列の一番後ろ。
黒いファイルに入った楽譜を片手に、
りーくんが歩いてくる。
その動きに合わせて制服のカッターの裾がふわっと揺れて、
白い指が楽譜を軽く支えているのが見えた瞬間、
周りの女子が一気に息をのんだ。
でも大声は出せないから、
こそこそ、でも抑えきれない声があちこちから漏れ出す。
「……やば……」
「え、待って……かっこよすぎ……」
「東條先輩、えぐ……無理……」
「今日の優勝これじゃん……」
聞こえないふりをしても、
耳に全部入ってくる。
(……わかる。わかるよ。
俺も今めっちゃ心臓もげそう……)
ステージには大きなグランドピアノが置かれている。
黒い鏡みたいに光沢があって、
体育館の照明をやわらかく反射している。
その前に歩み寄るりーくんが、
もう……本当にピアニストにしか見えなかった。
背筋がすっと伸びていて、
横顔が信じられないほどきれいで、
楽譜を置く指先までも様になる。
(……は?かっこよすぎ……無理……惚れる……)
いや、もう惚れてるんだけど、
今日のこれはさらに上書き保存されるレベル。
「あの横顔でピアノ弾くとか……反則……」
と、隣の席の女子が小さく言った。
(ほんとそれ!!)
胸の奥で何かがはじけたみたいに
俺はただただ呼吸が浅くなる。
(りーくん……やば……
俺、マジで世界一かっこいい人と付き合ってる……)
ステージに立つ彼から目が離せないまま、
3年生の歌う曲の前奏が始まるのを待った。
ステージ前のざわめきがすっと静まり、
指揮者が前に歩み出た。
(……は?)
真白の脳みそが一瞬固まった。
そこに立っていたのは——
おにぃだった。
黒い譜面台の前で、
腕まくりしたシャツ姿の朝比奈夏樹が、
当たり前みたいな顔でスッと指揮棒を上げる。
(え、ちょ……待って……
おにぃ……?
指揮……?え、聞いてないんだけど??)
視界の99%がりーくんで埋まってた俺は、
おにぃが後ろにいたことにすら気づかなかった。
(てかおにぃ、なんで俺に言わんの?
一応兄弟じゃん。兄弟で知らんとかある?
いや、ってかお前指揮すんの?
もう情報量多すぎて脳バグるわ!!)
しかも一瞬、嫌な予感が脳裏をかすめる。
(……もしかして……
りーくんが伴奏やるって言い出したのって……
おにぃが誘ったから……?)
そんなアホみたいな疑惑まで生まれた。
(なに親友でコンビ組んでんの?
仲良しか!?いや、仲良しなの知ってたけど!)
ステージ上では二人が息を合わせるように
指揮者・朝比奈夏樹が腕を掲げ、
伴奏者・東條理人が椅子に腰かける。
(無理……なんなんこの異世界感!!
いや、分かるよ?かっこいいよ?
そしてなんかハチャメチャにエモい!
でもさぁ……もう、なんなんだよー。
世界一かっこいいコンビかよ……!)
真白がひとりで混乱してバグってるその瞬間。
指揮棒が下りた。
りーくんの指が鍵盤にふれる。
――空気が、一瞬止まった。
次の瞬間、体育館いっぱいに音が流れ始めた。

