昼休み、珍しく志波がくっついて来ないのでひとりで購買に行ってパンを買った。中庭に行こうとして、なんとなく隣を見てしまう。
 気がつけば志波がそばにいることに慣れてしまった。

「……」

 仕方がないから昼食を一緒にどうかと聞いてあげよう。

「まだ河原落ちないの!?」

 教室に戻ると扉が閉まっていて、開けようと手を伸ばしたら中から大きな声が聞こえてきた。なんだろう、とそっと聞き耳をたてる。

「美桜って名前で呼べとか、いつでもくっついていろとか、とにかく強気でいけって言われたからそのとおりにしてるけど全然だめ……」

 これは志波の声だ。

「頑張っても美桜は俺に全然笑ってくれないんだ……。迷惑がられてるようにも感じる。本当に大丈夫かな。嫌われてないかな」

 真剣な志波の声に、励ますような声が聞こえる。誰がいるのだろう、と扉の隙間から教室内を覗いてみたらほぼクラス全員揃っていた。

「どうしよう。こんなの経験ないからわかんないよ……」
「一年のときに河原を好きになったのが初恋。それからずっと片想い……。そんだけ恰好いいと逆に奥手になるのか?」
「しょうがないだろ。今まで好きになれる人に出会えなかったんだから。美桜は俺の命の恩人なんだ」

 みんなの中心で志波が頭を抱えている。よしよし、と頭を撫でられて心細そうにクラスメイト達に助けを求めている。

「でもだめかあ……。河原はどういうタイプが好きなんだろう。しつこくしすぎたか?」
「えっ、じゃあ俺嫌われてる可能性あり!?」
「まだそうとは決まってないよ、高良くん。ここから巻き返して行こう」
「もう……どうしたら美桜に好きになってもらえるんだよ……」

 会話を聞きながら美桜は自分の顔に触れる。そういえば志波がそばにいるときは笑ったことがない。
 今聞いた話に呆れてしまう。志波はもとからあんなふうにしつこくつきまとう男ではないのだ。なんだかほっとして、それから可笑しくて声をこらえる。
 盗み聞きしていたのがばれたらまずい、とその場を離れようとしたら教室の扉が開いた。飛び出してきたのは志波で、美桜は思いきりぶつかられた勢いで転びそうになる。それを志波に支えられ急にどきどきと心臓が暴れ始めてしまい、なんでだ、と目を逸らす。

「美桜……まさか、聞いてた?」

 ここはどう答えるべきか、と悩んでいると表情からばれたようで志波の顔がみるみる真っ赤になっていく。

「えっ、ほんとに……? なに、こういうときどうするべき? ちょっと、おい。どうしよう、美桜に聞かれてた!」

 今度は真っ青になった志波が教室の中に呼びかけると、「まじか!」と声が返ってきた。おろおろしている志波があまりに可愛くて笑いが込みあげる。

「……高良」

 初めてきちんとその名を呼ぶと、志波――高良が固まった。

「一緒にパン食べよう?」

 また顔を真っ赤にして固まっている高良の手をとって中庭に引っ張っていく。

「待って、美桜。……どういうこと?」

 問いに答えず、いつもの場所に着くと腰をおろす。高良が座るのを待っていたら、潤んだ瞳で美桜を見つめながら恐る恐るといった様子で隣に腰をおろした。

「ごめん、美桜。俺のこと迷惑だった……?」

 美桜をじっと見て高良が謝罪を紡ぐ。首を横に振り、美桜も高良を見る。

「最初は怖かった」
「だよな……。ほんとごめん」

 頭をさげる高良にもう一度首を振る。

「俺、高良が好きかわからないけど」
「うん……」
「でも、嫌いじゃないよ」

 微笑みかけると高良はさらに真っ赤になる。湯気が出そうなくらいに見えて、それが可愛くてなんとなくその頬を撫でてあげると、とても熱かった。

「……うん」

 小さな答えが返ってきて、ふたりで散りかけの枝垂れ桜に視線を向ける。

「ねえ、高良」
「なに?」
「もう一回言って?」

 なにをかがわからなかったようで、高良が少し悩んでいるのを感じる。

「えっと、なにを……?」

 わからないよな、と苦笑して、それから高良を見る。

「最初に言ってくれた言葉」
「最初……」

 ようやく思い至ったようで、高良は緊張した面持ちになりぐっと拳を握った。美桜をまっすぐ見つめて熱い視線でとらえる。

「河原美桜くん。好きです。つき合ってください」
「はい」

 美桜が頷くと、高良は泣き出してしまった。つややかな髪をそっと撫でて、涙がおさまるまで手を握っていてあげた。

「ねえ、高良。命の恩人ってなに?」
「……どこから聞いてたの?」
「『まだ河原落ちないの!?』から」
「最初からじゃん……」

 頭を抱える高良はこれ以上ないくらい顔を赤くして、耳も、首まで赤い。

「クラスのみんなに相談してたの?」
「うん……。俺、本当に初恋で、どうしたらいいかわからなくて困ってたんだけど、そうしたらみんながいろいろアドバイスくれて……でも間違ってたんだよな?」
「いろいろね」

 美桜が苦笑すると高良は「そっか……」と大きくため息をついた。握った手をぎゅっと握り返され、とくんと胸が甘く高鳴る。

「……駅から学校の途中に大通りの横断歩道あるだろ?」
「うん」
「一年のとき、俺、ぼんやりしてて赤信号で渡りかけたことがあって」
「あぶないね。大丈夫だったの?」

 高良は少しがっかりしたような瞳で美桜を見る。その意味がわからず首を傾ける。

「すぐにバッグを引っ張って歩道に戻してくれたのが美桜だったんだ」
「え……」
「覚えてないか……」

 まったく覚えていないので、美桜は「ごめん」と謝る。でも高良は嬉しそうに破顔する。

「美桜にとって、あれは特別なことじゃなかったんだろうな。それからずっと美桜を見てた」
「そっか……。ごめん。覚えてなくて」
「ううん。そんな優しい美桜だから好きなんだ」

 涙の名残で赤い目尻を手で擦って高良が微笑む。温かい気持ちでもう一度手を繋いだ。
 美桜にはあっという間に高良に夢中になる自分が見えるようだった。



(終)