お兄ちゃんの親友が、俺にだけ溺愛がすぎる





バス停に、妙な沈黙が落ちた。
さっきまでざわめいていた空気が、
急に遠くへ引いていく。
世界が一瞬だけ止まったみたいに、誰も息をしない。
その静けさの中で、涙だけが落ち続ける。
頬を伝う感覚が熱くて、恥ずかしくて、でも止められない。

「真白」

名前を呼ばれた瞬間、肩をぐいっと引き寄せられる。
その刹那、あのエキゾチックな香水がふわっと香る。

りーくんは女子たちの方へ顔を向け、
口元だけで笑った。

「そういうことなんで。
あ、ちなみに、りひましが公式だから」

宣言みたいに短く。
言い終わるや否や、りーくんは俺を抱えたまま歩き出した。
有無を言わせない、強い引力みたいな手つきで。

ふと振り返ると、おにぃが
「ごめんね、やなとこ見せちゃって。
うちの弟、繊細だからこのことはオフレコで」と、
王子様スマイルで女子たちを丸め込んでいる。
りーくんは一度も振り返らず、
ただ前だけを見て歩いていた。

「りーくん……どこに行くの?」

歩幅を合わせるのがやっとで、情けない声が漏れた。

「……今日は電車で帰る」

その声が妙に冷たく聞こえて、胸がきゅっと縮まった。
さっき涙が止まったばかりなのに、またこみ上げてくる。
でも繋いだ手はいつもと変わらずあたたかくて……
ただ黙ってりーくんの背中を追いかけた。

駅のホームに着いても、りーくんは一言も喋らなかった。
けれど、繋いだ手だけはずっと離れなくて、
その無言の温度にしがみつくように指を絡めた。
電車を降りて、最寄り駅の風景に胸が少し落ち着く。
家に向かうと思ったのに、
りーくんの足はまっすぐ別の方向へ伸びていく。

「りーくん?」

不安が声に滲んだとき、
目の前には見知らぬ住宅街が広がっていた。
静かで落ち着いた通り。
そして、周りの家より少しだけ大きくて、
シンプルでモダンな一軒家の前で
りーくんは立ち止まった。

「ここ、オレんち」

振り返った彼の横顔は、
さっきまでとは違う、すこし強張った顔をしていた。
りーくんは当たり前みたいに鍵も使わず、
取っ手のボタンに触れるだけで扉をあけた。

「誰もいないから、気にしなくていいよ」

そう言って、俺の背中を軽く押す。

(ちょ、ちょっと……鍵は?これ、
車のキーレスみたいなやつってこと?
ひいいいいー、最新……)

促されるまま一歩踏み入れた瞬間、
さらに息が止まった。

(……どこだ、ここ……)

広すぎる玄関。
いや、玄関っていうよりもう“ホール”だ。

目の前には、黒光りする大きなグランドピアノが
ドン、と構えている。
リビングじゃなくて玄関に。
そんな家、ドラマでしか見たことない。

ふっと視線を上げると、天井は広く吹き抜けていて、
そこから紐の長いデザイン照明がゆるく揺れている。
柔らかい光が白い壁を照らして、空気まで上品に見える。
そして右奥には、しゅっと曲線を描いた螺旋階段。
まるで美術館の一部みたいだ。
庶民の家じゃないなんてレベルじゃない。
異世界に迷い込んだ気分だった。

「──こっち、おいで」

りーくんが靴を脱いで、螺旋階段をすっと上がっていく。
その背中が、なんかいつものりーくんとは
違う感じがして……

俺はいろんな意味で緊張が増していった。