洗面台の前で、新しい制服にそっと袖を通した。
ネクタイなんて人生で初めてで、
結ぶたびに形が崩れてため息が出そうになる。
鏡に映る自分を見ると、袖も丈も少し長くて、
どう見ても“制服に着られてる人”みたいだ。

「……こう、かな。あれ、違う……?」

何度もやり直して、やっと“それっぽい”形になった。
まだ新品特有の布の匂いがふわっと上がってきて、
なんだか落ち着かない。
——そして思わず声に出して練習してしまう。

朝比奈 真白(あさひな ましろ)です。
 趣味は漫画を読むことです。好きな食べ物は、えっと
サーモン丼とイチゴです。いや、この自己紹介は子供すぎ?」

なぜそんなことをしているかというと?
それは俺の苗字が朝比奈だからだ。
相沢や青木など、俺より出席番号が前になる苗字は
圧倒的に少ない。
よって必然的に俺が出席番号一番だ。
すると、やっかいなことに新しいクラスでの自己紹介は
俺がトップバッターになる。
それが毎年苦痛で仕方ない。

真白(ましろ)ー!はやく洗面所あけろ!」

もたもたしていると、
二つ上の兄、夏樹(なつき)から怒鳴り声が飛んできた。

「ま、まって!今ネクタイしてるから」

「おまえ遅すぎ。何ちんたらしてんだよ。貸せ!」


おにぃは世界は自分を中心に回っている、と
本気で思っていそうなほど自己中だ。
俺の返事を聞くなり洗面所の扉を勢いよく開け、
せっかく自分で結んだネクタイを容赦なく奪い取る。

「ほら、こう。違う、ここをこう折って、
締めるのはこのタイミング」

文句を言う間もなく、
おにぃの指が俺の首元で器用に動きはじめる。
あっという間に再びネクタイが巻きつけられていき、
鏡の中に“ちゃんとした高校生”が出来上がる。

「制服補正ってすごいな 。真白が高校生に見える」

「今日から立派に高校生なんだけど……」

「……まぁ、いいんじゃね?可愛い可愛い」

おにぃはそう言って、
当然のように鏡の前を横取りして自分の髪を整え始めた。
すると今度はキッチンからお母さんの声が飛んでくる。

「夏樹、真白!ごはんできたんだけど。
あ、ごめん真白、燈佳(とうか)起こしてきて!」

「だって。早くいけよ」

「……わかってるよ」

俺は仕方なく二階へ向かった。
毎朝のことだけど、
弟の燈佳を起こすのはいつも俺の役目になっている。
理由はよくわからないけど、
俺以外が起こそうとするとたちまち機嫌が悪くなる。
お母さんいわく、そうなると幼稚園に行くまでの道のりが
とんでもなく長くなるらしい。