姫ポジ男子だって恋したい

 深谷の声が痛みに耐えていて、胸がことりと音を立てる。
 体育館の温度が冷える。オレの心も冷たくなる。でも、当時のことを思い出したからじゃない。深谷が傷ついているからだ。
 一生懸命言葉を探す。
「深谷……あのとき泣いたのは、悔しかったから。それだけ。小さいのが嫌だったし、勝ちたかった。でも、相手にムカついたりしてない」
 深谷がゆっくりと顔をあげる。続けてたたみかける。
「ラッキーって思うの、普通じゃん? オレだって背が高かったらラッキーって思ったかもしれないし。だって、オレは背が低くて姫でいられるのをラッキーって思ってたから。オレが泣いたのを見ただけでそこまで考えるお前が優しすぎるんだよ」
 深谷がため息をつく。
「別に……優しくない」
「まあ、椅子に蹴り入れるやつは優しくないけど」
「起こしてやってんだから優しいだろ」
「お前の優しさ、意味不明」
 深谷が息をついき、話を戻す。
「いろいろ言われてきた……背が高いから有利だとか、袴姿が様になるとか、俺の気持ちなんて考えもしねえ言葉」
 ちょっと分かる。ただの感想を勝手に押しつけられるやつ。深谷が暗い顔になる。
「俺がその子にしたことも、同じ。その子の気持ちなんて考えもしねえ……どうでもいいやり方で、勝った」
 深谷がぽつりと言う。
「桃瀬、背の高い相手、苦手だろ」
「そうだけど……深谷のせいってわけじゃ」
 嘘だった。相手が背が高いと中二のときのことを思い出す。でも、それがオレのモチベーションだった。
 深谷が自分の右手を見る。
「俺が竹刀を持つと相手が傷つく。集中できなくて……捻挫した。痛かったけど、あの子のほうが痛かっただろうなって思った。竹刀を人に向けるのが怖くて……限界だった。……剣道をやめた。桃瀬にはずっと謝りたかった……けど、本当のことを言うと……傷つく。コーチ役をやれって言われて……桃瀬に礼を返すチャンスだって思った。だから……お前にだけうるさかったかも。桃瀬に、勝ってほしくて……俺の自己満。ごめん」
 深谷の声が空気に溶けるように消える。
 深谷の言葉が頭の中に反響して、心がめちゃくちゃだった。
 なんでオレじゃなくてお前が負けたと思うんだって怒鳴りたいし、あの試合に負けたから今日に繋がったんだって泣きたくなる。深谷のアドバイスで上達したのは本当で、オレにだけ厳しいと思ったけど今振り返れば嬉しいことだ。矛盾するような気持ちがマーブル模様に溶け合う。
 でも、マーブル模様の先にあったのは感謝だった。あのときの相手に礼を尽くす。そう思ったら、口にしていた。
「オレ、あのとき、深谷に勝てなかった。でも、今日は勝った。オレは勝てたぞって、あの日の相手にいつか言うのがオレの夢だった。今、夢が、叶った」
 くちびるが震えそうになる。あの日の相手がオレを認めてくれたのだ。言葉が喉につっかえて、一生懸命笑った。
「深谷、あのときオレに勝ってくれてありがと!」
 深谷が目を丸くしてオレを見る。目を逸らさず言う。
「あの試合があったから、ずっと剣道を続けてた。あの日の相手が誰かは覚えてなかったけど、オレが今日勝てたのは深谷のおかげだ。深谷は……ずっとずっとオレの心の支えだった」
 深谷が俯く。オレも涙が出そうになって下を向いた。そこで視界に深谷の上履きが目に入る。
「……深谷、もしかして、捻挫がくせになってドクターストップって嘘?」
「……嘘」
「本気で心配したオレの気持ちを返して」
「……ごめん」
「いや、いいけどさ」
 オレが黙ると、深谷はふーっと息をつき、言った。
「高校で再会して驚いたけど、桃瀬は諦めてなかった。剣道部に入部したし、部活中も前向きに頑張ってた。でも……一定以上背が高い相手だと萎縮する。ノートに記録するたびにそれが分かる。頑張れって言いたい。でも……俺が言える立場じゃねえ。今日……桃瀬は勝ちをもぎ取った。礼をしたあと、戻ってくる桃瀬から気迫が立ちのぼってた。目が離せなくて……泣きそうだった。もう、桃瀬は大丈夫だって分かった。次の試合も……勝つ。身長は、関係ない。桃瀬は桃瀬でいい」
 ひとつの間。
「それが、言いたかった」
 深谷はそう言って口を閉じた。
 しん。二人きりの体育館が水を打ったように静まり返る。遠くで、人の声がする。多分、職員室にいる先生か、別の体育館で部活をしている音。
 でも、二人きりで向き合っている。二年前と同じ。場所は違うけど、面もつけていないけど、ちゃんと向き合っている。
 オレはすうっと息を吸い込み、深谷を下から覗き込んで尋ねた。
「すっごく饒舌だけど、一生分の語彙使ってない? この先大丈夫?」
 急に深谷が顔を赤くさせた。
「おまっ……一生懸命しゃべった!」
「分かってる。それで深谷はどうすんの?」
 そこで深谷が面食らったような顔をした。
「どうするって……どうもしねえ」
「明日からまた記録をつけて、桃瀬は今日はダメだった、翌日は大丈夫だった、ここを直せばいい、そんな感じで過ごすの?」
「そういうもんだろ? マネージャーだし」
 オレは肩から竹刀袋を下ろした。右手で持つ。
「深谷、竹刀を持て。予備の道具とか深谷が管理してるだろ。着替えて」
「は? なんでだよ」
 オレは深谷に竹刀をぐっと突き出した。
「深谷はオレが克服するのを見てただけ。深谷自身は克服してない。オレに本気で向かってきたことがないんだろ? やってみて。オレは深谷にだってもう負けない」
 え、でも。深谷がなにか言おうとしたのは分かったが、オレはすぐに更衣室に向かった。
「オレは着替える。手ぬぐいは貸すから竹刀とか探してきて」
 着替えの間、深谷はずっと戸惑っていた。こちらをちらちら見てきたのは分かったが、黙殺する。
 オレ、残機フルパワー。っていうより、なんかプラス五機くらいある。
 いつもの場所にオレが立つと、深谷も向かい合うように立った。面をつける。深谷も遅れて面をつけた。深谷に言わせたくなくて、素早く言う。
「始め」