十月考査が終わり、秋が加速して胸がざわつき始める。
「桃瀬たち、よーい、スタート!」
パンッ。顧問の手が音を鳴らし、ダッと地面を蹴る。目指すは目の前の石段の頂上、神社の社だ。階段の上にそびえる朱い鳥居がゴール。
「あああきっつい!」
隣を走る男子が叫ぶ。
「泣き言言うなら置いてくよ!」
「男前姫、男前すぎ!」
声をかけ合って澄んだ青空めがけ、階段を駆け上がる。
階段ダッシュは階段だけでなく、途中緩い坂道を挟む。踏み固められた土も落ち葉が落ちていると走りにくい。もちろん下から頂上は見えなくて、それだけで残機がごっそり持っていかれて挫けそうになる。
「はあはあ」
途中で休んでいる部員を抜かし、必死に足を動かす。下半身の強化とは聞くが、これは心も試されている。朱い鳥居が見えない。青空が遠い。オレの残機、頑張れ頑張れ。
十一月下旬、オレは交流試合を控えていた。どの高校の誰と当たるのかまだ分からない。もちろん、相手の身長だって知らない。でも、勝たなければならない。
どんな環境でも勝ちに行く。そのためには日々の基礎練が大事。外周だろうが坂道だろうが階段だろうが、心身を鍛えるために全力を尽くす。
「……っ、着いたッ……」
頂上の境内で額の汗を拭うと、既に着いている部員がみんなゼーハー言っている。その中、深谷が「水分補給してください」と声かけをしている。
その冷静さ、やめろ。息切らしているのが恥ずかしいだろうが。
だが、深谷の額にも汗が光っている。オレが深谷を見るとぱちりと目が合った。黙ったままドリンクを二本投げられて、キャッチして飲む。
「階段はいいよねえ。足の長さとは関係ないから、男前姫でも早くのぼれるよね」
あとからやってきた笹原が憎まれ口を叩く。ムカつく。そう思いながら、深谷から渡されたペットボトルを投げつける。
「笹原、水分補給しろって旧友が言ってるぞ」
「……はあ、サンキュー……」
笹原が天然パーマの前髪を掻き上げ、水をごくごくと飲み干す。
もう、ジャージの中は汗でびしょびしょ。だが、ここからまた階段の下りが始まる。汗で体が冷え切る前に下りなければならない。帰りは行きよりも下半身に負担がかかるから、気をつけないと怪我をする。
「よし、オレ、下りる!」
階段めがけて駆け出すと、「元気だねえ」と笹原の呆れた声がした。
笹原は飛び抜けて強いわけではないが、弱くはない。笹原との身長差を考えると、自分がまず克服すべき相手は笹原なのだと思う。
笹原はオレに遠慮しない。そんな身長の高い相手にどこまで攻められるかが鍵だ。部員同士で手合わせをすると笹原と当たる。だが、勝てたことは一度もない。
悔しいけど、現状、笹原のほうがオレより上。……っていうか、部員のほとんどが上。
悔しい。練習して、練習して、練習するしかない。
最近、深谷が実践的な声かけをしてくれるようになった。記録をつけているうちに気づいたことやオレのくせを教えてくれる。どう直せばいいの。思い切って聞くと、深谷はもっと前へ出ろだの敵の中央を取れだのと、選手目線で答えてくれる。
――桃瀬は桃瀬でいい。
深谷の言葉を思い出して面を被ると、深谷が後ろの紐を結んでくれる。よしと気合いを入れて竹刀を持つ。
剣道に姫は通じない。深谷にも姫は通じない。その深谷が今のお前でいいんだと言っている。だから、オレは剣道で思いっきりオレを出す。深谷に認められたい。
「メーン!」
かけ声とともに床を踏み鳴らして竹刀を振り下ろす。面金の向こうに見える、面を被った相手。表情が見えない。それがたまにすごく怖い。でも、それは相手も同じ。自分の声が跳ね返る面の中で大きな声を出して立ち向かう。
バシッバシッ。竹刀で相手を受けようとすると竹がビンと空気を震わせる。
その激しい音に気圧されたりなんかしない。だってオレは次の交流試合で勝たなきゃいけないから。あの体育館で一勝して、名前も覚えていないあのとき負けた相手に「オレは勝てた」と自信を持って言えるようになりたい。
「次、桃瀬と笹原ー」
来た。倒すべきオレの壁。
ふーっと息を吐き出し、竹刀を握り直す。手袋越しの柄をしっかり握ると、空気が重くなる。
一礼をし、竹刀を下に構える。
背の高い笹原。面を被っていると余計に大きく見える。でも、面を被っていれば皮肉屋の顔も見えない。ひとりの剣士として向き合う。
竹刀の先がカンカンと当たってお互いを牽制し合う。汗が出る。息がうるさい。でも、オレは笹原に勝たなきゃいけない。
「ドー!」
ふっふっ。息の音と竹刀のぶつかる音が面の中に響く。近づいた瞬間、笹原の鋭い目が見えた。
すぐに間を取る。カンカン、カンカン。また竹刀の先が音を立て、笹原の足が踏み込む瞬間を狙っている。
肩の落ちた余裕のある構え。ゆとりのある足の踏ん張り。笹原に隙がない。
面の中ではあはあと息があがる。裾がまとわりついて足が重い。足が床に張りつく。低い、届かない、無理だ。背が――。
ドクッ、ドクッ、心臓が脈打って必死に目をこらす。
落ち着け。身長は関係ない。頭を狙わなくてもいい。いや、違う。狙いに行かなければ。だって、オレは。
次の瞬間、笹原の面の中で低く息を吐く音を聞いた。ダンッ! 笹原の足が勢いよく床を踏み鳴らす。パァンッと竹刀が弾かれた。
「ヤー!」
バシッ。面の内側に響く音ともに世界が空白に揺れる。笹原の白の旗があがるのを目の端に捉えた。――取られた。
電気が走ったようにじんじんする体の痺れを堪え、礼をし、戻る。くるりと後ろ姿を見せる笹原にくちびるを噛む。
正座する部員の横に自分も腰を下ろす。床に座って次の手合わせを眺めながら、こぶしを握り締めた。まるで肺が足りないみたいだ。息がうまく吸えない。
だが、必死に涙を呑み込んだ。泣いちゃダメだ。泣くくらいなら次の選手たちの動きを見なければ。ヒントを探せ。オレが勝てるヒント。
バシッ、ガンッ、「ヤー!」。静寂な体育館に剣道の音だけが響く。
だが、他の選手を見てもよく分からなかった。他の選手の稽古になって休憩に入り、体育館の壁にもたれてため息をつく。深谷が近寄ってきたので、「なあ」と呼び止めた。
「オレ、なんで笹原に勝てないの? なにが足りない?」
すると深谷は即座に「気迫」と答えた。
「桃瀬たち、よーい、スタート!」
パンッ。顧問の手が音を鳴らし、ダッと地面を蹴る。目指すは目の前の石段の頂上、神社の社だ。階段の上にそびえる朱い鳥居がゴール。
「あああきっつい!」
隣を走る男子が叫ぶ。
「泣き言言うなら置いてくよ!」
「男前姫、男前すぎ!」
声をかけ合って澄んだ青空めがけ、階段を駆け上がる。
階段ダッシュは階段だけでなく、途中緩い坂道を挟む。踏み固められた土も落ち葉が落ちていると走りにくい。もちろん下から頂上は見えなくて、それだけで残機がごっそり持っていかれて挫けそうになる。
「はあはあ」
途中で休んでいる部員を抜かし、必死に足を動かす。下半身の強化とは聞くが、これは心も試されている。朱い鳥居が見えない。青空が遠い。オレの残機、頑張れ頑張れ。
十一月下旬、オレは交流試合を控えていた。どの高校の誰と当たるのかまだ分からない。もちろん、相手の身長だって知らない。でも、勝たなければならない。
どんな環境でも勝ちに行く。そのためには日々の基礎練が大事。外周だろうが坂道だろうが階段だろうが、心身を鍛えるために全力を尽くす。
「……っ、着いたッ……」
頂上の境内で額の汗を拭うと、既に着いている部員がみんなゼーハー言っている。その中、深谷が「水分補給してください」と声かけをしている。
その冷静さ、やめろ。息切らしているのが恥ずかしいだろうが。
だが、深谷の額にも汗が光っている。オレが深谷を見るとぱちりと目が合った。黙ったままドリンクを二本投げられて、キャッチして飲む。
「階段はいいよねえ。足の長さとは関係ないから、男前姫でも早くのぼれるよね」
あとからやってきた笹原が憎まれ口を叩く。ムカつく。そう思いながら、深谷から渡されたペットボトルを投げつける。
「笹原、水分補給しろって旧友が言ってるぞ」
「……はあ、サンキュー……」
笹原が天然パーマの前髪を掻き上げ、水をごくごくと飲み干す。
もう、ジャージの中は汗でびしょびしょ。だが、ここからまた階段の下りが始まる。汗で体が冷え切る前に下りなければならない。帰りは行きよりも下半身に負担がかかるから、気をつけないと怪我をする。
「よし、オレ、下りる!」
階段めがけて駆け出すと、「元気だねえ」と笹原の呆れた声がした。
笹原は飛び抜けて強いわけではないが、弱くはない。笹原との身長差を考えると、自分がまず克服すべき相手は笹原なのだと思う。
笹原はオレに遠慮しない。そんな身長の高い相手にどこまで攻められるかが鍵だ。部員同士で手合わせをすると笹原と当たる。だが、勝てたことは一度もない。
悔しいけど、現状、笹原のほうがオレより上。……っていうか、部員のほとんどが上。
悔しい。練習して、練習して、練習するしかない。
最近、深谷が実践的な声かけをしてくれるようになった。記録をつけているうちに気づいたことやオレのくせを教えてくれる。どう直せばいいの。思い切って聞くと、深谷はもっと前へ出ろだの敵の中央を取れだのと、選手目線で答えてくれる。
――桃瀬は桃瀬でいい。
深谷の言葉を思い出して面を被ると、深谷が後ろの紐を結んでくれる。よしと気合いを入れて竹刀を持つ。
剣道に姫は通じない。深谷にも姫は通じない。その深谷が今のお前でいいんだと言っている。だから、オレは剣道で思いっきりオレを出す。深谷に認められたい。
「メーン!」
かけ声とともに床を踏み鳴らして竹刀を振り下ろす。面金の向こうに見える、面を被った相手。表情が見えない。それがたまにすごく怖い。でも、それは相手も同じ。自分の声が跳ね返る面の中で大きな声を出して立ち向かう。
バシッバシッ。竹刀で相手を受けようとすると竹がビンと空気を震わせる。
その激しい音に気圧されたりなんかしない。だってオレは次の交流試合で勝たなきゃいけないから。あの体育館で一勝して、名前も覚えていないあのとき負けた相手に「オレは勝てた」と自信を持って言えるようになりたい。
「次、桃瀬と笹原ー」
来た。倒すべきオレの壁。
ふーっと息を吐き出し、竹刀を握り直す。手袋越しの柄をしっかり握ると、空気が重くなる。
一礼をし、竹刀を下に構える。
背の高い笹原。面を被っていると余計に大きく見える。でも、面を被っていれば皮肉屋の顔も見えない。ひとりの剣士として向き合う。
竹刀の先がカンカンと当たってお互いを牽制し合う。汗が出る。息がうるさい。でも、オレは笹原に勝たなきゃいけない。
「ドー!」
ふっふっ。息の音と竹刀のぶつかる音が面の中に響く。近づいた瞬間、笹原の鋭い目が見えた。
すぐに間を取る。カンカン、カンカン。また竹刀の先が音を立て、笹原の足が踏み込む瞬間を狙っている。
肩の落ちた余裕のある構え。ゆとりのある足の踏ん張り。笹原に隙がない。
面の中ではあはあと息があがる。裾がまとわりついて足が重い。足が床に張りつく。低い、届かない、無理だ。背が――。
ドクッ、ドクッ、心臓が脈打って必死に目をこらす。
落ち着け。身長は関係ない。頭を狙わなくてもいい。いや、違う。狙いに行かなければ。だって、オレは。
次の瞬間、笹原の面の中で低く息を吐く音を聞いた。ダンッ! 笹原の足が勢いよく床を踏み鳴らす。パァンッと竹刀が弾かれた。
「ヤー!」
バシッ。面の内側に響く音ともに世界が空白に揺れる。笹原の白の旗があがるのを目の端に捉えた。――取られた。
電気が走ったようにじんじんする体の痺れを堪え、礼をし、戻る。くるりと後ろ姿を見せる笹原にくちびるを噛む。
正座する部員の横に自分も腰を下ろす。床に座って次の手合わせを眺めながら、こぶしを握り締めた。まるで肺が足りないみたいだ。息がうまく吸えない。
だが、必死に涙を呑み込んだ。泣いちゃダメだ。泣くくらいなら次の選手たちの動きを見なければ。ヒントを探せ。オレが勝てるヒント。
バシッ、ガンッ、「ヤー!」。静寂な体育館に剣道の音だけが響く。
だが、他の選手を見てもよく分からなかった。他の選手の稽古になって休憩に入り、体育館の壁にもたれてため息をつく。深谷が近寄ってきたので、「なあ」と呼び止めた。
「オレ、なんで笹原に勝てないの? なにが足りない?」
すると深谷は即座に「気迫」と答えた。

