三週間はあっという間で、日曜日、試合の日が来る。
寒い早朝、学校に部活のジャージで集まると校門の前にマイクロバスが止まっていた。顧問とコーチの指示で道具などを体育館倉庫から運び出し、一年生で手分けして後部座席に乗せる。
顧問がハンドルを握る車はブオオンと音を発して走り出した。窓際席で風景をぼんやり見る。ガタガタ。地面が少し粗い。市街地よりも丘に近い道を走っていくみたいだ。少し高台になって、住宅街や畑が見える。
「桃ちゃん、今日の相手校、どう思う?」
「試合の動画は見たけど、強そうって感じ」
「剣道部の人数が多いらしい。だから、出てくる選手も強いって」
その言葉にぶるりと体が震える。今日、オレの相手は二年生だ。
「やめて。始まる前からビビる」
隣の席に文句を言うと、後ろからぱしっと頭をはたかれた。
「いてっ」
頭を押さえて振り返る。目を瞑る笹原の横から深谷が睨んでくる。
「……ビビってない」
「なら、いい」
涼しげな目元がそれだけ言って、窓の外を眺め始めた。笹原の隣の席って、狭くない? イケメンめ、お友だちが大好きだな。
市立体育館に着くと、おおと声が出た。懐かしい。黒いタイルの入り口も、体育館の名前の銀色の文字も、建物から飛び出した屋根の玄関口も懐かしい。
入り口の二重のガラスドアだけ、手動から自動ドアに変わっていた。中に入ると学校名の入ったジャージの選手たちが歩いている。
「おはようございます!」
「よろしくお願いします」
堅苦しさのない交流試合だからか、交わす声も明るい。ちらりと覗いた本会場内はニスがつるつるしていて、二階のグレーの観客席はあまり人は入っていなかった。
ここだ。
オレは白いテープでコートが仕切られた会場を見た。シン――。静まり返った会場では息の音さえ遠くまで通ってしまいそうだ。
二年前、ここで泣いた。自分の弱さを背の低さに押しつけて、見た目を利用して生きることを決めた。正解だったかは分からない。でも、桃瀬は桃瀬でいい。深谷はそう言った。今日は新しい桃瀬を作る。ぐっと喉を鳴らして会場を睨む。
自分の出番を確認し、袴に着替えてトイレに寄る。すれ違う他校の選手の背が高い。高校生だから、大人と同じ身長の人がいるのは当たり前。成長途中(一部を除く)の一年生は不利。体育祭と同じ!
ガガッ。残機が削られる音がして、濡れた冷たい手で頬をぱちんと叩く。
ジャージ姿のままの深谷は、救急セットや飲み水の本数を確認していた。そこへすたすたと近づく。
「深谷」
怪訝そうにこちらを見た深谷に意気込んで言う。
「オレに気合いを入れてくれ」
「は? 自分で入れろ」
ざっくり斬り返される。冷たっ。水道水より冷たっ。残機回復を図ったのに、逆に一機減った。……ちょっと期待した、オレの馬鹿。
オレの学校の出番は遅い。控えの小さな会場の隅に寄り、全員でアップする。
「竹刀の確認」
部長のかけ声にそれぞれ点検し合う。冬は空気が乾燥しているから竹刀も傷みやすい。破損、ささくれ、緩み、破れ、相手を怪我させないために念入りにチェックする。
やり過ぎない程度にアップする。素振り、足さばき、一対一での軽い練習。
「桃瀬、爪先と踵!」
コーチの声に足を意識する。先輩と向かい合って竹刀を持ち、自分の竹刀と相手の距離を考える。
カンッカンッ、バチッ、バシッ。竹刀の不協和音がよその学校からも飛んで、二重三重にもなった乾いた音が会場に響き渡る。まるで楽器の内側にいるように、音に体が振動する。必死に歯を食いしばる。
心臓がバクバク言っている。手袋の中の手が汗に濡れる。今日出られる試合はひとつだけ。絶対に勝ちたい。負けてもオレは絶対に折れない。
――それでも、勝ちたい。
休憩の声が入り、面を外して水を飲む。袴の先から出た足先を見ると、体育館の床が突然ぐにゃっと沈むように歪んだ。
ダメだ、すごく不安になってきた。ガガガッ。また残機減る。……意気込みすぎるとよくない。少し力を抜いて冷静になろう。
そこへ藍色の手ぬぐいを巻いた笹原が寄ってきた。
「桃瀬、今なに考えてる?」
「勝つ」
即座に顔をあげて答えると、笹原は「男前姫は脳筋だねえ」と少し呆れた表情になった。
「いいか。たとえ負けても」
「負けない」
すぐさま遮った。すると笹原は言葉を止め、いつものようなにやりとした表情で「気合い入ってるねえ」と笑う。
「深谷が入れてくれないんだよ。ひどくない?」
「なにそれ」
「気合い入れてくれって言ったら、自分で入れろって言われた」
笹原が深谷のほうを見る。深谷は顧問とノートを見ながらなにか話し込んでいる。
「あいつは不器用だからさ、そういうの向いてないんだよ」
「あいつ、授業中にオレが寝そうになると椅子を蹴ってくる。そういうときは遠慮しないくせに、こういうとき冷たいの、なんなの」
オレが口をとがらすと、笹原はなぜかまたにんまりとした。
「へえ、仲良くなってよかったねえ」
「椅子を蹴って蹴られる関係が仲が良いって思うの、ねじ曲がってる。笹原、友だちいる? クラスで仲良くできてんの?」
「失礼だな。俺、中二からずっと同じ彼女と付き合ってるからね。俺の優しさが分かるエピソードだろ?」
「それは彼女が優しいだけのエピソードかもしれないじゃん」
「今度紹介してやるよ。お前より背が高い彼女をな」
「日頃の態度を吹き込んでやるから連れてきな」
言い合っていたら「桃瀬と笹原!」とお叱りの声が飛んできた。慌ててふいと離れる。
あれ、肩が軽い。残機、アップの前と同じくらい回復してる。もしかして、笹原はこちらの緊張を見抜いて声をかけてくれたのか? いや、あいつにそんな優しい面が……あるかもしれないのか。すごいな、彼女持ち。
「桃瀬」
深谷がノート片手に近づいてきた。ページをめくりながら言う。
「今日の相手、背は高くて間合いは広いタイプ。前回の交流試合のときは二本先取してる」
「……強そう?」
オレが見上げると、深谷はノートからオレに視線を移した。黒い目と目が合う。その目がふっと目元を和らげた。
「強い。でも負けない。そうだろ」
「……簡単に言う」
「簡単に言うの、いいと思う」
いつか屋上でやり取りした言葉を残し、深谷は別の部員に話しかけた。足元を見る。自分の踵から足先がぴたっと床を踏みしめている。
あれ、心が満タンになっている。残機、すんごい復活した。深谷の言葉で簡単に復活するオレ、ホントにチョロい。
寒い早朝、学校に部活のジャージで集まると校門の前にマイクロバスが止まっていた。顧問とコーチの指示で道具などを体育館倉庫から運び出し、一年生で手分けして後部座席に乗せる。
顧問がハンドルを握る車はブオオンと音を発して走り出した。窓際席で風景をぼんやり見る。ガタガタ。地面が少し粗い。市街地よりも丘に近い道を走っていくみたいだ。少し高台になって、住宅街や畑が見える。
「桃ちゃん、今日の相手校、どう思う?」
「試合の動画は見たけど、強そうって感じ」
「剣道部の人数が多いらしい。だから、出てくる選手も強いって」
その言葉にぶるりと体が震える。今日、オレの相手は二年生だ。
「やめて。始まる前からビビる」
隣の席に文句を言うと、後ろからぱしっと頭をはたかれた。
「いてっ」
頭を押さえて振り返る。目を瞑る笹原の横から深谷が睨んでくる。
「……ビビってない」
「なら、いい」
涼しげな目元がそれだけ言って、窓の外を眺め始めた。笹原の隣の席って、狭くない? イケメンめ、お友だちが大好きだな。
市立体育館に着くと、おおと声が出た。懐かしい。黒いタイルの入り口も、体育館の名前の銀色の文字も、建物から飛び出した屋根の玄関口も懐かしい。
入り口の二重のガラスドアだけ、手動から自動ドアに変わっていた。中に入ると学校名の入ったジャージの選手たちが歩いている。
「おはようございます!」
「よろしくお願いします」
堅苦しさのない交流試合だからか、交わす声も明るい。ちらりと覗いた本会場内はニスがつるつるしていて、二階のグレーの観客席はあまり人は入っていなかった。
ここだ。
オレは白いテープでコートが仕切られた会場を見た。シン――。静まり返った会場では息の音さえ遠くまで通ってしまいそうだ。
二年前、ここで泣いた。自分の弱さを背の低さに押しつけて、見た目を利用して生きることを決めた。正解だったかは分からない。でも、桃瀬は桃瀬でいい。深谷はそう言った。今日は新しい桃瀬を作る。ぐっと喉を鳴らして会場を睨む。
自分の出番を確認し、袴に着替えてトイレに寄る。すれ違う他校の選手の背が高い。高校生だから、大人と同じ身長の人がいるのは当たり前。成長途中(一部を除く)の一年生は不利。体育祭と同じ!
ガガッ。残機が削られる音がして、濡れた冷たい手で頬をぱちんと叩く。
ジャージ姿のままの深谷は、救急セットや飲み水の本数を確認していた。そこへすたすたと近づく。
「深谷」
怪訝そうにこちらを見た深谷に意気込んで言う。
「オレに気合いを入れてくれ」
「は? 自分で入れろ」
ざっくり斬り返される。冷たっ。水道水より冷たっ。残機回復を図ったのに、逆に一機減った。……ちょっと期待した、オレの馬鹿。
オレの学校の出番は遅い。控えの小さな会場の隅に寄り、全員でアップする。
「竹刀の確認」
部長のかけ声にそれぞれ点検し合う。冬は空気が乾燥しているから竹刀も傷みやすい。破損、ささくれ、緩み、破れ、相手を怪我させないために念入りにチェックする。
やり過ぎない程度にアップする。素振り、足さばき、一対一での軽い練習。
「桃瀬、爪先と踵!」
コーチの声に足を意識する。先輩と向かい合って竹刀を持ち、自分の竹刀と相手の距離を考える。
カンッカンッ、バチッ、バシッ。竹刀の不協和音がよその学校からも飛んで、二重三重にもなった乾いた音が会場に響き渡る。まるで楽器の内側にいるように、音に体が振動する。必死に歯を食いしばる。
心臓がバクバク言っている。手袋の中の手が汗に濡れる。今日出られる試合はひとつだけ。絶対に勝ちたい。負けてもオレは絶対に折れない。
――それでも、勝ちたい。
休憩の声が入り、面を外して水を飲む。袴の先から出た足先を見ると、体育館の床が突然ぐにゃっと沈むように歪んだ。
ダメだ、すごく不安になってきた。ガガガッ。また残機減る。……意気込みすぎるとよくない。少し力を抜いて冷静になろう。
そこへ藍色の手ぬぐいを巻いた笹原が寄ってきた。
「桃瀬、今なに考えてる?」
「勝つ」
即座に顔をあげて答えると、笹原は「男前姫は脳筋だねえ」と少し呆れた表情になった。
「いいか。たとえ負けても」
「負けない」
すぐさま遮った。すると笹原は言葉を止め、いつものようなにやりとした表情で「気合い入ってるねえ」と笑う。
「深谷が入れてくれないんだよ。ひどくない?」
「なにそれ」
「気合い入れてくれって言ったら、自分で入れろって言われた」
笹原が深谷のほうを見る。深谷は顧問とノートを見ながらなにか話し込んでいる。
「あいつは不器用だからさ、そういうの向いてないんだよ」
「あいつ、授業中にオレが寝そうになると椅子を蹴ってくる。そういうときは遠慮しないくせに、こういうとき冷たいの、なんなの」
オレが口をとがらすと、笹原はなぜかまたにんまりとした。
「へえ、仲良くなってよかったねえ」
「椅子を蹴って蹴られる関係が仲が良いって思うの、ねじ曲がってる。笹原、友だちいる? クラスで仲良くできてんの?」
「失礼だな。俺、中二からずっと同じ彼女と付き合ってるからね。俺の優しさが分かるエピソードだろ?」
「それは彼女が優しいだけのエピソードかもしれないじゃん」
「今度紹介してやるよ。お前より背が高い彼女をな」
「日頃の態度を吹き込んでやるから連れてきな」
言い合っていたら「桃瀬と笹原!」とお叱りの声が飛んできた。慌ててふいと離れる。
あれ、肩が軽い。残機、アップの前と同じくらい回復してる。もしかして、笹原はこちらの緊張を見抜いて声をかけてくれたのか? いや、あいつにそんな優しい面が……あるかもしれないのか。すごいな、彼女持ち。
「桃瀬」
深谷がノート片手に近づいてきた。ページをめくりながら言う。
「今日の相手、背は高くて間合いは広いタイプ。前回の交流試合のときは二本先取してる」
「……強そう?」
オレが見上げると、深谷はノートからオレに視線を移した。黒い目と目が合う。その目がふっと目元を和らげた。
「強い。でも負けない。そうだろ」
「……簡単に言う」
「簡単に言うの、いいと思う」
いつか屋上でやり取りした言葉を残し、深谷は別の部員に話しかけた。足元を見る。自分の踵から足先がぴたっと床を踏みしめている。
あれ、心が満タンになっている。残機、すんごい復活した。深谷の言葉で簡単に復活するオレ、ホントにチョロい。

