幼馴染からバイかも知れないと言われた時の最適解

 ガチャ、とドアノブを回して、まだご飯を食べている途中の妹にもう出るから、出かけるときには鍵を閉めろと伝えて外に出る。今日も両親は仕事が忙しく、起きた頃にちょうど出勤して行った。
 自転車を取り出して、ガタガタと小さな階段を降りたら、隣の家のドアが開く。
 ゴジラのようなのっそりスピードで、ココア色の頭が出てきた。いつもぱっちり開いている、切れ長の二重の目はもはや開いていない。「おい」と声をかけると、ぐしゃりと髪の毛を崩しながら、にへり、と笑った。
「はよぉ、てんちゃん」
「……はよ」
 寝癖ひどいな、と笑うと、「ん?」と頓狂な声を出して、まだ寝ぼけ眼のままわしゃわしゃと頭を撫でるように確認している。ぼんやりと耳の後ろで跳ねた毛束を掴んで、「……あぁー」と腑抜けた声を上げた。
 とても残念がっているのが分かりやすい。
「ちゃんとやったのに」
「イメチェンとか言っとけ」
「は、どこがなの」
 ふ、と気の抜けた笑みをこぼして、車庫の前に停めてある自転車を引きながらこっちに来る。声を掛け合うこともなく、自然な流れで歩幅を合わせて、「今日のHR早いに一票」「文脈くれ」「ブンミャク」「万博のキャラクターかよ」とのんびり話しながら歩く。
 今日の時間割数学多くていやだな、とスマホをぽちぽちいじっていると、「ねえ、照生」と、淡々とした声がかけられた。
 振り向く。バチ、とアンバーの目とかち合った。ゾク、と悪寒が走る。
「前話したこと、誰にも言わんでね」
 ほら、俺、照生以外にはあんまり、言ってないから、と。
 グ、と声が喉に詰まる。何度か咳ばらいをして誤魔化して、目を見て言ってやった。
「……ったりまえだろ」
「へへ」と、臆病に揺れたまなこをぐっと見返す。本当は、きっとこれを昨日言いたかったのだろうなぁ、と、察した。おれが誰彼構わずべらべらと言うタイプじゃないってことも知っているだろうけれど、人間は見た目や経験だけじゃ判断できない。
 だからこそ、おれに相談したのかと、まあ。当たり前だけれど、そうは思った。
 二人とも自転車を引きながら、乗ることもなく歩く。自転車に乗るのはいつものところからだ。
 くぁ、と本日三回目のあくびをした文也が、ギリと歯軋りをして二の腕を抑えた。
「やば、筋肉痛」
「……東藤様のおかげでたくさんスパイクが打てました」
「お願い聞いてよまじで」
「なんなりと」
 でも一個だけね、と淡々と告げる。文也はわかりやすく、ものすんごく嫌な顔をして、「守銭奴」と言った。なんだと、とすぐにデコピンした。ガチャン、と自転車のハンドル同士がぶつかる。
 べつにケチなわけじゃない。結局一時間半も付き合わせたのは悪いとは思ってる。ちゃんと。ほんとに。
 そもそもおまえバスケ部で死ぬほどシュートしてるだろ、とも、まあ、思ったけれど。さすがに不躾なので言わなかった。
「とは言っても、欲しいものもないしなあ」
 おでこをさすりながら右上を向いて考えている。目元にはうっすらと隈。悪いことしたかなぁ、と思っていたら、察したのか文也がニト、と笑った。すっげー嫌な予感する。
 ね、照生、と名前呼びをするときは大抵おれ側にデメリットしかない提案だ。知ってるぞマジで。

「じゃあ、デート行こ」
「いやです」

「――えー!」
 ガガーン、と効果音がつきそうなくらいに大袈裟にショックを受けている。はは、断られると思ってなかった反応。笑える。
 まあ、そうなるなぁとは思ってた。文也のことだし。幼なじみ舐めんなよ。
 なんだかいい気分になって、フフン、と笑った。
 隣から送られてくる恨めしげな視線は無視したほうが得だ。
「……なんで即答なの」
 ぶすくれて、上唇をかんぜんに尖らせて恐る恐る聞いてくる。おれはこの顔を知っている。気になるけどあんまり聞きたくない顔だ。聞きたいのか聞きたくないのかどっちなんだよ、と聞いたら死ぬほど怒られた記憶が蘇る。
「まあ、……おまえのエスパーだから?」
「……てんちゃんエスパーって言葉知ってんの?」
「おれ、お前より国語の順位百も上だけど」
「嘘」
「まあ嘘つきにメリットありませんし」
 視線を感じて、なんともなしに後方をちらりと確認すると、他校の生徒らしい、女子が三、四人固まってこちらを見ていた。
 やばいな。見られてる。ちょん、と文也の肘を引いて、目を合わせる。
「ほーら、他には?」
「えー……」
「パシリはやらねえよ」
「……わかってるよ」
 のほほん、と笑う文也に頷いて、横断歩道のボタンを押してやった。
 あいにく、東藤文也と最も仲のいい男子、あるいは幼なじみ、ということで、廊下を歩くだけで話しかけられて進まないのだ。
 そもそも、この高校の花形部活であるバレーでスターティングメンバーに入っていることだけで名前と顔が知れているのに。
 その上東藤文也と関わりがあると言ったら、どうにかして接点を作りたい人たちの客寄せパンダ。
 二人で歩くときには一応、文也が話しかけんなオーラを出してくれているおかげで鋼の心臓を持つ人しか話しかけてこないけれど。――おれ一人だったら。
 こわすぎる。むりだ。
 ブル、と身震いをしたおれを文也が笑う。おれもこいつのエスパーだけれど、たいがいこいつもおれのことについてはエキスパートだからな。
「想像しただけで嫌すぎる」
「目立つの嫌いだもんね」
「視線が集まんの気持ち悪いだろ」
 な、と念を押して、ニッコリと笑ってからもう一度後ろを見た。パッと蜘蛛のように散っていく姿を見ながら、あ、自分大人気ないなぁと思う。でもしょうがない。
 文也は昔から視線を集める子どもだった。おれはヤンチャだった。というよりも、家庭環境が良くなくてどうしようもなくグレていた、という方が正しいか。幼なじみとは言っても、片方は育ちのいい、のほほんとした美少年で、片方が目つきの悪い半グレだったわけで。
 言い方を悪くすれば、利害の一致だ。文也はおれが隣にいれば、誰からも絡まれることがない。おれは文也がいれば喧嘩をふっかけてくる奴が減る。それだけだ。気が合うのは嬉しい誤算だった。
 幼なじみというよりかは、ずっと、戦友に近い。人には言えないような悩みも葛藤も全部共有してきたのだから。
 歩いて、二番目の十字路。サドルに腰かけて、ぐるりと首を回す。となりの文也も同じ格好だった。
「てか、最近暑くなってきたねー本格的に」
「夏服でも暑い」
「クーラーボックス持っていっちゃダメかな」
「……ほんと、おまえもたいがいだよな」
 え、なんのこと、と感情の起伏の少ない声が聞こえて、笑いを噛み殺しながら漕ぎ出した。「ねぇえー、てんちゃんー」と後ろから聞こえる声になぁに、と返事。
「デートだめ?」
 は、と笑いよりも先に呆れかえったため息がでてきた。後ろが騒々しい。
「おまえさあ、本当に思考がありきたりすぎるんだよ」
「ありきたりじゃないでしょ! てんちゃんにデートの練習してもらうだけ!」
「声がデカい!」
「てんちゃんもでしょ!!」
 ムキになって自転車の速度をあげる。後ろも上げてくる。なんでだよ一人にさせろよ。
 チ、と舌打ちをこぼして立ち漕ぎに切り替え。
「てーんーちゃーんー!」
 文也もそのまま、いや、速度を上げてくる。おれのこと追い越すつもりか。
「まじでついてくんな!」
「お? 足の長い俺と勝負ですか?」
「今おまえおれ相手にメンチ切ったからな!」
「あっはは~」

 おれは納得してない。
 いつもより数分早く学校について、文也が朝から全力で自転車を漕いですっきりした顔をしていたことも、普段と違う時間に来るからみんなに囲まれたことも――女子生徒がたかって「今日は何かあったんですか!?」とか聞いてた、しいて言えば筋肉痛だろうと思った――、「あついね~」と言いながら笑う顔をみんなが見て騒いでいたことも、向けられるカメラにげんなりしていたおれを笑って、
「みんなー、うちの子がお疲れなので道開けてね」
 と手を引かれたことも。どんだけ振り払っても振り払えなかった。バスケ部の握力怖い。
 おれは全力で頭を下げて、駐輪場からぞろぞろと群衆を引き連れている文也のとなりでできるだけ小さくなっていた。が、まあ、あまり効果はなかった。
 まじで、クラスメイト、生暖かい目で見るな。一年女子、「あの二人ってマジなの?」とか聞くんじゃない。それからその隣のおれのチームメイト、「マジなんじゃね?」じゃない。マジじゃない。主将、お願いだから笑わないでください。写真も撮らないでください。「部活ラインに送ろ~」じゃないんですマジでほんとうに。
 あとおれはおまえの子じゃない。ふざけんな。せめてもの反抗で、靴箱の前についた瞬間に腕を払った。後ろから黄色い悲鳴なのか分からない残念そうな声が聞こえてくる。誰だ今のシャッター音。
 ギリ、と拳を握ったところで、その手をぎゅっと握られた。シャッター音増してるなこれ。てか文也おまえ、こんな騒ぎにしたらおまえがバイかも、ホモかもって言われるかもしれないだろうが。バカか。
 文也は、そんなもはや現実逃避に近い思考を始めたおれの脳みそに追い打ちをかけてくる。

「――で、デートは行ってくれるの? 照生」

 きらきら営業スマイル。ウインク付き。
 きゃっと断末魔のようなものが聞こえた。殺人でもしたのか。おれはちろ、ちろ、と横を向いて、おまけに真後ろも振り返って――同じような「きゃっ」が聞こえた。なんでだ――全員がおれたちを見ていることを確認してから、言った。
「……おまえ、マジで、たいがい性格悪いよな……」
 文也は、大変ムカつくお綺麗な顔で「まあ、俺は本気出せばこのくらいできるからね」とのたまってみせた。
 その顔面の破壊力に、ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる群衆の中で、幼なじみ兼親友おっそろし~怒らせないようにしよ、とおれは今更ながら思っていた。