幼なじみ(自称バイ)からの執着が止まらない件

 家に帰り、簡単にご飯を食べてから、制服に着替えて家の鍵を閉めた。
「いってきます」
 小さく呟いて、自転車に乗る。ふだん歩きながら文也と進む通学路をびゅんびゅん飛ばした。変に人のいない住宅街は、建物から木々に至るまで誰もが息を潜めているようで少し不気味だ。肌が粟立って落ち着かない。
 この時の、浮遊感にもよく似た孤独感は嫌いだ。
 早くついてしまおうといつもの十字路を通り過ぎたところで、前方のコンビニ前にガラの悪い同年代の青年たちがたむろしているのが見えた。すげえダサい茶髪に、タトゥーが入っている。ここにまで煙草の煙が来る。ろくでもない奴ら、とため息を吐いた。
 普通に通れれば良いのだが、ああいう目立つところでたむろしている奴らは一人でいる相手によくカツアゲをするから関わりたくない。遠回りしていこうか、と速度を緩めながら左右を見渡す。一度止まり、向こう側の歩道に渡るか、とハンドルを切ったところで、ガン、と不吉な音と共にハンドルが掴まれた。
 ぐい、と胸倉をつかまれて、目の前に茶髪がちらつく。がっつり目を合わせてくるが、その目がキマっている。未成年が煙草だのなんだのしてんじゃねぇよ、と反射的にチ、と舌打ちが漏れた。
「お前、穂波か?」
 なんだよ、おれのこと知ってるのか。
 面倒なことになった、と思いながら腕時計を確認する。十分前行動が基本。早めに出てきたので多少のタイムロスは許せるが、ここで面倒なことに巻き込まれて時間を食うのは得策じゃない。
「その顔。穂波だよな。稲郷中の穂波」
「……だったらなんだよ」
「だよなあ、そうだよなあ!!」
「うっせえ」
 振り切るにもハンドルをがっつり掴まれているので無理だ。後ろから同じようにたむろしていた奴らがなんだなんだと近寄ってくる。本当にクソほどめんどくせえ。
 否定すればよかったか、とも思ったが、それはそれで詰め寄られて面倒なことになっていただろう。
 高校に入ってから喧嘩はしていないし、今はなんとかウイングスパイカーになって、土壇場でのセットアップもするようになってきたから手は使いたくない。ようやく指がきれいに動くようになったのだ。そもそもあの時期は荒れていたからそうだっただけで、喧嘩も趣味じゃない。
 わらわらと集まってきて囲まれる。パッと見るに本当に同年代だ。数個年上の人が二人いるだけで、それ以外は本当におれの世代。おれのことを知っていてもおかしくないし、中学から荒れていたとするなら絶対におれのことは知っているはずだ。
 ひどく殴られたら逃げよう、と思いつつ自転車を人質にされているのは痛いなあ、と考える。ここに残していけば絶対パクられて終わりだ。
「誰コイツ」
「兄貴知らないんすか?」
「え、穂波じゃん。マジじゃんウケる」
「この県で一番喧嘩が強かったヤンキーっすよ。中学生なのに高校乗り込んでボコしてたらしいし」
「それはただの噂だ。やったことねえよ」
 答えるだけでやけにテンションが上がって「ふぉー!」「稲郷中の穂波と話せてる~エグ~」「やっぱり高校生相手は無理だった?」と騒いでいる。脳ミソの位置にちゃんとした脳ミソが詰まっていないからこうなる。
「そりゃあ、強ェ高校生は無理だったわ。つかおれ高校行くから離してくんね」とハンドルを握りこむ手を剥がそうとするが剝がれない。なんなんだコイツ。
「いやいや、この時間に登校は無理があるでしょ」
「制服? 通信? もしかしてコスプレ?」
 ニヤニヤしながら絡んでくる男の肩を押し返して、腕時計を見る。本当なら交換日記も渡す予定があるので時間的にはここらで切り上げたい。勝手に鞄を漁ろうとする手をはたき落とした。大げさに痛がっているが反応はしない。
「用事があって午後から登校すんの。通信じゃねえよ全日制の高校だわ」
「ゼンニチ?」
「何それ頭いいの?」
「まあ、お前らよりかはよっぽど」
「おいお前ェ馬鹿にしてんのか」
「学校通ってない奴が何言っても負け惜しみにしか聞こえねぇの」
 早く行かせてくれよ、という態度を崩さずにいると、馬鹿にされて頭に来たらしい男が一人「降りて来いよ」と挑発してくる。自転車にまたがったままなので、喧嘩するには体制が悪いのだ。一方的な暴力は喧嘩ではない。そういうところはしっかりしているチンピラらしい。そういうところ義理堅くてどうするんだ。
「嫌だよ。おれもう喧嘩はしないし」
「はあ? 中二で県ほとんどの中高生ボコした奴が何言ってんだあ?」
「それなりにヤンキーやってる中高生だけだわ。全員じゃねえし。それにおれ中三からずっと喧嘩してないから」
「噂聞かねえと思ったらそういうことかよ」
「あ、じゃあ、オレ! オレいいっすか!」
 はじめにハンドルを掴んだまま、未だ離さない男がキマった目のまま手を上げる。なんだ、と思っていると、「オレ中学の時コイツにボコされたんです」と。
 予想通りだな、と冷めた目で見つめる。
 まあ初めにおれだと気付いたのはコイツだし、そういった関係なのだろうとは思っていた。相当記憶に残っていたのだろう。そうでもないとあの一瞬でおれだとは気付かない。髪型も変わっているし制服も着ているのに本人だと分かるくらいには、おれのことを探していたのだと考える方が自然だ。
 いやな世界で生きていたものだ。過去の自分が阿呆すぎて呆れてしまう。
「だから一発、いいっすか」
 それを聞いていいと言う奴がいるのか、と思いつつ呆れかえっていると、後ろから首と肩を羽交い絞めにされる。自転車に乗っている男子高校生がチンピラ数人に羽交い絞めされているのは、傍から見ればなかなかダサい格好だ。
 そうでもしないと恐くて殴れないくせにな、と思いつつ、まあ一発くらいいいか、と思って歯を食いしばった。
 ――これで最後にしよう。穂波照生。
 これまでの自分とは、ここでもうおさらばだ。
 もともと住んでいた世界の人間に絡まれた。前までならば殴り返して、高校にまで乗り込んで、乗り込まれて、血で血を洗って、力は力でねじ伏せただろう。
 今はもう違う。
 おれはもう誰も失望させない。
 大して強くもない力で頬をはられた。これが本気なのか、と目を開いてみたら本気だったらしい。何も言うまい、と思って腕時計を見た。
「おーい、顔かよ~」
「だって綺麗な顔してるのムカつくじゃないすか」
「なんだよー、おまえホモか?」
「やーいホーモ」
「ホーモホーモ!」
「違いますって!」
 ホモコールが生まれたところで、首と肩を締めていた腕を振り向きざまにねじって振り切る。ハ、と気の抜けた声が聞こえた。「そんなんで動き止められるかよバーカ」と嘲笑って、ハンドルを掴んでいる手首を捻って剥がした。油断したな。唖然とした表情の奴らは置いておいて、
「じゃ、おれ学校行くから。お前らもほどほどにしろよ」と言って、自転車の前に立っていた奴を睨みつけて退かせる。
 そのまま全速力で走りだしたが、遅刻してもおかしくないギリギリの時間だ。
 遅れるとまずい。
 立ち漕ぎに変えて、間に合えと思いながら漕ぎ続けた。


「穂波にしては珍しいね。遅刻ギリギリ」
 教室に行くと昼ご飯を食べ終わったらしい野田に声をかけられた。「あと五分だよ。次は美術」と教えてもらい、ありがとうと伝える。
 戸田と文也の姿はない。トイレにでも行っているのだろう。
 何かあったの? と軽い口調で問われて、アイツらのことが浮かんだがあえて何も言わずに首を振った。野田はおれの過去のことを知らないだろうし、知っていても軽くしか知らないだろう。
 不良がいるような中学からここに入ってくる生徒は少ないし、偏差値を見ても不良をやっていたような生徒が入れる高校ではない。おれは中学の頃の大会の受賞歴があったことや、偏差値が五以上余裕があったからここに入れているだけだ。
「普通にご飯食べるの遅くて」
「穂波でもそういうところあるんだな」
「おれをなんだと思ってんのお前」
「ちょっと機械なんじゃないかなって疑ってた。ごめんね」
「正直すぎるだろ」
 うそうそ、と笑い戻ってきた戸田と一緒に先に移動していった。次は美術か、用意しないと、とロッカーに向かったところで、あ、と思った。美術ならデッサンじゃないか。文也と。
 あの文也と。
 おれのことになると理解してないところがないんじゃないかと疑うくらい、変化に敏感な文也と。
「……ヤッベェ……」
 絶対に気付かれる。
 殴られたことにも気付くだろうし、そうなれば始末に負えない。彼は喧嘩三昧で殴られてボコボコのまま帰ってきていたおれを知っている。そしてそれは彼にとって相当なトラウマだ。
 今から冷やすか、とも思ったが保健室で「殴られたので保冷剤ください」と言ったら即保護者案件だ。他に理由を付けて保冷剤を貰ってもこれから授業で冷やしていたらあからさまに頬をなにかしらやらかした人だ。目立つ。却下。
 腹をくくるしかない。
 もう先に美術室に行っているだろう、と文也を探すことはせずに美術セットを持って一階へ降りた。
「……ちゃーす」
 小声で挨拶をして自分の席に向かう、が、やっぱり隣には文也がいてじっとおれを見ていた。人形みたいな真っ黒な目で。怖い。
 いつか彼から送られてきた猫の動画によく似ている。
 動揺を隠して普段通り、普段通り、と心の内で呟きながら「おはよ」と声をかける。数秒黙り込んだ文也は、おれをじっと見つめたまま、低い声で「はよ」と答えた。
 これはヤバい。もう絶対に気付いている。
「遅かったね」
 と聞いたことがないくらいに凪いだ低い声が言葉を紡ぐ。
「ああ、まあ。慌ててご飯食べてきた」
「そんなに忙しかったんだ?」
「あー、うん、まあ、バレーの練習してたら時間溶けちゃって」
「バレーの練習?」
「うん。……あ」
 体調不良で休んでたんだよな。おれ。ヤバイ。
 文也の方を見ると、感情がずり落ちた表情のままおれを見ている。恐る恐る、「ズル休み……です……」と言うと、「それは別にいい。事情があるのは知ってる」と一蹴された。
「スマホ見てない?」
「スマホ?」
 絡まれたときから見てないな、と思ってポケットからスマホを取り出す。文也から数件通知が入っていた。家にいるときには連絡を返していたので、その後からだろう。「いつ来る?」「今日先生いないらしいよ」「なんか勉強でもする?」と、三分の間隔を空けて。三件。
「照生」
「ハイ」
「お前の性格ならまっすぐここまで来るはず。それもいつもよりも早いスピードで。なら家からここまで十三分から十五分しかかからないはずだし、急いでご飯を食べていたにしてもその途中で既読はつけるはずだよね。なのに既読がつかなくなってから二十五分後に学校についてる。そもそもの性格上バレーに夢中になっていたとしても五分前行動は徹底してるはずでしょ」
 何が言いたいのか分かるね、と凄まれて、はい、ともう一度頷いた。
 全部バレてる、と苦笑いしていると、ふと指先がのびてきた。
「顔」
 と一言だけ言い、頬をそっと指先で撫でられる。
 腫れているのか、と思い上からなぞると、そこまで熱を持っている訳でもない。見た目ではほとんど分からないはずだ。
「殴られたの?」
 周りに配慮してだろう、声は出さずに口パクだけで伝えられる。素直に答えるか迷う。誤魔化しても問い詰められるだけだろうが。
 居心地の悪さを覚えたまま、いくらか思考を回して、嘘はつかない方がいいと判断しこくん、と頷くと、文也は不意に向こう側の隣に座っていた学級委員に何かを話すとおれの手を取って立ち上がった。
 つられて立ちあがると、そのまま美術室を出ていこうとする。慌ててその隣に並んで抗議した。
「ちょっと、おい、何してんの」
「いいから黙って、来い」
 聞いたことのない無感動な声に気圧されて、黙り込んでその背中を追った。手はまだ離してもらえないままだ。
 ギリギリと骨が軋んでしまいそうな強さで握られる自分の手首を見て、やっぱり、まだ文也にとっておれのあの時期というのは深いトラウマになっているのだろうとおれは思った。