幼馴染からバイかも知れないと言われた時の最適解


 初夏。
 おれが所属するバレーボール部が参加した、県インターハイの選考が終わった。
 強豪校であるここ、西野山(にしのやま)高校は無事に県予選を勝ち抜いて全国への切符を手にした。
 毎年全国に出場してベスト8には食い込んでいる高校なのだから、当たり前と言われればそうなのだけれども、プレイヤーとなるとのしかかるプレッシャーはくらべものにならない。
 バレーは繋ぐ競技だ。落ちたら終了。
 ゴールを決めて得点するようなバスケットボール、サッカーとはちがって得点の仕方に多様な選択肢がある。決勝で対戦したのは最近強くなってきた高校で、圧倒的に守備が強いチームだった。守備と攻撃どちらもレベルの高いバランス型と言われているが、その実超攻撃型と名高いうちとは相性は最悪だった。
 打っても打っても拾われ、油断したところにスパイクが飛んでくる。拾い上げても体勢を崩したセッターがセットアップしたボールはうまくどんぴしゃりせず、また拾われる。
 それでも、決勝、レフトから我がエースの超インナースパイクが決まって、デュースに決着がついた時は汗みどろのままみんなで抱き合った。腹の底から喜びと興奮が湧き上がってきて、抑えきれないくらい楽しかった。声を出して笑った。
 勝つことは重要だけれど、それと同じくらい楽しかったと思えるような、肌を刺すビリビリした緊張感と「呑まれる」と感じるほどの敵意とが交じるコートに立つことが重要だ。一瞬でさえ見逃したくないと思う、
 日誌を書いていればそのときの興奮が目の前に鮮やかに浮かんできて、ぎゅっと汗で濡れた両手を握った。
 ああ、またあのスパイクを打ちたい。相手コートから降ってくるスパイクを拾いあげたい。
 早く、部活がしたい。
「あー……」
 机に突っ伏して唸る。もうだめだ、とため息をついてうなだれた。すでに禁断症状が出ているのが分かる。
 インターハイ後にコーチと一年生数人がインフルにかかったために、部活が全面禁止になった。これから新しいシンクロ攻撃を試すところだったのに、と部室で叫びまくったおれをチームメイトが笑っていたことを思い出した。
 いや、本当に恨んでも恨みきれないんだよおれは。家で妹を付き合わせるのもあまりよくないと思うし。
「はあ」
 やることが勉強しかない。真面目か。真面目だよ。自分でツッコむ。
 ふだんはいわゆる「陰キャ」の軍団から離れているが、おれは「陽キャ」でもない。そもそもそういう根が明るいかとか話ができるかとかそういうもので人を区分することが好きじゃない。全員なんだっていいだろと思っている。どうせ人間みんな誰かのことは嫌いなんだろ。
 勉強をして、たまに友だちと遊んで、ただ大声で騒いでいるだけの陽キャが絡んでくるのを内心青筋立てながらやり過ごす。
「とか言ったらまた『クソウゼェ』とか言われるんだよなー」とぶつぶつ一人ごちる。
 あまり人と円滑なコミュニケーションがとれるタイプではない。自負はしている。だからこそ、人の気分を悪くしないように静かに生きている。いや、生きていきたい。できてないとは言われるけれども。脳内に、なにかと人付き合いがうまい幼なじみの顔が浮かんだ。
「あぁ~……バレー……」
 ふだん使っている、写真部の部室である資料室で数学のノートを書いているときだった。

 コンコン。

 ノックの音に顔を上げる。すぐに女子生徒の声で「失礼します」と続いた。
 きっちり束になった前髪。左右対称な触覚。曲がっていないリボン。ふわりと風に吹かれて茶髪がたゆんだカーブを描く。もじ、とお腹の前で組んだ指がそのなんたる証拠。すぐに察してしまった。
「あ、あの……」
 だが、そのときに、あれ、とおれは思い至る。どこかで見たことがあると思ったら、「二学年のマドンナ」だ。勝手に男子が呼んでいるので失礼極まりないことだとは思っているのだが、この学年で一番モテると言われる女子生徒だった。となりのクラスの。
 ついにこの子まで来たのか、と思いつつ、動揺を顔に出さないように努めて、できるだけ柔らかい顔と声で対応する。
「あ、東藤(とうどう)ならたぶん奥で寝てます」
 発言を先回りして、背後にあるドアを指差す。
 女子生徒はぱちり、と瞬きをして面食らい、もう一度、あ、と小さく声をこぼした後コクコクと頷いた。
 マドンナというくらいだから凛とした気が強い感じだと思っていたが、そうではないらしい。確かに見るからに繊細で穏やかな感じの子だ。一見、自分から告白するようには見えないが、女子の世界は怖いから何も考えないようにしておく。
 プライドとか、競り合いみたいなものが裏ではあるのかもしれない。ただの憶測だけど。
「呼んできてくれますか……」
 この子はどうなんだろうなぁ、と思いながらこくりと頷いてみせた。
 おれに丸投げされても怒りはわかない。寝ている好きな相手を起こすのはなかなかハードルが高いだろう。
「ちょっと待っててね」
 このやりとり、今年に入ってから十は確実に超えている気がするんだけどな。つい気を抜くとぶっきらぼうになる声色を調節しながら伝えた。立ち上がって奥のドアを開く。
 当の本人はソファでぐっすり寝こけていた。
 ルージュでも塗ったみたいに鮮やかな唇が、くあ、と開いている。喉が乾燥しそうだけど、大丈夫か。寝癖が変についていなければ良いや、となかば念じるように考えながら肩を揺すった。
文也(ふみや)
「……んぁ」
「起きろ」
「んー、……んぇぇ、もう時間?」
 ばさばさと長い睫毛をまたたかせながら起き上がる。ぐっと眉間に寄った皺を親指でぐいぐい押して、外を見て「まだ明るくない?」と怪訝な顔を向けてきた。
 くそムカつく。
 誰が好きでおまえを起こすんだよ。頭を鷲掴みにしてぎりぎりと指圧してやった。「あだだだだだ」と間抜けな声が出ている。これならすぐに対応できるだろう。たまにぐずって仕方がない時ほど面倒なことはない。
「呼ばれてるぞ。たぶんいつもの」
 むー、とでも文字がつきそうなぶすくれた顔で頭をさすっている文也に告げると、一瞬にして真顔になった。美丈夫の真顔っておっかないな。少し跳ねた襟足を撫でながら、外をぼうっと眺めている。
「だれ?」
「……『マドンナ』って呼ばれてる子じゃなかったかな。ほら、四組の。……おまえも大変だね」
「絶対思ってないでしょ、それ」
「べつに、不特定多数から注目されて好きになられるのも大変だなって思ってるよ」
 文也は、ふーん、と分かったのか分かっていないのか絶妙な相槌をよこした。じゃれつくように抱きしめようとしてくるのを押し返す。ソファの背を掴んで身体を離して、ひらひらと手を振った。
「早くしろ。おれは勉強するから」
「えー、二度寝したい」
「一生起きなくていいならそこにいろ」
「起きます」
 ぐぐ、と伸びをしてパッパと立ち上がった。最初からそうしろよ、とは思ったが野暮なので口には出さない。
 机に置いていたらしい丸メガネ――もちろん伊達――をかけて、「じゃ、行ってくるー」とかったるい口調で、立て付けの悪いドアを引いて出ていった。二人が出て行くまではここにいようかとソファにもたれかかる。
「あ、ごめんねー。寝ちゃってた」
「あ、ううん、大丈夫。いきなりごめんね」
「いいよ全然。どっか移動しようか?」
 お。親しげ。
 おれはなるべく気配を消して、二人の空気を邪魔しないように部日誌のところに戻った。ガタガタ音を立てながら空いたドアから二人が廊下に出ていく。
 カチ、カチ、とシャー芯を出して、続きの文字を書きつける。一区切りついて、新しいハンドサインを頭に入れようとイラストが描かれたプリントを取り出した。
 と、出ていったはずの文也がひょっこり顔を出した。
「あ、てんちゃん! 俺戻ってきたら一緒にベンキョーするから!」
 きらっきらの笑顔。
 まるで飼い主を見つけた仔犬のような。ふ、と口元が緩みそうになって、あわてて手で覆った。ごほん、と咳払い。
「……いいから早く行けよ……」
「はーい!」
 ようやく二人が歩き出す。
 ああいう仔犬みたいなところが、残念、とも言われるところなのだろう。しゃんとしていればちゃんとした男なのにな。
 すりガラスの向こうに消えていく並んだ凸凹の影を見ながら、おれはいつか、自分のことを好いてくれる人とああいうふうになれるのだろうかと、ふと思った。じくり、と、胸が痛んだ。