「これで十二人目でした」
と、戻って来るなり文也は高らかに笑った。
「俺モテモテなんじゃない?」と、楽しそうに笑う男を睨みつける。めちゃくちゃ最低。思いきり口に出ていた。
もちろん、十二というのはこの半年足らずで振った女子の数だ。あの子も文也の審美眼にかなわなかったらしい。
またかよ、とため息をついた。
綺麗なものに目がない文也は、自分の美の基準に満たない人にはたいして興味がない。そりゃ、あからさまにはしないけれど、長年の付き合いになるおれから見れば丸わかりだ。
毎日鏡の前に立てば絶世の美少年がいるのだから、目も肥えるものなのだろうと自分を無理やり納得させて「ふーん」と返事をして顎でとなりを示す。
「おい、ろくでなし」
「言い方ー」
「じゃあスケコマシ。さっさと扉閉めろ。風逃げる」
「んもー、はいはい」
さっき、学年のマドンナの告白を断ったばかりだと言うのにケロリとしている。あの子も、文也のお綺麗な顔に魅了されて告白されたのだろう。
見る目がないなぁ、と思ってしまった。
文也は基本的に、意地汚さを抜けば性格も良くて顔も良くて完璧なんだけど。
「あーつかれたー」
と、椅子の背もたれに顎をついてぐらぐら揺れている。おれの肩に頭を乗せるな。
去年の西野山高校文化祭、大トリ。
一年生にして華やかなミスター西高に選ばれた東藤は、入学式に明るい茶髪で現れ、花形部活のバスケでスターティングメンバーに入り、その爽やかな笑顔で一躍「西高の王子様」枠となった。が、すぐにその決まりきらないゆるっとした中身が知れてしまい現在は「顔が良くてちょっとほんわかしてる子」枠になっている。
もちろん、顔がいいので学年で一番モテているのは確かだ。完全無欠な男よりも少し抜けている方が親近感が持たれやすいのだろう。
つまり、観賞用には申し分ないが彼氏にするにはどこか物足りない男。あるいは、相当モテるが何故か嫌いになれない男。
それが東藤文也という男の評価だった。
実際には結構あざとくて、小賢しくていけ好かないやつなのだとおれは知っているが、口に出したことはない。べつに本人が仮面を被りたいなら勝手にすれば良い話だ。
おれからの評価としては、ゆるすぎて殴っても殴っても手応えのない起き上がり小法師みたいなやつ。いつまでもヘラヘラしやがって、と隣でぐでりと机に伸びているつむじをツンツン押した。「なにてんちゃんんん」「やる気スイッチ」「絶対そこじゃないんだけど」と駄弁りながら、ノートを開く。おれは生物で、文也は公共だった。
「暑いねぇ」
「文也、本日の最高気温二十六度」
「うっわー、陽気だね」
「真夏日だよ」
「あっつ。それやめて」
「なんでだよ」
「呼称が変わるだけで体感が二度変わる」
「言ってろ」
ここ最近は日が長い。
なかなか暑さが止まらず、冷房が欠かせない。廊下に出ていた文也は暑かったのだろう。
前髪を分けて、絶妙にかわいくないアメリカかどこかのマスコットキャラクターのヘアピンをつけている。のを見てから、思考が停止した。もしかしなくてもその状態で帰ってきたってことはその状態で告白を受けて振ったということだろう。
目の前の男が信じられなくて目を開いてガン見していると、気づいた文也がふ、と笑った。相変わらず顔がきれいなせいでこの世のすべてに喧嘩を売っているようにしか見えない。
「……なに?」
「いや?」
ネクタイを緩めて襟元をがっつり開いている。
男にしてはやけに綺麗なデコルテにチェーンネックレスが光る。汗でどこか光っているのを見て、あ、こいつ人間なんだと思った。人間なのだから当たり前なのだけれど、ときどき、びっくりするくらい浮世離れした顔をしていることがあるから、余計にそう思うのだろう。
「……文也」
それをじっと見て、顔を見上げて、を交互に繰り返して訴える。
文也はきょとんと目を丸くした後、自分の姿を見てからにま、と厭らしい顔をした。これはろくでもないことを考えている顔だ。アッパーを決めようとした右手をパシリと掴まれる。思い切り舌打ちを返した。
「……いいじゃん別に、暑いんだもん」
「……ネックレス見えてる」
「見せてんの」
「校則で禁止だろ。次やったらアッパー決める」
「おお怖」
「決めれてなかったけどね」と言うのにプツンと来て今度はストレート。
横腹をさすりながら、なさけない顔で、それでも無理に取り上げたりしないところがてんちゃんの美徳だと笑う文也はたのしげだ。いや、ほんと、こいつ、なんにも聞いてないな。
これもやめろ、と叱ってヘアピンを取り上げる。さらりと指先に髪の毛が触れた。
茶髪。
さっきの女の子とは違う色だ。
たとえば、女の子がルイボスティーなら、コイツはココアのような、赤く深い茶色だ。記憶の中の幼い東藤は黒々とした綺麗な黒髪だった気がする。染めたのだろうか、いやでも、いつだ? と思っていると、ふと、「照」と呼ばれ、眼差しとかちあった。
くらりとしそうな深い深いココア色の眼差しが目の前で瞬いた。
てんちゃん、なんて普段は間抜けなあだ名で呼ぶくせに。なんなんだまじめくさって。
やけに面だけは良い男だ。それは知っていたが、実際目の当たりにすると皮膚が粟立って、なんとなく落ち着かなくなる。表情が擦り剝けた蝋人形のような顔の、真ん中にはまった、まんまるでココア色の目がおれを見つめている。いつもと同じ何も変わらない目。
実は、この男のこの目が嫌いだ。
自分の柔いところを、きゅっと、素手で掴まれたような気持ちになってしまって、落ち着かなくて。
ばっと目を逸らし、不貞腐れたような、嫌がるような絶妙な顔を作る。ちょん、と文也が開いたノートの隅っこにピンを置いた。苦し紛れだが、騙されたふりをしてくれるだろうと分かっていた。
「……地毛?」
「いや、染めてるけど?」
「へえ」
なんだよ、今気づいたの、とぶつぶつ文句を垂れる横っ面を軽く引っ叩いておく。
気づいてなかったわけじゃない。心外だ。
「いきなり手出さないでよ!」と涙目で絶叫する文也の首から、ふわりと、知らない香水の匂いがした。
もや、と胸を掠める違和感に息が詰まる。フォークの先で引っ掻かれたような、いやな感じがして、胸がざわめいた。
「……香水変えたの」
「ん? いや? ……あ、さっきの子の、うつったかな。気になる?」
「……いや。全然、くっさいなぁって」
と言うと、文也がわはは! と弾けるように笑った。
「うわ、ひっどー。なんだよてんちゃん、あんまり香水好きじゃないの?」
「おまえから甘い匂いがするのが気に入らない」
「……え、なにそれ」
「おまえ、……おれ以上におまえのプロデュース長けてるやつ知ってんの?」
ニヤリ、と笑ってやる。
文也は悔しそうに顔を歪めて、あー! と叫んだ。
「なにそれなにそれかわいいじゃん、ツンデレカンストにも程がありますよ? 泣いていい?」
「勝手に泣け」
酷い酷いとふざけて腕を組んでくる身体。
バレーボール部所属、小学校三年生からずっと放課後のクラブに入ってバレーボールを狂ったようにやってきたおれよりも数センチ高い身長。百八十は越していると思う。
座高が高いのが気に食わないがこればかりはどうしようもできない。ゲシ、と脛を蹴ったら「なんで!」とわめく。
「あ、そうだ。とっておきの秘密教えてあげよっか」
「興味ない」
「まあまあ、聞けってば」
ぐい、と腕を引かれて胸の中に引き込まれる。
距離が近いと指摘されたのは高校に入ってからだ。幼馴染だからなんだね、と菩薩のような顔をしていたクラスメイトを思い出す。どういう表情だったのかよく分からない。
慣れ親しんだ体温に絆されたのも束の間、やっぱりその身体についた知らない匂いが気持ち悪くて顔を顰めた。
重ったるいバニラムスク。まるで高校生がつける代物じゃない。
「さ、聞いて驚かないでよ?」
「驚くなら聞きたくない」
「あーもー、こんなのてんちゃんにしか話せないんだってば」
コイツは、おれがそう言う言葉に弱いことを知っている。肩に腕を回して、ふふふと笑いながら抱きしめられた。
「まじでやめろ」
「いいから。聞いてよ」
ぐいぐい身体を引き剥がそうと胸を押すおれを、楽しそうにまなじりを緩めて見ている。ふにゃりと上がった口角とのセット。おれは、文也のこの顔がおれの降参待ちの顔だと知っている。絶対ゆずらないから、と睨んでも効果は無さそうだ。
数秒後、文也は、すとんと脱力したおれを見て大変満足そうに微笑んだ。ムカつくので顎を掴んでギリギリ握りしめてやった。
「……で、なに」
きっと告白のあとなのだから、それ関係の話なのだろう。
ふと、告白を受けた数時間前を思い出す。
彼女はうまく泣けただろうか。あのまま、おれのことを憎まず、ただ興味をなくしていってくれればいい。
おれは誰かの「好き」に値する人間ではないし、想いに応えられるほど大人でもない。――と、ぼんやりと考えていたときだった。
「俺、バイかもしれない」
「……は?」
――恋愛ビギナーにも程があるおれが、幼馴染からバイカミングアウトされたこの状況においての最適解は何だっただろうか。
凄まじい勢いで、深夜に見た国営放送のLGBTQドキュメンタリーや教育番組のダイジェストが頭を駆け巡る。
笑って受け流すべきか。あるいは真剣に受け止めるべきか。そもそもなんでおれに言った。「かもしれない」ってなんだ、確信の「かもしれない」なのか?
本当の意味での「かもしれない」なのか?
しばらく言葉を失った後、「前置詞?」と咄嗟に絞り出した。声は緊張が丸わかりのぶっきらぼうだった。
