姫ポジ男子だって恋したい

 翌日、初めて学校を休んだ。
 親も弟も出払った家で、布団にくるまってガタガタと震える。目も胸の奥も熱いのに、体は氷みたいに冷え切っている。
 姫なのに。
 姫なのに。
 頭の中でリフレインする。
 声変わり? 声が男になってどうするんだ。オレは男子校の姫ポジ。なのに、ただ背の低い男子になってしまう。
 背が小さいのは昔からコンプレックスだった。でも、顔が女の子っぽいのと声が高いのとセットで姫でいられた。かわいいって言われる間は笑顔になれた。試合で負けたって、姫で勝てれば泣かなくて済んだ。
――そんな一番の武器をオレは失った。
 検索した「声変わり」の項目がオレの胸にぐさぐさとナイフを立てる。
 喉仏が出る。数ヶ月かけて声が低くなる。一オクターブくらい声質が変わる。
 一オクターブ。それ、どんくらい男になるんだよ。
 涙が止まらない。自分が自分じゃなくなるみたいだ。
 普通の男子になったら、オレにはなにも残らない。誰も姫って呼んでくれない。そのとき、オレはどんな顔をしてどこに立っていればいい? クラスのみんなはどう思う? きっと誰もオレに笑顔を向けてくれない。
 喉がひゅうひゅう鳴る。
 スマホを見て、絶望感に襲われる。こんなとき、オレには相談する相手がいない。姫を演じてきたから、本音を言える相手がいない。
 姫って言われていい気になってた。オレはみんなに嘘の笑顔を見せていただけだ。
 深谷のアカウントを見て、涙がぶわっと溢れた。真っ白なアイコン。冷たい初期設定の画面がオレの心を冷やしてくる。
 深谷、王子はいいよな。背が高くて、男子の声が似合って。姫には賞味期限があったよ。
 声が変わったら、かわいい桃瀬景直はゲームオーバー。もう、そのステージには帰ってこられない。
 喉がぐっと鳴る。枕にぼとぼと水滴が落ちる。掠れた声は泣き声にもほど遠かった。


 翌日、腫れた目をこすって、マスクで登校した。
「おはよー!」
 オレがクラスに入ると、数人で固まってしゃべっていたクラスメイトたちが手をあげた。言葉に無言で手をあげ、マスクを指さす。みんなが目を丸くさせる。
「まだ風邪治んねえの?」
「医者行ってこいよ。なあ?」
 保科が本当に心配そうにこちらを見てきて、涙を堪える。保科、ごめんな。お前の優しさ、オレは無駄遣いしている。
 幸い、午前中はどの授業でも当てられることはなかった。でも、昼休みに教室にいるのが怖くて、チャイムと同時に屋上へ逃げる。桃ちゃん。そう呼ばれて、振り返っていいか分からない。
 マスクを外す。文化祭のときより涼しい風がオレの頬の涙を拭っていく。秋の日差しはやわらかくて、座った場所は陽だまり。その中で喉を触ると、薄い皮膚の下にいるオレの敵。
 残機、もはやマイナス3。数日前から減る一方。ゼロより下って、屋上から一気に校庭の下に埋まる状態。オレに当たる日差し、残機には当たってないのかも。
 キィ。いつかと同じ音がして、そちらを見ればパンの袋を持った深谷がこちらを見ていた。
「深谷か」
 ついしゃべってしまい、はっとする。深谷は「まあ」と言って、また三人分空けて座った。深谷の定位置は日陰。
 まあって。低い声が似合うのに、お前はしゃべらなさすぎ。いや、文句は言わない。王子の仮面は大切だもんな。痛いほど分かる。失って初めて気づくとか聞くけど、マジみたいだぞ。
 パリッとパンの袋を開ける音がする。でも、オレはただぼんやりしていた。持ってきた弁当には手をつけていない。お腹は空洞なのに、なにもいりませんって言っている。心臓が無理やりポンプで血を動かすから、なんとか座っていられる感じ。
「桃瀬」
 突然名前を呼ばれ、ゆっくりとそちらを見た。かじったパンを持った深谷がこちらを見ている。
「声変わりだろ」
 一瞬で見抜かれて、さっと血の気が引いた。深谷は目線をオレからフェンスに、いやその向こうの景色かもしれないけど、まっすぐに戻す。
「無言ってことは当たりか」
 急に目頭が熱くなって、くちびるを噛んだ。深谷が続ける。
「言っただろ。俺は桃瀬のターンを終えたって。俺は声変わりして『かわいい』は終わった。きっと桃瀬ももうすぐだって思ってた」
 お前、予言者かよ。その未来予知能力、オレにも分けろよ。いや、知りたくなかった未来だけど。
 ああ、なんで目が熱くて胸が痛いんだ。昨日めちゃくちゃ泣いて涙は空っぽになったと思ったのに、オレの内臓、涙の製造スピード速すぎる。
 いきなり涙がぶわっと盛り上がった。
「……深谷、どうしよう」
 ぽろぽろ。涙がカーディガンを転がっていく。
「オレ、姫じゃなくなる。オレから姫を取ったらなんも残んない……こんなことになるなんて考えもしなかった。だってオレ、ずっと女の子みたいって言われてたし、成長期が来ないし、中学じゃ女子にもかわいいって言われてたし、これがオレの唯一の武器だったのに……オレは」
 突然自分が影に沈み、目の前が遮られた。
「使え」
 顔になにか押しつけられている。突然のことに涙が引っ込む。無造作に差し出されたのは手ぬぐいだった。目の前に立つ深谷が怖い顔をして「使えって言ってんだよ」とぐっと押しつけてくる。
「え、うん……ありがと」
 改めて見ると、本当にタオルでもハンカチでもなく手ぬぐいだった。しぶっ。でも、ぴよぴよ黄色のひよこが列をなして並んでいる。似合わなっ。
 この手ぬぐい、なに。ひよことか、かわいすぎ。ひよこ。いいな、ずっとかわいい。オレ、かわいくなくなるのに、お前たちはずっとかわいい。
「なんでひよこをチョイスした?」
 涙を押さえながら見上げる。だが、深谷は視線をあちらこちらにやって、明らかに挙動不審だった。
「……深谷サン? 不審者は通報しますよ」
「いやっ……だから……」
 深谷はこぶしを握って目線を下に向けた。
「泣かれると、困る……泣くなとは、言えねえけど……」
――普通に接したつもりが泣かれたことあるし。
 深谷の言葉を思い出した。人に泣かれるのが苦手なのか。
「深谷の言葉に泣いたわけじゃないって」
 すると、深谷はあからさまにほっとした顔をした。姫、王子の情報をゲットしました。この王子、多分、泣き落としに弱い。いや、もう姫じゃなくなるけど。