「……つっかれた。姫、休憩入ります……」
休憩時間になると、オレはよろよろと魂が抜けたみたいに屋上へ向かった。四階の上にある秘密の休憩所。オレは姫を演じなくていい空間を利用している。
タンタンと階段をあがれば今日も意味なく貼られた「立ち入り禁止」のプリント。ありがとう、鍵を閉め忘れた先生。
壁から突き出したでっぱりに腰かけ、持ってきた卵ハムサンドとカツサンドを置く。飲みかけの炭酸のペットボトルを開けると、プシッと軽く音が鳴る。一気飲みし、空っぽになったポットボトルに蓋をする。蓋をくるくる回していくと、自分の心もゆるゆると解けていく。
屋上の風が涼しくて気持ちいい。しばらくなにもせずにぼんやりすると、炭酸のぱちぱちが落ち着いて甘さがじんと染み渡ってきた。
もぐっ。開けたサンドウィッチを口に頬張る。手が栄養を求めるようにがつがつと口に押し込んだ。カツサンドまで一気に食べると、喉に詰まった分を玄米茶で押し流す。濡れたくちびるを拭うと、腹をさすって「食った食った」と自分を慰めた。
……別に、慰めなんて、いらないけど。
屋上にいても文化祭の賑わいが聞こえてくる。でも、どれも遠鳴りのようだ。耳を傾けていると、視界がぼんやりとしてきた。がくっと首が落ちて、慌てて頭を振る。そこへキィという金属音がして、すぐ横の扉が開いた。ぎょっとして顔をあげると、屋上に入ってきたのは深谷だった。
「……あ」
「あ?」
深谷が眉間にしわを寄せたので、「驚いただけ」と手をひらひらさせた。めんどくさい。こいつとしゃべりたくない。
深谷の手にもおにぎりや水のペットボトルなどがあった。どうやら秘密の場所はひとりの秘密ではなかったらしい。
神様、ひどくない? 同じ秘密の場所の住人がよりによって深谷とか。姫、今日はご褒美がほしいのに。
深谷がオレの隣に三人分空けて座った。かさっとおにぎりを開けて、無言で食べる。
特に話しかけなかった。深谷も話しかけてこなかった。なんていうか、同じ空間にいるけど、特に気には留めてませんって雰囲気。
遠くから文化祭のざわめきが響いてくる。パリッとおにぎりののりがを食べる音だけがやけに大きく聞こえる。
なんとなく視界の端で深谷がおにぎり三つを食べるのを見ていると、「おい」と声が飛んできた。
「なに?」
「表情が終わってるぞ」
ぽん。深谷から飛んできたのはチョコ味の栄養バー。
もしかして、オレがこれを好きって知ってる? 部活帰りにむしゃむしゃ食べるとおいしいんだ、これ。
「サンキュ」
封を切って一口かじると、深谷がちらりと視線を寄こした。
「スカートで足開くなよ。中が丸見えなんだよ」
「男のスカートの中を見たいやつはいないでしょ」
「見たくねえもん見せんなって言ってんだよ」
「見るな」
「見てねえよ」
「見たんでしょ」
「見えたんだよ」
「じゃあ見たんじゃん」
オレの返しにため息の音が聞こえた。
「今、僕は休憩中。メイドを休憩してもいいでしょ」
がりっとまたかじると、深谷はまたちらっと視線を送ってきた。
「メイドをと言うより桃瀬を休憩中って感じだな」
「うっさい。悪い?」
「そうは言ってねえよ」
「言ってる」
「曲解すんなよ」
「命令形で言うな」
「文法の話はしてねえよ」
深谷とのラリーはなんだか軽くて、それだけでHPが回復する。気づいたら、口から勝手に言葉がこぼれた。
「……姫は疲れるんだよ……何時間も本気でやるの、結構疲れる」
すると、深谷は「だろうな」とペットボトルで水を飲んだ。無造作に投げ出された言葉に、なんでか――なんでか分からないけど、言ってもいいやと思った。
「深谷、チェキのポーズは暗記した? 僕、家でめっちゃ笑顔の練習したけど。姫はそういう裏の努力は見せずに笑顔でやるもんなの」
すると深谷は「ふうん」と言った。
ふうんって。お前、オレに関心なさすぎ。いや、ないって知ってるけど。
「俺は」
深谷がそう言って、ペットボトルを傾けた。十月の空に透明な水。ごぼごぼごぼ。泡を作ってきれいな水が深谷の中へ落ちていく。こいつ、やっぱり水を飲むだけで絵になる。
「俺は桃瀬のターンを終えてるから」
「なんのゲームの話?」
「かわいいだけでちやほやされるターン。俺は終わった。桃瀬はその真っ最中だろ」
ぎくっと心臓が跳ねた。残機、多分二機くらい消えた。深谷が目だけでこちらを見る。正統派イケメンの深谷。さぞかし昔はかわいかっただろう。
「楽だろ? かわいいっていうだけで周りは優しいし、面倒なことも楽になる。桃瀬はそれを利用してるもんな」
顔がかあああと赤くなっていくのが分かった。図星。姫を演じているのを見透かされている。
深谷はもう一度水を飲んだ。喉仏が上下して、さらりとした黒髪が風に揺れる。
「で、でも、盛り上げる姫がいたら楽しいだろ! みんなが楽しめるように頑張ってるし、文化祭だって一生懸命やってるし!」
早口になって言い訳すると、深谷がきょとんとした。そして「……あー」と口元を手でさすって目線を逸らす。
「桃瀬……そうじゃない……」
「そうじゃないって。オレなりに頑張ってんだよ!」
「そっちじゃなくて……なんて言えば……」
深谷がなにかを言いかけてはやめるを繰り返す。イケメンの横顔が小さく困っている。ペットボトルのラベルを爪でカリカリして、喉仏がきゅっと動く。
……ん? こいつ、もしかして国語が苦手なタイプ?
「深谷サン、電子辞書が必要ですか? ロッカーから取ってきましょうか?」
「うるせえよ。ええと……盛り上げてるのは分かってる……」
深谷が額に手をやりながら考えるのを見守る。
「桃瀬は……うるさいし、落ち着けって思うし、ハムスターみたいにあっちこっち動いてうざいし」
「深谷サン? 慰め方間違えてるんだけど?」
「黙れ。今考えてる」
なに、こいつ、不器用キャラだったのか? 笑みもなく澄ました顔してお高く止まっているのかと思いきや、ただの口下手男子ってこと? え、クラスで気づいてるやつ、いる?
深谷が眉を寄せ、言葉を必死に捕まえるようにぽつりぽつりと言う。
「俺は……いいと思う」
だから、なにが。お前の語彙、使われてなくてかわいそうだぞ。
「なにが言いたいわけ」
「説明が難しいんだよ! 長考中は黙れ!」
深谷が怒ったようにこちらを睨んだ。
なに、こいつ、ムキになってる。ちょっとかわいいんですけど。
オレが内心笑いそうになる一方で、深谷は必死に言葉を探し続ける。
「……竹刀の素振りも……ずっとやってりゃマメができて痛い……本音は大事で……なんだっけ、その……」
「本音と建て前?」
「……そういう感じで……」
喉を潤すように深谷がもう一度水を飲む。
「……かわいい姫はいい……でもやりすぎると自分が削れる」
「姫もほどほどにしろってこと? 最初からそう言って」
「言えたら苦労してねえよ」
不機嫌そうな言葉のあとに、深谷が遠くを見つめた。見えているのは、錆びたフェンスか、その向こうの景色か。ぽつり、深谷の言葉が落ちる。
「……桃瀬が頑張ってるのは……分かってる……でも、無理はよくない……」
また顔がかあああと熱があがる。オレ、体温調節、間違えたか? なんか、なんかちょっと、深谷がかっこよく見えた。
休憩時間になると、オレはよろよろと魂が抜けたみたいに屋上へ向かった。四階の上にある秘密の休憩所。オレは姫を演じなくていい空間を利用している。
タンタンと階段をあがれば今日も意味なく貼られた「立ち入り禁止」のプリント。ありがとう、鍵を閉め忘れた先生。
壁から突き出したでっぱりに腰かけ、持ってきた卵ハムサンドとカツサンドを置く。飲みかけの炭酸のペットボトルを開けると、プシッと軽く音が鳴る。一気飲みし、空っぽになったポットボトルに蓋をする。蓋をくるくる回していくと、自分の心もゆるゆると解けていく。
屋上の風が涼しくて気持ちいい。しばらくなにもせずにぼんやりすると、炭酸のぱちぱちが落ち着いて甘さがじんと染み渡ってきた。
もぐっ。開けたサンドウィッチを口に頬張る。手が栄養を求めるようにがつがつと口に押し込んだ。カツサンドまで一気に食べると、喉に詰まった分を玄米茶で押し流す。濡れたくちびるを拭うと、腹をさすって「食った食った」と自分を慰めた。
……別に、慰めなんて、いらないけど。
屋上にいても文化祭の賑わいが聞こえてくる。でも、どれも遠鳴りのようだ。耳を傾けていると、視界がぼんやりとしてきた。がくっと首が落ちて、慌てて頭を振る。そこへキィという金属音がして、すぐ横の扉が開いた。ぎょっとして顔をあげると、屋上に入ってきたのは深谷だった。
「……あ」
「あ?」
深谷が眉間にしわを寄せたので、「驚いただけ」と手をひらひらさせた。めんどくさい。こいつとしゃべりたくない。
深谷の手にもおにぎりや水のペットボトルなどがあった。どうやら秘密の場所はひとりの秘密ではなかったらしい。
神様、ひどくない? 同じ秘密の場所の住人がよりによって深谷とか。姫、今日はご褒美がほしいのに。
深谷がオレの隣に三人分空けて座った。かさっとおにぎりを開けて、無言で食べる。
特に話しかけなかった。深谷も話しかけてこなかった。なんていうか、同じ空間にいるけど、特に気には留めてませんって雰囲気。
遠くから文化祭のざわめきが響いてくる。パリッとおにぎりののりがを食べる音だけがやけに大きく聞こえる。
なんとなく視界の端で深谷がおにぎり三つを食べるのを見ていると、「おい」と声が飛んできた。
「なに?」
「表情が終わってるぞ」
ぽん。深谷から飛んできたのはチョコ味の栄養バー。
もしかして、オレがこれを好きって知ってる? 部活帰りにむしゃむしゃ食べるとおいしいんだ、これ。
「サンキュ」
封を切って一口かじると、深谷がちらりと視線を寄こした。
「スカートで足開くなよ。中が丸見えなんだよ」
「男のスカートの中を見たいやつはいないでしょ」
「見たくねえもん見せんなって言ってんだよ」
「見るな」
「見てねえよ」
「見たんでしょ」
「見えたんだよ」
「じゃあ見たんじゃん」
オレの返しにため息の音が聞こえた。
「今、僕は休憩中。メイドを休憩してもいいでしょ」
がりっとまたかじると、深谷はまたちらっと視線を送ってきた。
「メイドをと言うより桃瀬を休憩中って感じだな」
「うっさい。悪い?」
「そうは言ってねえよ」
「言ってる」
「曲解すんなよ」
「命令形で言うな」
「文法の話はしてねえよ」
深谷とのラリーはなんだか軽くて、それだけでHPが回復する。気づいたら、口から勝手に言葉がこぼれた。
「……姫は疲れるんだよ……何時間も本気でやるの、結構疲れる」
すると、深谷は「だろうな」とペットボトルで水を飲んだ。無造作に投げ出された言葉に、なんでか――なんでか分からないけど、言ってもいいやと思った。
「深谷、チェキのポーズは暗記した? 僕、家でめっちゃ笑顔の練習したけど。姫はそういう裏の努力は見せずに笑顔でやるもんなの」
すると深谷は「ふうん」と言った。
ふうんって。お前、オレに関心なさすぎ。いや、ないって知ってるけど。
「俺は」
深谷がそう言って、ペットボトルを傾けた。十月の空に透明な水。ごぼごぼごぼ。泡を作ってきれいな水が深谷の中へ落ちていく。こいつ、やっぱり水を飲むだけで絵になる。
「俺は桃瀬のターンを終えてるから」
「なんのゲームの話?」
「かわいいだけでちやほやされるターン。俺は終わった。桃瀬はその真っ最中だろ」
ぎくっと心臓が跳ねた。残機、多分二機くらい消えた。深谷が目だけでこちらを見る。正統派イケメンの深谷。さぞかし昔はかわいかっただろう。
「楽だろ? かわいいっていうだけで周りは優しいし、面倒なことも楽になる。桃瀬はそれを利用してるもんな」
顔がかあああと赤くなっていくのが分かった。図星。姫を演じているのを見透かされている。
深谷はもう一度水を飲んだ。喉仏が上下して、さらりとした黒髪が風に揺れる。
「で、でも、盛り上げる姫がいたら楽しいだろ! みんなが楽しめるように頑張ってるし、文化祭だって一生懸命やってるし!」
早口になって言い訳すると、深谷がきょとんとした。そして「……あー」と口元を手でさすって目線を逸らす。
「桃瀬……そうじゃない……」
「そうじゃないって。オレなりに頑張ってんだよ!」
「そっちじゃなくて……なんて言えば……」
深谷がなにかを言いかけてはやめるを繰り返す。イケメンの横顔が小さく困っている。ペットボトルのラベルを爪でカリカリして、喉仏がきゅっと動く。
……ん? こいつ、もしかして国語が苦手なタイプ?
「深谷サン、電子辞書が必要ですか? ロッカーから取ってきましょうか?」
「うるせえよ。ええと……盛り上げてるのは分かってる……」
深谷が額に手をやりながら考えるのを見守る。
「桃瀬は……うるさいし、落ち着けって思うし、ハムスターみたいにあっちこっち動いてうざいし」
「深谷サン? 慰め方間違えてるんだけど?」
「黙れ。今考えてる」
なに、こいつ、不器用キャラだったのか? 笑みもなく澄ました顔してお高く止まっているのかと思いきや、ただの口下手男子ってこと? え、クラスで気づいてるやつ、いる?
深谷が眉を寄せ、言葉を必死に捕まえるようにぽつりぽつりと言う。
「俺は……いいと思う」
だから、なにが。お前の語彙、使われてなくてかわいそうだぞ。
「なにが言いたいわけ」
「説明が難しいんだよ! 長考中は黙れ!」
深谷が怒ったようにこちらを睨んだ。
なに、こいつ、ムキになってる。ちょっとかわいいんですけど。
オレが内心笑いそうになる一方で、深谷は必死に言葉を探し続ける。
「……竹刀の素振りも……ずっとやってりゃマメができて痛い……本音は大事で……なんだっけ、その……」
「本音と建て前?」
「……そういう感じで……」
喉を潤すように深谷がもう一度水を飲む。
「……かわいい姫はいい……でもやりすぎると自分が削れる」
「姫もほどほどにしろってこと? 最初からそう言って」
「言えたら苦労してねえよ」
不機嫌そうな言葉のあとに、深谷が遠くを見つめた。見えているのは、錆びたフェンスか、その向こうの景色か。ぽつり、深谷の言葉が落ちる。
「……桃瀬が頑張ってるのは……分かってる……でも、無理はよくない……」
また顔がかあああと熱があがる。オレ、体温調節、間違えたか? なんか、なんかちょっと、深谷がかっこよく見えた。

