一瞬の静寂のあと、「はい」と軽やかに答え、
後列の端で、おにぃがすっと席を立つ。
背筋はまっすぐで、迷いのない動き。
胸元のコサージュが、わずかに揺れる。
花道を歩いていくその背中は、
いつも見てきたはずなのに、
今日はやけに遠くて、でも誇らしく感じた。
一歩一歩、床を踏みしめる音が、
不思議なくらい大きく聞こえる。
おにいは壇上に立ち、
静かに話し始めた。
「春の香りが漂い始め、
陽射しに暖かさを感じられる季節となりました。
本日は、私たち卒業生のために
このような素晴らしい卒業式を挙行していただき、
心より感謝申し上げます。
校長先生をはじめ、諸先生方、ご来賓の皆様、
そして保護者の皆様に、卒業生一同、
厚くお礼申し上げます」
もう無理だった。
まだ季節の挨拶だけだ。
まだ思い出も語っていない。
けれど、なぜか自然と涙があふれてきた。
口は悪いし性格も悪い。
自己中で、王様で……でも。
1番の理解者でもあった。
そして、おにぃの隣にはいつもりーくんがいた。
おにぃはもう、
難関私立の薬学部を推薦で決めている。
りーくんも第1志望以外は、
すべて合否がでて合格をもらってる。
けれど、同じ大学に行くことはない。
小学生から一緒にいたふたりが、
ここで別の道に向かう。
りーくんの彼氏は俺だ。
やきもち妬いたりもしたけど――。
でも、おにぃと2人でいるりーくんも、
3人で過ごす時間も、
俺にとってはかけがえない
しあわせな時間だったんだと今、気づいた。
(あぁ……止まんない……)
1年生で、ましてや部活にも入っていない俺が
号泣するなんて、「こいつなんなん」って
思われてそう……
そう俯瞰できる自分もいるのに、
涙はぽろぽろと止まらなかった。
卒業生が退場し、
体育館の扉が閉まると、空気が一気にほどけた。
在校生も教室に戻るようアナウンスされ、
俺は鼻をズーズーすすりながら歩いていく。
「はは、朝比奈泣きすぎじゃね?」と、
加藤がからかってきた。
周りの女子も、
多分、冷ややかな目で俺を見てる気がする。
「いやいや、
そりゃお兄さんのあんな答辞聞いたら
誰でも泣くっしょ?
俺ですらヤバかったもん」
小田が優しくフォローしてくれたが、
それにしても泣きすぎたと、
恥ずかしさが止まらない。
ホームルームの後、
俺はひとりでバス停に向かった。
りーくんとは、
あとで家で会う約束をしている。
一緒に帰ろって言われたけど、
最後の日くらいは、
友達とゆっくり別れを惜しんで欲しいから、
ひとりで帰ると自分から言った。
校門までの桜並木の下は
すっかり別の世界になっていた。
部活ごとに集まる卒業生。
後輩から花束や色紙を受け取って、
照れたように笑ったり、
何枚も写真を撮り合ったり。
胸元のコサージュが揺れて、
笑い声が春の空気に弾んでいる。
――おめでとう、の景色。
その輪の中に、俺はいない。
人の流れからそっと外れて、
俺はひとり、バス停へ続く道を歩き出した。
にぎやかな声を背中に置いたまま、
桜並木を抜ける。
(……やばい……さみしい……)
もう一緒に登校することもできない。
屋上に続く階段、食堂、運動場、体育館、
そして、靴箱……
どこをとってもりーくんとの思い出が詰まってる。
(こんな寂しい気持ち抱えたまま、
俺はりーくんの残像だけをたよりに
あと2年もここで過ごすの……?)
俺はまた胸の奥がズキズキしてきた。
(……やだ、もう……しんどい)
瞳にたまった涙が零れそうになった瞬間、
「真白!!」

