姫ポジ男子だって恋したい

 今日の部活はジャージで体育館に集合。体を温めるために走る。
「階段ダッシュ行くぞー」
「オーッス!」
 学校から列になって走っていく。はっはっと白い息をリズムをつけて吐き、神社の下まで行く。冬の空は澄んでいる。少し影を含んだうね雲が空を覆っていたが、そこを目指すのは悪くない。
「よーい、スタート!」
 パンッ。顧問の合図とともに地面を蹴った。冷たい空気が頬を切る。息が白く伸びる。
「あああ寒い寒い!」
 隣の男子の叫びに空に向かって答える。
「とにかく走れ! 暑くなる!」
「男前姫、今日も男前!」
 ダンッ、ダンダンッ。階段の曲がり角を抜け、石段の先に深谷と笹原の背中を捉えた。笹原が低く見えるのがムカつく。二人とも足長いな!
「クソッ」
 ダンッ。足の裏で踏みしめ一気に駆け上がった。二人を追い抜く。深谷が一瞬目を丸くした。
「バーカバーカ、足長いくせにオレに抜かされてやんの!」
 自転車の仕返しと分かったのか深谷がむっとした顔をした。笹原は「幼稚」と小さく言ったが、すぐに深谷がスピードをあげた。
「桃瀬、抜かす!」
「深谷になんか抜かされないし!」
 そこからはとにかくダッシュ。腕を振って、坂道で抜かされて、階段で抜き返して、朱い鳥居を抜けたときは二人ともぜいぜい言っていた。ぽたぽたと顎から落ちる汗をそのままに、膝に手をついてぜいぜいと息をつく。もう言葉も出てこない。
 ちらりと深谷を見る。背中で息をつく深谷もはあはあと頬を染めていた。
 朱い鳥居と青空と白い息。冬のコントラストは目に眩しい。
「あのねえ、なにしてんの?」
 笹原がのぼってきて、呆れた顔をする。親指を立ててみせた。
「勝った。オレ、階段一段ぶん勝ったから!」
「鳥居を抜けたのは俺が先」
「階段ダッシュなんだから階段で勝負じゃん」
「ゴールは鳥居」
 深谷が冷たい目線でこちらを見下ろしてきたので、頭を掻きむしる。
「ああ、オレ、詰めが甘い!」
「二人ともねえ、安易な競争で怪我したら」
 笹原がなにか言ったが、オレは深谷を指さした。
「次回の階段ダッシュ、負けないから!」
「おてんば姫、せいぜい頑張れ」
 深谷がツンとして、その王子の仮面を剥いでやろうかと悔しくなる。視界の隅で笹原がやれやれと言ったように頭を掻いた。
 ダッシュと稽古で疲れたその日は夜九時には瞼が重かった。冬期講習の宿題をなんとか終わらせ、ベッドに潜り込む。羽毛布団がオレを甘やかす。すぐに眠気が襲ってきた。
 でも、翌日の授業はあったかくて地獄。疲れがとれていなくて、眠さマックス。残機は減っていないけど、見えない感じ。
 三時間目が終わって突っ伏する。すぐに瞼を閉じたが、なんだか前髪に違和感がある。前髪を触られている。なんだと思ってぼんやり瞼を開けると、前髪をさらっとよける指が目の前にあった。右から伸びている深谷の指だ。その指先をつつく。
「もう、深谷なに……その熱、うっさい……」
 眠らせろ。その手を振り払おうとすると、バシッと後頭部をはたかれた。
「なにすんだ!」
 思わず声をあげてガタッと立ち上がると、無表情の深谷が前を指さした。そちらを見ると数学の教師が教壇に立っている。クラスメイトは教科書とノートを広げて座っている。
「授業、始まってる」
「えっ? あ! 先生、すみません! 寝ぼけました!」
「桃瀬と深谷、痴話げんかはあとでやれ」
 寝ぼけるとか、恥ずい。教師の言葉にオレが真っ赤になると、教室がどっと笑いに包まれた。なぜか隣の深谷まで耳を赤くさせて下を向いている。
「桃ちゃん、眠り姫もかわいいぞ!」
「王子と姫のロマンスは数式でも解けない」
 やんやと盛り上がる教室。恥ずかしすぎる。ちんまりと座って急いで教科書を広げる。
 だが、数学は苦手だ。xとかyとかホントに意味分かんない。またうつらうつらする。そのたびに右側から手が伸びてきて頭を引っぱたかれる。もう声をあげる気にもなれない。眠い。
 キーンコーンカーンコーン。終わりのチャイムにそのまま突っ伏すると、先生の「桃瀬を寝かせてやれ」の言葉が聞こえた。
 先生、ありがとうございます。マジで眠いんです。
「ふーかーやー」
 突っ伏するオレの横を保科の声が通り過ぎた。
「仕方ないなあ。王子にくれてやる」
「なにを」
「桃が好きかあ。桃はお勧めだよ」
「……」
「あ、果物の桃な? 好きなの分かる。甘いし」
 話に乗りたかったけど、もう半分夢の中に足を突っ込んでいた。深谷、桃が好きか。オレ、梨が好き。
 仮眠が効いたのか、部活ではライフゲージ満タンだった。
 練習で笹原と当たる。笹原の気持ちを考えると気が引き締まる。勝てなかったが、手応えは感じた。終わったあとに笹原に尋ね、気づいたことや弱点を教えてもらう。最後に「全部克服するまで何年かかるだろうね?」っていう嫌味ももらったけど。
 挨拶を終えて気分よく着替え、制服のボタンを留める。隣でネクタイを締める笹原に「果物ってなにが好き?」と聞いた。笹原が「果物?」と怪訝そうな顔をする。
「オレ、梨。笹原は?」
「なんでそんな話になってんの」
「クラスで話題になってさ。深谷は桃らしい」
 瞬間、背中に刺さるような視線を感じた。
 バンッ。ロッカーが大きな音を立てて、びくっとする。少し離れたところの深谷が扉を閉めた音だ。
「備品は大切にしろ!」
 思わず怒鳴ると、深谷はなぜかよろっとした足取りで更衣室を出ていった。笹原が「今のは桃瀬が悪いからな」とため息をつく。
「なんで。とにかく笹原はなにが好きなの」
「メロンだけど、今のは桃瀬が悪いの」
「なんでだよ」
「鈍いって罪だねえ。お前、重罪」
「意味分かんない……深谷と言い、笹原と言い、なんでそんなひねくれてんの?」
「分かんないよねえ。お前、脳筋姫だもんね」
「失礼だな! 笹原、彼女存在してる? 幻想じゃないの」
「桃瀬こそ失礼。ほら、証明」
 笹原の見せてくれたスマホに、テーマパーク前のツーショットが写っている。笹原はいつもよりずっと素直な笑顔をしているように見えた。
「笹原様、大変失礼しました。彼女、美人でお見それしました」
 すると笹原がなぜかオレの顔をじろじろ見た。
「まあ……桃瀬も顔はかわいいけど……」
「オレがかわいくてもしょうがないじゃん。これには賞味期限があるし」
「賞味期限?」
「この先オレが大きくなって、輪郭が男っぽくなったりして」
 すると笹原は「そうだねえ」とにんまりとしてコートを羽織った。
「背伸びるといいね」
「ムカつく!」
「また明日なー」
 マフラーを巻きながら更衣室を出ていく。クソ、その彼女にいつかお前の嫌味っぽいところを吹き込んでやる。
 その夜はしっかり寝たので朝も起きられた。冷えた空気を肺まで吸い込んで、霜をざくざく踏んでから登校する。でも、xとyは分からない。宿題を出されてげんなりする。部活のあと家でやるのはしんどそうだ。
 部活までの時間、図書室へ行った。オレの学校の図書室は自習室も兼ねていて、県内でもかなり広い設備らしい。いきなり宿題をする気にはなれなかったので、本棚のところへ行って棚を眺める。
「なにしてんの」
 小さな声が聞こえたと思ったら鞄とコートを持った深谷だった。そして棚とオレを見比べてにやりと腕を組んだ。
「姫、本をお取りしましょうか」
 こいつ、今オレが踏み台を探そうとしたのを見抜いたな。仕方なく「あれ」と上の棚を指さす。
「これ?」
 隣の深谷がオレの真上の棚に手を伸ばす。その指を追うと、イケメンを下から見上げる形になる。少し傾いた深谷の体が肩にとんと触れた。なぜかそこから発熱する。
 熱、落ち着け。残機のメータが狂う。
 本を取ってもらうと、オレは「サンキュ」と自習スペースへ移動した。空きスペースを見つけて鞄を置くと、ゆっくりと深谷がやって来た。
「……隣のここ、空いてる?」
 いつもより小さな声。誰も座っていない左隣の席を指す。
「空いてんじゃない?」
「だろうな」
 よく分からないやり取りをして、隣に座る。ちらっとそちらを見たら、ちらりと見返された。睫毛の長い瞬き。ひとつ見ると残機がひとつ増える。
 深谷が左に座ったから、教室での並び順とは逆だ。その並びがくすぐったくて、左側に置いた教科書を見るたび深谷の腕を視界に入れてしまう。
 貸し出しですか。期限は二週間後です。カウンターにいる図書委員の声が聞こえる。シャーペンが止まる。数学、やっぱり分からないし嫌い。
「集中してない」
 深谷が白いワイヤレスイヤホンを差し出してきた。
「なにこれ」
「集中できる音楽」
 なにそれ。そう思って左耳に入れた。でも、無音。
「なんも聞こえない。再生してる?」
 すると深谷が自分の耳のイヤホンをコンコンとつついた。「ループさせてる」と言う。
「4分33秒って曲。楽器の音がなくて、その場の音を聞くっていう音楽」
 なんだその哲学的な音楽は。
 イヤホンに耳を傾けると、耳が研ぎ澄まされた。面の中で音を聞くときと同じ。自分の息、自分の心臓、本やノートをめくる音、シャーペンが走る音、誰かの咳払い。――深谷の呼吸音。
 あ、やれそう。
 もう一度教科書を見る。xとy。まだよく分からない。でも、分からないことは小さなところからほぐしていけばいい。オレは今日も勝つ。マーカーの蓋をきゅぽっと外した。