次の日——。

「ましろぉ?ちこくするよ?」

燈佳の声に、俺は強制的に意識を引き戻された。

まぶたをこじ開けてスマホを見る。
時刻は 7:10。

「……はっ……やば!!」

飛び起きる俺を見て、燈佳が小さく肩をすくめた。

「ママ、ぜんぜんおきないってこまってたよ。
とうかはもうおきがえもおわったし、
ごはんもたべたもん」

その言葉に視線を向けると、
燈佳はもう幼稚園の制服をきっちり着て、
小さな帽子までばっちりかぶっていた。

「うわ、うわ、やばいやばいやばいッ!」

俺は半分パニックのまま燈佳を抱き上げ、
階段を駆け下りた。

リビングの食卓には、
朝ごはんがきっちり整列して並んでいて、
おにぃはすでに制服を完璧に着こなし、
髪のセットまで終わらせてテレビを見ていた。

(やっべぇ……寝過ごした……
今までこんなこと、ほとんどなかったのに……)

自分史上ありえない寝坊に、
心臓がドクドクと早鐘を打った。

俺は半分寝ぼけたまま洗面所で顔を洗い、
急いで制服に袖を通し、
髪をぐしゃっと整えて、
朝ごはんを
ほとんど飲み物みたいな速度でかき込んだ。

ネクタイだけは——
昨日と同じく、どう頑張っても
上手く結べる気がしなかったので、潔く後回しにした。

(やば、時間ない……!)

俺たちの学校は、家からバス一本で行ける。
ただ、本数がかなり少ない。
7時45分のバスに乗れなかったら、
ほぼ確実に遅刻コースだ。

バス停までは歩いて5分ちょい。
だから本当なら7時半には家を出たいのに、
また“アイツ”が立ちはだかった。

「お父さん、まだトイレ占領してんの?」

ノックしても返事なし。
気配だけは中にしっかりある。
こもるなら二階のトイレを使えと
いつもお母さんに言われているのに。

(もう……今日に限って……!!)

真白の焦りが、また一段ギアを上げた。
なんとか準備を終わらせ、
結べていないネクタイを片手に握ったまま、
俺は玄関を飛び出した。

おにぃはもう数分前に家を出ている。
初日から遅刻なんて、絶対に避けたい。
スマホを見ると、画面には 7:35 の数字。

(……よし。急げば間に合う……!
遅刻は免れた……!)

胸の奥で小さく安堵が弾けた、その時——。
家の門の前に、
ひとり、すっと立っている影があった。

朝の光を背中に受けて、
制服姿がやけに絵になる。

「——おはよ、真白」


そこには、りーくんが立っていた。

「……え、なんでいるの?」

「いやいや、昨日“迎えに行く”って言ったじゃん。忘れたの?」

「あっ……」

記憶が一気に昨日の夜に巻き戻る。
りーくんは、くすっと笑った。

「とりあえず急ご。もうすぐバス来ちゃうから」

「う、うん!」

ふたりで小走りしながらバス停へ向かった。

バス停にはすでに数人が並んでいる。
その列の前から二番目におにぃがいた。
イヤホンをして、すました顔で、
まるでドラマのワンシーンみたいに佇んでいる。
それを見て、理人くんがぽつり。

「お兄さん、映えますねぇ〜」

「……だよね。兄弟の俺ですらそう思うし」

そう話していると、
目の前でバスがゆっくり停まった。

「ほら、バス来た。乗るよ」

そう言いながら、理人くんは
俺の手からネクタイをひょいと取り上げた。

「貸して。つけたげる」