それからの日々は、文字通り地獄のような日々だった。ここまで来ると蟻地獄の気持ちも分かるものだ。もがいてももがいても感情の波についていけない。
恋する乙女のみなさん、おれはようやく気持ちが分かりました。
こんな爆弾みたいなものを抱えこんで、あまつさえあなたたちは告白をしようと言うのですね。一体全体怖くないのか。その強さが信じられない。おれは心の底からあなたたちを尊敬します。こんな生き地獄をよく楽しめるものだ。すげえよ、もう。
そうして、やっぱり、告白を断られて涙を流す彼女らの気持ちが、身に迫るように、ひどく鮮烈に分かってしまうのだ。
おれへの罰かなあ、と最近は楽観している。
文也とは、普段通りの距離を保っている。とはいっても、意識的に距離を置くようにしている。徹底した排他的な態度。
文也は気付いているのか、気付いていないのか、――まあ、気付かないわけがないとは思うのだが――いたってふつうの顔をしておれの隣を陣取っている。
戸田野田にはむずがるような、「なんか違うんだけど」と言われ、隣の席の遠藤さんにも「浮かない顔してるよ。体調悪いの?」と聞かれてしまった。おれの自慢のポーカーフェイスはどこに行ったんだという始末である。
なにかがあったことは、気付かれているのだろう。おれには分かる。
文也のことで分からなかったことなんて、今までほとんどない。
息をするように分かってしまう。
だから、気付いた時点で終わっていた恋心を持て余している身としては、せつなくてしかたがない。おれはこれだけ恋焦がれるまで何をしていたのだ。気付いていなかったのだけれど。笑えねえよ。笑うしかねえんだけど、さ。はあ。
何があろうとも脚は止められない。午前中で終わる夏期講習を終えれば、すぐに部室に向かう。バレーボールに触れ、先輩たちとの最後の試合を楽しむために強くならなければいけない。
すぐそこに、インターハイが迫っていた。
「照生」
「……なに?」
ああ、きたか、と思ったのは、文也の顔が真剣そのもので、まるっきりおれを逃がす気のない顔をしていたからだ。
インターハイ前日。遅くまで部で集まって明日からのインターハイをどうやって勝ち進むか会議を終えてからの訪問だ。あくまでも、おれを逃がさないための手段。
おれもたいがいだとは思うが、文也もたいがいだ。お互いのことを知り尽くしているからこそ、相手の手中が分かる。一枚上手だったのは文也だ。
逃げてもなあ、と思い至って、おれは中途半端に肩にかけていたエナメルバッグを置いた。
部員からの視線が痛い。こういうのは彼の得意だろうが、おれの蚤の心臓にはあまり優しくない。キャプテンに「少し出ます」と声をかけて、文也を連れて部室を出る。好奇の目が注がれるのを感じながら、おれは小さく舌打ちをした。未だに目立つのは嫌いだ。
部室を出て、階段を下り、すぐそこにあるベンチに腰掛ける。
しばらく沈黙が続いた。心臓がうるさい。なんでもない時間だけでこうなってしまうのに、今までのおれはどうやってコイツの隣で何も知らずに笑っていられたんだ。
文也が重々しく口を開く。
「ごめん。押しかけて」
暗がりに沈み始めた目の前のテニスコートに視線を移して、ぼんやりとしながら、きっかり三秒後に返事を返した。
「別に。避けてたのはおれの方だし。おまえにも気遣わせただろ。こっちこそごめんな」
「……いや、……ああ、うん……」
「どっちだよその返事」
あは、と笑うと、文也がふふ、と安堵したように笑う。
――すっげえ、気遣わせてたんだな。実感がわいてきて、罪悪感が募る。おれが振った子たちでも、その後は極限普段通りに接してくれて、決しておれが必要以上に気を遣うことはなかった。先人たちはすごいなあ、と思った。
「で、何しに来たん。バスケ部はもう終わってるだろ」
「ああ、うん。これ渡しに来たんだ」
手に握られていたのは、紫色の交換ノートだった。まだ折り目もまともについていない新品のようなノート。
目を閉じれば、まぶたに触れる文也のぬくもりでさえ蘇ってくるような気がした。
「……いつでもいい。ただ、絶対に見て欲しい。中を見たら、俺に会いに来て」
「……オーケー」
真面目な顔の文也には勝てない。本気なのだと分かるから。
文也は満足げに頷き、「それまではいくらでも待つから。インハイ頑張ってね」と朗らかに笑いかけると、逃げるように去っていった。
ぎゅう、と拳を握る。いつでもいいと言われたおれが今見る可能性が高いことを踏んで、早々に退散したのだろう。
つくづく思考が読まれていていっそ気持ちが悪い。
一息、深呼吸をする。意を決して、ぺらりとノートの表表紙をめくる。すぐのページにはなにもなく、一枚目の見開きのページに、いつもの水色のペンで書かれていた。
『俺の好きな人について、話したいことがある』
知らず知らず、ノートがくしゃりと歪んだ。エナメルバックにつけたままの、文也からもらったマスコットを思い出す。目の前がぼんやりと滲み、慌てて頭を振った。
絶対に勝つ。
勝って、勝って、勝ち進んで、バレーさえあればいいという気持ちで話をしにいこう。
恋する乙女のみなさん、おれはようやく気持ちが分かりました。
こんな爆弾みたいなものを抱えこんで、あまつさえあなたたちは告白をしようと言うのですね。一体全体怖くないのか。その強さが信じられない。おれは心の底からあなたたちを尊敬します。こんな生き地獄をよく楽しめるものだ。すげえよ、もう。
そうして、やっぱり、告白を断られて涙を流す彼女らの気持ちが、身に迫るように、ひどく鮮烈に分かってしまうのだ。
おれへの罰かなあ、と最近は楽観している。
文也とは、普段通りの距離を保っている。とはいっても、意識的に距離を置くようにしている。徹底した排他的な態度。
文也は気付いているのか、気付いていないのか、――まあ、気付かないわけがないとは思うのだが――いたってふつうの顔をしておれの隣を陣取っている。
戸田野田にはむずがるような、「なんか違うんだけど」と言われ、隣の席の遠藤さんにも「浮かない顔してるよ。体調悪いの?」と聞かれてしまった。おれの自慢のポーカーフェイスはどこに行ったんだという始末である。
なにかがあったことは、気付かれているのだろう。おれには分かる。
文也のことで分からなかったことなんて、今までほとんどない。
息をするように分かってしまう。
だから、気付いた時点で終わっていた恋心を持て余している身としては、せつなくてしかたがない。おれはこれだけ恋焦がれるまで何をしていたのだ。気付いていなかったのだけれど。笑えねえよ。笑うしかねえんだけど、さ。はあ。
何があろうとも脚は止められない。午前中で終わる夏期講習を終えれば、すぐに部室に向かう。バレーボールに触れ、先輩たちとの最後の試合を楽しむために強くならなければいけない。
すぐそこに、インターハイが迫っていた。
「照生」
「……なに?」
ああ、きたか、と思ったのは、文也の顔が真剣そのもので、まるっきりおれを逃がす気のない顔をしていたからだ。
インターハイ前日。遅くまで部で集まって明日からのインターハイをどうやって勝ち進むか会議を終えてからの訪問だ。あくまでも、おれを逃がさないための手段。
おれもたいがいだとは思うが、文也もたいがいだ。お互いのことを知り尽くしているからこそ、相手の手中が分かる。一枚上手だったのは文也だ。
逃げてもなあ、と思い至って、おれは中途半端に肩にかけていたエナメルバッグを置いた。
部員からの視線が痛い。こういうのは彼の得意だろうが、おれの蚤の心臓にはあまり優しくない。キャプテンに「少し出ます」と声をかけて、文也を連れて部室を出る。好奇の目が注がれるのを感じながら、おれは小さく舌打ちをした。未だに目立つのは嫌いだ。
部室を出て、階段を下り、すぐそこにあるベンチに腰掛ける。
しばらく沈黙が続いた。心臓がうるさい。なんでもない時間だけでこうなってしまうのに、今までのおれはどうやってコイツの隣で何も知らずに笑っていられたんだ。
文也が重々しく口を開く。
「ごめん。押しかけて」
暗がりに沈み始めた目の前のテニスコートに視線を移して、ぼんやりとしながら、きっかり三秒後に返事を返した。
「別に。避けてたのはおれの方だし。おまえにも気遣わせただろ。こっちこそごめんな」
「……いや、……ああ、うん……」
「どっちだよその返事」
あは、と笑うと、文也がふふ、と安堵したように笑う。
――すっげえ、気遣わせてたんだな。実感がわいてきて、罪悪感が募る。おれが振った子たちでも、その後は極限普段通りに接してくれて、決しておれが必要以上に気を遣うことはなかった。先人たちはすごいなあ、と思った。
「で、何しに来たん。バスケ部はもう終わってるだろ」
「ああ、うん。これ渡しに来たんだ」
手に握られていたのは、紫色の交換ノートだった。まだ折り目もまともについていない新品のようなノート。
目を閉じれば、まぶたに触れる文也のぬくもりでさえ蘇ってくるような気がした。
「……いつでもいい。ただ、絶対に見て欲しい。中を見たら、俺に会いに来て」
「……オーケー」
真面目な顔の文也には勝てない。本気なのだと分かるから。
文也は満足げに頷き、「それまではいくらでも待つから。インハイ頑張ってね」と朗らかに笑いかけると、逃げるように去っていった。
ぎゅう、と拳を握る。いつでもいいと言われたおれが今見る可能性が高いことを踏んで、早々に退散したのだろう。
つくづく思考が読まれていていっそ気持ちが悪い。
一息、深呼吸をする。意を決して、ぺらりとノートの表表紙をめくる。すぐのページにはなにもなく、一枚目の見開きのページに、いつもの水色のペンで書かれていた。
『俺の好きな人について、話したいことがある』
知らず知らず、ノートがくしゃりと歪んだ。エナメルバックにつけたままの、文也からもらったマスコットを思い出す。目の前がぼんやりと滲み、慌てて頭を振った。
絶対に勝つ。
勝って、勝って、勝ち進んで、バレーさえあればいいという気持ちで話をしにいこう。
