分かってくれると思って言葉を飛ばすっていうか。一言で言うと甘えん坊。ああいうタイプ、放っとけないんだよ」
 放っておけない。多分、そういうこと。だってさっきまで泣いてたのに、もう深谷のことを考えるだけで胸が温まる。
 神様、さっき怒ってごめん。これが恋なんだよな。
 すると笹原がぷはっと噴き出した。腹を抱えて笑いだす。
「よく分かってる! あいつ、あんな見た目して子どもっぽいんだよ。特に桃瀬みたいなしっかり者に弱いわけ。無意識で甘えていい相手って認定するんだよ。見た目と中身のギャップがすごいから誤解されやすいの」
「笹原も認定された側なんだ?」
「そういうこと」
 顔を見合わせ、お互い笑った。ピコンピコン。あれ、笹原と話したら残機復活した。こいつ、やっぱり優しいやつなのかも。
 思い切って聞いてみる。
「笹原、さっき深谷の話でよく分かんなかったことなんだけど、左歩くなとか右がダメとか、意味分かる?」
「なにそれ」
「多分だけど、オレが左側で人が右側を歩くのがダメらしい。逆ならいいってこと?」
「並び順にケチつけるってどんなわがままだよ。でも、おもしろいなあ」
 笹原がにんまりと悪い顔をした。
「三人で帰ろう。俺が桃瀬の右側を歩くから、そのときの反応を見てやろう。なにか分かるかもしれないだろ」
「笹原、深谷の友だちだよな? 嫌がらせはほどほどにな?」
「桃瀬も深谷を甘やかしちゃダメなんだよ。仏心もほどほどに」
 二人でははっと笑い、更衣室から出ていく先輩たちに挨拶して戻った。もう涙は出なかった。
 こちらより早く戻ったくせに、のろのろと着替えをしている深谷がいる。笹原がロッカーの扉を開けながら言った。
「深谷ー、今桃瀬と話してたんだけどさ、帰りにコンビニ行かない? ちょっと腹減ったよなって言ったら、桃瀬も同じだって言うから」
 オレも話を合わせた。
「肉まんのジューシーな肉汁がオレを呼んでるわけ」
「……行く」
 深谷が頷いたので、三人で更衣室の掃除をして体育館を出た。昇降口を出る。笹原は深谷と同じ中学だけど、電車通学だ。笹原と足を止め、深谷に自転車を取ってくるよう促す。そして深谷が合流するとオレが左、笹原が右に並んで歩いた。オレの歩調に合わせてお守りが跳ねる。
「夕方は寒いねえ」
「二月のほうが雪が降る日多いよ。もっと寒くなる」
 後ろからカラカラと自転車を押す音がついてくる。
「笹原、雪の季節の次ってなにか知ってる?」
「桜じゃない?」
「いや」
 オレが言いかけたとき、後ろから「桃瀬」と深谷が言った。振り返ると、眉間にしわが寄っている。最近お前のその顔見まくってる。しわの跡ができるからやめろ。
「鞄、お守り、取れそう」
「えっ、やめてよ、そういう脅し」
 慌てて鞄を確認し、黄緑がそこにいることにほっとする。
 コンビニに着くと、オレと笹原が肉まん、深谷はあんまんを買った。車止めに腰かけようとすると、笹原とオレの間に深谷がぐいっと割り込んできた。
 オレが左、真ん中深谷、右が笹原。ううん、なんだこの順番。でも、確かに深谷はよくオレの右にいる。笹原はよく分からないという顔。
 ちらりと目を合わせ、揃って肩をすくめる。甘えん坊の扱いは難しい。
「深谷」
 肉まんの半分をちぎって渡す。
「半分こ」
 すると深谷は黙ったまま半分のあんまんを差し出してきた。一口かぶりつくと、口の中が甘く溶けていく。
 三人で食べる肉まんは涙を吸ってくれる。湯気が立っておいしかった。