なんとなく気まずくて、顔を合わせるのも少し億劫で、照れくさいような気持ちを人はなんと呼ぶのだろうとおれは思った。
まぶたに触れる、少し湿った、皮膚が突っ張るような感触を覚えている。
その上、ふとした瞬間に、夕暮れの緋色のなかでうっとりと微笑んでいた男の美しさが彷彿と思いだされて、どうしようもないくらいに感情が高ぶってしかたがない。
ベッドの上に目元を覆ってうずくまって、「うううう」と獣のように唸りながら、おれは一体なんてことをしてしまったんだ、一体全体どういう顔をしていればいいんだ、と三日三晩悩んだ。実際には土曜日の夜と日曜日の丸一日だけしか悩めなかったのだが。そういうことは重要じゃない。
すでに習慣と化していた窓際のひとときだって、居ても立っても居られなくて、お互いに気まずい空気を隠そうともしないまま「じゃ」「うん」とだけ言っていつもより二時間も早い三十分だけ顔を合わせて終わった。
後悔はなかった。
たとえばあれが、文也にとってどんな意味をもつものでも、おれには関係がない。突き放しているのでも冷たいのでもなくて、ただ、おれはあの距離の近さを嫌だとは思わなかったし、おれにはまだ血の繋がりのない赤の他人を大切にするという情緒が残っているのだと思っただけだった。
悪くはなかった、と、思う。
なんなら腹の底がむずむずして、熱くて、なぜか泣きそうになって、わけのわからない状態だった。耳の奥が膨張してなにも聞こえないくらいだった。
月曜に顔を合わせたとき、どんな顔をしていけばいいかと迷って超絶の真顔で「おはよう」と声をかけたおれを見て、彼は一瞬面食らったあと信じられない勢いで爆笑し始めた。「マジで信じられない」と、「その顔マジでおもろいからやめて」と。そうやって笑い飛ばしてくれるような相手だから許したのだ、とおれはそのとき呆然と思って、なんだ、なにも心配することはなかった、と笑い返してやったのだった。
親友という体で都合よく利用してるんじゃ、と懐疑的に思ったが、それは別にいいか、と思う自分が末期で笑えた。親友のためなら一肌でも二肌でも脱ごう、と思うから。
だが、彼が、好きになった男の人がいるのに、おれとこういうことをするのは、それは、いいのか? とふと思った。
他人の恋愛事情は分からないし、どうやってアプローチするのか、そこらへんの倫理観を形成する時期に荒れに荒れていたおれは知らない。
いくらか考えてみたが、いつも結論は「ダメなんじゃね?」「不誠実」に落ち着く。
お遊びでも、いくらおれが親友であって、文也の一部のように存在しているからといって、彼の好きな人の代わりにされるくらい屈辱的なものはない。たぶん。正直なところ、そこはプライドがない上に他人に知られる部分でもないのであまり気にしてもいないのだが、親友が誠実ではないのは気に入らない。
おれは我慢できるたちではないので、文也にそれを尋ねた。
ふだん柔和でへらりへらりとしているから誤解されやすいが、文也は、それこそ本当は思慮深くて自分の行動が他人に及ぼす影響を常に考えているような繊細かつ神経質だ。反対におれは真面目で硬派、繊細で誠実な質と思われがちだが、実際はけっこうおおざっぱに物事を考えているし、楽天家である。正反対であるからこそ、不足する部分は補い合える。
文也はいつもと同じように「ん~、ノンデリ」と軽薄な笑顔で言い放ってから、しばらく考えこんでいた。デートといい、交換日記といい、ハグもキスも、そこらへんのことを全部自分から提案しておいてデリカシーがないのはどっちだ、と思って、それが顔に出ていたのか文也に「ごめんにょ~」とまったく思っていない口調で謝られた。
結論が出たのは駐輪場に自転車を置く時だった。
文也が、ふと顔をあげて、おれの名前を呼んだから足を止めた。
「……問題はない」
と。それだけ。
でもその顔が真剣で、その上で必ず裏切らないという気迫に滲んでいたから、おれはごまかすように鼻で笑うだけだった。
だから、安心していたのだ。
文也はきっとうまくやっている。おれたちの関係はもう揺らぐことなんてない、と――。
まぶたに触れる、少し湿った、皮膚が突っ張るような感触を覚えている。
その上、ふとした瞬間に、夕暮れの緋色のなかでうっとりと微笑んでいた男の美しさが彷彿と思いだされて、どうしようもないくらいに感情が高ぶってしかたがない。
ベッドの上に目元を覆ってうずくまって、「うううう」と獣のように唸りながら、おれは一体なんてことをしてしまったんだ、一体全体どういう顔をしていればいいんだ、と三日三晩悩んだ。実際には土曜日の夜と日曜日の丸一日だけしか悩めなかったのだが。そういうことは重要じゃない。
すでに習慣と化していた窓際のひとときだって、居ても立っても居られなくて、お互いに気まずい空気を隠そうともしないまま「じゃ」「うん」とだけ言っていつもより二時間も早い三十分だけ顔を合わせて終わった。
後悔はなかった。
たとえばあれが、文也にとってどんな意味をもつものでも、おれには関係がない。突き放しているのでも冷たいのでもなくて、ただ、おれはあの距離の近さを嫌だとは思わなかったし、おれにはまだ血の繋がりのない赤の他人を大切にするという情緒が残っているのだと思っただけだった。
悪くはなかった、と、思う。
なんなら腹の底がむずむずして、熱くて、なぜか泣きそうになって、わけのわからない状態だった。耳の奥が膨張してなにも聞こえないくらいだった。
月曜に顔を合わせたとき、どんな顔をしていけばいいかと迷って超絶の真顔で「おはよう」と声をかけたおれを見て、彼は一瞬面食らったあと信じられない勢いで爆笑し始めた。「マジで信じられない」と、「その顔マジでおもろいからやめて」と。そうやって笑い飛ばしてくれるような相手だから許したのだ、とおれはそのとき呆然と思って、なんだ、なにも心配することはなかった、と笑い返してやったのだった。
親友という体で都合よく利用してるんじゃ、と懐疑的に思ったが、それは別にいいか、と思う自分が末期で笑えた。親友のためなら一肌でも二肌でも脱ごう、と思うから。
だが、彼が、好きになった男の人がいるのに、おれとこういうことをするのは、それは、いいのか? とふと思った。
他人の恋愛事情は分からないし、どうやってアプローチするのか、そこらへんの倫理観を形成する時期に荒れに荒れていたおれは知らない。
いくらか考えてみたが、いつも結論は「ダメなんじゃね?」「不誠実」に落ち着く。
お遊びでも、いくらおれが親友であって、文也の一部のように存在しているからといって、彼の好きな人の代わりにされるくらい屈辱的なものはない。たぶん。正直なところ、そこはプライドがない上に他人に知られる部分でもないのであまり気にしてもいないのだが、親友が誠実ではないのは気に入らない。
おれは我慢できるたちではないので、文也にそれを尋ねた。
ふだん柔和でへらりへらりとしているから誤解されやすいが、文也は、それこそ本当は思慮深くて自分の行動が他人に及ぼす影響を常に考えているような繊細かつ神経質だ。反対におれは真面目で硬派、繊細で誠実な質と思われがちだが、実際はけっこうおおざっぱに物事を考えているし、楽天家である。正反対であるからこそ、不足する部分は補い合える。
文也はいつもと同じように「ん~、ノンデリ」と軽薄な笑顔で言い放ってから、しばらく考えこんでいた。デートといい、交換日記といい、ハグもキスも、そこらへんのことを全部自分から提案しておいてデリカシーがないのはどっちだ、と思って、それが顔に出ていたのか文也に「ごめんにょ~」とまったく思っていない口調で謝られた。
結論が出たのは駐輪場に自転車を置く時だった。
文也が、ふと顔をあげて、おれの名前を呼んだから足を止めた。
「……問題はない」
と。それだけ。
でもその顔が真剣で、その上で必ず裏切らないという気迫に滲んでいたから、おれはごまかすように鼻で笑うだけだった。
だから、安心していたのだ。
文也はきっとうまくやっている。おれたちの関係はもう揺らぐことなんてない、と――。
