チャイムが鳴った瞬間、
音楽室の中が安堵の空気に包まれた後、
一気にざわついた。
(……終わった……やっと……)
俺は広い息をひとつ吐き出し、
肩の力をダラ〜ンと抜いた。
湿気で重い空気がまとわりつく中、
教室に戻ろうとしていたら、
後ろで女子の声が突然弾んだ。
「ねぇ、次ここ使うの三年八組なんだって!」
「え、そうなの?もう移動してくるじゃん!」
「ちょっと待ってみようよ、レアショット見れるかも」
(……三年八組?)
ん?
その言葉にだけ、脳みそがピクッと反応した。
三年八組って、おにぃとりーくんのクラスじゃん。
ふーん……くらいに思って、
また歩き出そうとしたその時、
「ねぇねぇ、三年の伴奏って東條先輩なんでしょ?」
「やばすぎる!
あのビジュアルでピアノとかギャップ死〜!」
「わかる!!絶対映えるし、曲もCOSMOSでしょ?
普通に泣くわ……!」
女子たちがキャーキャー盛り上がり始めた。
東條先輩。
……東條?
(……え?)
それ、
どう聞いても「りーくん」のことな気がする。
(……は?ピアノ?伴奏?ギャップ死?
俺、そんな話……
ひとっことも聞いてないんだけど?)
「朝比奈~?どうした?」
「次、日本史ヤマセンだぞ?
遅刻したらキレられるぞ?」
俺は小田と加藤の声でハッとした。
「うん、ごめん。すぐ行く!」
その瞬間だった。
廊下の向こう。人混みの向こう。
「……あ」
ゆっくり歩いてくる3年の陽キャ軍団の中、
少しぬけた頭に無駄のない姿勢。
手には楽譜らしきものを持ってそれを
ひらひらさせている。
(りーくんだ……)
隣には当たり前のようにおにぃがいる。
そして、それを見つけた女子たちが一斉に息をのんだ。
「本物来た……しかもふたり揃ってる……」
「やば……えぐ……」
「近くで見るとさらにイケメンなんだけど……」
「無理、好き……二人揃ったときの破壊力ヤバい!」
視線が矢のようにふたりへ向かう。
そのたびにりーくんは軽く手を挙げて通りすぎる。
芸能人みたいな動きで、淡々と、当たり前みたいに。
(……なんなんこれ……人気モデルの出勤?)
さらに女子が興奮した声で続ける。
「あれでピアノ弾くの反則でしょ……!」
「うちらの人生、今日で変わるんじゃない?!」
そんな大げさな会話が飛び交う中——
りーくんの視線が、まっすぐこっちに向いた。
一瞬、周囲のざわつきが全部消える。
「や!まーしろ」
呼ばれただけで背中を走った電気は、
さっきまでの合唱の余韻なんか消し飛ばす。
けど。
(……俺だけ知らんのおかしくない?
彼氏だろ?俺の特別、どこいったんだよ…… )
周りには三年女子がいっぱいいて、
「誰あれ?」「知り合い?」「え、あの子に向けて?」
みたいなざわつきが広がっている。
俺は ”たまたまそこにいた知り合い” に格下げされたみたいで、
胸の奥が冷たくなった。
”伴奏の件、俺だけ知らんの何でなん”
というショックと、
”こんな場所で気軽に呼ばれたら立場なくなるやろ!”
という苛立ちが、胸の奥で混ざって熱くなる。
——この感情、
名前つけるなら多分“嫉妬”なんだろうけど。
今の俺にはまだ、それを素直に認める余裕なんてない。
だから俺は二人に気づかれないように、
いや、気づかれても構わない気持ちで……
憎しみ半分、恥ずかしさ半分の目つきで
思いっきり睨みつけてやった。
「なんか真白キレてね?」
「あいつ、ゲロ生意気だろ。ほっとけよ」
と、二人の声が聞こえたがそのまま靴音だけ響かせて、
教室へと歩き去った。
(……知らん。今日はもう知らんからな)

